<4> 聖女の選定
一年間眠っていた。
眠りから覚めた私を待っていたのは司教位だった。貴族出身でない者に与えられることのない位。執務室のついた高位聖職者の部屋を用意された待遇に、周囲の風当たりはいよいよ嵐となっていった。
さすがに直接危害を加えられることはなかったが。いや、恐らく未然に防いでくれていたのだろう。司教になってから不自然に大聖堂を去った者が一人や二人ではなかったな。そういえば。
守るために守られるとは滑稽なことだ。より滑稽なことは、自らを守る術を持たない者が他者に争いを吹っ掛けることだが。
「金目当て、ですって?」
椅子の音をガタガタ立てて、おおよそ令嬢らしくない所作で立ち上がる。椅子が倒れなかったのは後ろにいる後見人が支えたからだ。支えたというよりは椅子の背をぶち当てられたという方が正しい。
隣のお追従令嬢は、戸惑った顔を見せつつ自分も立ち上がる。ここで止めるなら評価も上がりそうだが、それができる者なら初めからこの場に付き添ってこない。
「あ、あなた、なんてことをいうの。バルリング子爵令嬢に謝りなさいよ」
震えて裏返った声で言われても。
聞かない名前だな、と隣を見ると、黙って首を横に振られた。五大貴族以外も有名な高位貴族は覚えているが、子爵・男爵あたりになるともう怪しい。そもそも大商人が成り上がったり、借金の形に娘ごと売り払ったりして度々名前が変わる下位貴族を、世俗と関わりを絶った——高尚な冗句だ——我々聖職者が知っているはずもない。
「誰も知らないってよ」
我々の様子を見ているはずはないのに、見たような呼吸でいう我が聖女候補よ。当たり前のことを当たり前だということで反発されるということを、知らないはずはない。頬杖におそらく嫌らしい笑みを浮かべている。私の前で座っているのだから表情は見えないが、ご令嬢たちの態度から透けている。
ナントカ子爵令嬢とやらは怒りに肩を震わせると、カッカッと音を立てて歩いてくる。手を大きく振り上げ、白髪の少女の空いている頬に平手を一発見舞った。
少女は頬杖を突いていた方の掌でそれを包むと、
「あーわりといてぇな。ハイどうぞ、退場で」
詰まらなさそうにいう。
令嬢の、もう一度振り上げた手を、隣の司祭が掴む。
「そこまでにしておこうか」
「なんでよ?!貧民の分際で私にこのような口をきいて、正すのは当然でしょう」
余りにも金属的な声に耳を塞ぎたくなるのを耐える。目の前には耐えていない娘がいるが。
「間違ったことは言ってないからな」
金属同士を擦り合わせたような声を上げるご令嬢に対して垂らす油は、潤滑を良くするどころか悪化させた。
「どこもかしこも間違いだらけじゃないの。あなたの存在がそもそも間違いなのよ」
「説明してあげるから黙ろうか。ちなみに私は伯爵家出身だ」
隣の司祭、ハロル・ギレス司祭は、身分など関係ないがね、といいながら、令嬢を掴んだ手を引っ張り上げる。危害を加えることを躊躇わない目を仰ぎ見て、言葉を飲み込んだ令嬢は大人しくなる。手を離すとそのまま立てなくなり、床に座り込んだ。ギレス司祭の目に震えたのは令嬢たちだけではなかった。
彼は構わず話し始める。
「まず、王宮と大聖堂の合意により今回の聖女選定の儀を行っている。王都中の看板はそのために設置された。魔導具を用いた一次選考というかふるいにも人員を割いている。君たちは知らないかもしれないがね」
司祭は平手打ち令嬢と追従令嬢の後見人を順に見る。二人よりも後見の助祭たちの方が震えている。
「職務の重要さを鑑みた金額を契約金として提示してある。一般庶民にとって成人したあるいはそれに近い年齢の働き手を失うことは死活問題だ。女性の労働者としての価値は貴族よりも庶民の方が圧倒的に高い」
貴族女性であっても家内で相応の働きを見せる者もいるのだがね、と付け加える。
「だから金目当てといわれて怒るのは筋が違う」
「でも、令嬢もどきだなんて、この私に・・・」
上げかけた頭を押さえつける手つきが、苛つきを伝える。
「庶民は読み書きできないという決めつけ、修道院出身を馬鹿にした物言い、挙げ句に言葉に対して平手打ち、そもそもこの様な場に集まって着席した後に許可も取らずに立ち上がる者のどの辺りが令嬢なのか、全員が納得するように説明してもらおうか」
頭の上から降る声に、令嬢もどきはついに泣き出した。嗚咽を堪える様は成り行きを見てなければ心に響くものがあるのかもしれない。いや、そんなわけないな。
ハロル司祭は、二人の後見人を見る。
項垂れたままそれぞれで令嬢を連れて部屋を出る彼らに、後ほど事情の説明を求める、と私が声を掛ける。
まあ買収されたのをどれだけ婉曲に表現できるかというだけなのだが。
「さて、勝手に解決してしまって申し訳なかったかな。ご令嬢」
司祭は私の聖女候補に笑いかけながらいう。
「まぁ、平手打ちが吠えだした時に後ろのを見たら目で合図してきたからな。早く追い出してくれって」
自分なら理由は一つだけだな、それで十分だったから、という娘に、目だけ笑顔を消した司祭が聞く。
「それは?」
「身分差を持ち出しただろ。あいつ。聖女は神様の教えの体現者。人の上下をこの場でいうヤツが聖女に相応しいわけがない」
なるほど、と今度は真面目な顔でいう。
「姿形だけでなく、なかなか面白いね。ご令嬢は」
「では、そろそろ初めても良いかな」
一応一番上の立場である私が場を仕切る。
ただでさえ目立つ容姿をしている癖に、行動というか言動だけでもう候補者を二人減らしたうちの候補者が、これ以上何かする前に説明だけはしなくては。
候補者の女性たち、後見人合わせて十五名がこちらに注目する。
「私は司教のペルルだ。まず聖女公募への応募並びにこの場に集まっていただいたことに感謝申し上げる」
頭は下げずに目礼のみ。全員を見渡す。
「ご存じのとおり、現在の聖女様は王妃でもあらせられる。適任者不在のため長期に渡りこの任を務められてきた。此度の選定により王妃様より聖錫を継承する者が現れることを期待する」
それから聖錫について説明する。聖職者にとっては常識的なことだが、今回の選定の儀は主に庶民を対象として行う。庶民にとって神様の教えは必ずしも浸透したものではない。神様の元で人は平等であるとか、自ら死を選んではいけないとか、生に感謝するとか、その程度だ。
祈祷にしても日々の糧を頂く過程、つまり食事の時に一般用にアレンジした短い祈りの言葉を呟くということのみを実践している場合がほとんどだ。
聖詞は聖職者にとっても発音が難しいものであるし、言語体系が王国の口語とは全く異なるから貴族でもなかなか詠ぜられない。手を口元に当て、口の中で聖詞の一つを呟く。今回の話をする前に必要な行為だ。
「聖錫。聖なる錫杖。
神様が与えた聖なる道具。
神様はまず聖典を与えた。それには生きる上で大切なことが書かれてある。
聖典そのものを
次に、神様は聖剣と聖錫を与えた。二つは剣術と魔術を司る武具だ。
これらは人の間の平衡を取るために与えられたといわれている。
実際に使用されたのは百五十年前。聖剣と聖錫により魔王を封印した。
魔王封印の際に聖剣は不明になり、聖錫のみが王国に持ち帰られた。現在は王宮にて厳重に管理されている。
聖錫は聖女の力を何倍にもする効果を持っている。
これを以て魔王の封印を上書きする。それが聖女の一番大きな役目だ。
そして、聖錫はその使用者を自ら選ぶ」
一度切って反応を確認する。
空いた席の向かい側、もどきではない令嬢がすっと手を挙げる。視線が合う。
頷くと、真っ直ぐな茶色の髪を耳に掛けて、澄んだ声を響かせる。
「フンメル子爵家カテナと申します。今のお話は外部で出すと命に関わるものであると伺えます。庶民、ああ私は一応違いますが似たようなものです、まだ選定の儀が進んでいない時点で、その庶民にこのお話を聞かせる意味を教えてください」
「その意味が分かるかどうか、というのがそもそも選定の儀の一部である、といえば理解できるだろう。城内での事柄は外部で口外できないように魔法を施すから、心配は必要ない」
じっとこちらを見つめて聞いていた本物のご令嬢は、目と口元を緩めていう。
「分かりました。ありがとうございます」
彼女はよく分かっているのだろう。見渡した他の者の中でも、今の言葉を理解している者の方が少ない。
ご令嬢の隣に座る、高そうだがゴテゴテとしたドレスを着た少女などは考えている風を装っているだけだろう。
そもそも会話を咀嚼すらできない者が多すぎる。数合わせとはいえ、もう少しいなかったのか。ここに来るだけですでに命の心配をしなくてはいけないことに、何人が気づいているのやら。
それが分かって、ご令嬢を早々に退場させた我が聖女候補殿の機転には恐れ入る。
その甘さに付け込まれないことを祈ろう。
「続いて選定方法だが」
「よろしいでしょうか」
ゴテゴテドレス——商家の娘のはずだ——の後見人であるテオ・ディストロ司教が声を被せる。王家を支える五大貴族の一つディストロ家の長子だが、非嫡出子であるため早くから教会に預けられた。出自から庶民とも付き合いの多い、司教という高位にも関わらず親しみやすい聖職者、を売りにした男だ。
顔のそばあたりに一条の茶の混じった金色の長髪を右肩の辺りで緩く縛っている。吊り気味の濃い青色の目と血色の良い唇の角度、頬の上げ具合。どれだけ練習したのかと疑いたくなる、自身の美しさに合った笑みを浮かべる。
軽く頷くと、奴は続けた。
「ペルル司教筆頭猊下にあまり長話をさせるのも如何なものかと思いますので、ここからは私が引き受けましょう」
よろしいですね、と聞いている風で念押ししてくる奴に、特に文句も無い。どうせ今から文句を言われる方だからな。
鷹揚を装って諾を告げる。
「選定方法ですが、まずは魔導具と我々聖職者自身にて、魔力測定と魔法の練度判定を行います。魔導具で行う魔力測定は、市中で審査しましたが、実は誤魔化しが横行する方法でもあります」
私の前に座る娘の方を見ながらいうと、後ろのテーブルに乗せてあった箱の中から、魔導具を一つ取りだした。街中での審査に用いたものと同種でより大きな魔力でも測定できる、大人の男でも両手で持たなくてはならない黒色の球だ。
司教の左隣の司祭が、皆が座っているテーブルに台座を置く。ディストロ司教はその上に魔導具を恭しく置くと、その表面を撫でた。
「今、軽く魔力を送っています。黒く光を出していますね。軽い魔力の出力を繰り返すと、この色はどんどん変わっていきます」
魔力を出したり止めたりしているのだろう。黒い光が点滅する。繰り返すうちに光が紫になる。
「まぁ別に弱い出力でも長時間出せるのは、魔力量が多いということになるので別に良いのです。問題は」
今度は風の鳴くような音がして、魔導具の色が数呼吸ごとに紫、青、緑と変わっていく。そこで手を離した奴は、その手を隣にいる自分の候補者の肩に置いた。魔導具ではない娘の顔色が朱に変わる。
目を逸らすと、すぐ下から、うげぇと声がした。
「何やら思い当たる点でもありそうですが?そこのお二人」
「えぇーー」
小さく出した声が重なった気がした。このように気持ちが通うのは全く嬉しくないのだが。
先ほど緑色に変わった魔導具は、手を離してもまだ青と緑の間の色を呈している。注いだ魔力が抜けるのに時間が掛かる。つまり事前に色を変えておけば好きな色まで持って行くことができるということだ。
「言いたいことは分かったが、最初の色を見落とす、あるいは誤魔化すことができないだろう」
「しかし、黒まで戻っていても魔力が幾らか溜まっている、ということもあります。庶民でしたら黒が紫になる程度でも魔力量としては十分多い方です」
なんともいえない顔をしているのが自分で分かる。
この顔を見て、してやったりという表情を出すのは貴族としてどうなのだろう。だから長子だというのに早々に見限られるのだ。
「一応報告してあるがな。そんな程度の話じゃないんだ。魔法は今のところ使えないが、魔力強度はかなりのものだ」
「手で掴める大きさとはいえ、魔導具が割れたなどと信じられるとでも?」
「だから、今から皆の前で測定するんだろう。候補者全員、後見人全員の前で」
弁償はしないがな。
私の仕事は後ろで見ていることだと上が云っているんだから静かに見学させてくれよ。
なるべく苛立ちを抑えた口調を心掛けたつもりだったが、無駄な努力のようだ。
白髪の少女が振り返って見上げる。その青い双眸が光る。
「弁償しなくていいなら、どんな大きさのでも、たぶんイケるよ」
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