<12> 簒奪者
小聖堂の一角に割り当てられたその高位聖職者の部屋には、聖職者に似つかわしくない種々の物が隠されていた。酒、薬、魔導具その他道具類と幾らかの武器。
いずれも少量、或いは種類によっては所持していても不思議ではない。大貴族ともなれば命を狙われる危険もあるのだから。
しかしそこには自衛の為と言い訳するには度を超した種類の薬物や魔導具まで持ち込まれていた。
小さな卓上ランプだけを灯した薄暗い部屋で、ソファに差し向かいに座るふたりの男の一人がそれぞれのグラスに琥珀色の液体を注いだ。
男のグラスは小さめのショットグラス、もう一人のものは大きめのタンブラーで、タンブラーには魔法で作り出した球形の氷が入れられていた。
いずれのグラスも満たされた液体がランプの明かりを受けると柔らかく光る、透け感のある乳白色。凝った見た目だが味わいの邪魔にはならないように飲み口は薄く作られていた。
「この国には簒奪者が多すぎる」
華やかな音で二つのグラスを合わせた後、一気に中身を呷った男の口から出たのは、恨み言だった。
王国で簒奪者と密かに誹られる者といえば、巷間では憧れの的である騎士団長だ。勿論現在の、ではない。御伽噺の主役である彼は、実は一部の高位貴族にとってはただの裏切り者でしかない。
大聖堂にその画が掲げられるアルムスター騎士団長は、次期女王である封印の聖女を娶ったが、飾り物の王配になる事を嫌い、譲位直後に義父である前王を殺害した上で封印の後遺症により病身となっていた妻から王位を簒奪した。
魔王封印の偉業を共に成したとはいえ、聖女からすれば信じられない裏切りだったろう。失意からか赤子を産んですぐ亡くなったという。
その赤子もまた血筋を疎まれ、父であるアルムスター初代王により葬られたというから、そもそも封印の聖女の末裔などいないはずなのだ。
「何処で見つけたかは分かりませんが、あのような見目だけの小娘で我々を謀ろうなどと全く愚かしい話ですな」
「聖女の後見人として大司教の座まで狙っているのだろうが。田舎者の平民風情が調子に乗りやがる。カロッサ猊下もあの様な見苦しい輩を重用なさるとはお考えが分からん」
「新年の聖典読誦まで任せておりましたから。度が過ぎますな」
「何?」
「いえ、上手く利用されていると」
男の表情が変わりかけたのを見るや言い直す。
この男の前でカロッサ大司教の悪口は御法度だ。
実際、大聖堂の祭壇前に立ち聖典読誦を行うのは大司教だが、拡声の魔導具を通して皆が聞いている声は田舎司教のもの、というだけの話だ。
「王家に忠誠を誓う五大貴族が今や実質三大貴族だ。我らが本来あるべき地位を取り戻したい、お前もそう思って私の元にいる。違ったか?」
「滅相もございません」
王国には百五十年前から現在の王家に忠誠を誓う五大貴族がある。いずれも侯爵位を賜るグラッツェル、カロッサ、ギュンター、ディストロ、デリウズ。
王の配偶者を出さない代わりに、国の政を担う宰相、祭祀典礼を担う大司教、軍事を担う騎士団長の三職を五大貴族当主の回り持ちとしてきた。四十年前までは。
同じ役職であっても能力の有無で出来ることの多寡は異なる。役目から降りた時に自家の有利に運べるような、先を見据えた政策を——気取られずに——取れるかどうか。百年も経てば当然差は出る。
つまりは増えた親戚、縁戚類にどれだけ地方都市の市長や聖堂司祭、護警団長の座をばら撒けるか。力ある家がより一層力を持つのは必定。
その理屈も分からず五大貴族だから対等のはずと、カロッサ系伯爵に楯突いたデリウズ系伯爵がいた。
当時カロッサ家当主は騎士団長だった。
自家の縁戚である伯爵に無体を働いたと——表向きの理由は別であったが——そのデリウズ系伯爵の王都にある別邸を手始めに、伯爵領にまで進軍、本邸を制圧した。
カロッサ系貴族が座る市長室で、剣の柄に手を遣った。それで一族郎党皆殺しの憂き目に遭ったのだ。
この件はデリウズ本家の監督不行き届きだと、宰相位にあったギュンター、大司教位にあったグラッツェルが断じた。同列に数えられる五大貴族とはいえ、その代でどの職に就いているかで力関係が大きく変わる。ただでさえ力の差が歴然としてきた頃、実際に三つの地位を占めている三貴族に逆らえる訳がない。
彼らはデリウズには高位職は任せられないといい、ついでに当主が間抜けだったディストロも同じく格下げされた。
この件以降、宰相、大司教、騎士団長の三職はグラッツェル、カロッサ、ギュンターが占めている。
ディストロ、デリウズは地方都市の長やそこにある聖堂の司祭程度に甘んじるようになった。
「小娘の件は上手く運べていないようだが?」
「次の手はすでに」
「外ならば他にも任せられる者がいるが、中では動ける者も限られている。しっかり働け」
男はもう一度自分のグラスに液体を注ぐ。
酌み交わしているはずのタンブラーの中身はほとんど減っていない。
不興を買うわけにいかない相手を前にゆったり酒など飲めるものか。と、再びショットグラスを呷った男の前で、デリウズ司祭は思った。
簒奪を目論むのはお前も同じではないか。長子とはいえ庶子の分際で当主の座を狙っているのだから。
手を添えるだけの冷えたグラスの水滴を見詰める目が細まったのを男は見逃さなかった。
「温いか?氷を足してやろう」
「っ!」
タンブラーの中、球形の氷が大きくなる。中の液体は溢れ、持つ手を濡らす。
それは止まらず、パンッと軽い音をさせてグラスを割った。
男は立ち上がると、壁際の鍵付き棚を開け、小瓶と紙包を取り出した。
「怪我をしたなら、これを塗るといい。よく効くらしいぞ?」
「いえ」
青褪めた顔を見下ろし。
「具合も悪そうだ。なに、痛みも苦しみもすぐに感じなくなる、よく効く薬だ。お勧めするが」
金の混ざる茶髪をかき上げ、色の滲む笑みで。
「自分で使うのが嫌なら、小娘に。お前の候補者は使えそうなのだろう?」
テーブルの上に包みをゴトリと置く。
それから小刻みに震える、まだグラスの欠片に塗れる掌に小瓶を握らせた。
その上から重ねた自分の手に力を込めれば、テーブルに溢れた酒にじわりと色味が加えられる。
「なぁに。よくある話だ。金と栄誉に絡む欲が人を狂わせた。残るのは一人で良いのだから」
・・・・・・・・・・・・・・・
ペルルに対する大司教猊下の呼び出しは案の定姿を消した後見人の件だった。
カテナ・フンメルの後見人は、ジークハルト・カロッサ大司教猊下の遠縁の伯爵家の出だ。今回の聖女選定の儀に係る異動で、地方聖堂の司祭から大聖堂の助祭に昇進された。位階の上では司祭の方が上だが、大聖堂は本部組織のため、助祭以上であれば地方のトップよりも立場は上だ。
置き手紙からすると、王都の伯爵家屋敷に戻ったようだが、聖女選定の最中に運営に関わる人間が正式な手続きもなしに王城外に出たとなると大問題だ。
本来ならば。
「すでに候補は四人に絞られたとか。さすがの手腕だな。私よりも古くから大聖堂に勤めるだけはある」
「猊下には遠く及びません。魔力からすれば二人は物足りなく感じますので、実質二人かと」
「何を謙遜している。お主が連れてきた者が本命であろう。灰色がよく手放した、いやもう潮時と見たか」
焦茶の目が険しくなる。
灰色はオース修道院の老シスターを指す。五大貴族との因縁浅からぬ、王国で非公式ながら唯一存在を許されている魔族である。
「騎士どもが騒いでいたそうだな。封印の聖女が再来したと」
仕事の殆どを部下に丸投げするが、独自の人脈と金脈を駆使し、地方教会の人事まで把握、寄進の隠蔽も許さない。大聖堂の主として実際に全体を掌握しているのだ。
噂など出た途端に耳に入っていると考えていい。
ロナ様の云うとおり、自分の役目は後ろで見ているだけかと溜息を飲み込み頭を下げる。
「これだけ話が漏れている中、関わる者が一人街に出たところで変わらん。お主もそう思うだろう」
質問ではない。応えは肯定しか許されない。
だが白髪の聖女候補について更に追求を受けると考えていたペルルの予想に反し、大司教はあっさりと解放した。
聞かれたところで答えられることなど殆ど無かったのだが。
大聖堂の自室——私室兼執務室だが、広さに未だ慣れない——に戻ってきたがまだ業務は残っていた。
しかし自分で淹れた茶を飲みながら報告書を作成していると、夜明け前から起きているせいか、気疲れのせいか、眠気が襲ってきた。少しだけ、と着替えもせずにベッドに横になる。
うとうとを繰り返すと、起き上がり仕事を続ける意思さえも何処か黴臭い泥濘みに絡め取られていく。沈降に抗うのを止めたところで扉が叩かれた。
立場を気遣った品の良いノックではなかなか目は覚めない。むしろ戻りかけた意識が夢を見せる。
聖錫を握る白髪の娘が空に浮かんでいた。娘が高く掲げた聖なる錫杖を振ると、大地はひび割れ、大風が吹き、空は幾筋もの光を降らす。家屋も畑も森も、人も。或いは落ち、或いは飛び、或いは焼かれる。
どぉんぐぉんと太鼓を打ち鳴らす騒音の上で、娘はすでに何万回もの死の瞬間を経たような抜け落ちた顔をしている。感情だけでない、人であれば持っている何もかもが削がれていた。
髪の短い封印の聖女にも、髪の伸びた聖女候補にも見えるその娘を、せめて抱き締めて頭の一つでも撫でてやれればこのような終焉は訪わない。
しかし彼の確信めいた予感は、扉の蹴破られた音となだれ込んだ騎士たちにより、弾け消えた。
「司教猊下!ご無事でしたか」
聖堂騎士といわれる第二騎士団所属が三人、蹴破った勢いのままベッド脇に駆け寄る。ご無事も何も今から手打ちにでもされそうではないか。目を剥いたペルルに対して掛けられた言葉は、彼の目をさらに飛び出させた。
「宿舎にて大司教付助祭殿が倒れられました。現場の状況より狙われたのは司教猊下であると考えられましたので、無事を確認に参りました」
三人にそのまま護衛を申し付け、宿舎までまた戻った。道中で説明を聞くわけにもいかず、無言のまま急いだ。
宿舎には疲れた顔のハロル司祭と騎士数名がいた。
騎士に引き続きの警備を頼み、執務室にふたりで入る。聖衣の襟元を緩めながらソファに座ったハロル・ギレスが、気怠い顔で口を開いた。
「怪しい動きをしていたメイドを一人、騎士が連行しました。食事途中で眠ってしまった助祭殿とエタ様のおふたりを診察した回復司祭によると、使われたのは魔獣退治に用いる睡眠系魔法薬。地方の護警団がよく使うもので、入手は難しくありません」
「人に使うものではないだろう。ご様子は?」
「助祭殿は恐らく二三日は目覚めないだろうと。」
「いや、そちらよりも」
「・・・エタ様は、普通に眠られているそうですよ」
ピクリとも動かない昏睡状態である助祭に対し、いびきに近い寝息にときどき入る寝言。もう食べられない、ごめんなさい、と謝っていたらしい。
同じ薬物が同量仕込まれたとしたら、聖女候補の方に強く作用しているはずだ。助祭は成人男性、片や同年代よりも体重の軽い少女。
そういえば昼に使われた精神薬も非常に強い効き目のものだった。初見殺しといわれる、一度きりしか効果はないものだが、使われた者は話すなど以ての外、思考の一切を相手に預ける木偶に変わる。効果時間も半刻程度と長い。それを嗅がされたのにも関わらず、モノが遠ざかった途端に意識を切り替えられたという。
「・・・私がこちらに戻る必要は無かったのでは?」
「ところが、他にも不始末が御座いまして」
ハロル司祭の気怠さの本命はこちらか、とペルルの勘が働く。苦虫を奥歯ですり潰した顔をしたから、見れば誰でも分かるが。
「窓から抜け出した挙げ句、王太子殿下が連れ戻した?」
しかも王太子殿下が顔を見たいから出てこいと唆した、という筋になったという。
夜分とはいえ騎士だけでなく修道女や下働きの者も幾らかは通る小道を、一際目立つ立派な馬に少女を抱いてゆっくりと戻ってきた。
宿舎でもメイドや他の候補者も見守る中、柔らかな笑みを浮かべながら娘をベッドまで運んで寝かせた。
殿下は十七歳で正式な婚約者はいない。
誰にでも優しいとはいうが、ただの聖女候補である娘に対してするには過分だ。
しかし、その行動は守るというよりも、むしろ。
・・・・・・・・・・・・・・・
「王太子殿下にまで媚びを売る詐欺師を、これ以上のさばらせる訳にいかないわ。聖女様からその座を簒奪しようとする者に、目に物見せてあげましょうよ」
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