第33話

 疲れを体現する目元は、彩色によって、無理に健康的で文化的な最低限度の生活を送れているように見せている。コツコツとハイヒールを鳴らす度、独特の煙が香った。


「あら、久しぶりに見る顔がいるじゃない」


 霧子は僕に目もくれず、そのすぐ傍にそう言い放った。彼女の目線の先にいたのは、顔を強張らせた立花だった。


「知り合いですか、霧子さん」


 僕が横から問うと、彼女は革のジャケットを翻す。少々考えるように黙り込むと、硬い唇を動かした。


「高校の同級生よ。それなりに仲がいい間柄だったの。もう一人、っていう女がいたんだけど……」

「は?」

「ん?」


 思わず、声が上がった。当の立花本人は、僕や義兄との問答などなかったかのように、バツの悪そうな表情で、宙を見ている。


「……舛花ますはな、アンタ、舛花よね? 他人の空似かしら?」


 霧子が立花に向けて問う。彼は僅かにたじろぐと、溜息と共に言葉を落とした。


「今は立花なんだよ」

「何も報告もらってないんだけど」

「お互い様だろ」


 二人の対話の軽さと、その調子を見ると、成程、同級生であったことに違和感はない。双方、雰囲気は若干似ているとまで言える。


「それで、何があって、私を呼んで何がしたいのか、説明願えるかしら。七竈君」


 立花の背を叩き、霧子は僕に意識を移した。隣で先に立花が口を開こうとしたのを、彼女は足を踏みつけて阻止した。


「立花さんと会う前後から、色々と、省いて、ですが」


 言葉を区切り、幾つかの事実を胃に仕舞いつつ、唇と手の先から過去を吐き出す。立花に疑われていること。和泉以外の怪異が、僕に貼り付いているということ。怪異を視るということは、怪異に憑かれているということなのではないかという問い。

 僕の言動を、何度か聞き返しつつ、彼女は事の整理をしているようだった。胸の下に組んだ腕の中、左手の人差し指をトントンとリズミカルに動かす。その思考する姿は、何処か韮井先生の影を感じた。


「まず、舛花……立花サンは感情を弁えなさい。何に焦っているのか知らないけど、現状は全てにおいてアンタ一人の手に負えないわ」

「俺は」

「アンタ、刑事なんでしょ。だったらそれらしく考えなさい。それに、視えているんでしょう。なら、事は明白よ」


 霧子が、僕を見る。僕の顔を、腕を、足を、その視野全体に収めた。


「無理でしょ、こんなの。


 彼女の瞳に、嫌悪を見る。僕に対してではない。もっと、その奥、僕ではないが、僕から通じる「何か」を指している。霧子の目を見上げる。和泉と似ていこそいるが、どうも別ベクトルに冷酷さを生じている。


「それで次は、アンタ」


 そうして今度は僕に語る。


「殆どアンタの失言が要因じゃない。この前私が言ったこと覚えてる?」

「気が動転してたんですよ」

「嘘つけ。アンタ、動転するほどの感情なんて持ち合わせていないでしょう」

「知った口を利くじゃないですか」

「見てればわかるわよ。アンタ、和泉恭子うちの姉とそっくりだもの」


 彼女が口を動かす度、次第にその温度が上昇していく。和泉霧子はまるで教師のように、感情や事実を叩きつけていく。正しく、病室は彼女の独壇場だった。


「とはいえ……怪異に憑かれると怪異が視えるようになる……というのは、まあ、九割は正解ね」

「残りの一割は」

「簡単よ。怪異が視える」


 何を当たり前のことを、と彼女はチロリと舌を出す。何を簡単の定義としているかは知らないが、ストン、と僕の中に何かが落ちた。


「それはつまり、死ねば視えると」

「そんな大それたもんじゃないわよ。生きながら怪異になるの」

「生きたまま?」

「割と、思ったよりは、よくあることよ」

「事例は」

「今アンタの目の前で喋ってるでしょ」


 霧子はそう言って、自らの首を指で突いた。その一瞬、彼女には僅かだが確実に諦めの感情があった。


「だから、そうね、私、アンタを最初に見た時、少し驚いたのよ」


 言葉を再開する。彼女は今度は言葉を選んでいるようだった。


「そのナリで、アンタ、今まで怪異こっち側を知らないなんて、ある?」


 じんわりと、足先が冷える。黒い血が僕の足の、指と指の間を這っている。僕の隣で、棗がヒッと声を漏らした。


「それだけ小清水君が強力ってことでしょうけど……その小清水君は今どこにいるのよ」

「さあ」

「さあって、アンタ」


 どうすんのよ、それ、と、霧子が呟いた。


「小清水君なら」


 ふと、突如として、忘れかけていた声が聞こえた。全ての目線がそこに向く。

 義兄はいつの間にやら僕の足元で来客用のイスに座って、身を小さくしていた。


「彼なら先に避難先の別荘で妹や両親と待ってくれている筈ですが」

「別荘? 大層なもん持ってるわね」


 霧子は、なら、と言葉を続けた。


「とっとと合流しなさい。話とか、そっちでやった方が良いわよ。嫌な予感がする」


 彼女の眉間に皺が寄る。彼女はジャケットのポケットを漁っていた。ちらりと煙草の包装が見えたが、それはすぐにポケットの中に戻された。


「それは予知のようなものですか」


 僕が問うと、彼女は髪を靡かせながら、表情を変えずに言った。


「勘よ」


 黒く、墨を一滴落とした様な彼女の瞳が、ほんの数ミリ、僕からズレた。

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