刑罰:カジット連山殲滅掃討 2

 カジット連山は、弧を描いてノーファン市を東から包囲しているような形の山岳地帯だ。

 南北に連なり、急峻。つまり大規模な軍勢の進行を阻む。


 異形フェアリーどもが数年をかけてここを落とせなかったのも道理だろう。

 というか、落とさずとも孤立させておけばよかった。近づかない限り無視できる拠点だからだ。それよりも東西に迂回し、海路や陸路から、もっと脆弱な人類の生活圏を脅かすことができた。

 これまでは、そうだった。


 それが今度ばかりは、魔王現象は大挙してノーファン陥落を図っている。大規模な戦力が動いている、という報告はあがっていた。魔王現象も複数体が投入されているらしい。

 だが一方で、戦力の完全な集中もできていない。そのくらいのことは、ガルトゥイルの参謀部も考えている。つまり第十一聖騎士団による北進突破。こちらの阻止にも兵力を割く必要があった。

 だから、十分に守り切れる。その成算はある。


 問題なのは、すでにカジット山脈に異形フェアリーどもが到達し、あちこちに布陣しまくっていることだ。軍の探索部隊が掴んでいるだけでも、十を越える『巣』が作られているらしい。

 俺たち懲罰勇者部隊は、この只中に突っ込んでいくことになる。

 しかも、作戦目的は『殲滅』だ。普通に考えればできるはずがないだろう。


 ――という事実を、俺はカジット山麓の前線基地で改めて知った。

 指揮官代理のロレッドという金髪の男は、ずいぶんと面倒見のいい男で、自分の幕舎に招いて懇切丁寧に地図を眺めさせてくれた。


「まことに済まない。死を前提にした任務だと思う」

 事実、ロレッドは頭まで下げた。

 嫌みに感じるくらい真面目な偉丈夫、といった印象の男だった。さぞかし貴族の令嬢からモテるだろう。この男の家名は『クルデール』だ――ロレッド・クルデール。あまりにも有名な、中央ど真ん中の大貴族でもある。

「……続けよう。我々の総帥、エスゲイン閣下はいち早くノーファンへ入城した。二つの聖騎士団を引き連れており、盤石の備えのつもりでいると思う」


 鋼の《女神》イリーナレアを擁する第十聖騎士団が、そのまま都市の防衛に着任したという。

 例の『聖女』と合わせれば、砲撃都市ノーファン自体の特性もあり、高い防衛能力を発揮するだろう。

「重ね重ね、すまない。私はきみたちの指揮官――ベネティムに重い責務を負わせすぎたようだ。無理をさせたと思う」

「まあな。あいつのことは、いまはいい」

 俺は曖昧に答えた。こいつはベネティムのことを何か勘違いしている――だが、重い責務を負わせすぎたという言葉の中身自体は、間違いではない。

 あいつにとってはどんな責務だろうと重すぎるものだという意味で。


「だが――いまさらエスゲイン総帥閣下には、慈悲深い扱いなんて期待してねえよ」

 俺は正直に応じることにした。地図を眺め、判明している敵の巣の位置を頭に焼き付ける。

「軍の指揮官が一番安全な場所から口を出すってのも、まあ悪いことじゃない。むしろ普通だし、いっそ賢いとすら思うよ。――あんたは違うみたいだけど」

 皮肉をこめて笑う。

 このロレッドという男は、エスゲインの配下のようだが、こんな場所に布陣させられるとはよほど疎んじられているのだろうと思えた。可愛がられている部下なら、共にノーファンへ入城しているはずだ。

 だからこいつは――見た目以上に変なやつか、見た目通りに真面目すぎるかのどちらかだ。いずれにせよ、死んでほしい相手ではない。

 少し考えるまでもなく、俺はこいつに嫌われることにした。懲罰勇者と仲良くしていいことは何もないからだ。


「あんたもこんな最前線でカジット連山への備えとは、クソ真面目の阿保だな。よほどの無能と思われてるぜ」

「事実、そうかもしれないけれど」

 ロレッドは俺の悪態を、まったく平然と受け流した。

「この状況下では、誰かがこちら――南側を受け持たなければ。兵站の遮断を防ぐ必要があるだろう?」

「最悪の貧乏くじだな。出世しねえぞ。おまけに死にやすい」

「もともと、出世が目的で戦場にいるわけではないからね」

 ロレッドは胸元のあたりを叩いた。何かがそのポケットに入っているのだろう。こういうクソ真面目な貴族将校が持つのは、あるいは肖像画の類か。


「息子と娘。それに妻。我が土地に住む領民。――私には、守らなければならないものが多い。だからこれは自分の都合と見栄ってことだ。彼らを守るためだと思えば。どんなことだって、意味がある」

「そうか」

 勝手にしろ、という程度の声音になったと思う。とにかく俺は立ち上がった。こんなやつと長々と会話していたくない。

「明日の朝には、ここを発つ。支援部隊を使わせてもらうが、いいんだな?」

「自由にして構わない。その許可もある」


 少し意外だった。条件をつけられるか、そもそも許可が下りないかもしれないと思っていた。あの総帥の顔を思い浮かべると、その可能性も十分にあった。

 そういう驚きが表情に出ていたのかもしれない。ロレッドは少し笑ってうなずいた。

「ビュークス聖騎士団長から厳命されているんだ。支援部隊については、エスゲイン閣下が何を言おうときみの好きに使わせろってね」

「……そうか」

「もともとあの義勇兵たちと契約しているのは神殿だからね。ガルトゥイルの総帥閣下でも口は出せない」


「わかった」

 俺は短く答えた。

 ビュークス・ウィンティエ。あの男の頭の中ほど想像しにくいものはないが、あいつが常に人類の勝利のことだけを考えているのは確かだ。合理性の塊。あるいは芸術家。戦場そのものを、自分の存在を表現する場だと考えているような節がある。

 つまり、俺たちが支援部隊を率いて動き回るのも、あいつが構想する戦場の一要素ということなのだろう。

 ――気に食わないが、いまは、その考えに乗ってやる以外に方法はない。いずれこの借りは返してやる、と俺は思った。


        ◆


 ――ロレッドが指揮する駐屯地では、懲罰勇者の扱いも悪くはない。

 というか、むしろ良い方だ。

 他の兵隊と変わらないような天幕の下で寝起きできるし、作戦用の幕舎も張られる。俺はそこに、作戦を検討するに足る人間を二人ほど集めた。つまり、パトーシェとツァーヴ。

 ドッタとノルガユが出てくると、戦術的な話は紛糾するので置いておく。いまごろテオリッタの遊び相手になっているはずだ。


「――つまり、絶望的な状況というわけか」

 俺の説明を聞き終え、パトーシェは呻くように言った。あるいは多少の怒りをこめて。

「我々に対する悪意を感じるな」

「実際、それはそうだろ――魔王現象を飼ってたんだから」

「ライノーか」

 パトーシェは首を振る。

「何もないはずがないと思っていたが、まさか魔王現象だったとはな。せめてごく普通の殺人鬼であってくれた方が助かった」


「姐さん、それヤバいっスよ!」

 その発言には、ツァーヴが底抜けの明るさと軽薄さで笑い飛ばした。

「感覚が麻痺してますって。普通の殺人鬼でも絶対にヤバいですよ――だってほら、うっかりオレらを殺すかもしれないわけでしょ? オレ、怖くて夜も眠れねえかも」

「貴様が言うな」

 当然の感想とともに、パトーシェはツァーヴを睨んだ。

「殺人鬼という点では同類だろう。貴様、罪もない民を何人殺した?」

「おッ、さすが姐さん話がわかる! 罪がある人間なら殺していいってことなら、オレ、ベネティムさん使っていくらでも相手の罪をでっち上げますよ! 法廷で戦えばオレとベネティムさんのコンビは無敵じゃないスか?」

「貴様――」


「ンなこと言ってる場合か」

 パトーシェとツァーヴの議論が危険な領域に足を踏み入れつつあるので、俺が割って入るしかなかった。

 卓上に広げた地図を叩いて、注意を引く。

「今回はどうやって生き延びるかって話だ。支援部隊の全面的な協働が必須になる」

「……だろうな」

 パトーシェは、ツァーヴを叱責する厳めしい顔のままうなずいた。

「我々は山地を移動しながら戦闘することになる。一拠点に拠れば一晩も持たないだろう。こちらの位置を掴ませないため、外部から攪乱する部隊が必要だ。物資の補給も彼らに担わせねばならない」


「ああ。問題はそっちを誰が指揮するかって話だ。歩兵はフレンシィが担当する。峡谷での戦闘に慣れてるからな」

「ん、……そうだな」

 ややぎこちなく、パトーシェがうなずく。

「認めるのは癪ではあるが、南方夜鬼の歩兵戦力は当てになる。フレンシィも、決して弱くはない。我々の戦いを支援してもらおうではないか」

「何を他人事の顔をしてやがる。分担でいくと、騎馬隊はお前だ」


「ん」

 俺が指差すと、どういうわけかパトーシェは首を傾げた。

「んん?」

 俺が黙っていると、さらにパトーシェの首の角度が傾いていった。

「んんん? なぜ? い、いや、その……貴様はそれでいいのか? この作戦中、私の存在がなくても――」

「騎兵の指揮ならお前だろ。俺ができなくもねえけど、あんまり上手くない」


「あ! 姐さんが騎兵隊の指揮が嫌なら、俺が指揮してもいいっスよ!」

 ツァーヴが横から口を挟んだ。

「一度やってみたかったんスよね。たぶんオレ、結構できますよ。姐さんの元・部下に、オレが上司になるって伝えてくれれば――」

「それだけは断固として断る」

 パトーシェは即座にツァーヴの口上を遮った。こうなれば改めて確認するまでもない。結局、動き回って敵を牽制するという役目は、パトーシェにしか任せられないことになる。

 俺はパトーシェを正面から見据えた。フレンシィと多少相性はよくなかろうが、やってもらわなければ困る。


「いまのでよくわかっただろ。お前しかいないんだ」

「そ……」

 パトーシェの顔が緩んだのが、はっきりとわかった。

「そういうこと、であれば、うむ」

 と、うなずく。

 なんとなく理解できてきた。こいつは自分の能力を認められるのが好きなんだろう。気持ちはよくわかる。その辺、テオリッタによく似ている――あるいは俺によく似ている、というべきか。

 だったら俺は、俺自身と同じようにパトーシェを扱う。それが対等ということだ。

「任せた」


「……ああ。私にしか任せられないことであれば、やむを得んな。うむ。しかし――あまり他の人間にはやたらとそのような言葉遣いをするなよ。誤解されかねん」

「なにをどう誤解するんだよ。正直に言ってるんだ」

「し、……仕方のないやつだな」

 パトーシェはため息をついた。腰に吊った剣の柄を叩く。

「わかった。別動隊は任せろ。だが、貴様らは――どうするつもりだ? 凌ぎきれるのか?」


「ああ」

 俺は地図を睨みつけた。

「方法はある。昔、この地域で戦ったことがあるからな。あのときは……、ああ。そう……セネルヴァが、いた」

 少し頭痛がした。そのせいで、言葉が出てこなかった。それだけだ。

「城砦の《女神》か」

 パトーシェはささやくように呟いた。

「その建造物が残っているのか? 貴様だけが知っている、城砦が」

「セネルヴァは、異界の建物を呼び出せる《女神》だった。《女神》の中でも召喚したものの持続力に長けていたんだが、それでも永続するわけじゃない。……しかし、例外はある」


 そのことは俺だけが知っている。

「例外は――」

 地図上の山地を、指で辿る。記憶はある。忘れるはずがない。

「地中に存在する建造物を呼び出したとき、だ。召喚対象が消滅しても、地中を抉られた地形が元に戻るわけじゃない。空間が残る。……これを利用して、俺たちはこのカジット連山に地下経路を張り巡らせた」

 セネルヴァが『地下鉄』と呼んでいた、長大な地下トンネルを利用したものだった。

 俺しか知らないこの通路を使えば、神出鬼没といっても過言ではない戦闘行動が可能になるだろう。


「――とはいえ、これを駆使しても敵の殲滅なんてのは無理だ」

 俺は動かしがたい現実を最後に告げた。

「時間を稼ぐ。その間に、どうにかしてもらうしかないな」

「誰にだ?」

「神頼みってとこだな。それしかねえよ、もう。――そのために一人、確実に信用できる騎兵を選んでほしい。誰か心当たりあるか?」


        ◆


「あっ! ……ツァーヴ。どうだった?」

 そうしてツァーヴが幕舎から出てくるのを、待ち伏せていたのはドッタだった。

(よほど気になってたんだな)

 思いながら、ツァーヴは周囲に視線を走らせる。探している相手は、当然のようにそこにいた。居住用の天幕の影。赤毛の女が気配を殺して立っているのがわかる。トリシールだ。今日も懲りずにドッタを監視しているらしい。

 ほんの軽い冗談でも、危険な言動は避けるべきかもしれない。ツァーヴはそう判断した。


「もしかして、ぼくら、またヤバいことやらされるの? 嫌なんだけど……」

 言いながら、ドッタは幕舎を横目に見る。まだザイロとパトーシェが中にいる――とりあえず、あの二人にだけは発言を聞かれる心配はない。


「あの、噂によるとさあ、異形フェアリーの群れをぼくらだけで全滅させなきゃいけないとか……?」

「まあ、そうっスね。普通にやったら死にますね」

「ど、どどどどどうしよう……! 逃げた方がいい?」

「逃げても死にますけど。しかも、もっと悲惨なやり方で処刑されるでしょ、たぶん」

 ツァーヴは笑った。ドッタが不満げな表情を浮かべる。

 いつものことだ。ツァーヴが思うに、ドッタはいろいろな物事を怖がりすぎる。恐怖したところで事態は好転しないし、人生にとって損をするだけなのに。


「ま――全滅ってことにはならないように、兄貴も考えてるだろうし。意外となんとかなるかも?」

 自分一人が逃げ回り、時間を稼ぐだけならば、どうにかなるかもしれない。そうツァーヴは確信しているが、相手がドッタなら口には出さない。

「ほら、支援部隊って名目の兵隊も貸してくれるみたいだし……」

「いや……そっちの方が不安なんだけど。ぼくらの言う事なんか聞いてくれるの?」

「そりゃまあドッタさんの命令なんかは聞かないかもしれないっスけど。大丈夫だと思いますよ、あれ見てくださいよ」


 ツァーヴは背後を指差す。ザイロとパトーシェがいまだ作戦を検討している幕舎。その入り口を遠巻きにうかがうようにして、兵士たちがいる。なんとなく怯えたような、それとも、何かを期待するような表情。

 彼らはいずれも、手に何らかの本や、ナイフ、盾――あるいは骨董品――のようなものを手にしているらしい。

 ドッタは露骨に怯えた様子を見せた。


「な、なにあれ? もしかして……暗殺……!?」

「違いますって。ファンですよ。兄貴と、パトーシェ姐さんの」

「ええ?」

 ドッタは理解できない、というような顔をした。言葉の意味がよくわかっていないようだった。

「兄貴も姐さんも人気ありますからね。本人たちはアホなんで理解してないのが超笑えるんスけど、一部には『親衛隊』があるんですって? 大爆笑っスよね。オレ、笑い殺されそうになりましたもん。めちゃくちゃ脅威ですよ、脅威の軍隊っスよ」


「はあ……?」

 それでもドッタはまるで理解した様子がない。おそらくそのような文化に触れてこなかったのだろう。ツァーヴは首を振り、ドッタの肩を叩いた。

「まあとりあえず、言うこと聞かない兵士たちばっかりじゃないってことっス。これはいい情報ですよ。日頃の行いって言うかなんというか」


「はあ」

 ドッタがぽかんとした顔で、ザイロたちがこもる幕舎の前で様子を窺う兵士たちを見ていた。ツァーヴは声をあげて笑ってしまった。

「ザイロ兄貴とパトーシェ姐さんのファンの比率、知ってます? オレ調べなんですけど、女子と野郎がだいたいちょうど半分ずつっスよ。最高に笑えますよね」

「はあ」

「これ面白いから、本人たちには内緒でお願いします。教えたらドッタさんでもうっかり後頭部撃ち抜いちゃうかも?」


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