<3> 候補者たち

「どうすんだ、これ?」

追い剥ぎが目の前で困った顔をしている。両の眉毛がハの字に下がり、情けなく頬骨も垂れる。頭の十文字だけは今日も元気だ。



・・・・・・・・・・・・・・・



今朝青の時間きっかりに修道院前に箱馬車が到着した。街の教会の鐘が鳴り終わる前に、門の外から声を掛けられた。

畑で作業していた子どもたちが、森から帰ってきて水を一杯飲んでいたエタに伝える。

お待たせー、と出てきたエタの格好は昨日と全く同じだった。

やっぱりー、と人差し指を突きつけるロナ。

「だから、洗ったよ?」

「だからー、支度金って意味分かってる?」

「あー、それそれ。ババァ言いかけてたな、昨日」

「言葉を理解しな」


門の内と外で向かい合ったババァとロナは目で頷き合っている。初対面なのに仲いいなとエタは微笑ましく見ている。

何をニコニコしてるんだい、と門から押し出すババァ、引っ張るロナ。


すぐに箱馬車に詰め込まれて、昨日の商業ギルドに連れて来られた。

ギルドは夜勤があり、夜勤のための設備がある。つまりシャワーなども揃っているのだ。

使い方が分からないというと、服を剥ぎ取られ、子猫のように洗われた。

ふんわりとした布地で水気を取った後、ローブを被せ、鋏で髪型を整えていく。ひとまとめにしてナイフで切ると早いのに、丁寧な仕事だ。


「へー器用だなー」

「手元が狂うから動かず黙ってて」

振り向こうとすると怒られた。

顔や首をざっくりやられるのも嫌なので大人しくする。

パラパラと落ちていく髪の色が、いつもと違う気がする。

もっと灰色がかっていたのに、落ちた髪は真っ白だった。洗い方かな。

長いところは背中まであった髪が肩の辺りで切り揃えられている。軽いけれど揃った髪が首筋をくすぐる。


「はい、次これ」

渡されたのは新しい下着と青いワンピースだった。下着の付け方が分からないというと、懇切丁寧に指導してくれた。

丈が足首まであるワンピースは、裾と首回りに同じレースをあしらっていた。


「知り合いのお下がりだけどねー。ちょっと長いけどこんなもんかなー。」

「これ新品じゃねーの?こんなさらさらした生地初めて触った。」

「・・・ちょっと姿見確認するーー?」

鏡の前に案内されたエタは、目を何度も瞬かせる。

笑いながら鏡を指せば、鏡の中も同じ動きをする。

「おかしくない?この鏡」

口の動きも一緒だった。左右に動くと追随する。何度繰り返しても。

「魔導具?これ?」

だって、これ自分じゃないじゃん。




『腰まである水の流れのような白髪、青い目は晴れた冬の日に透き通る湖の色。

熟れた桜桃の唇は緩やかな弧で穏やかな心根を示す』


眼前の少女のどこにそんな要素があるだろうか。

肩までで切り揃えた髪は確かに白い。

控えめに伏した目——ただテーブルの上の茶菓子に向けているだけの目——は確かに青い。

軽く油脂を塗って荒れを抑えた唇は可愛らしい。口を開かなければ。


それなのに。

心を毛羽立たせるこれは。

一目で言葉を失ったペルルを、茶菓子から視線を外して不思議そうに見るエタ。

その目はペルルの瞳をのぞき込む。奥の奥まで。

脳みその奥にある一番繊細で大切な部分を、その目がまさぐる。


「どうすんだ、これ?」

ついと目を逸らして、ロナの方に向ける。鼓動が、開いた口から漏れ出そうだ。

拾ってきた薄汚い子猫を洗えば純血種だったという程度の動揺を潜ませ、軽口を叩く。


「まーいーんじゃないですかー。どうせ、分かる人にしか分からない」

その分かる人が大勢いる場所に今から連れて行くのだ。


「出入りも目撃されている。どうやって連れて行く?」

「まんまでいいでしょー」

「このまま?」

「隠しても一緒だしー。それに」

「それに?」

「この子の後見はペルルさんの仕事だしー」


ソファの上に胡座でお茶を啜ってお茶菓子を食べているエタは、借りてきた猫。

ずずずーーーー。ずずずーーーー。

ぽりぽり。ぽりぽりぽり。

ずずずーーーー。ずずずーーーーー。

一寸だけ五月蠅い猫。



「音!」

「自分の何に揉めているのか分かんないけど。為るように成るよ」


見蕩れるような柔らかな雰囲気を。

「そんな気楽な」

ペルルの言葉に。


「今日生きていれば、明日生きている、くらいの気楽さで生きているよ」

お茶菓子を口に入れながら、しかし、真っ直ぐなあの瞳が。




「・・・馬車にお連れしろ。支度をしたらすぐに行く」

意識して低い声を出す。

盆に載ったお茶菓子を捲り上げたスカートの裾に入れて持って行こうとするのを阻止されて、せめてお茶だけはと熱いのを一気飲んで目を白黒させながら出て行く白髪の少女。先ほどの雰囲気は何だったのだと思わせる。

扉を閉めながらこちらを一瞥するロナの視線は冷えている。



机の下で握りしめた手が開かない。震える足は床と隙間を作り、立ち上がることもままならない。

ソファの上に胡座をかいて両の手で茶碗を持った、やっと貧民から庶民に上がったくらいの見目をした娘。ろくに食事も摂られない劣悪な環境で、服から見える手足は細い。枯れ枝の方が整っている肌は水分も油分も足りない。治りきっていない切り傷の筋、赤青に色の変わった打ち身の痕。

生きてくるだけで、どれ程の苦労を背負ってきたのだろう。


生きるために生きること。

神様の教えの基本で、聖職者として街の人々に説いてきた。

自ら死を選ぶことは一番の罪。循環の鎖は断ち切られ、いつかの後にそこにいるはずの者がいなくなる。空いた場所に別の者が入り、ズレていく世界。

あるべき世界との逕庭けいていが許容できなくなる時、終焉はおとなう。

だから、生きていかなくてはいけない。生きていることを感謝して、生きているものに感謝して。今日も明日も循環の中にあることを祈りながら。



ようやく開いた手を組んで机の上に置く。額をその上に当て、先ほどまでその方のいたソファに深く頭を垂れる。目を閉じれば、あの青い光が瞼の裏に現れる。聖職者を志してから欲してやまないあの光。

あれは世界を正したという光で、もう一度世界を正す光だ。

求めていたものが、確かにそこにあった。ただ、それを守る役目を負ったことが僥倖といえるのかはペルルには分からなかった。

人に誇れるところが敬虔というだけのペルルには、本当に分からなかった。






王都の中心よりも南にある王城。深い堀と塀に守られたこの国の政の要だ。

外堀を作った際に出た土を盛った丘の上にある王宮は、王都のどこからでも見ることができる。

広大な敷地の中には王の居城である王宮の他に、王に近しい者が住む離宮、この国の聖職者の本部である大聖堂、王家と城を守る騎士団本部や、中で働く者の官舎もあり、王都人口の五分の一がこの内部に集まっていた。

馬車は四つある門の一つ、北門を通って王城内に入っていった。正門である南門以外、北東西の各門は毎日一つだけ開いている。どの門も有事にはすぐに閉じることのできる跳ね橋だ。正門側城下町には貴族の邸宅が並び、城や聖堂に出仕するにもほど近いが、商人などの庶民は正門が使えず、開いている門を探して大回りをしつつ城内に入らなくてはいけない。城内に入った後も、何度も荷物や人物の確認をされるから王城との取引は大仕事だ。



「ただ後ろで見てるだけでいいですよー」

商業ギルドを出る時、遅れてやってきた追い剥ぎに、ロナはそういって馬車を降りた。てっきりロナも付き添ってくれるのだと思っていたから、声を掛けただけでさっさと入れ替わった彼女に、きちんと礼をいう機会を逸した。

髪も服も。唇に塗ってくれた油は良い臭いがしたし、艶々の感触についつい人差し指の関節で触れてしまう。


鏡の中の自分は、いつも森の湖で見ていた姿とはほとんど別人だった。整えて印象が変わったというだけでないことは確かだ。

ほかの何らかの力が働いていたと考えるのが筋で、そうすると一つの結論に辿りつく。

「過保護だな」

「後ろで見ているのがか」

ロナの言葉に反応したのかと追い剥ぎがいう。

そんなもの後見人とはいわない。助言、助力を行うのが後見人だろう。

答えず薄く笑ったのを合図に、御者に出立を伝える。


斜め向かい側に座った十字傷の聖職者は、道中ずっと目を閉じて何かを考えていた。組んだ手が胸の位置にあったから、祈っていたのかもしれない。時々口の中で呟く聖詞らしき言葉は、ババァが教えてくれた中にはないものだった。

聖職者にとって聖詞はオバちゃんの鼻唄と同じだ。何をしていても口を突く。馬車の揺れの中それを聞いていると無性に眠くなる。



——君はどこの子なの?どうして泣いているの?

芯の強そうな女の子の声。咎めているような声で。

メソメソするんじゃない、といって少し下の子たちを叱咤する自分の声と、音の高さは違うけれどよく似ている。周囲の様子はぼやけていて分からないが、見つめている先にはしゃがんで俯いている男の子がいる。

後ろには石造りの建物。

ほんの数歩の距離から声を掛けられた女の子に、顔を上げようとするその子。女の子が動き出そうとしたとき、世界は揺れて崩れた。



「おい、着いたぞ」

肩を掴んで揺さぶられる。目を開けるとすぐ前に緑色の十文字がある。

「うっわっ」

「傷つく反応をそろそろやめてもらいたい。・・・よだれ」

小布を出してくるが、そんな綺麗なものよだれ拭くのに使えるわけがない。手の甲でゴシゴシやると、嘆息して仕舞った。





正門西側にある大聖堂が見える。正確にはその裏側だ。国中の貴族が年に一度は必ず来る施設だから、正門にほど近い——といっても馬車で四半刻は掛かるが——ところに建てられた。何十台か停められる広大な馬車留めもあり、この部分だけで、敷地は貴族の屋敷何十戸分だ。

各地の聖堂には神様が地上に落とした様々な聖具が収められている。王国の信仰の中心であるこの大聖堂には、神様が聖女に与えた腕輪が収められているそうだ。

青緑色の石が付いたその腕輪は、宝物箱に入れられて一般に公開されることはないが、入り口横の壁に聖剣、聖錫と共に描かれている。


その大聖堂の裏側にあるのが修道施設だ。

大聖堂には貴族が礼拝にくるだけではない。王国内の聖堂、教会から礼拝、修道あるいはもう少し世俗的な目的のために聖職者や貴族が訪れる。その者たちの修行の場、あるいは単に宿泊施設として何棟かの建物があった。

馬車から降りたエタたちは、建物の一つに案内された。木造二階建てのその建物は、並んでいる他のと比べると小さく古い。おそらく大聖堂に勤める聖職者たちか下働きの宿舎だったのだろう。新しい建物に移ったのか使用者が減ったのかは分からないが、丸々空いている様子だった。


案内されて食堂らしき部屋に入った。

「あぁ、最後だったようだな」

すでに九人の、女の子から女性という年頃も様々な者が座っていた。それぞれの後ろには色々な聖衣を着た聖職者が立っている。これが候補者と後見人なのだろう。

十字傷の後見人に示された一番手前の席に座る。

部屋に入った時から不躾な視線が絡みつく。ある者は負の感情を隠さずに、ある者はその奥で算盤を弾きながら。

奥の方から身分の高い者が座っているようだ。服や装飾品の品質が劣化していく様子が珍しくて楽しい。


「見本市かな」

ニヤリと口の端で笑って呟いた言葉を拾った、一番奥に座るご令嬢らしき一人が睨み付ける。

「あなた最後に来て随分偉そうよね。私たちを待たせて、よい身分だと思っているの?」

後ろに立つ聖職者が小声で窘めるが、それを無視して続ける。

「どこからやってきたの?言ってご覧なさいよ」

笑みを崩さずにエタは答える。

「オース修道院」

その答えにニタリと令嬢らしからぬ笑みを浮かべる。

「へー修道院から。叫んで回っていたのかしら。せいじょぼしゅーちゅーですぅーって」

「ほんとご苦労なことね」

お追従は隣の、これまた令嬢らしき女の子だ。一番奥のより少し年上か。


「ん?なんで?普通に看板立ててたよ」

テーブルに頬杖をついて返事をする。

「あなたねぇ。看板なんて、孤児風情が読めないでしょう?平民すら読めないのに、それ以下なんだから」

正しくは平民、庶民の中でも貧民と呼ばれる者だが。

普通に暮らせている庶民は、子どもを教会などに通わせて、文字を読むことは習わせる。書くことや計算を覚えるには、私塾や商家の見習いに出すなど、費用や人脈が必要となる。貴族になると幼い頃から家庭教師が付いてこれら基本技能以外に地歴、音楽、礼儀作法などを学ばせる。

あー少し足りない系か。と理解したエタは、令嬢の笑みを真似た。

「ま、金目当てで集まってるご令嬢もどきの出来なら、こんなもんだよな」

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