<7> 大聖堂前にて

「思い通りに動く者は面白いね」

しばらく閉じていた目を開けた銀髪の男は、傍らに控える部下に話し掛けた。

部下は意味合いを図りかね、曖昧に頷く。

男は大袈裟に肩を竦めると、テーブルの上に組んだ手の上に額を乗せ、再び目を閉じた。

祈りの仕草のようにも見えるが、男は決して祈らない。

幼い頃に神様に助けを求め続けた結果が、今のこの地位だからだ。


誰もが羨む地位を、男は嫌悪していた。

自分に相応しくない地位。

自分以外の者が就くはずだった地位。

何なら譲って遣ってもいいよ。と、上の者がいる前で部下に話せば、戦って勝てば許すと言われた。

そんなの。

無理に決まっているだろう。

僕に勝てる者が、どれだけいると思う?


膨大な魔力を以て、王城内に監視の目を置く男は、目を閉じて集中する。

爪の先程の大きさの魔導具。

その場所に行き、壁、或いは天井にでも埋め込んでやる。

念の為に<隠蔽>も掛ければ、誰も気付きはしない。


瞼の裏に浮かぶ二人の少女。

用があるのは一人だけ。

もう一人は、まぁいいさ。途中までは参加しよう。


しかし。

あぁ、彼女は素直だ。

それに。

素晴らしい。なんとも素晴らしい。

手を回した甲斐があった。


「楽しみだ」

やはり分からない部下は、今度は反応を返さない。

目を開けて一瞬だけ恍惚の笑みを浮かべた男は、すぐに怜悧な顔に戻して立ち上がった。

「ちょっと出てくる。警邏だ」

上着に袖を通しながら、床に軍靴の音を響かせて。

侍従が開ける扉をくぐり、男は大聖堂に向かった。



・・・・・・・・・・・・・・・



宿舎を出て、カテナとしばらく小道を歩いた。

馬車道ではなく歩行者専用の小道は、右手の建物群との境目に背の低い垣根、左手は緩やかに勾配の付いた林になっている。

林には数種類の木が混じり、何処かから運ばれてきた種が根付いたのか、蔓草が覆っているものもあった。

煉瓦が敷き詰められた小道と垣根や林との間には剥き出しの地面があり、よく手入れされているのかそこには一本の草も生えていない。

背が高く、上方で葉の茂る木々に空は半分近く隠され、昼なのに少し薄暗い。

カテナは時折立ち止まり、ベールを上げて、建物と影を確認しているようだった。

邪魔してはいけない気がして、何も話さなかった。

歩く姿が少しだけ緊張感を持っていたからだ。

それでも一緒に行く者の歩幅を考える人柄に、共に時間を過ごす悦びを感じた。



「エタ様は先ほどの御令嬢方に、金目当て、と仰いました」

どれくらい歩いただろう。話さなくとも苦痛のない、緊張を伴いながらも何処か長閑な時間の終わりに。

半歩先を歩く彼女は、立ち止まり振り返る。

ベールの中の表情は見えない。

だが、きっと今まで自分が見たことの無いほど美しい笑みを浮かべている。


「でも。それだけでも無いのですよ」

覚悟の笑みは。

美しい。




彼女は、口の中で呪文を唱え、指に傷を付けた。

ぽたりと血が落ちる。

その手を紺垂れの間に入れると、小石状の何かを取り出す。

再び何か呟くと、よろよろと地面にその手を突いた。さも目眩でも起きたかのように。

しゃがみ込んだカテナは、今し方手を突いた––何かを埋め込んだ––場所を靴で躙る。

その靴の裏にも血を擦り付けると、一瞬だけ暗く光った。


ほんの何拍かの素早い動き。

だけど、こんなの。

こんなことをすれば。


「だ、大丈夫?」

気分が悪くなった友達を介抱するように。

自然を装うが、自分の経験の少なさを嘆きたくなる。

それでも彼女はベールの中で微かに声を出して笑った。

手を取って立ち上がらせれば、その手を一度強く握る。

手ではなく胸を痛くするそれは、成人して修道院を去る時の兄ちゃんや姉ちゃんと同じ握り方だった。



「そこの修道女、大丈夫か」

カテナが裾についた土を払っていると、向かっていた方から声がした。

二人組の騎士が駆け寄る。

警邏の者だろう。

城内警邏は、主に警備兵が担当するが、騎士も携わる。

祭礼や聖女様の護衛のほか、貴族の礼拝者が多い時や、部外者が入り込んだ時。

今回の聖女選定の儀は庶民を対象としているのだから、警備を増やすのは当然だ。

身辺調査をしてから城内に入れたとしても、それが完璧なんて保証はない。

万が一に備えるのも騎士の仕事だ。


彼らはこちらを怪しむ素振りを見せなかった。

蹌踉けた娘がしばらくしゃがみ込んで、回復したから立ち上がった。

そう理解してくれたと考えて良いのだろうか。

「ありがとうございます。目眩がしてしまって」

カテナはベールの中で礼を言い、丁寧に頭を下げた。横でそれに倣う。

「修道施設に来ている方かな?あまりこちらの方を彷徨うろつかれても困るのだが」

「まぁ。大聖堂に向かっていたのですが、こちらではないのでしょうか」

「ははは、逆方向だ。誰かに尋ねれば良かったね」

若い女性の声だったからか、上機嫌で返す騎士に、もう一度頭を下げてから元来た方向に歩き出した。


騎士たちはまだその場に留まっていた。

気になるが、振り向くことも出来ず、気付けば少しだけ歩く速度を上げていた。

早くその場から離れたい気持ちが二人の足を動かしていた。



宿舎まで戻ってきてやっと、カテナは歩を緩めた。

「せっかく二人で歩いているのですから、お話しましょうか」

和やかな調子でいう。

「じゃあ魔法について、教えて欲しい」

せっかくの提案に乗ることにした。

魔導具の破壊と同時に変化した炎。そのタイミングを計って打ち込んだ、空気を遮断する風の壁。

魔力、魔導具、魔法。

道理を知らなければ、挙に出られない。

自分の魔力が起こした暴挙を制止出来ないなんて、とんだ間抜けな小娘だ。


「先ほどの件を気にしてらっしゃるのですね。では、そうですね」

まずは魔力の逆流から。

そうして歩きながらの講義は始まった。



「先ほどの魔導具は魔力を蓄え、その量を色で判別するものでした。大きさによって許容量が決まっています。

エタ様の魔力は強いですから、一般的な魔術師よりも早く一杯になってしまったのでしょう。

蓄えきれなくなった魔力は、魔導具内に無理に入ろうとし圧を上げます。

結果、魔導具の破損を引き起こし、貯まった魔力もろとも一気に放出されてしまいました。

これを一般的に逆流と表現します。

魔力の放出は特別なことではないですし、魔力を拳に纏って殴るというのが、原初の強化魔法だという話もあります。

ただ、大量の魔力や強力な魔力あるいは一箇所に集まった魔力が、魔法に変換されないままだと暴発しやすいと言われています。

エタ様自身が火の性質を持っているのか、他の理由からかは分かりませんが、先ほどは炎魔法に変換されました」

「青い、炎。でも熱くなかった」


カテナはこちらを見て頷く。

「魔法の行使に必要なものが三点あります。

術者、魔力、対象。

<術者>が<対象>を指定し、<魔力>の使用により影響を及ぼす。それが魔法です」

「つまり、強化魔法だと、術者も対象も己自身になる。今回みたいに暴発した場合は、相手、対象が不在?」

「対象が指定されていない魔法は、手近なモノをその対象とします。ただ、対象を定めるのに時間が掛かる場合があります。

天井一杯に広がった青い炎。

高温の青が熱さを感じさせなかったのは、あれがまだ炎として攻撃対象を決めていなかったから」

「存在と影響の乖離」


カテナは歩きながら両手を胸の位置で組み、口の中で聖詞を呟く。

はっきりとは聞きとれなかったが、彼女もまた神様に祈る。


「天井に向かって撃たれた水魔法に炎の色が変わったのは、魔力を打ち消されたからです。

炎と水との戦いではなく、炎の質を持った魔力と水の質を持った魔力の戦い」

「魔導具が破壊され、魔力供給が断たれ、青い炎は赤い火に変わった」

「顕現した炎がその力を発揮する瞬間、供給が断たれ、強力な青い炎を維持できなくなりました。

しかし、普通の火として天井を焦がし始めたのです」

「そこまで分かっていたから、魔導具が破壊されてすぐに風魔法を発動させた訳だ」


彼女は手の平を上に向けて詠唱する。

軽く旋風が起こり、ベールを捲り上げる。

横顔に優しく弧を描く口元だけが微かに見えた。

「暴発とはいえ魔導具を介して発現した魔法だから、それを破壊し魔力供給を止めれば弱まる。

すぐにそれを思いついて指示した猊下の声に、火は空気の供給を止めれば消える、風魔法で壁を作れば、と」


知識があってもあの場、天井を埋め尽くす青い炎が自分たちの方へ垂れてくる最中に適切な判断を下せるのは、胆力か経験か。

「場違いなところに来ちゃったなぁ」

正直すぎる感想が出たのは、隣の女性が聖女になる気などないとはっきり分かったからだ。


『金だけではない』

彼女が欲しかったのは、今、ここにいる権利だ。

風の壁は簡単な魔法ではないだろう。

先ほどさらりと起こした旋風も、短い詠唱、制御力。高い技術が垣間見える。

敵対するなら手の内は晒さない。

あの時、候補者の中で魔法を使ったのは彼女一人だけだったのだ。


カテナは弱い魔力を引き摺りながら歩いている。

地面に埋め込んだ小石状の何か。

魔力を紐付けた踵。

これは魔法ではない。

ババァが見せてくれた。

封じられて魔法が使えないババァが使える、呪術あるいは呪法と呼ばれる力。


立ち止まり振り返る。

緩やかに曲がった小道。

歩いてきた道のりは、弧を描く。

王城内の地図を思い浮かべれば、それがやがてどんな図形を描くのか子どもだって分かる。


「本当。場違いな所に、来てしまいました」

揺れ動く自分のベールとカテナのベール。

凛とした気配は鳴りを潜め、二つの薄布に遮られたこの表情を察せはしない。


「さぁ、もう少しです。行きましょう」

二の腕に軽く触れ、一際明るい声を出した。

わざとらしくとも。彼女もまた、そうやって乗り越えてきた者だった。





「大聖堂内には私たちは入られません。でも、ご覧に入れたい物は外からでも十分です」

小道が終わると、建物に遮られて見えなかった大聖堂が威容を現した。

石造りの巨大な建造物で、正面には中央のアーチ状の扉口を挟んだ四階層の双塔を備え、回廊、中庭を経た奥に、大聖堂本堂が鎮座する。

双塔よりも更に高く、天を貫く尖塔を持ったドームを中央に据える本堂は、数万人を収容できる広さを持つ。

王国の信仰の要であり、貴族は年に一度の大聖堂での礼拝が義務づけられている。


「カテナはもちろん来たことがあるんだよね?」

今や本物の修道女かと見紛うほど楚々と歩く連れは、首を振る。

「折悪しく体調を崩すことが多く。フンメル家の礼拝の時期には外出もままならなかったのです」

家長ともう一人が最低参加人数のはずだ。

血族が少なければ家長だけでも大丈夫かもしれない。

その辺りはおっちゃんが詳しいだろうが、態々聞くほどの事でもないか。


大聖堂前広場が見えた。

中央に、大聖堂に向かって祈る王国初代王の彫刻がある。

その周りには青から白にグラデーションを描く石畳が敷き詰められている。

有事の際に王都中の人間が避難する場所となっている広場は、彫刻以外は開けた空間だ。


カテナは広場を横切り、初代王の彫刻に近づく。

何かを呟いた後、台座に触れた。

彼女から出ていた微弱な魔力が消え、気のせいかもしれないが、シャンパングラスをぶつけた様な高い音がした。


「これで」

安心したのか、思わずといった感じでカテナが声を出した。

作っていない明るい声が招くのは、果たして。

返事のできない自分と、彼女は手を繋ぐ。


「さあ、貴女様の御用も済ませましょう」

若い修道女が初めて来た大聖堂に喜びを爆発させたように。

先ほどまでの淑やかさを振り切って軽やかに駆け出したカテナとともに、大聖堂の階段下まで走った。





「あぁ、そうか」



階段の下、弾む息を整えるのも惜しがり、彼女は上を見るよう急かした。

修道帽とベールが邪魔で、大きく見上げても見えない。

外すなと言われていたが、少しだけ。

ベールを捲り上げ、修道帽と一緒に額の上で押さえる。庇を作るみたいに。

陽の眩しさに細めた目に入ってきたのは二枚の画だった。


春とはいえ気温の上がる日中すでに一刻歩き回っていた。

紺の修道帽は日除けというよりも日光を浴びて頭を余計に熱していた。

最後に短い距離だが、走ったのが良くなかったのだろう。

だから、きっと。

あんな、唾棄すべき夢を。



・・・・・・・・・・・・・・・



——・・・・!!

声が出ない。

いや、声は出ている。

意識の外で。

自分の声色の音が出ている。

口が、舌が、喉が、腹が。

勝手にその音を出し続ける。

体を構成する要素の中で、自分の思い通りになるものはもはや無く。

垂れ流す思考だけが取り留めない。


——歌みたいだ

抑揚の付いた声を、彼はそう言った。

けれど、今のそれは音だ。

歌というには余りにも。


余りにも、狡猾で。



余りにも、獰猛で。




余りにも残忍で。

余りにも、余りにも。余りにも。

余りにも。止めて。

止めて。

止めて、止めて、止めて、止めて、止めて。


止めて。余りにも。



残酷な、




音。




そして、音は止む。

静寂しじまに息を吸う。

声を。せめて。せめて。


しかし。

やはり声は出ず。

涙さえ流せずに、意識は。

途切れた。

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