<9> お伽噺
大聖堂の正面上方。
双塔の三段目に本来あった窓枠の位置に掲げられた二枚のモザイク画には、王国中の憧憬を集める二人が描かれている。
椅子に座り斜めを向いた姿勢で、二人は緩やかに向かい合っている。
穏やかな熱を帯びた微笑は本来、お互いに向けられているのだろうと想像させる。
年に一度の大聖堂での祈祷は貴族にとって大切な責務の一つだが、この画を見るために遠方より頻繁に来る若い令嬢も少なくない。
左側には女性が描かれていた。
日の光を反射する細流のように白い髪が背まで伸び、豊満な胸元にドレープを寄せた濃紺のドレスに一筋だけ垂れる。
晴れた冬の日の湖の色をした瞳は輝きに情熱を秘め、慈愛を含む眉と対照的でさえある。
桜桃の色艶を持った唇が描く弧とその動きを受け止める頬の柔らかさに見蕩れぬ者がいるだろうか。
そして右側には男性が。
川底で陽光を浴びて煌めく砂金の色をした髪は左肩で緩く纏められ胸元に流れる。
燕尾服の胸元に挿された淡い青色のチーフと並び、それは色香を発するが夜明けの期待を抱くやや白みがかった濃紺の瞳は冷静さを備える。いや、むしろこの後の発露を予見させ、見る者の心にさえ情火への渇望を生み出す。
横に結ばれた唇は弧ともいえない程の角度で、隣に飾られた女の笑みを見なければ、男もまた愛する者を見て笑んでいるなどと思わないだろう。
女の画の下には、封印の聖女・マルベリ。
男の画の下には、聖女を守る騎士団長にして勇者・アルムスター王朝初代王。
そう、記されていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
髪は短く、体つきは随分幼いが、白い髪と青い瞳を持つ、聖女マルベリによく似た風貌の少女が、騎士に連れられて歩いていた。
清楚な白のワンピースを着た少女の前には二人。周囲の警戒を怠らず、然りとて振り返らずとも少女の歩幅に合わせて歩く。
すぐ隣を歩く者はいない。貴い方の真横に立てる者など、王城勤めとはいえ一般騎士にはいないからだ。
半歩後ろをやや緊張した面持ちで歩く二人、その後ろに更に二人が加わる。
大柄な騎士が幾人も少女一人を護衛しつつ歩く様は、すれ違う者たちの視線を浴びていた。
王城騎士団には幼い頃から騎士という職に憧れている、夢見がちな貴族の子弟も多い。
盗賊、狼藉者から庶民を守る市街の護警団も、貴族専属の領兵・護衛も立派な仕事だと分かっている。
だがやはり『勇者と聖女の物語』だ。
寝物語に聞いた、封印の聖女である王女と騎士団長である勇者の物語。
騎士団長は魔王を討つ厳しい旅の中、王女を守り続ける。
魔王の間では、聖女の歌声が危機に陥る勇者を救う。
互いを想い、口に出さずとも愛を育んだ二人は、魔王の封印が成った後、結ばれる。
これがただの創作でなく、歴史なのだからジェラント王国に生まれて良かった。
騎士として、そのような方にお仕えできるなら、どれほど素晴らしいことか。
大人になり、王城騎士団に入れるほど剣も魔法も肉体も鍛え上げても。
頭の隅にはまだ、憧れがなお根を張っている。
そして王城騎士は出会った。
封印の聖女——大聖堂の画——に似た少女と。
「何故このような大仰なことになっているのか、まず説明を願いたい」
今日という日の名残を惜しむ赤みの強い橙色を浴びながら、大聖堂区域と騎士団区域の境目で、ペルル司教は騎士の一人に詰問していた。
大人の背ほどの垣根で分けられているそこは、見た目ほど簡単に通れない。
騎士が立っている門––扉は無く上部が半円形のアーチになっている––以外を通ろうとすれば、気を失う程の電撃で打たれる。面倒でもきちんと用向きを伝えて通らなくてはいけない。
修道女が一人、騎士団で世話になっているので迎えに来た、と伝えてから半刻。
私も暇ではないと何度言おうが、伝令が戻らないの一点張り。
放って置いてもいいような気もするし、いやしかしやはり心細い思いをしているだろう。
そもそも全身が黄色く光るほどの雷撃を浴びたというからには無事であるかも分からない。
門の前をグルグル回っていると、通っていく文官、警備兵、回復役として騎士団区域に出入りできる司祭たちまでもが皆、大きく避けていく。見知った者がいて挨拶しようと目を向けると、酷く青い顔を背けられた。
苛ついてはいるが、それほど非道いか。
内心落ち込んだ時、向こうから騎士たちが歩いてくるのが見えた。
油断なく周囲を伺いながら歩く二人、間にちらりと白いドレスを挟み、後方にも数人の並びが見える。
あのように護衛されて大聖堂区域に来られる貴人の予定はあったかと記憶を辿っていると、その護衛対象が騎士たちの中から飛び出してきたのだ。
「おーーい。お迎え、ありがとさん」
「エタ様、護衛任務はいつでも申し付けください」
ペルルは、騎士を一人を掴まえて詰め寄ったが、騎士団長にこちらへ送り届けよと命を受けたまで、と型通りの回答しか得られなかった。
騎士たちは、大聖堂の高位階者であるペルルには素っ気ない態度であったのに対し、白髪の娘に向かっては並んで礼をした。
娘はというと、修道帽とベールを被せられながら、おう、と淑女らしからぬ——実際聖女になればその指導が待っているのだが——返事をして片手を上げた。
ある意味で間違いのない対応であるのは彼らよりも承知しているが、釈然としないペルルは手だけを動かした。
「ピンピンしているみたいで良かったが。」
心の幾らかを占める感情は怒りなどではないし、嫉妬するほど狭量ではない。
呆れはあるが安堵が勝る。
騎士団長が本気になれば誰であろうと一溜まりもない。勇壮さと無縁の飄々とした風情だが、討伐報告をみる限り、常軌を逸する強さを有している。彼が次男でありながら五大貴族当主として騎士団長に収まった経緯も尋常ではない。
その騎士団長が、この娘が何者かを理解した上で連れ去り、わざわざ周囲に存在を示しながら返してきた。
何故だ。
何がしたい。
ギリギリと噛み締めた奥歯が音を立てた。
陽光の名残は赤橙色が薄く帯状にある以外は、黒あるいは濃紺の影を斑に乗せた青が最後の艶めきを描くのみとなった。
王城入りした午前から数日も経たように感じるが、まだ半日なのだ。魔力が強いだけの白髪の少女でシラを切る、そんな甘い考えが通じるとも思ってはいなかったが。
商業ギルドの扉から入ってきたこの方を一目見た時のあの衝撃を、誰もが感じざるを得ないのは必定。お伽噺も大聖堂の画も、何より聖典が伝えるこのお姿に。
『どうせ分かる人にしか分からない』
分からないのは余程の馬鹿か神様の存在すら否定する者か。それすら噂として流されれば率先して信じる方に変わるだろう。
虚け者ほど他人の評価に左右されるのだから。
白髪の聖女候補は、魔王を封印した聖女の再来である。
皆が信じたくなる話だ。
王国内を闊歩する魔物の類は年々その数を増やしている。
一般的な動植物と似た特徴、生殖機構を持つ魔獣とは異なり、魔物は突然湧き出す。
核となる魔力の残滓のようなものがある場所に現れるともいわれるが、絡繰りは判明していない。
ある日、村から見える景色が変わったと思えば、山のような巨体の魔物だったというから、身の毛も弥立つ話だ。
全村避難は間に合わず、村全体を更地にし、村人の幾人かと魔族奴隷の半数を貪り喰った相手を、鼻唄交じりに切り刻んだ現騎士団長というのも物語だけにしておいて欲しいが。
無論これほどの被害は数年に一度程度だが、魔王封印から百三十年で数回だったのが、この二十年ですでにその数を超えている。
魔獣も活発化、さらには強化しており、本来であれば各領主の責任において討伐するはずが、騎士団への救援要請が相次いでいる。
王宮も重い腰を上げざるを得なかった。
お飾りの聖女ではない<封印の聖女>を選定することを、王太子が提案したという。
今代聖女様も聖魔法の使い手として本物ではあるが、封印を上書きあるいは強化する力は無い。何より王国への輿入れから十八年。聖女として同年務める。口惜しいことながら、状況を打破するのに人事の刷新は有効な手段だ。
一時凌ぎの後、再登板もあり得るとの下知には苦笑も出なかったが。
そこに紛れ込んだ、いや、紛れ込ませた本物。
王宮の思惑との溝を埋める仕事は此方側だと考えていたが。
ギュンター騎士団長、あの五大貴族当主でもある若造の立ち位置が分からない。
ぐるぐる廻る思考に振り回されながらエタの装束を整えていたペルルは、いつの間にか険しい顔のまま立ち尽くしていた。格好だけは修道女となった聖女候補が聖衣の裾を軽く引く。
「見てるだけでいいんだよ、おっちゃん」
それが後見人の仕事らしいし。
それが天啓に聞こえたかどうか。
白い髪も青い目も、騎士たちにさえ本物だと信じさせるその外見をベールの中に仕舞い込み、揶揄いとも思える言葉を重ねたエタに、ペルルは肩の力を抜く。
「そうか。所詮私如き、何をしたところで」
戻ろうか。応じた深緑髪の聖職者と元気に返事をした白髪の娘は歩き出した。
・・・・・・・・・・・・・・・
『君は守られていた。そろそろ自立すべき頃だと思わないか』
呼びつけた侍女たちに見せつけるように頭の天辺に唇を落としたアルベルト・ギュンター騎士団長は、そのまま髪を一筋咥えるように耳元まで動くと、そう囁いた。
愛しい人への睦言と誤解させる仕草に驚くが、肩を抱く腕には<隠蔽>を付した魔力が込められていて微動だにできない。
侍女の一人は両手でワゴンを押すせいで隠せない頬を真っ赤に染め上げている。見てはいけないと逸らす視線がすぐに戻って来てはまた逸らすを繰り返す。
抱きかかえて連れてきた修道女を部屋で休ませるからと人払いし、大切な方だからと護衛を呼びつけ、
『何がしたいんだ』
『お祭りに参加したいだけ。お伽噺の主役が二人。彼女はどちらを選ぶかな?話題性たっぷり。楽しいだろう』
態度とも内容とも裏腹の、真冬の氷の上を素足で歩くような声音よりも、耳朶を触るのがせめて吐息だけであってくれと、震えた。
騎士団長執務室での出来事を思い出し、周りからは隠された顔をこれ以上無い程顰めたエタは、急足で隣をいく大聖堂のナンバースリーだという聖職者に尋ねた。
「本当に封印の聖女の末裔だと思う?」
「藪から棒だな。ギュンター騎士団長に何をいわれた」
「色々、だよ。暴発すれば二千人殺せる魔力を返されても無傷だとか」
「豪胆な話だな」
「ヤツの邪魔をしないように約束させられたし、耳元で愛を囁く素振りを人前で披露されたし」
「ちょっと待て。それは」
「あー、もう余計なこと思い出した!早く部屋に戻ってシャワー浴びなきゃ。頭が腐る」
「頭、にな、にを」
「接吻を、落として来やがった」
点在する照明の魔導具に羽虫が集まるのを横目に宿舎へ向かい大股で歩くペルルと半分駆け足のエタに、一人の従者が駆け寄ってきた。
急ぎ聖女選定執務室まで戻られるように、とのハロル・ギレス司祭の言伝だった。
嫌な予感に顔を見合わせる。
さすがにそれは無いとも思ったが、ペルルは確認してみた。
「抱えて走っても良いか?」
「アホか!」
余裕をもって宿舎まで走りきったエタと、肩で息をする内勤で運動不足のペルルを出迎えたギレス司祭は、執務室の扉を閉めるとなしに言った。
「カテナ・フンメル嬢が騎士団に拘束されました」
「まさか?ギレス司祭はその場にいたのか」
「彼女の後見人が、辞表を出して行方をくらましたのです。私はその対応で一時大聖堂へ戻っておりました」
聖女選定の儀は候補者の秘匿の為、後見となった聖職者と大司教猊下、今代聖女様のみで行う。候補者が絞られるまで上の二人は関わらず、候補者のケアから事務仕事まで十人の聖職者で分担して行う。
が、収賄で助祭が二人いなくなり、棄権した候補者三人の宿舎を移すなどの世話を司祭と助祭の二人が担当。ディストロ司教とデリウズ司祭は、城下にある聖堂関連の職務があると事務仕事に不参加。
聖女選定の儀というと仰々しいが、事務方として正式に動けるのはペルル司教、ギレス司祭と助祭二人のみになっていた。
しかも騎士団とやり合える位階を有する者はペルルとギレスだけだったのだ。
「理由は何だ?」
立っていても仕方ない。ペルルはソファにどかっと尻を沈めた。音は立てずにギレス司祭も倣う。
エタは出て行こうかと逡巡するのを司祭に見咎められた。
「エタ様もこちらへ」
事情も聞かずに飛び出すのは阿呆のすることだな、と大人しく従う。
「城内にて怪しい行動を取った。詳しい事情を聞きたい、とのことです」
「その程度なら突っぱねた。司祭でもそうだろう」
「猊下ほどの胆力は御座いませんが、可能な限りにおいて」
「その為の不在、だ」
遣られたな。
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