第25話
首と顎の間がギリギリと痛む。視界はハッキリとしない。白と黒の世界を薄らぼんやりと眺めた。次第に、全ての境界線が網膜に訴え始める。
明るいオレンジの照明。その光を反射するブルーシートは、ベットと思われるものを覆っていた。その上にぐったりと横になる、一人の少年が見えた。彼は所々が血で汚れた大きなシャツだけを着ていた。
あ、また夢を見ているんだ。
僕は思考の隅で思いつく。これは夢だ。
僕はまた冷凍庫を開けて、この夢から出ようと、足に力を入れる。しかし、両手をついて立ち上がろうとして、ガクリと重心が背に落ちた。両手が背中で合わさり、外れない。ベタベタという不快感が、手首を覆っていた。
動悸が激しくなる。僕は思わず、前を見上げた。
「――――
僕は喉を絞って声を出す。所々、首に鈍痛が走った。
僕の声が聞こえたのか、ベットの上の少年は、こちらに顔を向ける。無気力に、ぼんやりと、空っぽの瞳で僕と視線を合わせる。
その少年は、あの夢で見た、冷凍されていた美少年であった。
「……どこ中の奴だよ。見ない顔だな。もしかして高校生? いよいよ、あの男も節操が無くなって来たな」
見た目の割に、彼はそうやって言葉を零す。よく見れば顔色こそ悪いが、頬や手指、脹脛などはふっくらと肉を保っていた。
「アンタ、名前は」
「……僕は七竈ハラヤ。大学三年生だ」
「えっ」
小生意気な少年は、僕の顔をじろじろと舐めるように眼球を動かした。くりくりと大きな目が、顔色の悪さから、ただ薄気味悪くも感じられた。
「大学生には見えない」
「よく言われる」
「大学生ということは、梅ヶ丘の」
「そうだ。よくわかったな」
「あの男の職場だから」
息を荒く、彼は僕に次々と言葉を投げる。
「そうだ、外の様子は。警察の捜査は何処まで進んでるの。うちの親は何か言ってなかったか」
「――――おい、ちょっと待て」
僕が声を荒げると、少年はビクリと肩を震わせ、大きく目を開いた。
「僕に色々聞いても良い。だが僕の質問にも答えろ。第一、その態度は何だ。他人に名を名乗らせておいて、自分は名乗らないとは、お前は一体どんな躾をされてきたんだ」
頬に力が入る。眉間にも皺が寄っているようだった。少年が唾を飲んで、息を吸った。
「僕は、棗。青木棗。犬鳴第三中の、二年生」
棗は、僕が興味を失っていないことを確認して、続ける。
「……四日前、塾の帰りにここに連れて来られた。それで、それで……」
彼は口籠って、語尾を弱める。赤い唇は震えている。先程までの気の強さが、恐怖で染まる。何かを思い出したように、棗は歯を食いしばって、上半身を起こした。
「ハラヤさんは、大人なんでしょ」
よろめきながら、彼は僕に向かって歩く。ポタポタと足元に、赤っぽい透明な液体が落ちる。塩気を含んだ血漿の香りが鼻についた。
「ドアを開けてほしいんだ。僕と真昼じゃ、力が足りなくて、開かなかった」
そう声を震わせながら、棗は僕の手首のガムテープを剥がす。覚束ない手で、チマチマと肌から粘着面を剥ぐ。
「真昼というのは、一緒にいた奴か。今は」
「死んだ。ハラヤさんがここに入れられた時、入れ替わりで意識が無くなった。僕より前からいたから、病気にかかってたんだと思う。アイツは―――—あの男は、真昼をバラバラにして、外に捨てるって、出て行ったんだ。今ならドアさえ開けば出られる」
淡々と、感情を殺して棗は語る。彼が顔を向けた先には、部屋と外を繋ぐ、戸があった。見た目には簡単に開きそうに見える、簡素なものだった。
「アイツは、ドアの前に何か重たい物を置いてるんだ。僕達じゃ動かせもしなかった。真昼は二人なら出来るって、無理をして、傷が開いて、それで、弱って」
「うるさい。もう良い。わかった」
殺しきれなかった感情を露出させる棗の顔を、掴む。ウッと口を噤んだ彼と目を合わせ、僕は痛む喉をもう片方の手で摩った。
「新原さんが返ってくる前に、どうにかする」
「――――どうにかするって、何を?」
突然、聞き覚えのある声が、扉の向こうから聞こえた。ズリと重みのある何かが、廊下を滑る。そうして、ドアはすんなりと開いた。そこにいたのは、紛れもなく新原その人だった。
「駄目だよ棗君。私、大人しくしててねって言ったよね。何で言うことが聞けないのかな。悪い子だね」
新原は怯える棗に迫った。横から見るその喉には、僅かに発達した喉仏があった。よく見れば、肩や腰の張りが、男性的であった。
そんな新原から逃げるように、棗は床を這う。
「ごめんなさいごめんなさい」
棗の言葉を聞いていないのか、新原は鼻歌を交えながら、その髪を掴む。そして、彼の頭を僕のすぐ隣の壁に叩きつけた。壁に棗の血が擦りつく。
「ごめんなさいね、煩くて。七竈君は大人だから、落ち着いてるね」
ピクピクと動く棗の指を見る。語りかける新原に、目を移した。彼はにっこりと、僕を見下した。
「この子はまだ
少々、困ったように彼女は首を傾げた。するりと新原のズボンの横から、銀色の立ち鋏が現れる。彼は右手で何度か動きを確かめた後、僕の腹を蹴りつけた。
壁と足に挟まれた肺が、ガス交換を拒んだ。四肢の動きが、たったそれだけのことで封じられた。
「でも、七竈君も早く取ってあげないとね。このままじゃ君もどんどん、男になっちゃう」
彼はそう言って、僕の腰に手をかけた。
「私みたいにならないように、私が手伝ってあげるね」
ずるずると僕の身につけていた布を取り払っていく。手と足の先に、血が集まるのが分かった。鋏の刃が脹脛に触れて、ひんやりと氷を当てたようだった。
全てが取り払われ、新原が僕の腰の皮膚を撫でる。そうして、彼の厚く赤い口紅が動いた。
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