<5> 魔力の奔流

幾らするんだろう、と思った。

魔導具自体が庶民には手の届かない高級品だ。

ロナが割れた魔力測定用魔導具を持って、弁償しないから、と呟いていたのはフリだけではないだろう。いや弁償するはずないからやっぱりフリか。

兎に角あの手の平サイズでも相当の値段がするだろう魔導具。それを、選りに選ってこの場で使える一番大きな物を準備しやがった。成人男性の頭より大きいヤツだ。


『そこまでいうならやってもらいましょう』

じゃねぇ。


予備が裏にあったので、と、しばらく待たせた挙げ句にどこからか調達してきた真っ黒な球体は異様な存在感だった。

追い剥ぎは止めた。というか、弁償ということになったら私がします、という言質を引き出していた。一応責任者ということになっている自分の後見人は、それならお好きに、と安心したように言った。なるべく壊さない方向で、とボソッと足したから、さすがに備品に対して良心が咎めたのだろう。あの顔と合わない人の良さよ。


少し神経を逆撫でする言い方をしたかな、と反省した。

だから、片手でいいか、と聞いた。

そんなのそもそも色が変わるわけが無い、と鼻で笑われた。

背後からはもう声は漏れない。だって見てるだけがオシゴトって言ってたもん。


息を大きく吸って、両手を球の頂上付近に当てる。重ねた方がいいのか、バラバラで触れた方が良いのか。何となくで両手を大きく開いて人差し指と親指で丸を作る。

ゆっくりと息を吐き出しながら、丸の中、あぁ色が順番に変わっていくなと見て、白くなってやっと意識した。

あ、白じゃん。この魔導具、白までじゃん。昨日はこの後透明になって、それから。



「伏せろっ」

叫びながらエタを椅子ごと引き倒すペルル。その瞬間、ボッと音がして魔導具から炎が上がった。ドとゴの間のような音を部屋に響かせて、青い炎が天井まで伸び、勢いのまま横に広がり、這う。その蠢きは天から青い光が注ぐ錯覚を、皆に引き起こした。

「水魔法だ!」

太い、よく通る声にはっとする。魅了されたように青い炎を見詰めていた聖職者たちが、その轟音に掻き消されながらも魔法の詠唱を始める。

「集え、揺蕩う白き・・・」

「凍てつく・・・」

「散り散りの・・・」

だが天井に向けて放たれた魔法は、一瞬炎の色を赤く変えるだけ。周りから獰猛な青い炎がすぐさま唸りを上げて赤を覆い、青で満たす。


「違う、魔導具の方だ!最大の魔法を放って、すぐに伏せろ!!」

すでに天井を覆い尽くした炎は、その場の誰もに対して覆い被さろうとしていたが、不思議と熱くはなかった。テーブルから離れた位置からそれぞれが、ほとんど同時に魔法を放つ。何発目かの直撃で、陶器を投げつけたような高い音が響き、魔導具の欠片が飛び散った。

それは何十人も入れるこの広い食堂の窓ガラスを割り、丁度燻り出した天井から降りる黒煙を攪拌した。


ゲホッゴホッ。

誰かが咳き込む。黒煙の合間から赤い火が見えた。先ほどまでと違い、その火は皆を熱する。


「・・・檻よ」

「・・流れの・・・」

ぽそぽそとした、煙を吸い込まないよう留意した詠唱。

風を割く二つの手。

黒煙が天井に押しつけられるように動き、火の手が一瞬大きくなる。

が、暴れるような炎はその場から出られずにもがきながら、やがて消えていった。


袖で口元を覆っていても幾らか入ってきた煙に咳き込みながら、ペルルが入口の扉を開け放った。濛々とした煙が部屋から去って行く。

やっと緊張を解いた彼らが口を開く前に今度は、大変だ、火事だ、と叫ぶ声が外から聞こえたのだった。




「このような騒ぎを起こされますと困るのですが」

煙を見て駆けつけた騎士にこう言われ、ペルルは固い声で説明した。

測定用の魔導具に吸収しきれなくなった魔力が逆流し、適当な魔法として消費された。

被害は天井が焦げたのと、魔導具の破損だけで済んだ。特段、騒ぎというほどのことは起きていない。


風魔法で消火した後、念の為水魔法を天井に向けて掛けたため、上から降る水滴で床は所々濡れている。煙は消えたが、臭いはまだ残っているし、魔導具とガラスの破片が辺りに飛び散っている。

怯えからか他の理由からか後見人の腕にしがみ付く候補者、壁際で蹲り震える候補者、天井を睨み付けて仁王立ちになる候補者。魔力の消費が多かったのか、疲れて壁にもたれ掛かる聖職者もいる。

掃除道具を取りに厨房の方に向かった数人以外は、部屋も人も惨憺たる状況だった。


だが、それがどうした。

ペルルは思う。

本物の聖女様を選ぶ儀式に何の犠牲も伴わないなどと世迷い言だ。

首の一つも落ちていないこの部屋で、何を騒ぎと宣うか。


大柄なペルルよりもまだ背は高く、腕周りも胸周りも腰回りもずっと太い騎士たち。四人の騎士のうち少なくとも二人は、司教位にある者に対する態度ではなかった。それでも一切怯むこともなく頭も下げず、大袈裟なことは何も起きていないという態度を崩さない。

厨房から戻ったエタは、騎士たちと対峙するペルルを見て、認識を改めることにした。


追い剥ぎなんて心の中でも呼ぶのはやめよう。



司教の方を見て一人で何度か頷いている、片手に箒を提げた少女に騎士が気づいた。

舌打ちを残して去ろうとする仲間の腕を掴み、素早く指差す。

え、という形をした口から音は漏れなかったが、雰囲気を察した残りもまた、振り返った。

ペルルがその視線の間に立ちはだかる。

「ご足労を掛けた。これは選定の儀。他言なさればどうなるかは」

先ほどとは異なる柔和な声に混ざる不穏さに。騎士も事の重大さを思い出したのか、やや神妙になった。

「大事なく安心しました。こちらの警備は増員いたします。慈愛と恩恵を」

「殊勲と繁栄を」





「まさか選定の儀が掃除の儀だとは思わなかったよ」

「軽口は控えてくれ」

魔導具とガラスの破片を片付け、水分を拭き取った部屋で、再びテーブル周りに皆が集まった。候補者の一人は立ち上がることもできず、壁際に蹲ったままだったが。

椅子の一部には魔導具の欠片が突き刺さり、念の為に使用は止めた。


「最初に一つ確認しておきたいことは、先ほどの魔導具での判定についてだ」

あの場で的確に指示を出した太い声が、皆に安心感よりも怪訝かいがを抱かせる。

ペルルは、自分に注目する者たちの表情の変化に言葉を付け足した。

「何事も有耶無耶にできぬ。選定は行事でなく儀式だ。結果までの手順も後に影響する」

頷いたのは数人だけだった。

エタは『意味が分かるかどうかが選定の一部』という言葉を思い出した。分からなくても取り敢えず頷いておけばいいのにな。軽口は控えろといわれたから思うだけに留めたが、何となく後ろにはバレている気がする。


「先ほどの魔導具での魔力測定について。これもまた不正、あるいは故障だとは誰もいわないとは思うが」

ペルル司教筆頭はテオ・ディストロ司教の方をじっと見る。彼は何か言いたそうに口を開きかけたが、何も言わずに閉じた。その様に片眉だけピクリと動かした後、ペルルはできるだけ厳かな声を出した。

「これ以外でとなると、先ほどの説明のとおり両手を繋いで魔力を流すという、人を使った測定法になる。ディストロ司教」

候補者を連れてきた後見人が測定者になっても意味がない。ペルルがエタの魔力を測定することは万が一にもあり得ない。

故に。

提案できる方法だ。


「それ、爆発したら大惨事じゃん」

うっわー。

両手の指先で口周りを包むようにしてエタが大袈裟に驚いた顔をした。

そういえば昔蛙のケツに藁突っ込んだな、と聖職者と候補者は同じ想像をする。

「・・・測定側が魔力を相殺しながら測るから、高位聖職者相手にそんなことにはならないはずだ。どうする、ディストロ司教」


もう一人の司教の下ろした茶髪はあの騒ぎでも艶やかさを保っている。幾筋かの金色が不機嫌さをも際立たせるが、本人は口調に平静さを装う。

「先ほどの測定については何の異論も無いですよ。これ以上は必要ないでしょう。

ですが、魔力が幾ら高くとも魔法が使えないとなると、聖錫には選ばれない可能性が高いですね」

否定材料を思い出し、最後には微笑んだ。

「その通り。だが、選ぶのはあくまでも聖錫だ。神様の御意志は我々の計れるところでは無い」

ペルル司教は厳しい顔を作り、彼の笑みを一睨みした。そして、テーブル周りの全員を見渡す。


「本日は顔合わせと説明のみの予定であった。

今後一週間を掛けて聖女の選定を進めていく。

明日以降の予定については追って連絡する。

本日はこの宿舎二階の部屋でゆるりと過ごされよ。

すでに滞在している者は同じ部屋に、本日到着の者には係が部屋を案内する。

重ねての説明になるが、宿泊に必要なものはすべて揃っている。ある物で対応するように。

また、大聖堂内への立ち入りは禁止するが、この大聖堂区域の散歩などは行ってもらってもよい。

小聖堂に祈りを捧げに行ってもよい。

ただし部屋に用意してある修道服を着、修道帽及びベールで髪、顔などを覆い、外部に晒すことのないように。

基本的に誰かに話し掛けることを良しとしないが、身分について何か問われれば、修道の為に来ている者だと答えること。以上だ」





「だから片手って言ったのに」

案内された部屋のベッドに腰掛け、エタは肩を落とした。

あんなのは騒ぎの内に入らないと追い、じゃない、おっちゃんは言ったけど、どう考えても大事おおごとだ。

砕け散った高価な魔導具、焼けた天井、割れた窓ガラス。

弁償しろなんていわれてもどうしようもないし、いわれないだろうけど、物を壊すというのは貧乏人にはそれだけで大罪なのだ。


「この部屋も、良い部屋だ」

扉を開けて、中を見て、一瞬固まった。修道院で一番整ったババァの部屋よりも広い。この宿舎は外見は他の建物よりも古びてはいるものの、内部は十分綺麗だった。

ベッドも衣装ラックも掃除が行き届いていて、リネン類も天日で干した良い臭いがした。

ベッドが珍しくて飛び乗ると、跳ね返された。三度瞬きをしてから、お尻でもう一度静かに乗ってみた。柔らかに沈む感触は、生まれてこの方体験したことがなかった。


「逃げる、か」

世界の成り立ちも、理も。

見てきたように話すシスターの教えは、自分の中に根付いている。蓄えた知識は確かに自分を支えるだろう。

だけど、それだけじゃ駄目なんだ。

自分の目で見て感じないと、分からないことが沢山ある。


衣装ラックに掛かっている修道服は、新品ではないが、白い部分がちゃんと白い。

繕いもない。隙間の無い窓、床板は剥がれもたわみもない。ベッドに弾力があるなんて今初めて知った。



修道院の外の世界を、もっと見てみたい。



「ボリスがいうはずだ」

好奇心に餌を遣ってしまえば、肥大して飼いきれなくなる。弟が心配するのは当然だ。だけど、一番大切なことは決して忘れない。

何の為に聖女を目指すのか。



それにしても。

立ち上がり、衣装ラックの横にある姿見を覗く。白い髪、青い目の少女がこちらを伺う。少し焼けた肌、森に入った時に葉で切った頬のかすり傷が無ければ、これが自分だなんて信じられない。森の湖面に映る自分の瞳は茶色かったし、髪の色はババァよりも薄い灰色だった。

純粋魔族に育てられた人間の子ども。それだけでも珍しいと思うが、姿を偽り、人の寄りつかない修道院で隠し育てたのは、容姿に特徴があるからだろう。

ご令嬢や聖職者、そして騎士たちの視線は、その後の変遷に違いはあれど、みな一様に驚愕から始まっていたのだ。

「何なんだろうなぁ、自分は」

コツンと、鏡に額をぶつけた。




ドタドタタタタタッ

ドドッドドドンドンドンッ

激しい足音と、立て付けの悪くない扉が動くほどの激しいノック。

物思いに耽っていたエタは軽く跳ねた。


「ななななななに?」

「ちょっと、いるんでしょ?あなた、白い子!開けなさいよ!」

白い子って。

髪を一房摘まんで横目で見る。

まぁ。白い子、かぁ。間違っては、いないかなぁ。

首を傾げながら扉まで歩く。その間も殴打が容赦ない。


「鍵、開いてますけど」

いいながら、扉を開ける。

見覚えのあるドレス姿の女性が立っていた。濃い紫色のアイシャドウに縁取られた目が三角形だ。真っ赤な唇も歪み、橙色の頬紅が塗りたくられた頬までヒクついている。


「化粧、濃すぎない?」

向こうが口を開く前に思ったことを言ってしまった。

下手くそな化粧で殴られたみたいになった目を、これ以上無いくらいに大きくして、女性は言った。

「あんたのせいで、アタシのドレスが水浸しなのよ!弁償しなさいよっ」

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