第23話

 約二時間後、僕達は無事にそれぞれの教科書を買い、鞄に詰めていた。今日の予定には無かった買い物は、僕の鞄の容量を超えていた。閉まらないチャックを笑いながら、隣では小清水がスマホを操作していた。指の動きを見るに、どうやら誰かと連絡しているらしい。


「食堂に行こう。昼奢るよ」


 突然、小清水は僕を窺うように言った。彼の眼鏡に、僕の目が映る。僕は自分を覗くようにして、一度、目を瞑った。


「別にそんなに気を使わなくて良い。どうせ、この手の夢について、ご意見ありそうな奴でも呼んだんだろ。例えば、葬儀屋、とか」


 会うにあたって、僕が一番渋りそうな相手と言えば、それしかない。加えて、僕の夢や和泉に明確な「名称」を付けたのは、彼女達だけだ。

 地に目を伏せる僕を見て、小清水は後頭部を掻く。彼は少し不思議そうに唸った。


「いや、流れであの人達にも合わないとかもだけど……俺も出来ればあそこには行きたくないし、雰囲気的にも行きたがらないと思う」

「あの人?」


 思わず、そう口にしてしまった。葬儀屋の連中ではない。とすると、僕の中に選択肢は一つだけだった。


「霧子さん。あの人だったら、お前も少し話しやすそうだったから」


 嫌か、と再度、小清水は首を傾げた。


「韮井先生と似てて、俺はお前と合うかと思ったんだけど」

「……まあ、お前にしては良い判断だと思う」


 僕が渋々答えると、一気に小清水の顔が明るくなった。その表情の違いに、胃がキリキリと痛む。

 足取りが軽くなったのか、再び小清水は僕を置いて売店から出た。まだ閉まらない鞄の口を、僕は無理に封じる。そして直ぐに、肩への重みに歯を食いしばって、足を前に出した。振り返っている小清水に追いつき、その尻を蹴り上げる。彼はそれを軽々と避けて、すまんと笑った。


 歩いて、歩いて、辿り着いたのは、一度は見上げた白い箱。梅ケ谷大学附属病院と長ったらしく書かれた五階建てのそれは、僕の脳を揺すった。

 目の前に薄っすらと、黒い長髪が水滴を垂らすのが見えた。幻覚を振り切って、僕はスマホを見ている小清水に一歩、身を寄せた。


「霧子さん、もう食堂にいるって」


 軽やかに彼はそう言って、病院の自動扉を抜ける。どうやら小清水が言う「食堂」とは、病院内にある、あの広々とした食堂だったらしい。どうも学生食堂にしては、遠いと思ったわけだった。平日の人気の多い病院の廊下を歩く。すると、一際賑やかな空間へと近づく。院内食堂は職員や患者でそこそこ席が埋まっていた。僕達は霧子が何処にいるのかもわからないまま、券売機に向かう。短めの列の最後尾で、昼食を決める。僕は券売機の上に貼られた写真を見つめた。小清水が列の先頭になってすぐ、僕はその隣を陣取る。五千円札が機械に吸い込まれていく。僕はすかさず特盛カツカレーのボタンを押した。


「奢りって言ってたもんな」


 僕が下から歯を見せると、小清水はやりやがったなと、喉を鳴らした。苦笑しつつも、彼は大人しく自分の分のボタンを押した。指先が触れていたのはハムカツ定食という文字だった。

 二人で食券の番号を待って、受け取り場所をうろつく。そのうち、見覚えのある髪を見つけた。以前見た時よりも毛先はパサつき、痛んでいるように見えた。


「霧子さん」


 僕がそう声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。眠れぬ夜を過ごした者特有の深い隈。親近感のあるそれが、極めて美しい彼女の近寄りがたさを和らげている。人間味を帯びた彼女は、僕と目を合わせるや否や、軽快に舌を打った。そうして、番号が呼ばれたのか、霧子は僕たち二人から目を反らした。再び、食事プレートを持って、こちらに迫る。


「深夜勤明けに呼ばれて来てみたら、何よ、前より元気そうじゃない」


 皿の上の肉に、ソースを大量にかけながら彼女はそう言った。声に混じるノイズも酷い。


「すみません、突然」


 小清水が困ったように笑いかける。すると、霧子はセルフサービスのフォークを取って、小清水に向けた。


「話は聞くから早くアンタ達も来なさい」


 彼女は溜息を吐きながら、一つのテーブルに荷を下ろした。僕達も番号を呼ばれて、急いで彼女を追った。霧子の正面に座ると、彼女はジロジロと僕の上半身を観察する。


「今度はどんな夢を」


 僅かに僕と目を合わせ、霧子が言った。


「うちの冷凍庫に、少年が入ってたんです」


 フォークを動かし続けながら、彼女は僕の夢物語を聞いていた。途中、まな板の上にあった肉のことを話していると、手が止めて眉間に皺を寄せていた。隣にいた小清水は、僕が語り続けるうちに、顔を青くし、ついには口を手で押さえていた。


「と、いう夢だったんです」


 僕が話し終えると、霧子は僕をつまらなそうな目で見ていた。皿の中にあった肉やスパゲッティは消えていた。


「それは私にもアンタにもどうこう出来る話じゃないわね。葬儀屋とも違うわ」


 彼女はそう言って、コップの水を飲み干す。


「つまり、貴方にはどういう夢なのかわかってるんですか」


 小清水が霧子に体を向ける。ゲップを押さえながら、彼女は手の中で口を動かした。


「最近、この近辺で男子小中学生の失踪事件が起きてるのよ」


 霧子の言葉に合わせるように、食堂のテレビから昼のニュースが流れる。それと同時に、子供の写真が映った。アナウンサーが淡々と、消えた彼等の名をなぞる。


「ほぼ全員死んでるわ。ここの近くの、高級マンションの一室で」


 無情にも霧子は、アナウンサーの生存への祈りを斬り捨てた。チラリと横目に見た子供の顔の一つに、僕は夢の記憶を重ねた。

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