<6> 残る者
聖女候補者たちの宿舎である建物の一階に窓が無い部屋が一つだけあった。
選定役の執務室として使うことになったその部屋の奥、責任者の机に座った緑髪に十字傷の聖職者は、どのような表情を取るべきか悩んでいた。
「私が連れてきた候補者が辞退を申し出ております」
前二人と一言一句同じ文言で用件を伝える助祭に、了承するかも含めて検討するからしばし待てと申し付けた。
これで自分の候補者が一歩前進と喜ぶのも大人げなく見える、厳しい顔は威嚇しすぎる、優しくするのも違う気がする。
そりゃぁそうだろうな、と一般庶民のように簡単に返すことができればどれだけ楽だろうか。
結局顰め面しかできない。
溢れ出た魔力が変換された魔法の強さ。
天井から垂れる炎の青は、何もかもを焼き尽くす色。
対象を指定せずにあの大きさ、色の炎を顕現させたのだ。示されていれば、この建屋など我々含めて何も残るまい。
魔導具を介したとはいえ、再現できる者など果たしてどれほどいるだろうか。
あれが彼女のすべてでないこと位は、聖女選定に参加する魔力を持った者なら分かるだろう。
比肩できないのだから、さっさとお暇するというのは非常に賢明な判断だ。
辞退を許可したとしても、口止めの魔法をかける者が多忙の為、数日は留め置かれる事になるが。
ただ、先に帰した貴族の娘たちは金銭の遣り取りで入り込んだのだから理解できなかっただろう。
何が目的だったかは追求するまでもないと判断した。
彼女たちの後見人二名については大聖堂助祭からの降格を言い渡した。
地方に飛ばされるか、王都の聖堂あたりからやり直しになるかは、大司教猊下の機嫌次第だ。
聖女様なら、賄賂で聖女選定の儀を売る輩に聖職者を名乗らせるなど言語道断と言い切るに違いないから、甘い処分であるとは思うが。
「相次いで辞退するのが分かっていれば、先の御令嬢たちを待たせたのだがな」
「誰もあの方たちの行動を読める訳がありませんよ」
最初に自分の候補者の辞退を伝えてきたハロル・ギレス司祭に、幾つかの書類仕事を任せていた。
彼の候補者はあの後、誰に求めているのか、ずっと許しを請うていた。
大聖堂に呼びにやった回復役が、精神の変調は完全に治ることはないかもしれないと哀れんでいた。
この先の選定計画案を練りながら、増えた書類をハロルに渡す。
辞退者の休業補償に関する書類、口止めの魔法に関する書類、街に戻ってからの監視に関する書類。
補償については、それぞれの略歴から一日当たりの金額がすでに書き込まれてある。日数を入れて計算すれば終わりだ。
御令嬢などは、むしろ此方の手を煩わせた分の賠償を命じる書類に替えてあった。
候補者リストを眺めながら、ペルルは溢す。
「私の候補者はともかく、ディストロ司教も悪乗りが過ぎるな」
「・・・名前では呼ばないのですね?」
司祭は手を止めてこちらを柔やかに見る。
候補者を宥めようとして暴れられ、明るい茶色の髪が所々跳ねている男の、細めた鈍色の瞳がペルルを見詰める。
何を言わせたいのかは分からないが。
ゆっくりと顔を動かし、部屋の隅にある観葉植物に視線を向ける。
そのまま耳をトントンと示してやれば、十分に意図は伝わるはずだ。
「私はあの方が次期聖女に相応しいと考えて連れてきた。だから軽々に名で呼べるはずなかろう」
「左様ですね。大司教猊下や聖女様にあの魔力の奔流をご覧に入れられなかったのは残念ですね」
まぁこんなところか。
盗聴の魔導具がある場所で、気軽な会話が楽しめるものか。
聖女選定の重要性を考えれば致し方ない面もあるのだが。
誰が設置したかが一番の問題だ。
嘆息を飲み込んで、ペルルは思考を今後の予定に戻した。
・・・・・・・・・・・・・・・
「ほら、ご覧なさい。食堂の焼けた天井の真上がこの私の部屋なの。お陰で持ってきたドレスが水浸し。使い物にならないわ」
女性は、エタが返事をする前に腕を掴んでズンズン廊下を歩いた。
開け放たれた部屋の中を指し示す。
床の色が変わっている。火を消す為の魔法が上階まで浸みたのは確かなようだ。
しかし、下に包みを広げてあるとはいえ、床にドレスを放置していたのが悪いのではないか。
衣装ラックがあるのだから、そちらに移しておけば問題なかったはずだ。
不満を口に出す前に、女性に遮られる。
「あなた、魔導具の弁償もしないといけないでしょ?ガラス一枚だって買えるか怪しい修道院の娘が、よくもまぁこれだけの物を壊したもんだわ」
「ええぇえ?そんなの何も聞いてないし」
慌てるエタに気分を良くした女性は、着ているドレスの裾を摘まんだ。
「コレ。煤が付いてしまったの。今期作らせた品で、二十万ダリラ。分かる?なるべく荷物は少なくと言われたから厳選して良い物数着持ってきたのよ。あそこにある二着と合わせて五十万ダリラは下らないのよ!」
「ご、ごじゅぅぅまん??」
声が裏返った。
エタはもちろん数字は分かる。桁も数えられる。
少々数が大きくなったとしても、計算もできる。何ならもう二桁増えても暗算できる。
けれど、金額としては扱ったことがない。貧乏修道院に金貨は存在しないのだ。
それに、と機嫌の良い猫の目で女性は付け足した。
「あのサイズの魔導具、百万ダリラじゃ済まないわ」
エタの頭の中で積まれた百万ダリラ、つまり金貨百枚がジャラジャラ音を立てて崩れていく。
聖女になる報酬が百万ダリラ。
壊した魔導具は百万ダリラ以上。
魔導具だけでなく、天井、床、窓ガラス。目の前の女性のドレスまで弁償となると。
「あなたみたいな痩せこけた子じゃぁ」
猫の目が一層細く、もはや顔に埋まってしまう。
「体を売ったとしても無理よねぇ。まぁ修道院には他にも子どもがいるから大丈夫かしら」
エタは、頭がジャラジャラ、いやクラクラした。
動悸がヤバイ。呼吸も止まりそうだ。
チビたちの為にここに来たのに、チビたちを危険な目に遭わせてしまう。
「どどどどどうしようぅ」
呟きに、傍らから肩を抱かれる。
「大丈夫よ。ここから逃げ出せばいいわ」
耳元で囁く。
「いなくなって探せないのなら、私も諦めるしかないし」
親身な声で。
「黙って姿を消すくらい、訳ないでしょう?」
「何をされているのでしょう?」
廊下に聞き覚えのある声が響く。
茶色の髪を後ろで一つに縛った、修道服姿の女性が廊下を歩いてくる。
エタに纏わり付いていた厚化粧の女性は、舌打ちを一つすると、すっと離れた。
「私はただ、この子に台無しにされたドレスを見せていただけよ」
「弁償とか賠償とか聞こえましたが、まさかそのようなことを主張されてはいませんよね」
「まぁ。きっと空耳ね。疲れてるんじゃない」
「お名前を伺っても?」
「アーロイス商会の娘、レギーナよ」
エタを挟んで睨み合う二人の女性は、どちらからともなく視線の先を移した。
「もうちょっとだったのに」
ドレスの女性はエタの背中を押してもう一人に預けると、扉を派手に鳴らして閉めた。
「え?あれ?」
扉が閉まった途端、息苦しさが消えた。
「取り敢えずお部屋に戻りましょうか」
ニコリと笑みを浮かべ、今度は修道服姿の女性が手を引く。
「えぇっと、質問、してた人だよね?」
自分の部屋に戻りながら、エタは後ろ姿に尋ねる。
女性は何も言わずに頷く。
背筋を伸ばした美しい姿勢に穏やかな笑みを浮かべ、おっちゃんに質問していた。
荒々しく手首を掴んだ先ほどの女性とは異なり、エタの掌を包む優しい手。
こうやって森を一緒に歩いてくれたお姉ちゃんたちは、まだ生きているだろうか。
優しさに少し触れただけで胸に落ちてくる鉛を掴むように、エタは胸元に拳を寄せた。
部屋に入ると、彼女は自己紹介を始めた。
「私は先ほどの説明会にてご一緒させて頂きました、カテナ・フンメルと申します」
「エタ、です。さっきはええっと助けてもらったみたいで、ありがとう。・・・ございます」
一人部屋で座るところといえば、ベッドか化粧台前の小さな椅子くらいしかない。
エタはカテナに椅子を勧めてからベッドに腰掛けた。
カテナは何が嬉しいのか分からないくらい満面の笑みを向けている。
それでも挨拶の後は口を開かない。
自分から教えてくれるというほど甘くもないのかな、とシスターを思い出したエタは尋ねた。
「何か、おかしかったんだよね。さっき。確かに弁償とかいわれて焦ったけど、もっと、こう」
両手を頭の横でヒラヒラさせてみる。それで意味が通じるとも思えないが、先ほどの状況をどう説明して良いのか言葉が見つからない。
「不安や憂いを増幅させ、正常な思考を奪う。一種の興奮状態に陥れる薬物がございます。その上で暗示を掛けるのですよ」
魔導具もありますが今回は違うでしょう、と付け足す。
エタの眉根が寄る。
「無味無臭の物は使い勝手が良いのですが、如何せん効き目が薄い。それでも経験のない者にはそれなりに効きますよ」
先ほどのように。
種明かしを聞けば、よくある話だ。
誰も自らの身に降りかかるとは思わないだけで。
エタも知識としてシスターに教えられたことはある。なんなら薬物の名前もいえるし、あと何種類か似た効果のものも分かる。
「あぁぁ〜〜〜。なるほどなぁ」
頭を抱えた。
何が『外の世界を知りたい』だ。
一番良くある簡単なヤツに引っかかってるじゃないか。
あのまま夜逃げさせて、逃亡犯として捕らえるか、いっそ斬り捨てるか。
選定が終わるまで閉じ込めるだけでもいいけど、手間を掛けて生かしておく意味はない。
薬物はあの女性が持ち込んだのでなければ、後見人か別の後ろ盾がいるのか。
「考えれば簡単なのに。目立つ者を叩く、常套だ」
「ですから思考を奪う薬や魔導具は有効なのですよ。ただ、目立つのは後見もお姿もですから、仕方ないかと」
「後見?」
「聖女付司教筆頭猊下。ペルル様は、大聖堂のナンバースリーですよ」
今代聖女の御付きが後見なら最有力と見做される。
そりゃあ目の敵にされるわ。
驚きよりも納得したエタは、しかし、笑みを絶やさないカテナに小首を傾げた。
聖女を目指すのなら、カテナにとってもエタは邪魔な存在のはずだ。
助けた上、お節介にも種まで明かしてくれて、まだ何か教えてくれるつもりの様子に得心が行かない。
それとも先ほどの続きなのだろうか。
二段構えもよくある話だ。
「あのさ、カテナ・・・様は」
「カテナ、で結構です。エタ様」
言い掛けたのを遮ると、部屋の隅を指し示し、唇に人差し指を当てた。
仕掛けは至る所に。
これも当然。
エタは肩を震わせて笑い出した。
「ホント、駄目だ。まだ、混乱してるみたいだ」
「そのようですね。では、散歩など如何でしょう」
笑いが収まらず喉を鳴らしながら話すエタに、カテナはすぐに応じた。立ち上がると、衣装ラックの吊られた修道服を手に取った。
「で、ここをこうすると。こうなって、脇から腰がすっきり着られます」
用意された修道服は縦も横もエタにとっては大きすぎた。
生地が余りすぎるために胸に複数枚の布を詰めることを提案されたが、手刀で却下した。
長袖、丈の長いスカートの白いシャツワンピース。上のシャツ部分に付いた
釦を外して被ると、シーツに着られたみたいになった。カテナが、余る部分を器用に寄せて前で重ね、腰のところで縛る。本来は上に着用する前後ろに長い垂れの上から縛る紐を使った。修道服に合わせて紐も三着分あったからだ。
「シーツじゃなかったんだな、これ」
「私が着ても大きいですから、気にされることはないですよ」
逆に気に掛かる言い方をするが、世話になっているからエタは黙っていた。
続いて濃紺の垂れも頭から被って––というか細長い布の中央部分に丸穴を開けただけなので頭を出して––前後の位置を整えながらまた紐で縛る。今度は先ほどよりも胸に近い位置だ。
「内側と外側の紐が重なるとそれだけでかなり苦しいですから、ずらすのがコツですよ」
垂れの穴は収まりが悪いが上から修道帽を被ると見えなくなる。ベールを付ければ完成。
「特に貴女様の御髪は目立ちますから必ず修道帽の中から一筋たりともはみ出さないよう、鏡にて入念に確認くださいね」
鏡の中の修道女と睨めっこしていると、親切に助言してくれた。
「カテナは、皆が自分を見てくる理由が分かってるんだよね?」
振り返って片方の眉毛だけ上げて聞いてみた。相手は目を丸くすると、コロコロ笑い出した。
自分より少し上くらいの歳に見えるが、随分余裕のある人だ。
「では、散歩にてその答えをお見せいたします」
その笑みが嘘偽りならば、それが自分の業なのだろう。
エタはカテナに負けないくらい、ニッカリと笑った。
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