刑罰:カジット連山殲滅掃討 3
明け方、東の空が明るくなる前に、俺たちはカジット連山に足を踏み入れた。
弧を描くように連なる山脈の、南部の一角だった。このあたりは鬱蒼とした森に覆われ、日が昇ってもなお暗い。
何よりも敵の気配に満ちていた。小休止で立ち止まるたび、それは濃厚に感じられた。
「どうしよう」
と、ドッタなどはすでに泣きそうな顔になっていた。
「さっきも
「ある意味でもう囲まれてはいるんだけどな。周りが敵だらけだ。死にたくなけりゃ、ちゃんと見張れ」
俺はドッタの背中を叩いて気合を入れた。
「俺たちがこの地域に侵入したことは、さすがに気づかれてるからな」
「えええ……」
「っつーか、敵の動き、なんか雑じゃないっスか?」
ツァーヴはいつもの狙撃杖――ではなく、今日は珍しく短い弓矢を手にしていた。今日はこの弓矢を使って、すでに一羽のウサギを仕留め、料理に一品を加えている。
そいつの弦の具合を確かめながら、俺を振り返った。
「防御線も簡単に突破できちゃいましたよね。大型の
「そこのところで一番高い可能性は、指揮官がいないってことだな」
魔王現象の主のことだ。
「魔王現象の本体がノーファン攻略に取り掛かってて、こっちに回す余力がない。あるいは、まだ必要ないと思っている。どっちかだ」
「なるほど。それじゃあ――へへへ、どうっスか? オレ、いまの状況を活かした作戦考えたんスけど」
「もうすでに嫌な予感がする。聞きたくねえ」
「あ。実はぼくも……」
俺は明白に拒絶し、ドッタも控えめに挙手したが、その程度で止まるツァーヴではない。
「そう言わずに聞いてくださいよ! まずノーファンの城門をぶっ壊して、都市の防衛機能を奪う! すると兵士を街の外に引っ張り出せるでしょ? そんで、ドッタさんが街中に放火もしまくって、魔王現象と強制的に戦わせる――」
「論外である。馬鹿め! その口を閉じよ!」
当然のごとく、このツァーヴの『作戦』はノルガユ陛下の怒りを買った。沈黙していたノルガユだが、立ち上がって右の拳を天に突き上げている。
「よいか。我々は何のためにここまで来ているか! それはもちろん、魔王現象の脅威に震えるノーファンの市民を救わんがためである!」
うんざりした顔を見合わせるドッタとツァーヴに、暑苦しい顔で力説する。
「余が定める作戦はこうだ。まずは余が堂々と市の門を叩き、到来を告げる! さすれば城門など破壊する必要はないのだ! 兵たちは歓喜の声をあげ市民は感涙にむせぶ。そして勇敢なる全軍をもって、魔王現象どもを駆逐すべし!」
ドッタもツァーヴも無言だ。気持ちはわかる。反論しても意味がない。俺はノルガユの演説に対して小さく拍手をしながら、大きく息を吐き、立ち上がる。
「お見事な作戦だ。……そういうわけで、ノルガユ陛下のありがてえご指導の通り進軍するぞ。予定地点までもう少しだ、日が暮れる前に辿り着きたい」
俺の発言に、ドッタは露骨に嫌そうな顔をした。
「ええ……まだ歩くの? っていうか、ほんとにもう少し? さっきからそう言いっぱなしだよね」
「もう疲れたのかよ。兵隊は歩くのと走るのが商売みたいなもんだぜ」
「いや、その……ぼく、もともと兵隊じゃないし……。都会育ちだからさ、山の中とかほんともう辛いんだけど」
ドッタが都会育ちというのは、たぶん本当のことだ。
街を転々としながら、ほとんど窃盗のみで生計を立てていたらしい。その行動原理のせいで、連合王国の行政室はドッタを「広域特定窃盗組織」だと判断していたほどだ。たしか機動捜査官が特別チームを結成して追いかけていたと聞く。
そんなドッタに与えられた呼称が、《霧霊旅団》。
たった一人のコソ泥を「旅団」扱いとは笑ってしまうが、実際に被害は甚大だったし、「犯人は魔王現象ではないか」という疑惑もあがっていたらしい。
本当に捕まって良かったと思う。
「……だからさあ、今日はもうそろそろこの辺で野営するっていうのは……?」
「ンな危険な真似ができるか。嫌ならお前だけ遅れてついて来てもいいぞ」
それができるドッタではないことはわかっている。
「出発だ。ツァーヴ、後続の『親衛隊』に連絡しとけ。遅れるなってな」
後続というのは、不運にも俺たちについて来る羽目になった、支援部隊の人員のことだ。ぞろぞろと連れていくと発見されて死ぬだけだから、少数ずつの部隊に分かれて追随させている。
もちろん『親衛隊』というのは名前ばかりで、ノルガユが勢いで名付けた。
(ここまでの流れは、悪くない)
俺は荷物を背負い直す。ここまで、まだ失敗はしていないはずだ。
山地周辺に展開していた
敵の配置は緊密だったが、隙は多かった。ただ頭数を集めただけ、というところで、連携のとれた反撃は行われなかった。騎馬隊が戦列を破壊し、歩兵がその穴をこじ開け、俺たちはたやすくカジット連山南部に入り込むことができた。
そこからは、パトーシェやフレンシィたちとは別行動だった。
旧第十三聖騎士団の騎馬隊と、南方夜鬼の混成軍。
懲罰勇者の支援部隊という形で、総勢およそ四百ほど。この部隊がカジット連山南部、山裾付近を攪乱し、かつブロック・ヌメア要塞に鎮座する本隊との連携を保つ。それは最低限必要なことだ。
そのため、俺たちが率いる『親衛隊』は、それ以外の人員だった。
すなわちヨーフ市周辺の冒険者崩れと、ヴァリガーヒ海峡の海賊ども。
合わせて百名ほどが、このカジット連山において
彼らは元聖騎士団や南方夜鬼と違って、正規の訓練を受けていない。だから連れて来るしかなかった――元聖騎士団や、南方夜鬼の部隊に混じって活動するのは不可能に近かった。
彼らにどこまでのことができるのか。そこから試していくことになるだろう。
さらに愚痴を言うなら、懲罰勇者部隊の人員も心もとない。
総勢四名。俺、ツァーヴ、ノルガユ、ドッタ――そしてテオリッタ。以上だ。
こういう作戦においてもっとも頼りになるタツヤはライノーとともに行方不明で、ジェイスとニーリィは拘束されている。ベネティムはそろそろ生き返っているかもしれないが、こっちに送り込まれても役に立つ光景が浮かばない。また死ぬだけだろう。
正直言って、現在の戦力は半減以下。
全員が揃っていたトゥジン・トゥーガ丘陵が懐かしく思えた。あの任務も最悪だったが、今回はそれ以上に最悪だ。使える戦力も装備と練度の充実した騎士団ではなく、冒険者崩れや海賊もどきのゴロツキども。泣けてきそうな話だ。
俺たちはみんな、よほど日頃の行いが悪いに違いあるまい――いや、そんなことは言うまでもないか。いまさらだ。
軍の上層部からの明白な敵意に晒され、戦力は損耗。
あとは幸運にまで見放されたら俺たちはおしまいだ。
だから『目的地』にたどり着いたとき、俺は決して小さくない安堵を覚えた。この程度のツキは残っていたらしい。
その入り口通路は、土と蔓草に隠されて、いまだ無事に存在していた。
「――これが?」
と、テオリッタは不思議そうに俺と、その木製の扉を交互に見た。
「城砦の《女神》、セネルヴァが呼び出した建造物なのですか?」
「まあな。入口は狭いけど我慢しろよ」
「ふふん」
俺の説明に、テオリッタは安心したように鼻を鳴らした。小さな扉を手でなぞり、満足そうにうなずく。
「一瞬にして城を呼び出すと聞いていましたが――案外、質素なものですね。かつての我が騎士が仕えていた《女神》だと聞いて、過大評価していたのかも……」
「ああ――この扉のことか? こいつは後付けだ。俺たちが勝手に横穴を掘って、臨時の出入り口に使ってた。内部は――」
俺は扉を開け、身をかがめて侵入する。
這うように歩くのは、ほんの数十歩。聖印による照明で先を照らせば、そこに広がっている空間は――まさに驚異といっていい。
「これだ」
俺は青白い聖印照明を掲げて振り返る。
みんな言葉を失っていた。ドッタは口を半開きにしていたし、ノルガユも目を見開いて言葉もない。ツァーヴだけが、軽薄な口笛を吹いた。
「すげえ。これが『地下鉄』っスか! 超巨大殺人モグラの巣じゃないんスよね?」
その闇はあまりにも広大だった。
人間が何人も両手を広げて並べるような、巨大な人口洞穴が闇に伸びている。どこまで続いているのか。聖印照明では、その闇の広さをまるでうかがい知ることはできない。
土壁が剥き出しになっているが、かつてはこれも滑らかな石のような素材で覆われていた。俺には用途の理解できない器具も散乱していた。
そう――俺はこの空間を見て、『こいつは神々の国の要塞か』とセネルヴァに尋ねた。あいつは皮肉っぽく笑って肩をすくめてみせたものだ。たしか、『神々ならもう少し美しいものを作ると思うよ』だとか、生意気なことを言ったと思う。
「ええ……? そんな……」
過去に思いを馳せる俺をよそに、テオリッタはよろめき、壁に手をついた。
「思った以上の能力のようですね、城砦の《女神》セネルヴァ……! 恐るべしですよ。……恐るべしではありませんか、ザイロ?」
「まあ……恐るべしではあるかもしれないな」
「思ったより強力ですね。ですが、負けるわけにはいきません……!」
テオリッタは《女神》としての対抗心を燃やしたようだった。
「私は今度こそ、大活躍しますよ! 前はライノーにお手柄を譲りましたが!」
「あいつにお手柄とか言いたくねえな……」
ともあれ、テオリッタの大活躍を期待したい気持ちはある。
この地下通路は、カジット連山の地下を血管のように張り巡らされている。これを使えば神出鬼没の移動ができるだろう。
「……よかろう。余の城砦にふさわしい。それでは、ザイロ総帥」
沈黙していたノルガユが、重々しく口を開いた。
「此度の戦、どのように戦うか、軍議といこうではないか」
「ああ。やることは簡単。殲滅任務なんて命令されて、死ぬしかないと思い込むところだが――可能性がないわけじゃない」
俺は頭の中にカジット連山の地形を思い浮かべる。西側に、砲撃都市ノーファン。東から北へ続く大森林。
「俺たちは時間稼ぎに徹する」
嫌がらせともいう。この地下通路を移動しながら、散発的に攻撃を仕掛けて、後方に敵対する存在がいることをわからせる。
真面目にやれば――実際以上の戦力がいるように思わせることができるだろう。
「その間に、ノーファンがこの一帯の
「いつになく消極的っスねえ」
ツァーヴは面白くなさそうに口を挟んでくる。欠伸でもしそうな顔で、もう地面に寝転がっている。
「兄貴ならゲタゲタ笑いながら
「お前が俺をどう捉えてるか、だいたいわかってる。だが、今回は積極的に打って出ることはしない」
「そうは言っても、あれでしょ」
ツァーヴはまだ疑問があるようだった。
「期限切られてましたよね。十五日間でしたっけ? その間にこの山の
十五日間で、何万という軍勢を、俺たちだけで殲滅する。どう考えても不可能な難題だ。ツァーヴは地面にごろごろと転がりながら、俺を見上げる。
「ノーファンの部隊がガチガチに守り固めて籠城決め込んだら、どうするんスか? オレら空回りっスよね?」
「ノーファンはそうかもな。だが、北に展開してるビュークス――ええと、第十一聖騎士団は別だ」
「ああ。噂の、最強の聖騎士団っスね」
「最強かどうかは知らんけどな。ビュークスの野郎なら、たぶん北の戦線を一気に押し上げる。このカジット連山の敵戦力は孤立することになる」
「ホントっスかぁ? そんな都合のいい話ありますかね?」
「ヴァリガーヒ北岸にリュフェン・カウロンってやつが到着した」
「はあ。あの、兵站担当部隊の?」
「ビュークスたちは正面きっての戦闘で、普通の魔王現象に負けることはない。だから本当なら、これだけ時間があればもっと北進してるはずだった。要するに、兵站に合わせて意図的に進軍を遅らせてた」
そこで、状況が変わった。
リュフェンが北岸に辿り着き、兵站部門の指図を始めている。あの面倒くさがりな男が、殺到する問題や苦情に耐えきれるはずがない。
いまごろ少しでも楽をしようとして、必死で改革に着手しているはずだ。
「リュフェンが直で兵站機構の改善に乗り出してる。ビュークスはそれを当てにして進軍を速める。結果、たぶん十日以内に、このカジット連山の敵が孤立する」
「はあ。それがマジなら――よほどアホな魔王現象でもない限り、そうなる前に北へ後退するってことっスか?」
ツァーヴの口調は、半信半疑――いや、八割ほど疑いが強かっただろうか。
「肝心の魔王がよほどのアホの場合だったら? たまにいるでしょ、昆虫みたいなの」
「そのときは、計画その二で行く。いつものやつだ」
つまり、魔王現象の主を暗殺するやり方を取る必要がある。どう考えても成功率が低すぎるから、あまり気は進まない。
もともと薄氷の上を全力疾走するような勝機でしかない。我ながらもう笑うしかないという状況だ。大人しく処刑を待つ方が有意義だという見方もある。
だが、その選択肢こそ、俺には我慢できない。
こんなことで諦めるようなやつだと思われたら腹が立つ。ビュークスに、リュフェンまでこの戦線にいるからだ。舐められてたまるか。そう――マルコラス・エスゲイン総帥閣下のクソ野郎。あいつに嘲笑されるのも耐えられない。
「なんというか、兄貴。いつも以上に神頼み的な状況というか、なんというか……」
ツァーヴはまただらしなく笑った。
「うまくいきますかね? オレら、はっきり言ってツキに見放されてるじゃないスか」
「むっ。失礼なことを言いますね、ツァーヴ!」
テオリッタが怒ったように言った。ツァーヴを鋭く指差す。
「ここに《女神》がいるというのに、不敬ではありませんか。私が祝福するのです! あなたたちは安心して幸運を祈りなさい。特に――」
「う、わぁっ! あっ?」
ドッタがいきなり大声をあげた。その声は反響し、通路にこだまする。俺も思わず耳を塞いだし、テオリッタは眉をひそめた。
「なんです! せっかくいま、私が祝福の言葉を申し上げていたのに!」
「いや、あの、ごめん。なんか……この、変な円盤が」
ドッタが丸く、小さい盾のような器具を掲げた。聖印による通信盤。かすかに震え、音を発しているようだった。
「なにかいま円盤が震えて、声が聞こえて……」
「そりゃ聞こえるだろ。通信盤だ」
俺は呆れた。あれほど使い方について教えてやったというのに、ドッタときたらほとんど聞いていなかったらしい。振動で通信の前兆を知らせるのは、新型の通信盤の特徴だった。
「後続の連中からの定期通信か? いや――まだ早すぎるな。何が聞こえた? 縁を叩いてみろ、それで大きく聞こえるようになる」
「えっと……あの、声っていうか……叫び声というか」
ドッタは何か得体の知れない猛獣を扱うように、慎重に通信盤の縁を叩いた。
「こ、これで聞こえるかな?」
『――ザイロ先生!』
切迫した男の声が、通信盤から響き渡った。声は知っている。後続の、ノルガユ陛下いわく『親衛隊』。冒険者。そのまとめ役で、マドリツという男だった。
『た、た、た、大変なことになっちまいました!』
「なんだよ……。まさか、敵に見つかったのか?」
可能性としては、予想できていたことだ。想定より少し早いが、ここで開戦する展開もあり得た。
だから、落ち込むな、と俺は自分に言い聞かせる。少しケチがついてしまったが、まだ幸運が尽きたわけじゃない。ここからだ。
――が、そんな俺の内心の努力を、マドリツの野郎は平気で踏みにじってきた。
『
「手短に言え。いま、遊んでる場合じゃねえんだよ」
『人間と、あのっ、
「落ち着け。ちゃんと説明しろ」
『へ、へいっ! あの、よくわかんねえ人間の兵隊たちが、
背後から金属音。爆発音や、雄叫びのような物音も聞こえてくる。
俺は頭痛がしてきた。
人間の兵隊が、なぜこの山の中にいるのか? ノーファンの軍隊か。いや、やつらは都市で籠城の構えをとっているはず――だとしたら、なんだ?
「何者だよ、そいつらは」
『それがですね……あの……、フォルバーツです』
「ああ?」
『あいつらフォルバーツ軍って、名乗ってます!』
やけくそ気味にマドリツは怒鳴った。俺はもうわけがわからなくなり、ツァーヴと顔を見合わせた。やつは俺を小馬鹿にするような軽薄な笑顔で、親指を立ててみせた。
ほら、オレの言った通り――という声が聞こえてきそうなツラだった。
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