世界の殺人科学者伝記シリーズ17 Dr.デスマッド

Dr.デスマッド(本名 小柴デスマッド)は柳生暦37564年、群馬県の寒村に生まれた。


利発な子供として村内に知られていたものの、群馬特有の反知性主義によって高校には進学することなく、家業の手伝いをすることとなる。


転機が訪れたのは柳生暦37564年5月、デスマッド24歳のことである。前年の著作権法改正により、村の地場産業であり彼の家業でもあった海賊版DVD作りが立ち行かなくなったのだ。


故郷を離れ、食用タニシのブローカーとして第二の人生を歩もうとしたデスマッド青年はそこで衝撃的な出会いを果たす。


彼が偶然立ち寄った丸井で、北里オブラディオブラダ錬三郎博士(彼の業績については世界の殺人科学者伝記シリーズ14参照)による殺人兵器の公開実演講義が行われていたのだ。


殺人球から迸る七色の怪光線が聴衆を次々と七色の怪灰に変えていく様相を目の当たりにし、デスマッド青年は殺人兵器学の道を志すことを決心した、と彼の日記には記されてある。


しかしながら、彼の歩んだ道は決して平坦ではなかった。通常、殺人兵器学者として認められるには旧帝大(訳注:旧神帝王大学の略)の殺人兵器学部を卒業してそのまま博士課程に進むしか道は無く、彼のように学歴が無い者が殺人兵器学に関わろうとするならば生体実験体としての役割が一般的である。


だが、彼は諦めなかった。生活費を火付け強盗で賄いながら、ほぼ独学で殺人兵器学と関連技術を一から学び、柳生暦37564年、遂に彼の代表作の一つである画期的な自立思考型群体式殺人二足戦闘兵器『デスボット』を開発する。デスボットは自立殺人兵器に求められる五つの要件、すなわち

・知性

・技巧

・残虐

・強力

・飛翔

を見事に兼ね備えたものであり、この開発により日本の平均寿命は約三年は縮まったと分析されている。


翌、柳生暦37564年にその功績を称えられ見事学会を追放されると、町田に居を構え学会への復讐を開始。こうして名実ともにデスマッドは殺人科学者への仲間入りを果たした。


以降の業績は特に著名なものだけでも

・デスボットバリエーションズ

・デスマッドガス

・デスタンク

・マッドプレーン

そしてデスマッドタワーなどが挙げられる。


特にデスマッドタワーは江戸城機動化改修以来の機動要塞思想の到達点と言えるものであり、工場での改修作業を要することなく要塞型から強行型へと差し替え・余剰パーツ無しの完全変形が可能であり、本体での格闘戦という要求すらを達成している。


また直接的な殺人兵器ではないものの、彼の著による『できる!殺人科学』シリーズは殺人科学初学者向けのバイブルとして彼の死後もなお改訂と増補を繰り返されており、それまでは一部層に独占されていた殺人科学の門戸開放に大いに寄与したことに疑いの余地はない。


コンスタントに殺人研究成果を発表していたデスマッドであったが、晩年はデスマッドタワーに篭り、学会への襲撃も稀となった。世間では彼を実質的な引退状態と目する声もあったが、さにあらん、彼はデスマッドタワーで彼の最高傑作を産み出さんと血道を上げていたのだ。


その悲願とは人間と殺人機械の融合、つまり人間の闘争本能や嗜虐性と、機械の冷徹さや無慈悲さを兼ね合わせた究極の戦闘メカノイドの製作である。


柳生暦37564年、Dr.デスマッドは遂にその目標を達成したが、同時にその生涯を閉じる。享年75歳であった。


彼を殺害した者こそ、脱走、反乱を起こしたDr.デスマッド最後の発明にして最強の自己進化型戦闘サイボーグ。


ウォーモンガーたみ子、つまり私である。



Dr.デスマッド

〜天才とは1%のひらめきと99%の人体実験である〜



世界の殺人科学者伝記シリーズ18 ウォーモンガーたみ子博士に続く


(終わり)


※これはゾウザ・リー(@zouzary)さんのリクエスト「デスマッド」を受けて書かれたものです。

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