<1> 聖女の公募

聖女の公募、なんていう奇妙なことが百五十年間で何度かあったらしい。


高貴な者の中から、神様に選ばれるという聖女。百五十年前に魔王を封印した聖女は王女だった。

魔王の封印なんてのはそれっきりで、高位貴族である大司教とともに王国の祭祀典礼を司る。

新年祭では王城の大聖堂前広場にて、貴族、大商人、許可を受けた一般市民の前で、一年間の神様の加護を願い、祈る。

国のため、民のために祈りを捧げる、清廉で敬虔な女性。それが聖女だ。


実際のところは、大貴族のご令嬢の名誉職だ。いわゆる箔付けといってしまえば身も蓋もない。美しい公爵令嬢、嫋やかな侯爵令嬢、可愛らしい伯爵令嬢。数年務めたあと、より上の立場か裕福さかそれともいっそ顔かたちか、気に入った家に嫁がれる。

なんとも人を食った仕組みじゃないか。

ただし現在の聖女は王妃様で、こちらは本物の——何を以て本物というのか自分には不明だが——聖女であり、十数年務めておられる。


ところが、過去二度か三度か、はたまたもう数度か。老いたシスターがいう話だから眉唾物だったが、庶民の中から聖女を選ぶということが本当に行われてきたようだ。

本当に、というのは、実際目の前にその掲示物があるから。



求む・聖女候補

礼儀作法などは庶民の方にも丁寧に指導。

聖女に選ばれた方のご家族には金百万ダリラ。

候補として城にいる間の生活費全般及び休業補償あり。

応募要件:魔力の強い方



百万ダリラ。

庶民なら一家六人で一ヶ月二万ダリラ。貧民なら一家八人一ヶ月一万ダリラ。これが生活費の相場だ。王都のハズレもハズレ、深い森との境目で、王都全体を囲っているはずの壁さえないうちの修道院なら、二十五人で一ヶ月九千ダリラ。まぁ、土地だけはあるから、畑と森の恵みで生活できているのが大きいんだけど。それでも服や寝具は必要だし、薬草も買えないからこの冬の間に仲間がふたり旅立った。


「魔力が強けりゃいいんだな。・・・魔法使えなくても」

森から来る魔獣を捌くと時々魔石という物が体内に埋まっている。魔獣の魔力が何らかの核を中心に固まり石状になった物で、魔導具の素材になる。

取り出す時に砕け散る物があり、脆いのがあるなと思っていたら、気付いたババアに怒られた。貴重な資金源を砕けさせるヤツがあるか、と。

曰く、魔力差で砕けるのだ。仲間たちも魔力がある者の方が多いが、触れただけで砕けたのは自分だけだった。

魔力が強ければ、同じ魔法を使ってもより高い効果が見込めるそうだ。

でも、自分は魔法が一切使えない。弟分でさえ指先に火を灯せるというのに、魔力が強くても量が多くても、魔法として使えないなら意味がない。

あの子の化膿し高熱に至った傷も、癒やしの魔法が使えたならきっと治せただろう。あの子が魔獣に組み敷かれる前に、風の魔法が使えたならきっと吹き飛ばせただろう。魔法、魔法。考えるだけで苦い思いが浮かぶ。

だけど神様が無駄に与えたこの魔力だけでいいのなら、挑戦するに如くは無し。



「ババァ、ババァ!!」

修道院の玄関扉を左下に力を入れながら引く。開けるとなしにシスターを呼べば、知覚する前にすぐそこにいた。

修道女みたいな頭巾を被って、ほうきで殴りかかってくる。それがこの修道院の孤児たちの母あるいは祖母、シスター・ババァだ。今日も今日とて、名を呼んだだけで振りかぶられる箒。

「興奮して大声出す時はだいたい碌でもない時だよ、エタ」

「お、良い臭い。スープに肉入ってるな。これ」

吸気に混じる食事の臭いに頭は一杯になる。一週間前、小さな兎のような魔獣が庭先に現れた。角と爪は薬の材料に、毛皮は何枚か集めて加工すれば小さい子の靴になる。肉は煙で燻して何度かに分けて食べる。まだ三歳の子の掌くらいのが残ってた。それがスープに入ってる臭いだ。

「相変わらずの良い鼻だね。で、なんだい?」

「ん?」

もうスープの肉のことしか考えてなかった自分に、シスターは尋ねる。

あぁ、一瞬忘れてた大事な用件を伝える。

「街で金儲けの張り紙見つけたんだ。自分ならひょっとしたらイケるかも、でさ・・・」

言い終える前に頭に落ちる箒。

「何も言わず街に出るなと何度言ったら分かるんだい!!」

三日に一度は落ちている雷が、今日も落ちた。




修道院の広間に全員が集まる。一日二回の食事の時間だ。

広間といっても、真ん中にある長細いテーブルは本来大人八人程度で使う大きさだ。

めいめいお気に入りの場所で座っている長椅子は倒木をなんとか削って作り上げたもの。足りない分の椅子は木箱や桶。

部屋の割れた窓ガラスを遮るのは薄布。食卓の上で皿を照らすのは古い油でくすんだオイルランプ。

明かりは風が吹くたびにゆらゆら不安定に揺れ、子どもたちの顔色をちらちら変える。もっとも、明るいところで見ても決して良い顔色ではないから、薄暗い中で照らされる方がむしろ普通に見える。顔色の悪さは食糧事情もそうだが、種族的なものもあった。それがこの劣悪な環境の大きな理由でもある。


塩気の薄いスープには野菜がたっぷり入っている。この時期ならではの畑の恵み。

二十五人で分けると僅かずつの肉も、入っているというだけでご馳走だ。普段は喧しい年少の子たちも肉が入っている日は静かにする。チビたちも命の恵みに感謝することを知っている。

シスターはすぐに怒るし殴ってくるが、神様の教えはきちんと伝えている。

あっという間にスープを平らげて——子どもたちに食べさせるために自分の分はいつも少ない。小柄だから大丈夫といって——シスターはチビの食事を手伝いながら、自分に話しかける。


「で?エタ。張り紙の話」

「まさか乗り気になると思ってなかった」

「アンタ、帰ってきてすぐは何も考えずに話すでしょ。糧を得て落ち着いたなら、考えられる。アンタは賢いもの」

褒め言葉にも微笑すら浮かべない。


「・・・勝手に外出したのは謝る。前に安く薬草の類を売ってくれた行商人がいないか、また見に行ってた」

心配掛けてごめん。

口の中で呟いた声は、隣のシスターにすら聞こえたか怪しかったが、少しだけ表情が和らいだ気がした。


「むかーーし。いってたじゃん。子どもの時に。庶民の中から聖女を選ぶことがあるって」

『勇者と聖女の物語』は子どもの寝物語の定番だが、この修道院で小さい子相手に語られることはない。さすがに成人して修道院を離れる時には巷で有名な話の一つとして子どもたちに伝えることにしているらしい。

以前いた子がここを出て行く時に、一緒に聞いたことがあり、ついでで話してくれた。



高位貴族ではなく、庶民から選ばれる聖女。

礼儀作法ができなくても、文字の読み書きができなくても。

魔力が高ければ、聖女として奉仕できる。

何年か何十年かに一度。

王城の大聖堂に立つ機会が、庶民にも与えられる。

聖なる衣を纏い、王の御前で神様に祈り捧げる清き聖女として立つ機会が。



それは何と名誉なことだろう。

だけど欲しいのは名誉ではない、お金だ。

換金できる魔石はごく稀に手に入るだけ。子どもたちだけで魔獣狩りに出られるわけないから、城壁のないこの修道院に迷い込んだ魔獣を倒した時だけだ。

それも年長の自分たちがいない時に現れれば、たちまち命の危険に晒される上、手に入れた魔石も子どもの自分が売りに行けば、普通の三四割でしか買ってくれない。

他にお金が手に入るのは、新しい子が入る時と成人した子がいなくなる時くらいだ。



「とりあえず、魔力検査とか?受けに行こうと思って」

「エタ一人で逃げるのか?」

向かいの席で、左右のチビたちに交互にスープを食べさせていたボリスが口を挟んだ。ボリスは一つ下の十四だ。白く透き通った肌、長い睫、柔らかい灰色の髪。

茶色い目をいつも不快そうに細めていなければ、美しいはずだ。興味は無いが。


「俺たちは市場に行けない。ここから出られない」

「春になったから。しばらくは森の獣と野生の草や果物、畑もあるし。市場に行かなくてもどうにかなるし」

もう何日かすれば森で山菜が採れる。魔獣でない動物も、恋の季節の鳴き声が居場所を教えてくれる。一番食べ物に困らない季節がやってくる。だから、自分がいなくてもしばらくは大丈夫。


言い訳みたいだ。


「何かあった時に!」

「どうせここで何かがあっても、誰も助けに来ない。自分がいても、助けを呼んでも、どうにもならないことだって分かってるだろう!」

つい荒らげた声に、チビたちの何人かが泣き出しそうな顔をして見つめる。黙ったまま涙がポロポロ溢れている子もいる。

「ごめんな。みんな。ババァ。こんな食事時に。ボリスも」

「みんないるから、話さなきゃいけない」

シスターは全員に聞かせるようにいう。それから立ち上がると、泣き出した子の頭を静かに撫でた。


「アンタは一番年長で、ここでは特別な存在なんだ。アンタも分かっているだろう」

皆の首筋に付けられた焼印が一人だけ無い。

ババァにも、ボリスにも。他の子にも。チビたちにも。漏れなく付いている印は、自分だけ無い。

だから市場に行ける。だから修道院から外、街の方に出られる。みんなが行けるのは森の方だけだ。ババァは修道院の敷地の外には一歩も出られない。


「・・・特別じゃない方が良かった。みんなと一緒が良かった」

「それでアンタがいたから、薬草を手に入れられて、助かった子もいた」

「エタがいなくなるなんて、嫌だ」

テーブルの上で拳を握るボリスはもう、ただの我が儘だ。感情に任せただけの言葉をシスターは叱る。

「気持ちだけで話すなら口を閉じな。ボリス。チビたちの方がちゃんとできてるよ」


シスターは涙を堪えて俯いている子を抱いた。

自分の方にも何人か集まってきて抱きつくから、膝の上に二人座らせ、背中に一人負った。暑いやら重いやら嬉しいやら、顔が自然と緩む。ボリスの周りにはいつの間にか仲間がいなくなっていた。

「ご覧よ。結論は出たよ。ボリス。諦めな」

ボリスは苦々しげな顔をして立ち上がると、空いた食器を下げ始めた。

「・・・ちゃんと聖女になってこいよな」

それを聞いた他の子たちが、口の端が上がるのを我慢しながら手伝っていた。




背中の子が寝てしまって、エタは部屋に寝かしに行った。

むしろを敷いただけの床の上、身体に掛けるのは風で飛んできたぼろ布だ。部屋の窓ガラスはここも入っておらず、寝る時には板を立て掛けてある。

春になったからまだいいが、冬は人数がいて身を寄せ合っていても寒さに体調を崩す子が出る。

そして、一度体調を崩したら後は。


お金があれば、もう少し何とかなる。お金だけでは無いのは分かっているけど。ここがどこだか知らない子どもではないから。でも、少しだけましな寝具があれば。少しだけ壁の隙間が無くなれば。少しだけ良い物が食べられれば。助かった命があった。

それだけだ。

立て付けの悪い戸を閉めながら、エタはチビたちの明日を祈る。




「ババァ」

ノックをして開ける、院長室と書かれた部屋。

来客のための一人部屋だ。古い応接セット、事務机、衝立の向こうにはシスターのベッドがある。

「返事を待てと何度いったら分かるんだい。・・・まぁいいか。こっち来な」

自分がここからいなくなる。それをみんなに分からせるためのさっきの話。

意志を尊重してくれているのは有りがたい。でも、シスター・ババァがそれだけの訳がない。裏があるに違いない話にそのまま飛びつかせるほど辛くない。

「呼び出してもくれないのもどうかと思うけど」

「声を掛けなきゃ分からないなら、どうせその程度さ」

やっぱりそれなりには辛い。癖になるくらいには。


応接セットのテーブルの上には、ボードゲームが置かれている。黒白の石を交互に置き、囲った広さを競う陣取りゲームだ。子どもの時からよくここで勝負した。

そして、勝負しながら様々なことを教えてくれるのだ。

昔読んだ本を諳んじているだけというババァは、博識なんてものじゃなかった。

世界中の何でもお見通しではないかと、その小さな躯体が何倍にも見えた。修道院の子どもたちに教える読み書き算術以上の特別なことを、自分に沢山教えてくれた。


神様と世界の成り立ち。

<王国>以外の国のこと、<王国>の歴史。

それから本質の探り方。

他人の行動や言葉の隠された意図と意志、嘘と裏は、漫然とみても探れない。潜む本質は結局心であるから、その人の礎となる物事を探ること。

隠そうとしても現れる、何気ない行動、言葉の端々が示唆する人の土台は、どれだけ肥大した権力者であろうと変えようのない本体だ。


他の孤児たちに向けられる慈愛とは違う類の複雑な感情を込めたシスターは、自分ひとりと相対する時、その様子も変える。

自分に何かを教える時、左手に填められた腕輪は青い光を出しながらカラカラ回る。自分の手を取り聖詞を詠む時、普段は大人しい茶色の目が炎を映さずとも赤く怪しく光る。



黒石を一つ持ち小目に置く。パチンと音を鳴らすのがババァ流だ。

「勝手に自分から始めたね。始め方も教えただろう」

「で?」

ババァも白石を一つ掴んで星の位置に打つ。弾く木目に高く響く。

「公募の聖女は戻ってこない」

「まぁそうだろうな」

黒石を別の星に、白石を別の小目に。

「アンタも王城に行けばもうここには戻れない」

「何で断言できる?」


唯一ガラスの入った天窓から注ぐ月の光は穏やかに自分とシスターを照らす。交互に幾つか打った後。まだ考える込むほどの盤面でないが顔は上げられない。盤を凝視しないとあの目にすべて見透かされる。赤く光り、微かな揺れさえ見定める目に。

何の疚しいところもないのに。



『ひとりで逃げるのか』



「アンタは、特別だから」

ただひとりだけ。

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