風の吹き抜ける隙間もないほどに
神明勝己
風の吹き抜ける隙間もないほどに
―わたし、私ね、アキが好きなの。
朝っぱらから気の滅入るような音量の目覚まし時計のアラームとともにその言葉が思い出される。
千春に告白されたのは昨日のことだ。
いつも通りの帰り道。俺の家の隣の公園でいつも通り、いや、いつもよりもだいぶ長いこと雑談をしていた。隣に腰かけていた彼女がふわりと吹いた風と一緒に立ち上がった。
赤く染まった紅葉の葉の下で、風に吹かれて舞い落ちるその葉っぱの向こうに、秋風になびく長い黒髪をおさえながら彼女はそう言葉を紡いできた。声がかすかに震えていた。千春の顔には涙が浮かんでいたのかもしれない。彼女の後ろからさす光によってその表情を見ることはできなかった。俺の両眼は千春のシルエットを捉えたのみだった。
いや、見ようとしなかっただけなのかもしれない。その顔を見てしまったら返す言葉が決まってしまう気がしたから。あいつの、千春の顔を見たらきっと、彼女を裏切るような言葉は返せないとどこかで俺は知っていたんだろう。でも俺は、あいつとそんな関係になるのが怖かったんだろう。
そっか
その一言だけ告げて俺は逃げるようにその場から立ち去った。すぐ隣にある自分の家の玄関に逃げ込むと誰もいない家の中で彼女の言葉を反芻する。
好きなの。その一言だけが頭の中を埋め尽くす。
ゆっくりと息を吐き、そして大きく息を吸い込む。胸いっぱいに吸い込んだ空気を吐き出すと、おれは玄関から飛び出し公園に戻った。
そこに千春の姿はもうなかった。
俺と千春の家は隣にある。大方、俺が逃げた後にあいつも帰ったのだろう。彼女の家の前まで行って、呼び鈴に手を伸ばす。それでも結局、何もしないまま俺は自宅へと戻った。
千春に好きと言われた瞬間、頭が真っ白になった。
直感的に浮かんだのは自分も好きだと言葉を返すことだった。でも、そこに躊躇いが生じた。だってそれは、何度も何度も考えたことだったから。高校に入って3年間ずっと伝えようと思って諦めていた言葉だったんだから。もし千春と付き合えたら、恋人になれたらどれだけ素晴らしいんだろう、自分の気持ちに気づいてから考えなかった日はない。でもそのたびに頭に浮かんでくる悪いイメージ。もし、もしも別れてしまったら....
そう考えたら告白することなんてできなかった。だって18年も一緒に過ごしてきたあいつと疎遠になってしまうだなんてたえられないのだ。そんな臆病な妄想を3年も続けてこじらせてしまった結果、俺は、たった一言を残して、逃げた。その行動が何を意味しているかが分からないほど間抜けではない。
昨日の出来事を思い出しながら顔を洗う。憂鬱なことに今日も学校だ。冷たい水で寝ぼけた頭が徐々に目を覚ます。
徐々に冴えてゆく頭の中で、ふと、一つの言葉が引っ掛かる。『私ね、アキが好きなの。』千春は俺のことを普段は智明とかトモと呼ぶ。今までほとんど『アキ』と呼ばれたことはない。あれは本当に俺のことだったんだろうか。てっきり自分に向けられた言葉だと思っていたがあれは告白なんかじゃないのかもしれない。それなら今日も顔を合わせたときに気まずい雰囲気にならなくて済む。もろもろの準備を済ませた俺は、そんなバカげた希望的観測をもって家を出る。
家が隣で同じ高校に3年通ってる。そうなれば当然学校へ向かう時間も同じになるものだ。バカげた考えを朝っぱらからしていた俺は登校時間をずらすなんて考えは持ち合わせていなかった。まあ、それは相手も同じだったようだが。
「よう、チハル。」
ぎこちなく挨拶をする。
「トモもおはよ。」
顔をこちらに向けず挨拶を返す千春。
自分の掲げた希望的観測が木っ端みじんに砕け散る。これは、うん、そーゆーことだよな。気を使って挨拶を返してくれるが俺の顔を見ようともしない。でも、それでも、誤解をとくならここしかない。俺も千春が好きなんだと、逃げたのは告白を断ろうとしたからなんかじゃないんだと。
「なあ、チハル、昨日のことなんだけどさ」
自分の心臓が耳の近くで鳴り響く、そんな感覚を持ちながら意を決して話しかける。
「え、あぁ、うん。アキが好きって話だよね。私が好きなのが春じゃなくて秋でびっくりした?春夏秋冬の中でいったらやっぱ秋がいちばんだよね。だってほら、食欲の秋、芸術の秋。なにをやるにもぴったりじゃんか。紅葉も銀杏も葉っぱの色を変えてきれいだしさ。」
「いや、そうじゃなくて」
早口でことばを紡ぎ続ける千春の言葉を遮るように俺は話そうとするが、
「あー、もしかして自分のことだと思ったのかな、君は。告白されたって勘違いしたの?そんなわけないじゃん、だいたい私がトモのこと呼ぶときはいっつもトモとかトモアキって呼んでるじゃんか。私がトモのことアキって呼んだことあった?」
「2、3回くらいならあったと思うけど....ってそうじゃなくて「だから」....」
「だからね、トモの思ってるそれは勘違いだよ。」
悲しいような、痛いような声で千春が告げる。
俺に背を向けて歩き出す彼女から放たれたその言葉に返す言葉が見つからなかった、俺に拒絶されたと思った彼女が守ろうとしてくれてるものが分かってしまっているから。彼女の言葉がウソに塗り固められたただの強がりだとわかっていながら....
結局俺は千春に甘えてしまった。
高校3年の秋と言えば受験直前の時期だ。俺も千春も大学への進学を目指している。俺は地元の国立大学に進学を希望していたが、千春はワンランク上の難関校を目指しているのだ。俺の第一志望である地元の大学もそれらの大学に準ずるくらいレベルの高いものであるが、俺の今の学力ではそのレベルが限界で千春の志望に届くようなものではない。
あの日以来、千春と一緒に帰ることはなくなった。俺が学校が終わってから図書館に籠るようになってしまったからだ。千春にはつき合わせるのは悪いからと帰ってもらうようにしている。あいつは自分の家でも勉強ができる人間だ。でも、俺には無理だ。今の高校だってあいつに引っ張られて、けつを叩かれながら勉強して受かったものなのだ。おかげで県内トップクラスの進学校に入れたのだから感謝しているし、定期試験のたびにあいつに勉強を教えてもらっていたおかげで、そこそこ高い学力を維持できている。でもそれじゃあだめだってあの朝分かった。あいつは俺よりも何倍もすごくて強くて、でもそれにあまえてばかりじゃだめなんだって。だから一人で頑張ることにした。あいつから自立するために。
俺の意図を察してか、はたまたあの日から徐々にずれていった歯車がひずみを大きくしてしまったのか、登校中の俺たちが言葉を交わす機会が減っていた。二人の間に冬の風が通り抜ける。俺たちの間に空いた隙間に風が吹き込む。吹き抜けた隙間風はとても冷たかった。
「お互いがんばろうな。」
「うん」
そんな一言だけを交わして一次試験の会場へと足を踏み入れる。結果はまずまず。これなら大丈夫だろうという自己採点の点数だった。その結果を受けて二次試験を受ける大学への願書を書きあげる。
そして、あっという間に時間は流れ、二次試験の日を迎える。
その試験会場であいつと出会う。千春だ。マスクを着けて、伊達メガネをして、万が一であってもばれないようにしていたつもりだったのにあっさりばれた。やはり18年の付き合いというのは恐ろしい。合格発表の後にばらすつもりだった計画が台無しだ。
試験を終えて帰路に就く。新幹線をおりたターミナル駅で千春に呼び止められる。付き添いで来ていた親たちには先に帰ってもらい二人で街をぶらつくことにした。
言葉はない。ただ歩くだけだ。あれほど大事だったものが、当たり前に交わしていた会話が全くない。でも、どこかで安心感を覚えてしまう俺がいる。俺が千春から離れていた数か月、たったそれだけで、いや、あの日のこととあわせればたったそれだけなんてことはないのだろうが、俺たちの間には隙間があいてしまっている。でも、なぜだろう。不思議とそのままこの関係が分解してしまうことはない気がする。ああ、きっと大丈夫なのだろう。だからこの先、一歩踏み出して俺たちの関係を示す形が変わっても、その形に収まるようにぴったりと、お互いの足りない部分を埋めるように、隙間なんてできないように。一人じゃいびつな形でも二人合わさればきれいに収まる。そんな気がする。
何もしないまま、散歩をしただけで、乗り物に揺られただけで、ただそれだけのみで俺たちは自宅の前まで帰ってきていた。冬がおわりもうすぐ春がこようかというのにまだ夜は冷える。それでも寒すぎるというわけじゃない。だからそのまま、公園のベンチへ向かう。星は浮かんでいるが、空に月は見えない。
「どうしてトモが私と同じ大学を受けてるのかな」
ながい、ながい沈黙を破って千春が問いかける。
「おれさ、ハルが好きなんだ」
彼女の呼吸がはっと止まるのが聞こえる。
「おれさ、ハルが好きなんだ」
もう一度繰り返す。
彼女は隣から立ち去ろうとしない。
「桜のさいた春がいい。あったかい風の春がいい。出会いも別れもある春がいい。」
ゆっくりと立ち上がり彼女の前へ立つ。
「このまま続くとおもってた。なにかあって疎遠になるのが怖かった、一歩踏み出すのが怖かった。変わってしまうのが怖かったんだ。」
千春の顔から今度は目をそらさない。
「でも千春が踏み出してくれて、俺は臆病だから逃げちゃって、でも、それでも千春が俺の壊したくないものをまもろうとしてくれて。俺って千春にあまえてばっかだなって。」
「だからさ、ちょっとだけでも並び立てるようにさ、全くってのは無理だけど千春のやさしさにすがるのはやめようっておもってさ。だから俺、ちょっと頑張ったんだ。」
千春の目に涙が浮かんでいる。
「だってさ、いろんな春がすきだけどさ、千春がいないとだめなんだよ。だって俺は千春が好きだから。意地っ張りで、強引で、やさしくて、あんなことしたのに、愛想つかされてもしょうがないはずなのに、こうやって話を聞いてくれる千春がどうしようもなく好きなんだよ。」
月がきれいだなんて回りくどいことは言わない。この想いは今まで逃げてきた分、散々迷惑かけた分、全部、まっすぐに。
「千春、俺の彼女になってくれませんか」
座っている千春に向かって手を差し出す。
彼女がおれの手を取ることはなかった。
「ばか!ばか!バカトモアキ!どれだけ寂しかったと思ってるの。どんだけ私が不安だったかわかってんの。私のこと何もいわず遠ざけたとおもったらいきなりおんなじ大学の試験会場に現れて、疲れた私を連れまわして、あげく長ったらしい告白まで」
千春に手を差し出したままごめんと小さくつぶやく。
「それになによ、ハルが好きって。私の告白をバカにしてんの。そりゃ私だって振られた時のためにあんな小細工までしちゃって、苦し紛れの言い訳ばっかりしちゃったけどさ。でも、それも全部あんたが悪いんだからね。いつまでたってもなんにも言ってこないし。だからってこっちからいったら逃げちゃうし。男として最低だよ。ほんとに。」
あまりにひどい言われように心がぐんぐん削られてゆくが、悪いのは俺なんだから言い訳なんてできない。
「普通なら愛想つかしてどっかいってもおかしくないんだろうけどさ。でも、うれしかったの。さっきトモに好きって言ってもらえて。バカだよね、あたし。そんな一言で舞い上がっちゃって。だって私のために自分で勉強がんばって、おんなじとこ行こうとしてくれてさ、こんだけまっすぐぶつかってこられたら、もう無理だよ。諦めらんないよ。我慢できないよ。」
彼女の手がそっと俺の手の上にのる。泣きながら、怒りながら、笑いながら千春がそっと告げる。
「私も智明のことが好きです。私をトモの彼女にしてください」
千春の言葉を聞き終わる前に彼女の手を引っ張り上げて強引に引き寄せる。
きゃっ、と小さく声をあげる千春をぎゅっと抱きしめる。
こんなのが私の初恋かぁ。千春が小さくつぶやいたのが聞こえた。
千春が耳元でそっとささやく。
「薬指はいつでも開いてるからな」
その言葉を聞いていっそう千春を抱きしめる。なにああっても離れない、離れたくない。そんな想いがこみあげてくる。たとえ離れることがあったとしても歩みよればいい。彼女にぴったり合うように。
「ちょ、きつ過ぎだって」
そう言いながらも彼女も俺の後ろに手をまわして強く、やさしく抱きしめてくる。
風の吹き抜ける隙間もないほどに。
風の吹き抜ける隙間もないほどに 神明勝己 @shinmei_1582
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