<15> 花畑

ラノス兄ちゃん。兄ちゃん。にいちゃ・・・。


数日前に十六歳の成人を迎えた兄ちゃんは、求められて町の商家に勤めることになった。

文字を読めるだけでなく書くことも計算もできるという、一般的な庶民でもなかなか修めていない学を買ってくれた商家の主人は、首筋にある焼印を無視して、住み込みの上普通に給金を払うと約束してくれた。

うちも助かるからとわざわざ祝いの丸鶏を差し入れ、明日からよろしくな、と笑ってくれた。久し振りの肉、それも沢山の肉に、皆大喜びだった。

何よりも。

この修道院から出て、奴隷ではなく働かせてくれるところがある、それが希望を与えた。


翌朝、行ってくるお前らも元気でな、とひとりずつ頭を撫でて、とびきりの笑顔で修道院を出た兄ちゃんは、夕方。襤褸屑のようになって、口のきけない姿になって戻ってきた。

「魔族なのを隠して街に住もうとした報いだ」

遺骸を乗せた板を投げ入れ、そういって其奴らは去って行った。



・・・・・・・・・・・・・・・



湖の色の瞳が戻った少女の表情は凪いでいた。

『嫌なことを思い出したんだ』

顰めもせずに云うその続きを待つペルルの手には凛と冷たい魔力が当たる。


「仲間が殺されて戻ってきた。成人して、街に出て、その日に。

にーちゃんやねーちゃんも、小さい子たちも怪我や病気で沢山死んだ。

近くだと魔獣がくるといけないから、子どもたちで森の湖よりもまだ向こうに埋めに行くんだ。シスターの特別なお守りだけ持って。

一面の花畑に、穴を掘る。何処に誰が眠っているか覚えてる」

少女は仲間の名前を唱え、指を振る。一、ニ、三。頭の中数え始めてすぐに止めた。

庶民にとって死はありふれたものだ。特に幼子は歩き出し、話し出してもまだ安心はできない。五六歳になっても、昨日一緒に遊んだ子が今日はもう墓の下なんて修道院育ちでなくとも誰もが経験する。

だが、少女の回想はしばらく終わらなかった。物心付いてから十何年に見る死の数には多すぎた。


「いつ行っても綺麗なんだ。どの季節でもその季節の花が咲いてる。真冬は咲いてなかっただろうけど」

花畑は死の匂いがする。

淡々と話していたが、そこで一段声を落とした。

赤桃黄白、そして緑。季節ごとに種類は異なれど色彩豊かに花は咲き誇る。空には青。春には蝶が乱れ飛び、更に彩りは増す。

近く遠く鳥や動物たちの鳴き声が、風に揺れる花々の奏でる音楽となる。

けれど夏でも冷たい土の下には仲間が眠る。

永遠の眠りにつくには早すぎた仲間たちが。


「捨て石でいいと思った。庶民聖女なんてどんな風に使われるか予想はつく。でも代わりにお金が手に入るんだ。

自己満足だって分かってる。仲間が死ぬのを見たくないだけ」


『逃げるのか』

ボリスは正しい。

現状から逃げ出すのに彼岸ほど向いた場所はない。聖女のお役目ならば、素晴らしい自己犠牲の精神と讃えられ、自ら選んだ死であっても自らを手に掛けることもない。神様の教えに背かない。


「お金があればチビたちが元気に大きくなれるって。だから自分一人くらい別に構わないって。そう思ってここに来た。

でも、大きくなれても。その先は?

『魔族だから人じゃない』『魔族だから殺してもいい』

魔族の血を引いているだけで、普通に生きていることさえ許されない。

十六になれば修道院に迎えが来るんだ。ラノス兄ちゃんが殺されてから奴隷商に連れて行かれるようになった。ババァは口を濁すけど、奴隷の行き先は鉱山か農場だろう。そうやって使い捨てられる命を、どうして育てられるんだろう」

それは素朴な疑問だった。実際鉱山や農場は奴隷にとって過酷な環境で、自らを終える者も少なくない。

神様は自死を認めない。循環を断ち切り終焉を招く。そう、聖職者は伝える。

だから何だ?

遥か高見に居る者が、泥を啜る者、恩寵を受けない者に言葉で何を与えられるというのか。呪うなら自らの汚れた血を呪えと、食事も休息も与えられずに死ぬまで働かされる者たちに安易な救済など届かない。


「『それでも<生きる為に生きる>のさ。明日にでも封印が解けるかもしれないだろう?』ババァはそう答えた。

ババァは信頼してるけど、その言葉は信じてなかった。だけど、もし」

眼に力が篭もる。澄んだ湖は深く青さを増す。

ペルルは睨み付けるようにその目を凝視する。未だ頭の上にある手の平は冴え渡る魔力に切りつけられているようだ。腹の底に潜む自らの魔力を何とか引き出し、畏れに耐える。少女の聖詞に怯む余裕など無い。


「もし、神様に力を与えられているのなら」


手の平が跳ねた。

白髪の頭頂から吹き出た魔力が、聖衣と聖冠を形作る。少女が女性に変わる、いや、少女に女性が重なっているのか。大聖堂にある、あの画の女性が。



しゃらん。



一度だけ。

そばだてる耳に余韻だけが残る。

ペルルは堪らずその場で片膝を付き頭を下げた。見下ろすなど以ての外。限界だった。


「封印の聖女になるよ」


はっきりと、透明な少女の声でそう、云った。



・・・・・・・・・・・・・・・



馬車に乗ろうとしたところでその男は声を掛けてきた。

「丁度良かった。僕も乗せて行ってよ」

大聖堂前、紋付きの馬車である。男は護衛の聖堂騎士とお付きの修道女に手を振って、答えを聞かずに先に乗り込む。

「彼以上の護衛はいないでしょう。先触れと共に行って頂戴」

聖女は聖堂騎士と修道女に簡単に指示する。目的地は聖女候補たちの宿舎。馬車は大回りになるため、徒歩の方が早い。

馬車の中から差し出された手を取り、乗り込む。斜め向かい側に座ると、銀髪の騎士団長は御者に出立を伝える。

そして愉快げに碧眼を細め、長い足を組んで頬杖を付いた。すこぶる行儀の悪さだ。


「話し方といい、態度といい、何とかならないものかしら」

「王妃様相手なら、ちゃんとしてるよ。今は聖女サマだし。ま、討伐仲間だからいいだろ?」

理由まで不真面目だが、聖女も本気で咎めようとしているわけではない。

「貴方、趣味が変わったのね?随分と噂になっているみたいだけど」

悪戯のバレた子どものように視線を彷徨わせる。ちらりちらりと左右を二往復ほどしてから正面に戻した。

「灰色が育てた人間の子ども。当たり障り無く隠して、でも、存在を匂わせていた。期待が膨らむじゃない。多少のちょっかいは出すよ」

「手を出した?」

派手に肩をすくめる。

「なんか不埒なコトみたいに言うの、止めてくれる?薄くなってた処にヒビを入れたくらいなんだから。早晩取り戻すのは関係各位の知る処な訳だし。馬鹿共から護る意味もあってだよ。聖女を守る騎士団長だから」

最後の科白は、役者のように。

王都の劇場でも一番人気は、聖女と勇者の物語。甘い恋愛物語に酔いしれる若いカップルが多いとか。この若い魔術師——ギュンターは代々魔術研究の家系——がそんな軽薄なものに興味があるとは思えないが。


「その行動の為に余計に反発を受けたみたいね」

「それを云うならお付きの司教に迎えに行かせた君もだろう。彼が後見なら、君が認めたのは自明。現聖女が推すなら最有力だ」

銀髪の男は足を組み替え、姿勢をより低くし、舐める様に聖女を見る。

「本当はその座に固執し、目覚めないうちに排除しようと考えた。って線もある」

聖女は視線を真正面から受け止める。

「それは貴方の考えではない。親切ね」

「まぁね。しばらく領地に戻るからさ。あ、最初の質問。答えはノー、だよ」

「そう」

「また手の短さを嘆かなくてはいけないね。今度の娘は少し君に似てる。君自身に混じっていれば良かったのに。君なら僕の望みを叶えるまで生きてくれそうだ」

その言葉に表情は変わらずとも魔力の質が変わる。聖女を舌舐めずりで見上げる男の整った顔立ちは酷薄さを際立たせる。

だが聖女はその顔を見ていない。

『お前が魔族だったなら喜んで何度でも抱いたよ』

骸に縋り泣く自分を冷たく見下ろす、血塗れの男を思い出していた。



「氷の聖女サマともお別れが近いね。あ、そうだ。餞別じゃないけど、お悔やみを」

聖女は意識を戻す。相変わらず話が飛んで読めない男だ。

「君を追い回してた長兄、死んだよ」


類い希なる聖魔法を幼い頃から示した、隣国の第三王女であった聖女は、年の離れた兄姉から命を狙われ、国内を逃げ回る日々を送った。辺境で数人の供と暮らし、おおよそお姫様らしい生活など送ったことが無かった。姿も名前も力も偽る終わらない逃亡生活だ。不法に越境したこともある。

だが、疲弊していたのは聖女だけではなかった。相次ぐ災害、財源不足に端を発した圧政、その流れで起きる内戦。膠着した国内情勢の中、第二王子と第一王女はかつて殺そうとした第三王女を担ぎ上げようと画策した。その強力無比な聖魔法で奇跡を演出し、国内諸侯を纏めようとしたのだ。

拒絶すれば、それは余計に暗殺者を差し向けられる契機となった。

父王は、身の上を憐れんでか或いはひとつでも争いの種を排除しようと考えたか。十四になった姫を、幾らかの金と食糧を見返りに隣地を支配する一族の後継者に嫁がせた。だが、こちらに売り払われてからも暗殺者は現れた。

最も固執していたのが、現王であるはずの長兄だった。亡くなったのなら、祖国の混乱は如何ばかりか。


「それは情報をありがとう」

「なんなら帰れば良い。才ある殿下を紹介すれば?前王は生きてるから、孫だといって連れてきなよ。きっと喜ぶ」

血の繋がりがなくても。

目の前の薄青が歪む様を思い浮かべ、ぶるりと震える。しかし十数年受け続けている謗りに聖女は顔色を変えない。

「詰まらなくて面白いね。君は」

姿勢を戻し、襟元を整えたギュンター騎士団長は今更ながら爽やかな風貌で、軽やかに宣言した。

「ま、君が希望するしないに関わらず、皆動くよ。端緒を開くのは、封印の聖女。レイグノース正統の後継者だ」



馬車が宿舎前に到着し、待機していた聖堂騎士が開ける。騎士団長は先に降り、聖女の手を取った。

一段降り、もう一方の足が地面に付く寸前。

開かれた宿舎玄関から悲鳴と叫びが聞こえた。



・・・・・・・・・・・・・・・



「頭にお花が咲いている、残念無念能無し娘。素直に嫁いでおけば良かったと、後悔なんて意味ないし。彼のためなら犠牲になるの、仕方ないったら仕方ない。彼が彼らで何人いても、お前の中ではひとりだけ」

オットー・デリウズの節をつけた独白を聞くのは壁に埋められた魔道具のみ。

「さてあの方は俺をどう取り立ててくれるかな」

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