刑罰:カジット連山殲滅掃討 1

 謹慎拘留の命を受けた俺たちの日々は、予想外に快適なものだった。

 なにしろ、ブロック・ヌメア要塞の地下牢は、親魔王現象派ともいえる連中のために使わなければならない。


 実のところ、魔王現象のために働いていた兵士は、傭兵ばかりではなかった。

 魔王崇拝、という。

 魔王現象こそは驕れる人類に与えられた神々の怒りであり、彼らに忠実なる者は、死しても楽園に迎え入れられるだろう――という思想の奴らだ。基本的に神殿が本物の神格である《女神》を擁しているため、この状況下でそんなものを信じるやつは少なかった。

 だが、連合王国との繋がりが希薄になっていた、この北部では違う。

 魔王崇拝者の数は、中央とは比べ物にならないほど多いようだ。


 結局、そいつらのために牢を使わざるを得ないので、懲罰勇者のねぐらにできるような場所はなかった。

 そのため、近隣の集落に拘留されることになったのだが――これが、ベネティムの阿保がペテンにかけた、例の村だった。あの哀れな村長の名はフギルといったか。おかげで待遇は悪くなかった。

 食事もちゃんと日に二度は支給されたし、懲罰労働についてもまあ、畑仕事や大工の真似事、狩りの手伝いなどが主で理不尽なものはなかったと思う。


 テオリッタなんかは村人から慕われ、すっかり『気さくな《女神》』として有名になってしまった。

 近隣の村から、わざわざ署名をもらいに人が来るほどだ。

 ノルガユの聖印調律技術は村人たちの間で重宝されているし、ドッタやツァーヴも文句やら皮肉やらを言いながらも働いていた。生真面目なパトーシェは言うまでもない。ジェイスとニーリィだけがいまだに要塞で拘束されているのは気になっていたが、少なくとも俺たちの生活は、最前線の日々よりもよほど優雅だったといえる。

 ――あの命令書が届くまでは。


 その日、俺は住処に指定された納屋の一つで、頼まれた内職に励んでいた。

 金属製の農器具の整備だ。

 季節は春。収穫に備え、こうした仕事はいくらでもある。俺としても、こういう刃の仕上げは慣れ親しんだ作業だ。鍬、鎌、鋤。刃先を磨き、柄との接合部をしっかりと締め上げる。

 ドッタが命令書を携えてやってきたのは、そんなときだった。


「殲滅作戦、だって?」

 ドッタが持ってきた命令書を片手に、俺は目まいさえ覚えた。

「――なに考えてんだ、上の連中は!」

「し、知らないよ! ぼくに怒鳴っても仕方ないじゃん!」

 ドッタは大げさに怯えて、背中を丸めた。ただでさえ小柄な体が、気のせいか、ネズミぐらいに小さく見える。そんな姿勢で、ドッタは何かよほどおぞましい生き物の機嫌を窺うように俺を見上げた。


「ええっと……なんて書いてあったの? 次の任務、ぼくらに何をしろって?」

「読んでないのかよ」

「読んでないよ。怖いこと書いてあったら嫌だし、読んでも意味わかんないこと多いし、兵隊の用語とか難しいのはそもそも読めないし」

「開き直るな」

 俺は呆れた。ドッタはいまだに軍事的な行動について、一切興味がないらしい。興味がどうとか言っていられる状況ではないと思うが、本人がそうなら仕方がない。


「……殲滅作戦、だとよ」

 あまり意味はないと知りながら、俺は命令書をドッタの鼻先に突きつける。

「ノーファン周辺の山岳地帯。カジット連山って呼ばれてるあたりの、敵の殲滅。掃討。その完了をもって、作戦終了と見なす――だとさ」

「ふうん」

 俺が言っても、ドッタはその内容の危険性をまったく理解していないようだった。

「それってヤバいの?」

「当たり前だろ! 殲滅しろって言われても、敵がいったい何万いると思ってるんだ。大小の異形フェアリー含めて、十万か? 二十万か? 希望的観測でそのうち半分はノーファンの攻略にかかるとしても、それ以外を俺たちだけで引き受けろって言ってんだよ! しかも、ぜんぶ倒すまで帰ってくるなってよ」


「え? それって、あの、……えええ……?」

 俺がまくしたてると、ドッタの顔が徐々に青くなっていった。理解してくれて何よりだ。

「マジでぼくらそんなことやるの?」

「マジで俺らはそんなことをやるんだよ。ふざけてるだろ」

 俺は命令書を床にたたきつけた。

「例の支援部隊の五百人を使ってもいいって話はあるが、それが加わったところでどうなるもんでもない。山岳戦だから騎馬隊は使いどころが限られるしな」


 実際のところ、懲罰勇者の『支援部隊』は、まだまだ寄せ集めもいいところだ。

 当てになるのは、南方夜鬼の一団と、パトーシェの昔からの付き合いの騎馬隊ぐらいだろう。特に騎馬隊は、彼らを運用できる状況下では、何千もの歩兵に匹敵する力を発揮できる。

 山岳では、そのほとんどの強みが封じられる。


 おまけに、ジェイスとニーリィはまだしばらく拘留する、と書かれていた。

 つまり懲罰勇者部隊の戦力は激減している。使えるのは俺、ノルガユ陛下、パトーシェ、ツァーヴ、ドッタ、……テオリッタ。砲兵も竜騎兵もいない。泣けてくるような状況だ。

 これは性質上、魔王現象を一人か二人ほど暗殺すれば終わるというような仕事ではなかった。もっと何か根本的な対策を打たなければならないだろう。


 馬鹿げている。

 これで連合王国軍の本隊はノーファンに籠り、籠城で敵を叩くつもりなのだという。マルコラス・エスゲインの自信ありげな顔が目に浮かぶようだ。くそ。あんな堅固な都市に籠城して、戦力を結集させていれば、そりゃ自信もみなぎるだろうよ。

 作戦概要をみれば、どうやらノーファンの防衛には鋼の《女神》イリーナレアと、影の《女神》ケルフローラまで着任するという。

 二つの聖騎士団が守りを固める以上、難攻不落だろう――都市の内側は。


「……支援部隊については、狙撃兵どもの訓練は進めてるが、焼け石に水だろうな」

「ど、どうすんのさ! 死ぬじゃん! 死にたくないよ! なんでこんなことさせるのさ?」

「そりゃ上層部は俺たちのことを嫌いだし、ライノーを飼ってた罰ってところだろうな。まさしくこの戦いで死ねって言ってんだよ」

「あっ、そう! そうだよ、ライノーのせいだ!」

 ドッタは大いに不快感を表明してきやがった。

「ぼくはもともと怪しいと思ってたんだよ、ライノーのことは!」

「怪しいと思ってなかった奴はいねえよ」

「じゃあさ、ぼくらの手で捕まえて、神殿に突き出そうよ。明日から山狩りだよ。タツヤもタツヤだから、二人まとめて逮捕しよう! 正義のために!」

「お前、他人を糾弾するときだけ元気いいな……そういうことを言う前に」


 俺はドッタに片手を伸ばした。

「さっさとよこせ」

「えっ? な、なにを?」

「お前が手紙を運ぶとかの仕事をするときに、何も盗んでないわけないだろ」

「そうとも限らないと思うけど――」

「いいや、限るな。さっさとしろ。お前を先に総帥閣下に突き出すぞ」

 俺の追及に、数秒後、ドッタは折れた。頭をさげて、マントの内側をごそごそと探った挙句、いくつもの包みを床に放り出す。


「これ、なんだ?」

「他の部隊への命令書とか……なんかの報告書とか、支給物資と交換する手形とか、あとはえっと……色々」

「なんでそんなもんを盗むんだ! 敵か、お前は! 敵のスパイかよ! 危うく大惨事に繋がるんだよ!」

「そ、そんなこと言ったって、仕方ないじゃん! みんなが無防備なんだから! 本当の敵のスパイが盗むより百倍マシでしょ。いまごろ歯ぎしりしてると思うよ。ぼくが片っ端から盗むから、重要書類を確保できなくて」

「ンな都合のいい話があるか! 俺が預かる! 返しとくからな」

 だが、その前に――この情報は何かの役に立つかもしれない。目を通しておくべきだろう。支給物資の交換手形については、使い道はいくらでもある。


「あの――ザイロ。もしかして、この任務ってさ……」

 ドッタはもはや泣きそうな顔になっている。

「ぼくら、絶対死ぬ感じのやつ?」

「こっちの戦力は激減していて、敵はかつてないほど多い。成功条件も厳しいなんてもんじゃない。普通に考えたらそうなる」

「ああ……だよね……」

「普通に考えたらな」

「……あのさ。だったら、それって、その言い方」


 ドッタが何らかの希望に縋るような顔をした。

 そのときだった。

「――我が騎士!」

 納屋の入口が開いた。

「聞きましたか? 一大事ですよ、これは!」

 薄暗い屋内に光が差し込む。テオリッタだ。片手にキャベツやら、松葉ウドやらが満載された籠を抱えている。それに、顔は泥だらけ――畑仕事の手伝いをしていたことは明白だ。しかも、お土産まで貰っている。


「ほら! 今日は信心深い皆さんから、こんなに収穫品をいただきました。絶対に野菜鍋にしましょう! ベーコンもいただいたので、もう確実に美味しい感じになりますよね。パトーシェが近づかないようにツァーヴに見張らせて……おや?」


 何度か瞬きした後、テオリッタはドッタの姿を認め、首を傾げた。

「あなたもいたのですか、ドッタ」

「どうも……。いちおう、次の仕事の命令書が来たからね。それを届けに……」

「ええっ? 次の仕事! ですって!」

 テオリッタは天を仰ぎ、野菜の入った籠を取り落としそうになった。

「ど、どういうことです? 三日後には収穫祭が行われるらしいのに! なんと久しぶりの収穫祭を、近隣の村と合同で祝うのだそうですが!」


「残念だが、そいつには参加できないな」

 俺は立ち上がり、テオリッタの頭を叩いた。本当に泣きそうな顔をしていたからだ。

「――生きて帰って、夏祭りには参加させてもらえ」

「ええ……本当に?」

 ドッタは怪しむように俺を見上げた。テオリッタは事態をよくわかっていないようで、俺とドッタを交互に見た。素早く。


「どんなときでも、諦めるのは早い」

 俺はドッタが盗んできた書類の一つに目を落とす。

 そこには、西方貴族に特有の、流れるようなサインと家紋があった。雲をまとって走る馬の家紋。西方の伝説的な幻獣で、『チーウェンの駿馬』と呼ばれていたと思う。俺はそいつを何度か目にしたことがあった。

 西方の名門、ウォンを何人も排出してきた、カウロンという家の紋章だ。

 つまり――リュフェン・カウロン。あいつがこの戦線に出てくることを意味している。


「方法を考える」

 俺はテオリッタとドッタに告げる。

 告げたからには、後戻りはできない。ベネティムがいないいま、指揮官は俺だ。せいぜい自信ありげに振る舞ってやろう。

「この辺りには土地勘がある。せいぜい振り回してやるよ」

 死ぬ気はない。

 少なくとも、下手な戦をすることだけはできなかった。


 そう――たとえば、あの手はどうだ?

 正真正銘、いまや俺しか知らない。

『地下鉄』を使う。セネルヴァは、あの施設をそんな風に呼んでいた。


        ◆


 街道からはずれ、山を二つ越えた。

 いまはどこにいるのかもわからない。


 現在位置が不明なのは不便なものだ。どこかで地図が調達できればいいのだが。ライノーは星を見ながら、せめてあのブロック・ヌメア要塞からどの方角に移動しているのか割り出そうとする。

 だが、ほとんどわからなかった。北へ向かって移動しているのは確かだと思うが。


「これは困ったね」

 ライノーは呟き、焚火に薪をくべる。串に肉を通したものを焼く。食料はまだある。山道沿いで、少数の異形フェアリーと遭遇し、殺戮した。

 その肉を燻したので、数日は持つだろう。


「ぼくらはなんとか戻らないと。同志たちが待っている。砲撃都市ノーファンへ辿り着かなければ――」

 言いながら、顔を横へ向ける。

「どう思う、同志タツヤ? きみはノーファンの場所を知らないかな?」

「ヴぁ」

 タツヤは中途半端なうめき声で応じた。ずっとこの調子だ――追っ手である人間の兵士に捕捉され、彼らを叩き殺した後、タツヤは限界を迎えたように言った。


『ここまでだ。後はあんたに追随する』

 そのときのタツヤは、眠気を抑えきれなくなったような、朦朧とした喋り方をしていた。

『……もう、これ以上は意識を保てない。あんたたちの使う言語での応答もできなくなる。あとはどうにかしてくれ。いいか、ライノー。あ……あんたが……魔王現象でも、異形フェアリーでも……何者でも』

 タツヤは斧を一閃させ、追っ手の兵士にとどめを刺した。絶命の声もない。ライノーから見れば、いかにも瑞々しく芳醇な血が溢れた。

『ヴァウジーラと俺が、必要としている。責任を取らなくちゃならないんだよ。こんなところで……消えるなよ。俺も、』

 という、その後に何を続けるつもりだったのかは、ついにわからない。その後はいつもの彼に戻り、ただライノーについてくるだけだった。文句の一つも言うことがない。

 その分だけ、相談相手としても役に立ちそうにはなかった。


「どうしたものかな」

 ライノーは呟き、異形フェアリーの肉を齧る。タツヤにも一欠片を。無言で貪る様を横目に、空を見る。

「このまま逃げ続けても同じことだ。同志ザイロならどうするだろう」

 思いもよらない方法で、ライノーには理解できない経路を用いて、彼はいつも成果をあげてきた。そう――そこに答えがあるような気がする。


(そうだ。考えを変えよう。逃げ続けているだけでは、人間の住む場所から離れるばかりだ)

 つまり、逆の発想をしなければ。

 自分たちは逃げている。人間たちの集落から離れて。いまではもう魔王現象の勢力圏の只中ではないだろうか。

 で、あれば――


「知っている人に聞くのが一番だね」

 ライノーはタツヤに微笑みかけた。

「きみもそう思うだろう? さあ、明日から忙しくなるよ」

 タツヤは何も答えない。

 だが、その濁った眼は、『好きにしろ』と言っているような気がした。

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