第24話

「右から順に、今はゴミ袋の中に入ってるのが三人、四人目は一部がベランダに放置されていて、大半は鍋と誰かの腹の中。最後の五人目と六人目は辛うじて生きてるわね」


 ―――—まあ、どちらにせよ、皆死ぬんでしょうけど。

 淡々と霧子は語る。猟奇的な風景を、日常的な単語で修飾した。彼女は水を一口含んだ。それを皮切りに、小清水が口を開いた。


「それ、警察に言いましょうよ。まだ二人は生きてるんでしょう。なら、すぐに警察が動けば、生きて助――――」


 突発的に、空気が震える。それは、霧子が机の上にガラスコップを勢いよく叩きつけた音だった。彼女は怒りに満ちた表情をしていた。


「考えのない男ね」


 吐き捨て、霧子は立ち上がる。下唇を噛みながら、彼女は小清水を見下ろした。


「信用と世間のことを考えなさい。私達は未理解の範疇に生きてる。けれど、大半の人間はニュートンとガリレオを信仰して、私達が見ているものの対岸の、科学という宗教に生きてる」


 霧子は溜息と共にその場から去る。その背を小清水が止めようとしたが、僕がその手を掴んで落とした。


「今のはお前が悪い。頭を冷やせ」

「でも」

「ちょっと前まで、僕だって霊やそういう現象を信じてなかった。一般人、なにより警察となれば一段と信じてくれる人間なんていないだろう。僕の夢も、霧子さんが見えているものも、信用してもらえるものじゃないんだよ」


 人間が全て小清水のように、現実の殆どを受け入れられるようになってはいない。彼は体質以上に精神が特異なのだ。見えないものを手軽に信用する。僕を勝手に信じている。


「もう、帰ろう。事件と僕の夢が繋がっているなら、きっと早くにこの夢は終わる。派手な事件程証拠は多い。警察もすぐに子供達を見つけるだろう」


 僕達に出来ることはない。

 台風のようなものだ、過ぎるのを待つだけで良い。


 そう言う他なかった。今までになく小清水はショックを受けているように見えた。食器を戻す間も、ただ茫然と僕の後ろにいた。

 そうして、食堂を出て、僕達は外の喫煙所で煙を飲む。


「あ、そうだ、前に一本貰った分」


 煙草を一本、僕は小清水の前に差し出す。既に自前の一本を吸い切っていた彼は、吸い殻を灰皿に擦りつけながら、苦く笑った。


「いや良いよ。お前の吸ってるやつ、好みじゃないし」


 手でシッシと返されて、僕はその一本を箱に戻した。とんとんと箱の頭を叩いていると、ズボンが震えた。ポケットの中を探って、なり続けるスマホを取り出す。


「誰だろ。また学生課か」


 画面にはまた、知らない番号が表示されている。僕は通話を了承し、耳に画面を押しあてた。


「あ、七竈ハラヤさんの電話でよろしかったでしょうか」


 つい数時間前に聞いた声だった。ただ、電波を介して、ガサガサと質は悪く聞こえた。

 僕がはい、と返すと、その女――新原さんの声が弾む。


「学生課の新原です。良かった、ごめんなさいね。何度も」

「いえ、まだ何かありましたか」

「あのね、学生証以外にもう一つあって。学内で見つかったんだけど、貴方の書いたレポートじゃないかって」

「……レポート、ですか」

「ほら、貴方、韮井先生の短期集中講座で、病欠の分をレポートで補ったって。あ、成績処理のお話の時に、韮井先生に聞いたのよ。それで、そのレポートっぽいものが落とし物で届いているの。ただ、表紙がコーヒーで汚れてて……」


 次第に弱々しくなっていく語尾に、その焦り様を感じる。


「拾得物は事務の建物から持ち出しが禁止されてるから、七竈君には確認に来てもらいたいの。もしも成績処理がまだなら、曖昧にしていると単位取得に影響が出ちゃうでしょ」


 何処か、脅しにも聞こえる文言に、僕は首を捻る。学生が提出したレポートにコーヒーを零すような、そんな先生だったかと、妙な引っかかりを感じた。それでも、おろおろと困惑を見せる彼女に、応える以外に何も無かった。


「良いですよ。学生課に行けばいいんですか」

「ううん。学生課の裏にお願い。保管庫がそっちにあるから」


 僕は、わかりましたと呟いて、通話を切る。ふと顔を上げると、小清水が二本目を咥えて待っていた。


「終わったのか」

「うん。韮井先生に出したレポが落とし物で届けられたかもしれないって。確認に来いとさ」


 そうか、と小清水は煙草に火をつける。どうやらこいつは、このままここで煙草を吸い続けて、待っているつもりらしい。


「僕は新原さんと確認が終わったら、そのままアパートに帰る。お前もこのまま帰ってくれ」

「それなら、俺も着いて行くよ」

「断る。お前、自分が思ってる以上に、顔色が悪いぞ。どうせ一時間もかからない。それくらいなら離れても良いだろう」


 小清水の眉間に皺が寄った。僕は自分の鞄を彼に投げ付けた。


「本当に、僕もすぐに帰るよ。それを預かっててくれ。アパートで受け取るから」


 僕の言葉に、小清水が溜息を吐いた。呆れと困惑が二重で口から漏れている。彼はわかったよ、と諦めを呟いて、煙草の灰を落とした。

 そんな小清水の姿を確かめて、僕は身軽なまま学生課に急いだ。

 歩いた道を遡る。あの、息切れを誘導する急な坂が見えた。その視界の端に、新原さんの姿を見る。彼女は室内で着ていたカーディガンを手に持ち、僕に手を振った。


「ごめんね。わざわざ来てもらって」

「大丈夫ですよ。僕も単位習得がかかってるかもしれないですし」


 そうだね、と新原さんが笑う。彼女は僕と顔を合わせて言った。


「正面の坂を上るの、辛いでしょう。少し回り道になるけど、緩い坂で裏に回れるの。案内するね」


 彼女はそうして、近くにあった小道に入る。雑草が簡単に分けられた、本当に小さな道だった。道とほぼ同じ幅で、荷台の車輪痕があった。ぐんぐんと遠ざかっていく彼女を追って、自然と足が動く。

 木々に遮られて、夏の光が薄れている。風が通ると、少し肌寒くも感じた。ふと、前を歩く新原さんの足元に目が行く。何か布がその足に重なるように見えた。黒々としたものが揺れている。目を凝らす。それは、新原さんの足を掴もうと、必死に藻掻くような、小さな手だった。

 僕は足を止めた。それに気づいた新原さんが振り返る。


「どうしたの七竈君。虫でもいたのかしら」


 彼女は屈託なく笑う。僕に顔を近づける。彼女の首筋から、シトラスと血の混じった、癖のある匂いがした。


「七竈君」


 呆然としている僕の顔に、彼女は手を添えようとした。僕がそれを避けようと仰け反ると、バサりと何かが風を受ける音がした。そうして、視界がベージュに染まる。顔に、毛糸が触れる。それは間違いなく、新原さんのカーディガンだった。

 僕は後ろによろめいて、背中を土に打ち付けた。そうして一秒も経たない内に、首の動脈が素早く狭められる。


「七竈君は可愛いね。二十一歳だっけ。なら、合法だね」


 新原さんのそんな囁きが聞こえた。女性とは思えない力で、僕は酸素循環を遮断される。

 そして、視界が黒く歪んで、何もわからなくなった。

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