紅の剣匠 ~Crimson Sword master~

Fの導師

 小さな街の唯一の酒場に、一人の少女が入ってきた。


 その出で立ちは白獣ホワイトビーストの硬皮を使った硬鎧ハードアーマー胸背甲バック&ブレストに白く染めた鋼布スチールキルトのショルダーガード、それに蜂蜜猪ハニーボアの皮を使ったショートブーツ。どれも驚くほど高価と言う訳ではないが決して簡単に手に入れられるほど安価でもない。脱いで手に抱えるどこかくたびれたような外套や背負い袋などからして旅人トラベラーの装いだが、武装をしているので傭兵アムズなのだろうか。であれば、あの装備を揃えるだけの稼ぎのある腕利きなのだろう。だが、得物と思われる腰の剣は一般的なロングソードより少し短いうえに細身である。まるで貴族が見栄えと護身用でぶら下げているレイピアのようだ。剣を手に戦うには小柄な少女には似合いかもしれないが、腕利きの傭兵が戦場を渡る相棒とするには心許ないようにも見える。


「よう、嬢ちゃん。傭兵って言うにゃキレイすぎる気がするんだが、一人でうろつくにはここは物騒じゃねえのか?」


 むしろ自分が傭兵だという方が説得力のありそうな鍛えられた大柄な体躯にたっぷりのヒゲをたくわえた男性――この酒場の店主が声をかけた。だが、堂々とカウンター席の、それもこの厳めしい店主と対面する席に座るその態度をみて余計なお世話であったと胸の内で苦笑いを浮かべていた。


「そうか? まあ、盗賊猿ロバーズモンキーの群れに囲まれるよりも危険な状態なるなら考えるけど、この店ってそこまで無法地帯じゃないよね?」


 何の気負いもなくごく当たり前といった様子でそう返した少女に店主は白旗を揚げることにした。


「オーケーだ、嬢ちゃん。俺はこの店の店主で、ソウレってんだ。あんたみたいな凄腕をいつまでも嬢ちゃん呼ばわりもなんだ、名前を教えちゃもらえないか?」


「私か? 私はアムリタ。傭兵というか、冒険者ワンダラーだよ」


 そう名乗ると、少女は軽めの果実酒を頼んだ。注文を受けたソウレは、熟した甘みが特徴のバレトムの実の酒を木のカップに注ぐ。そして自慢の燻製肉の薄切りをツマミに添えて出す。


「ツマミはサービスだ。んで、もし良かったらこの街に来た理由を聞かせちゃくれないか? 正直、この街も近辺にも冒険者の気を引きそうなものなんてねえはずなんだ」


 そう訊かれたアムリタは燻製肉を一口食べ、さらに果実酒を一口飲んでからソウレに視線を向けた。


「この街はただの通過点だ。私の目的地はもっと東の方だよ」


「東だって? この街より東は妖精族アルフィスの大森林だぞ? そんな軽装じゃ森を迂回して行くのは無理だろう?」


 アムリタの言葉にソウレは驚き、呆れた。この街は妖精族の領域である大森林にわずか三日という辺境である。西か南なら人族ユマニスの村や町があるだろうが、東は大森林を何十日とかけて迂回して行かなければ反対側にあるという街には辿り着けないのだ。アムリタはどう見ても数日程度の旅支度としか思えない軽装である。そのような身なりで東に向かうなど自殺行為でしかない。


「妖精族や獣人族ビスティスの遣いサーヴから聞いたんだ、間違いねえよ。悪いこたあ言わねえから、別の方に行きな」


 老婆心から忠告するソウレの言葉にしばし目をまばたかせ、アムリタはとりあえずというように先ほど口をつけた燻製肉の一枚を口に放り込む。じっくりと燻製肉の旨味と香りを堪能し、口に残る脂と塩気を甘めの果実酒で流して一息ついた。


「何も問題ないよ。だって、私の目的地はその森だから」


「いやいや! 全然大丈夫じゃねえだろ!? それっぽっちの荷物であの森に行くとか正気を疑うぞ?!」


 思わず大声を出したソウレにアムリタは目を丸くして驚いた。しかし、彼女自身そうした反応には慣れっこだったのですぐに気を取り直す。


「本当に大丈夫だよ。私は魔法剣士アーツフェンサーだ。それに野外での活動も慣れてるし。森はむしろ色々あって便利なくらいだ」


 そう言いながらアムリタは右手の甲をソウレに向けた。すると、手の甲に淡く光る複雑な紋様が浮かび上がる。


魔法紋クレストか?! 妖精族の遣い人の護衛以外で見たことなかったが、こいつは間違いなく魔法紋だな。いや、あんた俺の想像以上に凄え人だったんだな」


 驚きすぎて疲れた――そんな様子で大きく溜め息をつくと、小さく気合いを入れながら顔を上げる。


「失礼なことを言っちまった詫びだ。飯を食うなら俺がおごってやる。好きなものを頼んでくれ」


 そう言ってソウレはメニューが焼き付けられた木の板を指し示した。小さくとも街であるため、簡単な読み書き計算は出来る者が多いのでこうしたメニュー表が設けられているのだ。これが村であれば文字も読めない計算も出来ないなどざらであるため、相手が振る舞ってくれるものを食べるか場所だけ借りて自分で作るかとなることだってある。


「じゃあ、コポンの実と白芋のシチューとベリーブレッドで。あ、後この果実酒のおかわりも欲しいな」


「おうよ。本気で遠慮しねえのが却って気に入ったぜ! 味に満足したら晩飯は金を払って食いに来てくれよ」


 そう言うと、豪快に笑いながらソウレは調理に向かった。その背を一瞥すると、アムリタは視線を酒が残るカップへ落とす。


「・・・・・・本当にあの森にいるのか? それとも、また空振りなのか・・・?」


 誰にも聞こえないような小さな声でそう呟くと、残った燻製肉を口へ放り込んで果実酒をあおった。




 アムリタは森からの遣い人が訪れる時期から外れていたために部屋が空いていた宿で部屋を取り、改めて街を巡る。


「ドライフルーツやジャーキー、干したハーブ類と。あの森のそばだから薬草とかは良いものがあるけど、魔法触媒の類いは扱ってないか。妖精族とかと交流があるからそういうものも扱う人がいるかと思ったんだけどな」


 一通り見て回っていくつかの消耗品を買い足したものの、手に入れたいと思っていたものがなかったことにガッカリとしていた。


「仕方ない。森に行けば手に入ると思うし、そこまで保たせればなんとかなるか」


 そう気持ちを切り替え、アムリタは宿へと足を向けた。


 街路を歩き、宿が見えてきたところで彼女は違和感を覚える。感覚に惹かれるように目を向けたのは小さな路地。日も傾き始めた時間帯ということを差し引いても薄暗いその路地から、微弱だが確実に異様さを感じさせる気配を感じ取った。


「まさかとは思うけど、妖魔族バーディンが入り込んだのか?」


 辺境と言ってもよい場所であるこの街であれば狡猾な妖魔族が密かに入り込んでいるということはそれなりに聞かれることだ。


 アムリタは躊躇うことなく路地に踏み込んでいく。妖魔族でなくとも違和感の元となる何かが存在しているのは間違いない。そうである以上は見過ごすことが出来ないのが彼女の性分なのだ。


「・・・・・・ここに踏み入るとは。結界で閉ざしていたはずだが・・・?」


 路地の奥には、漆黒の肌に青い長髪の成人男性のようなモノがいた。さらに目を惹くのはこめかみにあたるところから伸びるネジくれた一対の金属質の角と瞳のない暗紫色の双眸。


魔邪族ダーヴィン? 妖魔族かと思ったけど、まさか魔邪族がいるなんて驚いたな」


 邪悪なる神が手ずから創り出したとされる世界の害悪たる魔邪族。邪気に触れて変質したとされる妖魔族とは存在の根本からして異なる破滅の使者である。


「娘・・・魔力を操るか。なるほど、ここを感じ取ったというわけか」


 魔邪族はアムリタのまとう微弱な魔力を感じ取り、納得する。だが、気配隠蔽の結界のため妖魔族と勘違いをしていたらしい。中途半端な力しか持たない人族の女を、魔邪族は愚かしいとあざ笑った。


「魔邪族の二本角なら、階位持ちロールホルダーか。結界を張っていたって言うなら、呪唱師キャスターなのかな」


 対峙するアムリタは腰の剣に手を伸ばしながら相手の挙動を注視する。


「ほう。我が言葉を理解するか。それに、少しはモノを知っているようだな」


 人族の女が高位者である魔邪族の言葉を理解していることや、角の数による地位について知っていたことで興味を抱いたように魔邪族は笑みを深める。


「我が名はキルヴァズ。我が名を死出の土産とせよ」


 興味を抱いたが故に速やかに殺す。知恵ある人族など害でしかない。


「―――こんなのじゃ足りないな」


 放たれた黒き波動を、アムリタは抜き放った刃で切り裂き霧散させた。彼女の手に握られたソレは、一般的な剣とは趣が異なる代物であった。ロングソードよりわずかに短く、細くて薄い刀身は片刃でありわずかに刃のない側へと反っている。


エスタか。かような僻地で目にするとは珍しきことよ」


 己の攻撃を防がれたことよりも、珍奇な武器を目にしたことにキルヴァズと名乗った魔邪族は反応した。


「一部の地人族アンダスのみが生み出す業物を手にした人族の若い女で、魔力を操る者となれば心当たりがある。――貴様、“紅の剣匠”だな?」


「私のその呼び名が魔邪族にまで知られているなんてな」


 どこか複雑そうな表情で答えながら、アムリタは油断なく刀を構える。その刃が魔力をまとって紅に輝く様を見て、キルヴァズはこれが呼び名の由来かと察しをつけた。


「鉄の魔動像モビルを断ち斬ったというその力量、見せてもらうとしよう」


 そう言うと、キルヴァズの身を包み込むように黒き靄が湧き起こる。


「ああ、それか。でも―――」


 言葉の途中でアムリタの姿が消えた。その直後に視界が傾く。


「―――無駄だ」


 キルヴァズの背後に立つ彼女は刀を鞘に納めながらそう言葉を続けた。その言葉が終わるのを待っていたように首を落とされた魔邪族の身体が砂像のように崩れ散る。


「なんとも、伝え聞く以上の技のようだ」


 そんな言葉とともに崩れ散ったはずのキルヴァズの肉体がやや離れた位置にてまとまり元通りの姿に復元した。不死身を思わせるその光景に、しかしアムリタは落ち着きを払った様子で向き直る。


「人族の鎧より硬き肉体と我が身を守る黒纏コクテンを諸共に薄紙の如く斬って捨てるとは。驚嘆に値するぞ、“紅の剣匠”」


 キルヴァズは笑みを浮かべて彼女の技量を評価した。わずか数十年で老いさらばえて死に至る短命種族である人族でありながらここまでの技量を修めているという事実に、悠久の時を生きる魔邪族として強く興味を惹かれたのだ。


「何をしようとしているのかは気になるけど、時間稼ぎをさせるのは駄目だから」


 企みを暴くことは重要だ。しかし機を逸して逃がすことの方が問題となる。故にアムリタは鞘に納めたままの刀の柄に手をかけた。だが、彼女が動き出すよりも先に路地を埋め尽くすほどの漆黒の矢が放たれる。


「ふっ」


 抜刀からの高速連撃で自身に向かい来る矢を切り払い、攻撃のための道を拓く。


「ほお―――っ!?」


 膨大な魔力で無理矢理生み出した矢ぶすまを瞬く間に切り払った技に目を瞠った直後、視界が紅に染まる。だが、それも一瞬の出来事だった。


「――魔邪族は核を破壊しないと死なないからな」


 キルヴァズを見事に両断したアムリタは、刀を鞘に納めて紅く輝く己が髪の乱れを整える。その輝きも、魔力を収めることで元の黒髪に戻った。


「・・・・・・仕方なかったけど触媒を使っちゃったな。森で手に入らなかったらどうしようか」


 溶けるように消滅する魔邪族のことなどまるで存在しないかのように、アムリタは魔法触媒の残量を気にかけながら路地から大通りへと歩き出すのだった。

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