翌日、アムリタは街を後にして一路、東へ向かって歩いていた。森からの遣い人サーヴが通ることで出来た道は、思いのほか歩きやすいものであった。


「魔法で整備しているのか? まあ、歩きやすくて助かるけど」


 そんな感想を呟きながらも歩き続け、昼頃までの行程は順調であった。休憩のために道沿いに腰を下ろせそうな場所を探し、手頃な大きな石を見つけて座る。背負っていた荷物を下ろし、塩気の強い干し肉の塊と甘酸っぱいドライフルーツを二つ取り出す。


「今の季節ならしばらく雨は降らないと思うけど、急変して降り出したら嫌だな・・・・・・」


 まばらな雲が浮かぶ青空を見上げながらそう言うと、一口分削り出した干し肉を口に放り込み、水袋の水を一口含んで咀嚼する。汗で失われた水分と塩分が染みこむような感覚に小さく息を吐いた。


「森までは見通しの良い開けた道が続くから不意の襲撃は受けにくいと思うけど、たまに森の方からはぐれた魔物アビトがこっちに来ることがあるって話だから油断できないし」


 ドライフルーツの甘味と酸味で疲労回復を図ると、再度水で喉を潤してから立ち上がる。


「まだまだ先は長いんだ。あんまりのんびりとはしていられないな」

 そう言うと、アムリタは森に向かっての旅を再開した。


 旅の二日目もそろそろ日が暮れ始めた時間。アムリタは完全に日が暮れてしまう前に野営の準備を始めた。


「昨日もだけど、こういう場所って現地調達が出来ないから面倒くさいんだよな」


 そうぼやきながら彼女は右手の魔法紋クレストに魔力を集中させる。


「我が紋に刻まれし理に従い、生まれよ炎」


 詠唱とともにかざした手のひらの先に一抱えほどの大きさの炎の塊が生まれる。それは自然に降下し、真下にあったむき出しの地面に着地した。


「とりあえず朝までは保つくらいの魔力は込めたから火の方は大丈夫か。あとは水の用意をしないとな。それじゃ―――」


 込めた魔力を燃料に燃え続ける≪持続炎コンティニュアル・フレイム≫の魔法を使って火を確保したアムリタは、続けていくつかの魔法を使った。


「我が紋に刻まれし理に従い、変じよ大地、土は石に、生まれよ水」


 ≪大地変化シェイプ・アース≫で地面を桶状に隆起させ、≪石化メイク・ストーン≫で隆起させた土の桶を石に変え、≪水作成クリエイト・ウォーター≫で水を満たす。


「あとは≪温度操作コントロール・テンプレイチャー≫でお湯にしたらいいかな」


 そう言うと、詠唱を行い石桶に溜めた水を加熱する。その湯で削った干し肉と香草代わりの薬草を入れたスープを作り、切り出したチーズ片を≪持続炎≫であぶったものと合わせて夕食とした。


 食事も終え、夜も更けてきたところで身体を休める準備を始めた。


「我が紋に刻まれし理に従い、不可視の護りを」


 ≪不可視の円蓋インビジブル・ドーム≫の魔法が唱えられるとサッと見渡せる範囲を魔力で覆うドームが形成された。境界となる魔力に生き物が触れると使用者に知らせる魔法を設置すると、火のそばで身体を丸めて座り寝始める。


 まどろみ始めて幾ばくか過ぎた頃、アムリタは魔法の反応を受けて目を覚ました。反応の感触から対象は大型の獣であろうと推察する。大柄な成人男性並の体高をもつ四足獣がゆっくりとした足取りで向かってくる反応に、彼女は素早く臨戦態勢を整えた。


剣牙狼ソードウルフ? 群れで動く狼系の魔物が単体で行動しているなんてな」


 エスタを抜き放ちながら炎に照らし出された相手の姿を見て呟く。


 魔獣は動植物が内蔵魔力を暴走させた結果として生まれたとされるモノを種の起源とし、繁殖して数を増やした存在である。基となった動植物から様々な面で強化されているが、同時に基となった動植物の特性も概ね引き継いでいることが多いのだ。目の前の剣牙狼は群れで狩りをする狼の特性を受け継いでいることはそれなりに知られている。その剣牙狼が単独で姿を現すということは極めて稀なことなのだ。伏兵として隠れている群れがいないことは魔力の反応でわかっている。


「群れのボス争いで負けてはぐれになった・・・にしては怪我もないな。だとすると、やっぱりあっちの理由か?」


 群れからはぐれる理由として一番のものは先に挙げたボス争いに負けた場合だが、もう一つの――より危険な理由として知られるのが「個体として強すぎて群れに収まりきれなくなった」場合である。この場合、突然変異レベルで内蔵魔力が増幅されており、それに伴い魔獣としての強化特性も増幅されるのだ。


「刀身のような牙が金属質の光沢をもってる。なら、強化個体ってことで決定だ」


 右手の魔法紋から刀に魔力を伝播させて紅い輝きをまとわせながら、アムリタは慎重に間合いを測る。


 先に動いたのは剣牙狼であった。一瞬の溜めから己が体三つ分ほどの距離を跳び越えると、大きく首を振り上げてから剣の如く長く鋭い牙を振り下ろす。しかしアムリタは素早く位置を変えて避けていた。


「やっぱり魔獣は厄介だ。俊敏さも筋力もこちらを上回ってるし、単純に大きいから対処法が限られるし・・・・・・」


 そう口に出しながら斬り込むタイミングを見定めようとするアムリタへ、再び剣牙狼が跳ぶ。先の水平に近い跳躍ではなく高々と跳び上がった剣牙狼は、落下しながら全身のバネを使って大きく縦回転した。そんな大きな動きの攻撃を受けるほど悠長に構えるわけもなく、横へステップして軸を外すことで難なく避ける。


 着地の時に隙が生まれた剣牙狼に魔力をまとわせた刀を素早く突き込んだ。その切っ先は狙いあやまたず、首を貫く。だが、魔獣特有の生命力でもって全力で暴れだしたため、首に刀を刺したままでアムリタは飛びすさるしかなかった。


「あの出血ならじきに死ぬと思うけど、それまで暴れられるのは勘弁だな」


 おびただしい血を首から流し続ける剣牙狼に右手をかざし、アムリタは魔法を唱えた。


「我が紋に刻まれし理に従い、奔れ雷」


 詠唱の直後に雷光が放たれ、剣牙狼の首に突き立つ刀へと導かれるように直撃する。刀身を伝い体内に流れ込んだ雷撃に灼かれ、さすがの魔獣も絶命したのだった。


「素早い魔獣には速度に優れた魔法がいいと思って≪雷撃サンダー・ストライク≫にしたんだけど、刀に引き寄せられるなんて知らなかったな・・・・・・」


 刀を奪われるということが今までなかったために気づくことはなかったが、雷系の魔法はどうやら刀――いや、金属に引き寄せられる特性があると知れたのは収穫であった。


「上手く体内だけを焼けたから、剣牙がキレイに残ったな」


 外部がほぼ無傷な剣牙狼の死体を見てそういうと、首に刺さる刀を抜いて一対の剣牙をキレイにくり抜いた。ここまで無傷の剣牙は稀である。素材の買い取りに出せば通常の倍以上の値が付くだろうということは確実なのだ。


「さて、と。まだ朝まで時間があるし、もう少しくらい寝よう」


 そういうと、アムリタは剣牙狼の死体に手をかざした。


「我が紋に刻まれし理に従い、還れ土へ」


 放たれた魔力に包まれると、あっという間に死体が分解されて土へと還っていった。それを見届けると、最初に寝ていた場所に戻り身体を丸めるように座り眠りなおすのだった。



 街を出て三日後の昼過ぎに、アムリタは目的地である妖精族アルフィスの大森林の外縁に到着した。


「ようやく着いた。この森のどこかにあの人がいるはずだ」


 そびえる木々を見上げながらそういうと、森に向かい踏み出す。


 木々の密度は外縁にもかかわらずかなりのもので、木漏れ日もまばらで薄暗く視界も悪い。さらに足下も堆積した腐葉土と丈のある下生えのために歩きにくいのだ。そんな悪条件の中、しかしアムリタはいささかのためらいもなく歩を進めていく。


「外縁部にいてくれれば助かるんだけど、あの人のことだからな・・・。獣人族ビスティスやそれこそ妖精族の集落まで行っちゃってるかもしれないよな」


 探し人の性格を思い出し、思わず手で顔を覆う。自由奔放というか、興味が湧いたらふらりと姿を消してしまうような人物だ。ともに旅をする冒険者仲間ワンダリング・パーティーのはずなのだが、姿を消した相手を探して一人で旅をする時間の方が多いのではなかろうか。


 しばらくさまよい歩き、アムリタはおもむろに足を止めた。森に入って程なくからずっと感じていた気配も同時に動きを止めたことで彼女は確信を持って振り返る。


「別に森へ危害を加えるつもりはないよ。何かそちらの決まり事に触れてしまったのなら謝るけど、出来れば人捜しを続けさせて欲しい」


 その言葉に応えるように姿を現したのは直立した獣のような姿の者達であった。


「獣人族――兎人族ラビティスかな?」


「黒毛氏族、流れ耳のコトム。外の者よ、連樹の境を越えてはいけない。退くがいい」


 コトムと名乗った獣人族の言葉は警告だった。表情から感情を読み取りにくい獣人族だが、怒りや嫌悪は口調からは見て取れない。警告というよりも忠告というほうが正しいかもしれない。


「・・・・・・確かにこの先は樹木の種類が違う気がする。あっち側に行っちゃいけないのか?」


 獣人族の言葉でそう聞き返すと、コトムはうなずいた。


「その先は森の住人の領域。森の外の者は立ち入ることは許されない」


 コトムの言葉にアムリタは思案する。その土地の者以外の立ち入りを制限するということはよく聞く話だ。その土地その土地で住まう者達の事情が絡むため安易に考えてはいけない。しかし、彼女の探し人はきっとこの奥へと進んでいるという確信があった。


「最近、他の人族が来なかったか? 私が探している人かもしれないんだ」


「私はお前しか知らない。だが、森の外のニオイがかすかに残っている」


 そう答え、コトムが指差したのは森の奥を避ける迂回路の方であった。それは彼女にとっては意外な事実であった。


(・・・まさかとは思うけど、偽装して奥に向かったとか? それとも、あの人じゃないってだけ?)


「ありがとう。あと、もう一つだけ。私が立ち入ってもいい、物のやり取りが出来る集落とかないか?」


 探し人の件はいったん保留とし、魔法触媒などの売買ができる場所を尋ねることにした。だが、その返答は「否」であった。


(まあ、そうだよな。外とは必要最小限の接触しかしない、閉鎖的って言ってもいい様相だし。魔法触媒は諦めるか・・・・・・)


 残念に思いつつも割り切りをつけ、アムリタは別れを告げてその場を離れた。向かうのはコトムが指し示した方向。植生の変化に気をつけながら境界を侵さないようにしてギリギリのところを探していく。


「――言われて調べると気づくな。確かに他とちょっと違う痕跡が残ってる」


 先ほどまでなら意識から外れ気づけなかったであろう痕跡の違いに気づけたことで、改めて彼女はこの森にいるのが目当ての探し人ではないと確信した。


「あの人はこんな痕跡、残さないし・・・。こっちのことを撒いて楽しんでるんじゃって思うよ」


 空振りであったという思いは強い。目的の人物はおらず、消費してしまった魔法触媒の補充もできなかった。間違いなく得た物が何もない探索行である。ただ気がかりなこともある。


「街で聞いた話が事実なら、私以外にここを目指した人はいないはず。街を経由せずに旅ができて、しかもこの森に踏み込める力量がある・・・・・・人族ユマニスだとしたら私が知っている限りだとかなり絞られるな」


 そう呟く彼女の脳裏には何人かの顔が浮かぶ。ただ、その大半があまり関わりたくない部類の人間だというのが問題だった。


「・・・まあ、あの辺りはこの森に用事があるとは思えないし、そもそも森の決まりを気にする動きなんてしないだろ」


 この場で遭遇したくないと考えた者達のことを思い返し、痕跡の主には該当しないと断じた。自由奔放――というより傍若無人な者達なのだからこの程度の痕跡で済むわけもないし、入るなと言われたら余計に森の奥を目指すだろう。


「そうなると誰だろう。私の知らない、実力のある冒険者ワンダラーとかだったら会ってみたいな」


 痕跡を辿りながらそんなことを考えた彼女の耳に、下生えを踏みしめる音が届いた。


「ん? 何でこんなところに女が一人でいるんだ?」


 木々の影から姿を現したのは人族の男だった。青年という年齢だろうか、使い込まれた様子の装備と隙のない身のこなしが熟練さを感じさせる。


「私はアムリタ、冒険者だ。ここには人を探してきたんだ。そっちは?」


「俺はルド。同業者だな。依頼を受けてこの森に来た」


 ルドと名乗った青年はアムリタを胡散臭そうに見やる。このような辺境とも言える場所に人を探しに来たなどと冗談にしか聞こえない。


「・・・そういう反応になるのはわかるよ。探している相手も冒険者で、突然思いつきでフラッと姿を消すから。まあ、この森にはいないみたいだから今回は空振りだったんだけど」


「どんな奴だよ、そいつは。というより、なんでそんな奴探し歩いてんだよおまえは」


 ルドの言葉は今まで彼女自身が何度も自問自答してきたことだ。その答えは今ここにいることが示しているが。


「まあ、物好きなことはわかった。ああ、そうだ。あんたポルメリ草って見てないか? 外縁部をそれなりに見て回ったんだが見つからなくてな」


「乾燥ものでもいいなら持ってるよ? あと、西に三日ほど行ったところにある街で買える。多分だけど、森からの遣い人から手に入れているみたいだから自生しているのは森の奥の方だと思う」


 アムリタの話を聞いてルドは思い切り顔をしかめた。依頼人の話ではこの森ならどこでも手に入るということであったのだ。あまり知られていない薬草ということで詳細な情報を事前に集められなかったにも関わらず依頼を受けた自分の愚かさにも腹が立つ。だが、有益な情報が得られたのも事実だ。どうせ依頼人が待つ街は遠い。持ち帰るために乾燥処理をすることは普通のことなのだ。


「ある程度の量が欲しいから、俺はその街に行くわ。あんたはどうする? ここはハズレだったんだろ?」


「そうだな。もう少しこの森を見てから次の目的地を――――」


 ルドの問いにアムリタが答えるその言葉を遮るように、轟音が響き渡った。それこそ、巨木がまとめて力尽くで薙ぎ倒されたような。


「・・・・・・音は森の深部から、か。妖精族や獣人族が対処するだろうし、勝手に進入したらそれこそ大問題だろうな」


 気配を伺うように木々を見上げるルドが視線を戻すと、そこにいるはずのアムリタの姿はなかった。


「おいおい・・・マジかよ」


 ルドは呆れ果てた口調で呟くしかなかった。

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