聖女運用記録:砲撃都市ノーファン攻防 1

 マルコラス・エスゲインからの報告は、明らかな興奮を伴っていた。

 戦勝に次ぐ戦勝。

 そのように事態は推移している。快進撃、といってもいいだろう。人類はついにヴァリガーヒ海峡を渡り、沿岸部を奪還した。

 そしていま、ノーファンをはじめとする旧メト王国領の一部との連携を回復したという。


『我が軍は、歓喜の声をもってノーファン周辺の領民に迎えられました』

 通信盤を介したマルコラス・エスゲインの声は、堂々としたものだった。

(――我が軍、ときたか)

 思わず苦笑してしまう。実際には、ガルトゥイルが直率する戦力でいえば、全軍の半分にも満たないだろう。神殿からは聖騎士たち、武装神官。貴族連盟。傭兵。ヴァークル開拓公社。義勇兵。

 連合王国の軍勢を構成する要素は多い。


 そして何より、王がいる。

 形式としては、軍事力は王家に帰属するもの。少なくとも、連合王国軍の総帥がその建前を口にしなくてどうする。

 マルコラス・エスゲインには、そうした分別を扱う能力が欠けているのか。あるいは、総帥になったことで失いつつあるのか。それはわからない。


『我々はこれより、周辺地域の制圧に移ります。必ずや魔王現象どもを一掃して御覧に入れましょう。お任せください』

 これは、かねてから予定していた作戦目標でもある。

 砲撃都市ノーファンとその周辺地域は、魔王現象の侵攻によって王都諸地域との連絡を分断され、この数年、孤立した状態にあった。それでもかろうじて抵抗していられたのは、険しい地形を越えた西方とのか細い補給路に加えて、獣の《女神》が用いる特殊な物資輸送能力によるものだ。


 今回の人類の「攻勢」によって、ようやく本格的に連携をとった抵抗ができるようになった、ということになる。

 いまや海路、陸路の危険も排除された。

 当然――魔王現象は、ノーファンの攻略に集中してくるだろう。実際に大軍勢を集結させ、行動を開始しているらしい。これを撃破し、ノーファン周辺を完全に掌握するのが、連合王国軍総帥に課せられた使命だった。

 その一方で、最強の第十一聖騎士団――《英雄》、ビュークス・ウィンティエが敵の本拠地を目指して進軍している。この攻撃軍には、追加の聖騎士の派遣も決まった。

 すべては順調に進んでいる。

 マルコラス・エスゲインがそう思うのも当然だ。


(たしかに、人類が勝利を続けていることは認めよう。予想を上回る快進撃だということも)

 いくらか残酷な気分で、彼――つまり宰相クラレッグ・オーマウィスクは思う。

(この王国全土が、わずかに楽観的な空気に包まれ始めている)

 それは肌で感じられることでもある。民は希望を見出しているのだろう。いままでの防衛のための戦とは違う。勝つたびに人類は生存領域を北へ伸ばし、その分だけ、人々の生活圏から魔王現象という脅威は遠ざかる。

 王都の民の表情が明るくなるのは当然だ。クラレッグもよく理解している。


 だが、そうして芽生えた希望がついえたときは?

 ――そのときこそ、本当に戦う力は失われる。単純に士気が持たない、というだけでなく、国庫が持たない。戦いのためにかき集めた兵力をはじめ、武器も、物資も消え去る。

 この大攻勢こそは、最大にして最後の機会だった。


「では――エスゲイン総帥」

 クラレッグは、通信盤の縁にふれ、そこでようやく声を発した。

「例の懸念事項はいかがか? 懲罰勇者ども。魔王現象を飼っていた、例のやつらです」

『……ええ』

 エスゲインはわずかに言いよどんだ。

 理由はわかる。クラレッグも報告を聞いた。その部隊にいたライノーと名乗る魔王を逃がしてしまったからだ。おまけに、タツヤという別の懲罰勇者も失踪している。その男が手引きしたとみて間違いないだろう。

 即座に処罰の聖印を起動させ、二人とも殺したはずだが、その後どうなったかわからない。


『まことに由々しき事態。言語道断の所業ではあります』

 エスゲインは、その失態を誰の責任にもしなかった。部下からの人望が低下することを恐れているのだ、とクラレッグは思った。

 彼が罪を与えるとすれば、それは当然――

『懲罰勇者どもには、最大限の働きをして死んでもらいます。そのための戦場を用意しました』


「死の任務か。妥当な判断でしょう」

 クラレッグはうなずく。

 結局のところ、そういう形にするしかない。おそらく脱走の主犯であろうタツヤは行方知れずであり、指揮官のベネティムもいまだ死んでいる。

 ここは残った人員にもっとも苛烈な刑務を与えるしかない。


(成功すれば、懲罰勇者部隊を北方作戦からしばらくの間取り除くことができる)

 特に、クラレッグが警戒しているのは、ジェイス・パーチラクトとそのドラゴン。それに続いて、ザイロ・フォルバーツと《女神》。この二組のうち、どちらかだけでも落とすことができれば、北の作戦においての厄介事が一つ片付くことになる。

(だとしたら……念には念を。言っておかねば)

 クラレッグは少し考え、言葉を続ける。


「……あの部隊には、ドラゴンと、竜騎兵がいたでしょう。かつて反乱を起こしたあの男。ジェイス・パーチラクト。この状況においては、あまりにも危険であるように思います」

『賊ですな。たしかに危険です』

 マルコラス・エスゲインは、即座に応じた。

 迷う素振りがなかった――今回の脱走事件が、自分の失脚に繋がりかねないと考えているのだろう。それを免れるためなら、いくらでも厳しい決断をする。というよりも、厳しい決断をしている、と思わせたがっている。


『竜騎兵とドラゴンは分断して幽閉し、今回の作戦には従事させません』

 マルコラス・エスゲインはかねてより決めていたような口調で言う。

『賊徒が我々の頭上を飛行するのは、宰相閣下の憂慮される通り、作戦行動を危うくしますからな』

「総帥の判断であれば、異論はありません」

 細く短い息を吐き、クラレッグは通信盤の縁を指で叩いた。終了の合図だ。


「我々は、常に総帥の勝利を信じています」

『必ずや』

 軍の総帥は、いかにも厳粛な声で応じた。

『陛下と民の期待に応えてみせます。我が軍と、我が聖女は魔王現象を駆逐するでしょう』

 ――そうして、通信は途絶えた。

 一時の沈黙。重苦しい空気。だが、顔を上げないわけにはいかない。クラレッグは、対面に座る相手の顔を見た。


「……状況は、こちらの制御下で推移しています。不測の事態も発生し、常にその備えは必要ですが、いまのところ致命的な問題は発生しておりません」

 こちら、という言葉が差す意味は、この相手もよく知っている。

「陛下」

 と、声をかけた。

「軍は間もなく、引き返せない地点まで到達するでしょう」


「そうあるべきだろうな」

 低く、かすれた答え。クラレッグ以上に疲弊した声。仮面のような無表情。声を発するまでは、彫刻と言われても納得する者がいるかもしれない。

 だが、彼こそは現在のこの国の王だった。

 セドルディン・ゼフ=ゼイアル・メト・キーオ。

 連合王国における象徴。実際の権限は行政室にあるが、それでもなお国家として結束するために、彼の立場は必要とされてきた。


「総帥と、総帥の軍は勝利する。いましばらくはな」

 王の声には一切の感情がないように思える。

 表情にも言葉にも、どんな心理的要素さえうかがえない。それは当然のことだ――クラレッグはその理由を知っている。ほかでもない。この自分が、そう願った。

 その結果だ。

 いまでは、それに対する罪悪感すら消え去っていた。罪などというものは、所詮は人が決めるものだとクラレッグは確信するに至った。神殿が――神々が罪を定める時代はすでに終わり、現代では法が罪を定める。

 ならば、その法を作り出す宰相たる自分が、罪悪感に苛まれるなど馬鹿げている。


「ノーファンとの連絡を回復した以上、我らの軍は、巨獣霊廟ワコーシュの地まで達するであろう」

「では、その後は」

 クラレッグは聞かずにはいられなかった。その後。それこそが重要だった。

「その後は――なんとします? 和解ですか。それとも殲滅を?」

「……彼らは……殲滅など望んでいない」

 王は途切れがちに言葉を発するが、それは考えているためではない。王は思考などしない。外見上、そう見えるだけのことだ。ただ、情報の結合と抽出に時間がかかっているにすぎない。

 それを知る者は、ごく一握りだ。


「いずれ、和解の選択肢が提示される。背く者には、死を。そして最終的には――」

 王は無慈悲に告げ、そこで一度言葉を切った。その瞳が動き、何かを探るようにさまよった。

「……最終的には」

 王は金色の髭を撫でた。それが彼にかろうじて残された、王の人間らしい仕草だった。

「彼らは、人類を幸せにするだろう」

「そうですか」

 クラレッグは嘆息した。

 要するに――こちらに勝ち目はない、ということだ。


       ◆


 港を船が往来している。

 肌を刺す冬の風は止み、わずかに生ぬるい春の風はしかし、どこか重苦しく感じられた。

 それは恐らく、いまの状況に由来するのだろう。第六聖騎士団、リュフェン・カウロンはそう思った。

 気が進まないのだ、単純に。


 そんな気分を助長させてくるのが、いま目の前にいるもう一人。

 同じく第四聖騎士団長、サベッテ・フィズバラー。金色の巻き毛に、翡翠のような瞳を持つ女性。彼女はさきほどから、リュフェンを質問攻めにしていた。

「――本当に、あなた自身が行くつもり?」

 からかうようでいて、半分は呆れている。そういう口調だ。

「リュフェン・カウロン聖騎士団長。もしかして、ご自分の立場をお分かりでなかったりします?」


「そうかもしれませんね。俺はどうも、立場ってやつが苦手で」

 これは本音だ。立場をわきまえて仕事をすることは、ひどく窮屈に感じる。

 幼い頃から、そうあるべくしつけられてきたが、家族の期待に応えられたと思ったことはない。聖騎士になったいまでもそうだ。基本的に聖騎士は家庭を持てない――持つべきではない、といった方がいいか。

 西方貴族であるカウロン家は、本来ならば、リュフェンが通常の将校となってゼフ=ゼイアル系の血筋と婚姻関係を結ぶことを願っていた。いま、その期待を一身に受けているのは従弟の方だろう。


「まあでも、仕方ありませんよ」

 いまの自分の立場は、聖騎士だ。仕方がない。こうした点において、リュフェンはいつも諦めが早かった。

「補給線が伸びすぎました。これじゃあ前線に拠点を作らなきゃ、忙しすぎてやってられない」

 リュフェン・カウロンはそう言って、最後の荷物に『私物』のタグをつけた。聖印を刻んだタグであり、専用の照合印を使うことで、荷の中身や所在、開封の有無がわかるようになっている。

 こういう工夫は、ずぼらでものぐさな自分を少しでも救うためのものだった。


「だいたいね、ビュークス閣下が素早く動きすぎるんですよ。ついていくのが大変で、俺はもう目が回りそうになってるんですから」

 マルコラス・エスゲイン総帥率いる本隊と、《英雄》ビュークス・ウィンティエが率いる第十一聖騎士団。

 その両方に対して、目まぐるしく変わる現地の状況に応じ、兵站を差配するのは至難の業だ。もはや王都からでは難しい。結局、リュフェン自らがヴァリガーヒ塩境に向かうしかないだろう。


 この申請には、連合王国行政室も、ガルトゥイルも歓迎の意志を示した。

 だから、こうして港までやってきた。

 そんな折に海沿いの天候制御を担当していたサベッテが尋ねてきたのは、暇つぶしが半分、警告が半分といったところだろう。


「ビュークス聖騎士団長は甘えているのですよ、あなたに」

 サベッテ・フィズバラーは、彼の荷物箱の一つに手をかけた。体重をかけ、簡単にはどかせないようにする。

「あなたが兵站を切りまわしてしまうから。手を抜けばいいのに」

「抜いてますよ、俺はね。めちゃくちゃサボろうとしてます。荷物の分量考えるのも面倒くさいし、輸送ルートを自分で考えるのも面倒くさい。だからですね、最近は大部分を自動化できるようにしちゃって――」

「そういうことではありません」

 サベッテはリュフェンの努力の数々を一言で遮った。


「結果としてうまくやってしまうのが宜しくないと言っているのですけど? いかがです、聖騎士団長? 聖騎士として戦場の名誉を求めて前線に出れば、兵站係の大任など他人に押し付けられるでしょう」

「俺は前線も苦手なんですよ。みんな、よくあそこまで迷いなく決められるなって感じで。尊敬してますよ」

「それは例えば――ザイロ・フォルバーツとか?」

「かもしれませんね」

 リュフェンは意図して皮肉げな言い方をした。話はこれで終わりだ、というように。そして、サベッテが体重をかけている荷物に触れてみせる。


「どいていただけますか、聖騎士団長。俺もそろそろ出発の時間だ。うちのニヴレンヌが歓び勇んで船に乗り込んじゃってますからね」

「――そうですね。よくわかりました。取りやめる気などない、ということは」

 サベッテはそこで諦めたようだった。

「行きましょう、バフローク。第六聖騎士団長には警告しても無駄のようですから」

 金色の髪をかきあげ、振り返る。そこには、青い――目の覚めるほど青い衣服に身を包んだ、華奢な人影がある。サベッテと契約した《女神》だ。


 嵐の《女神》、バフローク。

 リュフェンに対して、衣服の裾を摘まんで一礼してみせる。いかにも《女神》らしい優雅な仕草。だが――

(やつれて見えるな、さすがに)

 ここ数か月、ほとんど休みなく召喚能力を行使しているらしい――おかげで海岸は理想的な気候が保たれている。その疲労は想像を絶しているし、サベッテにはその召喚行使の配分に加え、西に備えた防衛網を検討する負担も大きい。


(大変なことだな。誰も彼もが)

 リュフェンはサベッテの流れる金髪を見送りながら思った。

(これが最後の決戦になる。王国の財政は限界だ。いまは最後の希望が戦ってる)

 ビュークス・ウィンティエ。

 ザイロ・フォルバーツ。

 かつて夢想したことがある。この二人を完全に協調させ、連携させることができれば、この世に対抗できる者がいるだろうか?

 ――そして、その戦いを支援できるのは、自分以外にはいないのではないか。


(こんなことを考えるのは、誇大妄想って感じだ。でも――)

 リュフェンは海の向こうを睨む。

(最後まで付き合うよ、今度こそ)

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