君が守った安穏としたこの世界を
沖綱真優
本編
プロローグ 〜勇者と聖女の物語〜
「えい!やぁ!」
ベッドから飛び降り、丸めた紙筒を揮う幼子。
寝る時間はとっくに過ぎ、何より付き合うのに疲れ果てた乳母は、毛足の長いラグの上に座り込んだ。
「坊ちゃま、悪い子は魔族に拐かされますよ」
「まぞくなんてよわっちぃどれいじゃないか。そんなこというばぁやはまおうのまわしものだな!せいばいせいばい」
直接打ちはしないが、そのうち当たるのではないかと大きく避けながら、乳母は何度目かの斃された振りをする。
「うぉおおーさすが勇者、しかし我は死なぬぞぉおお」
「では、私が封印しましょう」
子ども部屋に入ってきたのは男爵夫人だ。
幼子がすぐに駆け寄る。
「かぁさま!」
「コンラート、もう寝る時間ですよ」
「じゃぁ、いっしょにねて!おはなしきかせて!」
「何の話にしましょうね?」
母親の手を引いてベッドに向かいながら、幼子は元気にいう。
「ゆうしゃとせいじょのおはなし!」
『むかーしむかし、
世界は闇に包まれていました。
魔王が世界を支配していたのです。
森にも草原にも魔獣が溢れていました。
人間は街の周りに壁を作って身を守っていました。
でも、夜にはそれを越えて、魔獣を従えた魔族が狩りにやってきます。
おとといは、隣の隣の肉屋のハンスが。
きのうは、隣の大工のアルバンが。
きょうは、
大きな音を立てて、うちの扉が』
「きゃぁああ〜〜〜〜」
大袈裟に叫ぶ身振りをする母親に、幼児はきゃっきゃと喜んだ。
『襲われた家には何も残りません。
戦いに出た騎士たちも戻って来ません。
毎日毎日、中身の無いお墓が増えていきます。
毎日毎日、人間は泣きながら祈ります。
お城でも、王様もお姫様もみんなみんな祈りました。
ある日、王様の夢に神様が現れたのです。
魔王を封じる力を与えよう。
人間を守る力を与えよう。
目覚めた王様の前には、輝く聖剣と
王様が手に取ろうとすると、二つの聖具は持つべき者のところに去りました。
聖剣は騎士団長のところに。
聖錫は王女様のところに。
二人は神様に選ばれた者として、魔王を封じる旅に出ました。
聖剣を持つ勇者様と聖錫を持つ聖女様、それから多くの騎士たち。
大きな牙を持つ狼や、山のように巨大な熊。
騎士を十人も二十人も丸呑みにする双尾の蛇
人の身体に山羊の頭を持つ魔族。
道すがら行く手を阻んだ魔獣と魔族は、魔王の城でより一層現れました。
沢山の犠牲を払いながら魔王の間に辿りついた時、勇者と聖女のほかには数人しか残っていませんでした。
震える聖女を抱きしめて、勇者はいいます。
「僕が君と世界を守るから」
ついに対峙した魔王の角は天を突き刺す勢い。
つり上がった目は、そこに入るものすべてを憎しみで灼き、頬まで裂けた口はあらゆるものをかみ砕きます。
風が、炎が、雷が、勇者を襲います。
聖剣で弾くも、段々と追い詰められる勇者。
大きく手を広げ、最大の魔法を使おうとする魔王。
その時。
響く聖錫の音。
聖女の歌が魔王の間に反響して、闇の気配を薄めます。
聖女の歌に力を取り戻す勇者。
聖女の歌に力を奪われる魔王。
迫る勇者。
抗う魔王。
ひときわ大きな聖錫の音が鳴ったとき。
聖剣は魔王の胸を貫き、玉座にその身を刺し止めます。
光の鎖がその周りに何重にも巻かれ、
魔王の封印が成ったのでした。
魔王が封印されたことで魔族たちは力を失い、街に平和が訪れました。
勇者と聖女であった、騎士団長と王女様は結ばれて幸せに暮らしました。
おしまいおしまい』
瞼の重くなった幼子は、母の胸の中でいう。
「ぼくもおおきくなったら、せいじょさまのきしになる」
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