アムリタは森の中を疾走していた。考えるよりも早く体が反応していたのだ。


(森の境界を侵してしまったな。まあ、それは後で考えようか。今は異変の正体を見極めることだ)


 足下の悪い中をまるで舗装された道かのように駆け抜け、彼女が辿り着いたところには薙ぎ倒された木々と見上げるほどの巨躯を持つ漆黒の熊であった。


巨闇熊エボニアベア!? こんなものが発生するのか、この森は?!」


 “森林の破壊者”の名で恐れられる強力かつ凶暴な魔獣アビトである。元々凶暴なことで知られる猛獣である黒熊メラスベアが魔力暴走を起こして異常成長した存在で、暴走する魔力に振り回されて自己制御が出来ず周囲を破壊し尽くすまで暴れるのだ。


「巨闇熊は魔力を無制御で放出しているから、動きを誘導しながら魔力が尽きて息絶えるのを待つのが定石だけど―――こいつは内蔵魔力が普通じゃないな」


 アムリタは巨闇熊から放たれる魔力と本体から感じる魔力を感じ取り分析する。普通に考えれば巨体の維持と大木すら簡単に破壊する膂力を発揮させるだけの魔力を放出していれば変異から丸一日が限度だ。だが目の前の巨闇熊本体から感じられる魔力は減っている感じがしない。それだけ内包している魔力量が膨大ということで、どれだけの期間暴れるか予測が出来ないのだ。


「――連樹の境をこえてしまったのか、外の者。見過ごすわけには行かないが、先に解決すべきは魔獣だ」


 戦うことを決めたアムリタに樹上から声をかけたのは兎人族ラビティスのコトムであった。


「境界を侵してしまったことは謝る。だけど、この魔獣は見過ごせなかったんだ」


 そう言うと、アムリタは抜刀したエスタに魔力を流して斬りかかった。目で追うことすら出来ない素早い踏み込みから刀を一閃。だが、鉄より硬い魔動像モビルすらたやすく斬り捨てる彼女の斬撃が、膨大な魔力によって強化された肉体に食い止められていた。


「放射魔力で刀の魔力が乱される・・・。でも、魔力なしで斬るにはこの肉体強度は厳しいな」


 反撃を受ける前に距離を取ったアムリタは苦い表情を浮かべた。


 魔力による強化により硬度を補うことで斬撃を徹しやすくなる。そこに彼女自身の技量が合わさって初めて鋼鉄を斬るという離れ業が可能となるのだが、その技は繊細なものなのだ。刀に纏わせた魔力が乱されると刃も微妙に乱れるし、そうなると斬撃の威力は著しく落ちてしまうのだ。


「でも、私の魔法じゃあの魔力放射を貫けないし」


 並の魔法士アーティストより魔法の扱いは上手いと自負する彼女だが、そのれでも自身の魔法では目の前の巨闇熊が放つ魔力の圧が形成する防御圏を突破できないことを悟っていた。


「外の者よ、こうすれば良い」


 コトムがそう言うや素早く構えたナイフを投てきする。そのナイフが魔力を纏っているのは見て取れた。魔力放射の圧と魔力で強化された肉体に弾かれてしまうだろうと思ったそのナイフは、しかし全くブレることもなく魔獣の右肩に突き立ったのだった。


「―――そういうことか。でも、まずは魔獣を仕留める」


 一連の出来事である事に気付いたものの、今はそれを飲み込み刀を構え、纏わせた魔力を調整する。切っ先へ集中させ、さらに尖鋭化させていくのだ。


「フッ」


 ナイフが刺さった痛みで暴れていた巨闇熊が怒りに満ちた形相で突進してくるのをサイドステップで避けると同時に踏み込んで突きを放った。脇腹から肺に届く手応えを感じると同時に刀身に纏わせていた魔力を撃ち出す。切っ先からの魔力射撃というのは正直苦手としていた彼女だが、思った以上にキレイに撃ち出された魔力は刀身がそのまま延長したように巨闇熊の体内を貫きそのまま心臓に達した。


「見事だ、外の者」


「あなたのお陰だよ、ソーマ」


 倒れ伏す魔獣から刀を回収したアムリタがコトムに振り返って言った。


「あ、やっぱりバレたか。まあ、獣人族であの魔力制御はないもんな」


 そう人族の言葉で返すと、兎人族の姿がぼやけて崩れる。その後から現れたのは人族の青年であった。装備も毛皮に多少手を加えた程度だったものから黒耀獣オブディスアニマの甲殻と銀月狼ムーンウルフの毛皮を組み合わせたジャケットを羽織ったものに変わっている。他に防具らしいものは着けていないように見えるが、手袋とブーツはジャケット同様に銀月狼の毛皮を加工したものだし、服の上下は含魔鉱フォースタイトを繊維加工したもので編まれた一種の魔法具なのだ。


「それより、なんで獣人族の姿をしていた――かは何となくわかるけど、急にこの森へ来ようと思ったんだ?」


「ちょっと思いついた魔法具を創るのに必要な素材を調達しにな。お陰で、ここで手に入るものはそろえられたかな」


 満足そうな笑みを浮かべてそう言うと、ソーマは小石ほどの大きさの結晶を取り出した。


「おまえ、さっきの戦闘で“クリムゾン”にならなかっただろ? 魔法触媒がなくなったんなら仕方ないが、ケチるのは駄目だぞ」


 そう。彼が取り出したのはアムリタが買い求めるつもりだった魔法触媒となる結晶だったのだ。アムリタも相手の力量を見誤っていたのは事実のため素直に反省する。


「甘く見たつもりじゃなかったけど、想定したより強かった。もっと正しく見極められるように精進するよ」


 そう答えながら、アムリタは結晶を受け取る。


「それじゃ、さっさと森を出るか。さっきの戦闘を察知した連中が来る前に逃げないと面倒なことになるからな」


「あ、そうだな。じゃあ、急ごう」


 ソーマの言葉にうなずき、ともに全速力でその場を離れた。



 その後、戦闘跡地に派遣された『兎人族のコトム』により巨闇熊の骸が報告されて軽い騒ぎになったのだが、それは二人には与り知らぬことであった。




「おお。ほんと、お前が勧める店は大当たりばっかりだよな」


 アムリタとともに森を後にして最寄りの街へとやってきたソーマは、彼女が選んだ酒場で灰色兎グレイラビットの塩焼きと独特の香りが鼻を衝く香草酒を口にして大いに快哉をあげた。


「そこまで喜んでくれるとこっちも嬉しくなるが、あんたがアムリタさんの『森へ行く目的』だったってことかい?」


 酒場の主-ソウレがアムリタの注文したゴウレ茸と鈴鳴きベルバードのシチューを持ってきたついでにそう尋ねた。


「そうだよ。この人――ソーマを探していたんだ。いつも突然の思いつきでフラッといなくなるし、追いついたと思っても変に意表を突こうとしてくるから困るんだけどな」


 シチューを受け取りながらアムリタが答える。


「おい兄ちゃん、こんだけ想われてんだからもっと嬢ちゃんを大事にしてやれよ?」


 余計なお世話と思いつつも一言釘を刺すソウレにソーマが心外だという顔を向ける。


「いやいや。俺ほどこいつを大事にしている人間はいないぞ?」


「どの口が言ってるんだよ、ソーマ・・・。まあ、いきなりいなくなる割に、本当に私が困っている時には必ず駆けつけて助けてくれるからいいけど」


「どこにいてもちゃんとお前のことを見守ってるって証拠だよ」


「まあ、そういうことにしておくよ」


 そんなやりとりをする二人を見て、「尻が痒くならぁ」とばかりにボリボリ尻を掻きながらソウレはカウンターへと戻っていった。


「そういえば森に行く前にこの街へ立ち寄った時、街中で魔邪族ダーヴィンと戦ったんだ。何か企んでいたみたいだったけど、聞き出そうとしたら逃げられるかもしれない状況だったから倒すことを優先したんだけどな・・・・・・」


 ふと思い出した魔邪族の存在を彼女はソーマに話した。


「倒したことは正解だろ。どういう計画であれ、逃げられたら進められてしまっただろうしな。だが、すでにその魔邪族自身の手を離れる程度に進行しているようならヤバいかもしれないし――ちょっと調べてみるか」


「そうだよね。私も協力するから、一緒に魔邪族の企みを潰そう」


 そういうと、アムリタはシチューを口に運ぶペースを速める。その様子を見守るように眺めながら、ソーマも自身の食事を食べ進める。



 食事を終え、魔邪族の企みを調べ始めた二人。たどり着く真相とはいかなるものなのか?



 世界はまだ、動き出す時を待っている―――――――――――――――――


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紅の剣匠 ~Crimson Sword master~ Fの導師 @facton

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