<2> 魔力審査
日暮れ近い街は少し熱を下げていた。
夜に繁盛する店もあるが、商店には本日の品物を売り終えて早々に閉めるところも多い。そういう店は夕方店じまい近くになると値下げを行う。値札は変わらなくても交渉するとあっさり下げてくれる店もある。もうあと幾つか、売り切ってしまいたい気持ちをこちらも汲んでやるのだ。
顔なじみになると余計な親心でこちらを詮索しだすから、適度に店を変えながら覚えられない程度にやるのがコツだ。市場での買い物自体が滅多にないからそんな心配もないのかもしれないが。
夕暮れで染まるテントは破れていようが煤けていようが少し洒落ている。通りを歩く人も顔が赤く染まっているだけでご機嫌に見える。閉店して家路を急ぐ店主が、すれ違いざまにする挨拶もどこか気取っている。
かと思うと、向こう側、これから開店の酒場では派手目の姐さんたちが出勤中だ。まだ夜は冷える季節というのに胸元と体の線を惜しげもなく見せるワンピースに羽織る丈の短い毛皮。遠目にもはっきりとした顔立ちに見えるあの化粧を施すのにどれくらいの時間を掛けるのか。
メニューの看板に躓いて給仕らしき男性を睨み付ける女性に、何度も頭を下げる男は少しも謝ってなどいない。自分の腰を抱く客を連れて店に入る女性の笑顔には冷ややかな計算が混じる。店前で打合せをする男性たちの視線は素早く交錯する。
誰もが我が身の明日を信じられるわけでもないだろう。
けれど。
街は今日も安穏と。
人間はその生を堪能している。
・・・・・・・・・・・・・・・
「アンタは、人間だから」
カッとして石を払う。バラバラと吹っ飛んだそれを、ゆっくりと立ち上がったシスターが拾い集める。
「色んな意味があるのさ。言葉には」
貴重品なんだから大切にして欲しいといってるだろう。拾い上げた石の埃を修道服の袖口で拭きながらこちらを見るババァの目は赤い。
月が雲に隠されて真っ暗になるはずのオイルランプのない部屋は、ババァの腕輪の青い光で仄かに明るい。
「私の言葉に軽率にキレるな。教えを乞いに来ているんだろう」
睨む赤みが強まり、部屋が明るくなる。天窓から射さずとも腕輪が照明だ。
その目に気圧されると同時に冷やされる。
「人間だから、城に行けば取り込まれる?」
必要なのは謝罪では無い。ババァの意を汲んで自分の道筋を示す。ボードゲームと同じく。
「アンタには価値があるからね」
「魔法も使えない魔力に意味があると?」
「どの道あと一年で成人。ここを出て行けば晒される。きっと御意志なんだろうねぇ。」
「神様の、御意志」
「そう。そして、アンタ自身の」
光が消える。部屋を照らす青も、夜を見通すシスターの赤も。
詰めた息を吐く前に天窓から光が零れる。
サーッと鳴るように動く光に照らされたシスターは、赤い目を柔らかに緩め、少しだけ開いた唇は艶めかしい赤橙色、皺も染みもない肌は白く。天辺で雑に縛った灰色の髪は解かれ、一部はゆったりとした曲線を描きながら肩から前に流れる。純白の聖衣と、畏怖させるほどの気品と恭順させる気配をその身に纏う。
「聖女」
けれど呟きが耳に届く頃にはいつものババァがいた。茶色い目がこちらを射貫くが、それはいつもの鋭いだけの目。
「さぁ早く寝て、明日行っておいで。誰もついて行けないんだから、しっかりお遣り」
張り紙はまだあった。
昨日見たとはいえ、いつ張り出されたか不明なのだ。撤去されたとて不思議でない。
近くの広場の一角にテントが張ってあり、受付になっていた。街の其処此処で審査が行われているのだろう。
行けば誰も並んでおらず、テントの下、長机に頬杖をついた丸眼鏡の女性が、気怠げにこちらを向く。
「まーた、酷いのが来たなー。もー、冷やかしやめてー。いくら暇でも面倒だしー。くっさいんじゃない?寄らないで欲しいなー」
全体の地味な印象と似合わない、真っ赤に塗った爪が目立つ手をひらひらと振って威嚇する。
今朝森まで行って水浴びしてきたし、服も洗ったから臭くはないはず。切り揃えていない髪はボサボサだし、洗っても服のボロさは変わらないけど。それでも庶民から募集といいながら選り好みするのは如何かと思う。
「それ?」
机の上に小さな魔導具が置いてある。触ろうとすると、取り上げられる。
「ちょーーっとー。勝手に触らないでー。先に魔族チェックからだからー。違うよね?」
そうでも違うって言わないよねー、と髪を後ろで纏めさせられる。首筋に焼印があるかのチェックだ。
「じゃー。念のため、こっちも」
机の下から取り出した蝋燭に魔法で火を付ける。
「はーいー。チクっとねー」
出した人差し指に針を刺す。ぷっくりと湧き出た赤い血を針の横で受け取り、炎に近づける。何も起きない。
「青く燃えないのでオーケーでーーーす」
魔族の簡易チェック。魔族の血は燃やすと青い光を出す。
以前は魔導具でチェックを行っていたが、隣国が二十年前に材料になる魔石を禁輸にしたために、この簡単なチェック方法に頼っている。蝋燭一本で民間人でも見分けられるからそもそも高価な魔導具よりも広まっていた方法ではある。
「高いからねー。これーー。壊さないでよ」
球体の魔導具を片手で握ると魔力に依って色が変わるらしい。机には色見本が置いてあり、元の黒から最高の白まで十段階で魔力を示してあった。
握って十数えてから台に戻して下さい。色を判定します。
説明書きにある通りに握って、心の中で数える。
「数えられるーー?」
完全に馬鹿にした目を作る女性を無視し、三、四、五、と数えていると、玉が段々と熱を帯びてくる。
「熱くない?これ?」
手の隙間から見える色がすでに白い。
「ちょ、手、離して、手ぇー、すぐに!!」
慌てて台に戻す瞬間に。白から透明に変わった玉は、真っ二つに割れた。
只今留守にしております。
テントに不在の断りを張った女性に、城下町まで連れてこられた。
「辻馬車代出るかなー出るよねー、これ弁償じゃないよねー。無理だからねー絶対無理だからねー」
半泣きだ。
取りまとめの人がいるという商業ギルドの一室に入ると、聖職者の仮装をした追い剥ぎがいた。
「すげぇツラだな。ナンバーワンだわ」
「ちょっといきなり何言ってんの?!」
深緑色の短髪に入った十文字の切り込み。繋がり掛けた太い眉毛は底の見えない谷間を挟む。切り込み側の目が逆側よりも吊り上がり、鼻の線も威嚇するように歪んでいる。
その下では、何であろうと一飲みにしてやると言わんばかりの口がへの字を描いていた。
「・・・なんてのを連れてきたんだ。ロナ」
「ペルルさん、これ、お返ししまーす」
割れた魔導具を受け取ったペルルというらしい追い剥ぎは、そのまま後ろの塵バケツに放り込んだ。流れるような動きだ。
「名前。歳。住所」
こちらに顎をしゃくって質問してくる。
「せめてソファに座らせてお茶くらい出すのが礼儀ってもんじゃねぇの」
「初対面の人の顔に失礼な感想をいうやつに礼儀なぞ必要あるか」
ち、いうじゃねぇか。
勝手にソファに座ってからエタは答える。
「エタ。十五歳。オース修道院」
ほら。というような表情でロナの方を見るペルル。白々しくそっぽを向くロナ。仲いいなと微笑ましく見ているエタ。
「ペルルさん、もう一度確認しなくていいんですかー?ご自分の手で」
「・・・私をあの魔導具にしたいんだな」
そんなに恨みを買っているとは知らなかった。と付け足して、ズボンのポケットから財布を出すと、銀貨五枚ロナに渡す。
「辻馬車代だ。残りはそれの支度金。明日朝修道院前に馬車を寄こすから準備しとけ」
王城に上がる準備だからな。
溜息を混ぜながらいうペルルに、器用だなこの追い剥ぎと思いながら座っていると、さっさと出て行けと手で追い払われる。
「お茶は?」
「帰れ!!」
辻馬車で修道院に一番近い降り場まで送ってもらった。行きの金額と帰りの金額、ロナがどこかまで戻る金額をきっかり引いて、残りを支度金として渡された。どうせ計算できないだろうと誤魔化すことをしない、まともな人なんだなと感心した。
「落とすとダメだからねー。袋に入れてあげるよーー」
なんと小さい革袋まで付けてくれた。赤色に染められて革紐が緑色のちょっとお洒落な袋だ。
「明日は青の時間に迎えに行くからねー。支度しておいてよー」
ロナは背を向けると手をひらひらさせ去っていった。
支度金、銀貨三枚と銅貨七枚。三千七百ダリラ。結構な大金である。
「ババァの好物とチビたちの古着と、あとは何だっけな」
午前中にテントに行ったのに、もう夕方だ。
王都は広く、北端のこの辺りから中央より南寄りの城下町まで往復したから思ったより遅くなってしまった。みんな心配しているかもしれない。ババァも何だかんだと心配性だから。
活気の少し減った市場で買い物しながら、何度来ても変わらない光景に嘆息する。この中に自分たちの居場所が有りさえすればいい話なのに。
「・・・帰ろう」
それでも戻る場所があるのは幸せだというババァの教えが、夕陽のように胸に落ちていった。
「アンタ、支度金って意味分かってる?」
たんまりと持って帰った土産とエタを見比べて、仁王立ちのシスターは呆れかえる。
遅くなってゴメン、と謝罪した後、明日馬車が迎えに来ると伝えた。
一次審査みたいなの?突破したよ、というと、ボリス初めみんな大喜び。土産を物色していたチビたちもそれを放り出し、飛び跳ねながらおめでとうの大合唱。
もうこの時点で聖女みたいなものだな、と顔がニヤけるのを我慢していると、黙ってみていたババァがやっと口を開いたのだ。
「ん?もらったお金、必要なものに遣うんじゃないの?」
袋詰めにされた古着の古着は擦り切れる寸前で、何度も繕われて元の生地の部分の方が少ない。それでもうちの子たちが着ているのよりは余っ程マシで、お買い得品だった。
同じく袋詰めの靴は全部右側しかないが、森を歩くのに無いよりはいいし、値切って買った革袋は丈夫そうで、チビが熱を出した時もこれで冷やせる。
後は前買った時よりも少し高くなっていたが、油といくつか薬草を手に入れることができた。もちろんうちの森に生えてない種類だ。
「そうそう、ババァの好きなヤツ!」
今回一番奮発したのがババァの好物、ミニコカトリスの鶏冠。
魔獣を家畜化したほぼ鶏だが、鶏冠が濃厚なのだ。珍味というヤツなので人気はそれほど無く、今日買った店でも残り一個になるのを待って交渉すれば、二割ほど安く買えた。
何年か前にババァが大事に食べていた最後の一切れを奪って激怒されたからいつか返そうと思ってたんだ。
「そりゃ・・・。ありがとよ」
素直なババァは気持ち悪い。
顔に出てたから軽く頭をはたかれたけど、喜んでたからそれでいい。
みんなで今日の糧を頂いて、片付けを済ませて、チビたちを寝かしつけた。普段は呼びつけたりしないシスターが、エタとボリスを部屋に招く。
テーブルの上には欠けたマグが二つ。少しだけ水が入っている。
夜になって風が吹き出した。チビたちの部屋で立て掛けてある板がカタカタ鳴る。
今晩の月は照明の役目を果たさず、事務机の上にあるオイルランプが三人の影を壁に混ぜる。
「昨日の話を蒸し返そうと思ってね」
テーブルを挟んで向かい側に並んで座ったエタとボリスにいう。顔を歪めるエタに察するボリス。
「俺が言ったつまらないことなんて忘れてくれればいいのに。悪かったよ、エタ」
「ここが自分の家なのに。逃げるなら、ここに戻る」
そうだねぇ、と聞いたことがないほどの優しい声音でいうシスターは、けれどその鋭い視線を変えない。
「止めてあげられれば良かったんだけどね。アンタが見つけて。考えたのかどうかは判らないけど、選んだのなら。従うしかないのさ」
前もそうだったから。
ぽそりと呟いた時だけテーブルのマグカップを見つめた。
「転がり始めたから、もう止められない。だけどどんな急な道を転がっていても、少しずつ道をずらすことはできるのさ。己が意志で」
エタを見ているのに見ていない目は、昨日と同じく赤く瞬く。それでいて腕輪の青さは落ち着いていて、荒れているのか凪いでいるのか分からない。
核心は決して突かず、周辺を、それも輪郭に沿わない周辺を語る。そこからどの方向に何を埋めていくのか。
いつも問われている。考えを。行動を。
「お願いを、していいかい?」
「願い?」
改まった物言いに茶化す言葉も出てこない。赤い目が真摯に、エタとボリスの目を交互に捉える。
見たことないくらいふわりと笑ったシスターは立ち上がり、事務机の上から先ほどエタが贈った鶏冠を持ってくる。
「コイツは触媒になるのさ」
まじないの。
「魔法じゃないからコイツがあっても使える」
魔力を封じる青い石のついた腕輪に目をやる。それから、もう一度交互にふたりを見た。
「何も言わずに、今から作るモノを飲んで欲しい。それがお願い」
「いいよ」
同時に。
シスターが言い終わると同時に二人は声を揃えた。
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