<11> 王太子の興味
ムシャクシャして共も連れずに街をぶらついていた。
お父様もお兄様も最近よそよそしいと思えば、頼んでもいない縁談を持ってきたのだ。それも相手は二十三も上。南の国境近くの領で商売をしている男爵だけど、四十手前まで結婚していない方なんて。
隣国が近くなればより最先端の服飾品も手に入るとか、年上の分甘えられるとか。
私は王都の生活が気に入ってるし、今まで同様お父様とお兄様に沢山のモノを買ってもらうから結婚なんてまだしたくない。
そういうと、もうお前に何か買い与える余裕はない、といわれた。
そんな筈ない。
仕入れ値がとか数がとか言いながら、二人とも毎日忙しそうにしているのだから、儲かってるに決まってる。
子どもの時に聞いたもの。
あいつらは沸いてくるようなものだから、元手は掛からない。楽な商売だ。って。
私一人何したって、大丈夫なはず。それなのにっ。
蹴飛ばした石が背の高い男の人にぶつかった。
慌てて謝ったら、金貨も挟まるくらいに寄った眉間がぱっと開いた。
逆にどうかしたの、って。優しく聞いてくれた。
よく見れば整った顔立ちで、貴族の血を引いているのかもしれない。
落し子という、半分貴族の方は庶民と混じって生活しているらしい。よく分からないけど貴族の血が混じっているのなら貴族で良いんじゃない。だって、魔族の血が少しでも混じっていれば魔族として奴隷にするのだから。
レギーナちゃんっていうの?お酒でも飲みながら話そうよ、勿論奢るよ。って。初対面の男性と二人で話した事は無かったけど、素敵な人だったから。
だから。
その日のうちに深い関係になったのも仕方ないし、彼の勧めるドレスを何着も買ったのも当然。
家で雇っていたメイドがいなくなって、自分で施した不慣れな化粧だって彼は可愛いって言ってくれたから。
だから。
彼が欲しいといった、家の金庫にしまってあった紙切れを渡したのも仕方ない。
だけど。
家に戻れば大騒ぎで、あれが無ければ家中みなで首を括るしかないとお父様が狂ったように叫んでいた。
扉の陰から聞いて、初めてあれがお金の代わりだって知った。
彼に会わなきゃ、返して貰わなきゃ。
ここに来れば会えるって教えてもらった宿も、一緒に買い物したお店も、初めてお酒を飲んだ酒場も。
どこに行っても彼はいなかった。
探し疲れて街の聖堂に行った。
家には帰れないし、彼にも会えなかった。一晩泊めてもらえるものかは分からないけど、ぼうっと座れる場所は聖堂かなって。
誰に聞いたんだろう。
あぁ、彼だった。
彼が、困ったときは聖堂だって。神様にお祈りすればきっと通じるって。信心って感じの人じゃないのに、不思議だったけど。
騙されたんだ。
止めどなく流れる涙に耐えきれなくなって、聖堂の長椅子に横たわった。
汚れるのを注意しに来たんだろうか、聖衣がゆっくりと近づく。
ぼやけた視界に写ったのは、見たことないくらい立派な装束だった。
身体を起こそうとすると、そっと押し戻し、薄布を被せてくれた。
『今は少しお休みなさい。元気が出れば話もできるでしょう』
耳に心地よい声と、隣に座り腰の辺りを優しく叩く温かさが、私を眠りに誘った。
・・・・・・・・・・・・・・・
「相談って」
本当に部屋にやって来た白髪の娘に、ぶっきら棒に聞く。
昼は言われた通りにやったけど、こんなのにどう対応すればいいか分からない。
とにかく追い出せればいいと言っていたけど。
勝手に鏡台前の椅子に腰掛けた、メイドたちにも噂される痩せた娘は口を開いた。
「友達が騎士団に捕まって、心配なんだ」
「友達・・・あぁ昼間の子」
お友達が心配なんて、実は可愛らしい子なのね。でも聖女候補同士なんだから邪魔なはず。
あ、そうか、何かやらかして駄目になったからさっきもいなかったんだ。数が足りない気がしてた。
「様子が知りたいんだけど、どうすればいいかな」
「そんなの警備の騎士にでも聞けばいいんじゃないの?」
相談する相手が間違ってる。私に聞いても答えられないでしょう。頭付いてるのかしら。
おかしくなったのか何度か目をパチパチさせた後、言葉を重ねた。
「ここにいる騎士たちじゃ埒が明かない、あー、分からないだろうから、できれば直接」
「ふーん、じゃぁ騎士団本部に行けばいいんじゃ?あ、そう!抜け出せばいいじゃない!」
「え?抜け出す?そんなの無理だろー。だって、けいびのきしもたくさんいるし」
「私が下で引きつけてあげるから。ほら、ロープ代わりにこの腰紐を結んで、ね?」
修道服の腰紐を三本繋ぎベッドに括れば、丁度二階にあるこの部屋の窓から外に降りられる長さになった。
「あら、でも何て言って引きつけようかしら」
「廊下の天井にでっかい虫が出た、とかでいいんじゃない?」
「そうね!」
じゃぁ叫び声が聞こえたら降りるのよ、と自分に言い残して昼間コテコテしたドレスを着ていた厚化粧の人は部屋を出て行った。
窓から下を覗き込む。今のところこの辺りを警備している者はいない。
聖女候補という淑女の集まりが玄関以外から外出するとは一切考えていない様子だ。
外壁には微妙な凹凸がある。腰紐がなくても上り下りはできるが、使った方が早いか、いや。
結び目を確認すると、明らかに弱い。これに頼れば降りるまでに外れて落ちてしまうだろう。
仕込みとは思えないけれど。
彼女が唆して外に出た。その証拠になるように、彼女の部屋から出る。握って集中すれば魔力が残るはずだ。
会話も誰かが見張っているか聞いているか。
<隠蔽>を付した魔導具を探せる能力はないけれど、カテナも言っていたし、こういう場に監視は付きものだろう。
どちらにしても念のため、だ。
『祭りが始まる前に終わっちゃう』のが嫌なら適当に誤魔化してくれるだろう。これから文句を言いに行く相手が。
継ぎ目は駄目だがベッドには固定されている腰紐の一本目を両手で握り、すぐに戻した。
窓に腰掛け足を伸ばす。身体を捻って窓枠を掴み、手の力だけで全身を支えながらできるだけ足を降ろす。身体が伸びきったところでパッと手を離し落下する。下は柔らかい地面だった。二階くらいなら飛び降りても問題ない。足首、膝から腰までを十分に曲げ、衝撃を吸収する。足裏が少しだけ痺れた。
「さて、と」
足首を回したところで彼女の喚き声が聞こえた。あの声はむしろ部屋に人を集めるだろう。
早く行こう。走るのには自信があるんだ。
ある程度見通せる小道を避け、林を走る。修道院から繋がる森よりも走りやすい。
満月に近い月明かりが、木々が遮る林の中も十分な視界を与えてくれる。日が落ちると真っ暗な修道院で過ごしているから夜目は効く。
しかしあの人、昼の件で腹立ってたから巻き込むことにしたけど、完全に騙されてここに連れて来られた人だ。ぼやっとして頼りない。
昼間使った嗅がせ薬が、何故自分には効かないかなど考えもしないのだろう。
まぁ人のこと言えないか。
おっちゃんの正論に言い返せなかったから怒りに任せて席を立った。本当に、今日出会ったばかりの他人の心配などしている余裕はない。
でも、おっちゃんも目的があるから連れてきたんだから、その愛情に似た叱咤を感じたまま受け取る事もできない。
『封印の聖女が何をしたか分かっているのか』
当たり前だ。
魔王を封印した。つまり魔族を奴隷に貶めた元凶だ。
だけど、仲間たちが苦しんでいるのは彼女のせいだと詰った子どもの頃の自分に、ババァはこう言った。
『アンタよく覚えておきな。封印の聖女、いやマルベリ様が悪いんじゃない。魔族の苦境を作ったのは、やっぱり魔族なのさ』
封印の聖女の血筋といわれてもピンとくるモノは何もないが、十年も前に今日の自分を守る言葉をくれたババァに深く感謝した。
走り続け、やがて林の終わりが近づく。
大聖堂前広場は隠れる場所がない。
一気に突き抜けても誰かには見つかるが、捕まらなければいい。
宿舎から抜け出してる時点で、聖女に相応しくないと糾弾されるだろう。
けど、昼にカテナが何をやったのだとしても、自分とおっちゃんを引き離してから連れ去るなんて手を使っている以上、あの銀髪に付け入る隙はある筈だ。
騎士団本部にたどり着き、少なくともカテナか銀髪には会ってみせる。
言い訳を考えるのは自分じゃなく、銀髪の騎士団長の仕事だ。
「ちっ腹が痛ぇな」
食後の運動にしては激しかったからだろうか。林の終わりで呼吸を整えていると、胸まで苦しくなってきた。
広場前は何人かの騎士が行き交う。奥から馬まで現れた。今走り出してもあれは振り切れない。
木にもたれ掛かる。
整えているはずの呼吸が荒くなる。足が震え出し、ずるずると根元に座り込んだ。
「なん、だこれ」
開いている目の前に帳が降りる。月明かりが届かない暗闇に変わる。
微かな風が脇をすり抜ける。着いた手の横の雑草が柔らかに揺れ、人差し指を撫でるともなく触れた。
ついに上体を支える力さえ失い、その場に横たわる。
遠くなる意識のどこかでは、蹄鉄が石畳を叩く音の近づきを聞いていた。
——君はどこの子なの?どうして泣いているの?
出会った時、彼は泣いていた。それなりに大きな体躯を小さく小さくして。
抱えた膝の間からこちらを見る目は潤んでいて、目尻に溜まった水が、瞬きする度に頬に滑り落ちる。その水滴の大きさに、目まで落ちていってしまいそうだと、何となくおかしくなって。
侍女の制止を無視して近づく。
しゃがみ込んで視線を合わせた。麗らかな初夏に匂い立つ新緑のような目に私の瞳が吸い込まれていく。ハンカチなんて持ち歩いていないから、彼の目尻の雫を指先でそっと拭う。
後ろから慌てたような叱責が飛んでくる。名を呼ぶだけのそれが、少年とはいえ初対面の男性に対してあまりにも親密だという注意と、はっきり分かった。
けれどこのような行動に出ている私に、最も驚いているのは私自身だった。
少年はというと、いかにも高貴な雰囲気の女性が目線を合わせた上で顔に触れてくるというこの行動に、呆気にとられて固まっている。かと思うと、徐々に頬が赤く染まって一瞬飛び出しそうなくらい開かれた目がバタンと音がしそうな勢いで閉じられた。残りの涙もすべて流れ落ちる。あぁ勿体ない。
袖で乱暴に目を擦った後、彼はまず立ち上がり、こちらに手を伸ばした。差し出されたその手を握ると、軽く力を込めて引っ張り上げる。
そうしてこちらを立たせた後、今度は騎士がとるような姿勢で跪いたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「殿下・・・?王太子殿下!」
月明かりには漆黒に見える黒鹿毛の馬は、主の指示にびたりと止まった。
揺るぎない四肢を持つそれが乗せる主もまた、痩躯に鍛錬の証を積む者だ。
金色の短髪を輝かせ、馬上から騎士たちを見下ろす紺色の瞳もこの暗がりでは黒く見える。
駆け寄ろうとする者たちを片手を挙げて制すと、寄りかからせていた白色の髪を持つ娘を揺り起こそうとした。
しかし少女は王太子にぐったりと身体を預けたまま動かない。意識を失い、深い眠りに落ちていた。
その姿に軽く笑みを溢した貴い者は、彼女を左肩に抱き上げ、馬から飛び降りた。
ほとんど音はしなかったとはいえ、揺れも衝撃もあっただろうが、娘はやはり起きない。
「先ほどよりそちらの聖女候補の行方を捜しておりました」
騎士の一人が報告する。外出許可どころか、窓からとあっては、何らかの目的があっての逃亡と見なされるのは当然だ。
幇助した聖女候補も自室にて事情を確認しているところだった。
聖女候補はいずれも強力な魔力を有する者たちであり、貴人を害する為に送り込まれた者がいてもおかしくない。しかもすでに一人、騎士団長が取り調べている最中だ。
王国北東部を中心に魔族解放を叫ぶ者たちが行動し始めた。
五年前の法改正により、魔族の定義が広くなった。昨日まで人間として共に暮らしていた者が魔族奴隷として連れて行かれれば、叛意を持つのも理解できる。だが、純粋な魔族がいなくなった昨今、奴隷は減る一方。増やす方法を幾ら練ろうが追いつかないのが現状だ。社会の仕組みを抜本的に変えるのでなければ、誰かが割を食うのは仕方のない事だと王国の支配者層は考えていた。
言外に危険人物の引き渡しを要求した騎士に、空いている方の手の平で顎を撫でながら、王太子は応じた。
「ふ〜ん。この娘が?あり得ない想像だね。いや妄想というべきか」
そして同じ手で、軽々と抱いた娘の背を撫でた。
「私が。噂の娘の姿を見てみたいと呼び出した。それで収まるだろう?」
この者の部屋はどこ?案内して貰えるかな。
少女を受け取ろうと両手を出した騎士に対し、王太子はそう返した。
小道からも広場からも見つかりにくい木の陰で倒れていた娘の、固く閉ざされた瞳の色を自分自身で確認するまでは、例え護衛の騎士であろうと簡単に触れさせるわけにはいかない。
彼らを伺う者たちの心情など無視した笑みを浮かべ、王太子は軽やかな靴音を鳴らして廊下を歩いた。
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