犯罪経歴証明:トヴィッツ・ヒューカー 2
日がのぼると、気温が上がり始める。
冬の装束を纏っていると汗ばむほどだ。
この北部の大地にも、夏と位置付けられる季節が訪れつつある。肌に染みるように冷たい夜と、上着が鬱陶しくなるような昼とが交互にやってくる。
(悪くない季節だ)
トヴィッツ・ヒューカーは、葦毛の馬の手綱を操りながらそう思う。
太陽はすでに高い。聖印への蓄光が容易になり、人間の軍は勢いづくだろう。それを抑えるのは、腕の見せ所だ。間もなくやつらはここまで進軍してくるだろう。
あの、砲撃都市ノーファンへ向かって――そして、異形鋼岳ムディカ・サグを落とすために。
「――それで、なんだ?」
背後から陰鬱な声。スウラ・オド。つい今朝のこと、仕事を果たして帰還してきた。
アニスではなく、しばらく彼が話し相手ということだ――そのところが少し残念だが、仕方がない。どうせスウラ・オドには、すぐにまた次の仕事が待っている。
「本当に効果があったのか、トヴィッツ」
スウラは馬ではなく、
スウラが乗るのはコシュタ・バワーという種類の
(たぶん、ぼくは彼らにとって「下」だと思われているんだろうな)
その理由はわかる。アニスに仕える召使のように見えるだろう。あるいは奴隷か。それはそれでよかった。
そんな自分も面白い。もともと、そうやって生きてきた。他人からの視線などどうでもよかった。そう、他人など関係がない。ただ、自分の喜びと、自分が大切に思うものの喜びのために。
「トヴィッツ、聞いているのか」
スウラは陰鬱に言いつのった。
「意味があったのか、と聞いている。あのベネティムとかいうつまらん指揮官を殺したことだ」
どうも、彼は不機嫌であるようだった。暗い目でトヴィッツを睨むように見ている。
「これは評価の問題だ。俺にあの程度のやつしか殺せないと思われていたら、心外だからな。あのツァーヴだって殺せた。条件さえ整えれば、だ。もっと価値の高い仕事ができたはずだ」
「……十分に価値の高い仕事でしたよ」
トヴィッツはできるだけ平坦な声で言った。それがスウラ・オドのプライドを刺激しない方法であると知っている。
「ベネティムは確かに無能な指揮官でしたが、同時に、懲罰勇者部隊の兵站でもあります。兵站の概念は知っていますよね。単に食料というだけでなく、戦うための準備という意味で」
「俺に戦術を講義したいのか?」
「では結構。ベネティムを仕留めたことで、一時的ではありますが、懲罰勇者部隊を機能不全に追い込めると思います。この次の戦いにおいては、その――ツァーヴという狙撃兵を殺していた結果よりもよほど効果的ですよ」
次の戦い。そうだ。いま向かっているのは、次の戦場だ。
視線を前に向ける。砲撃都市ノーファンと、それを支援する小規模な都市群。これらは北部において独立した人類の生存圏を保持する、貴重な地域だった。
ここで、あの都市を陥落させておきたかった。
「ベネティム。あの愚かな男が――」
トヴィッツは一瞬、言葉を選んだようだった。
「どんな役目を果たしていたって?」
「懲罰勇者部隊が、懲罰勇者部隊として行動するために必要な、形式上のすべて。それ以外の部分には一切かかわっていないため、見えにくい役割ですが――」
トヴィッツは資料にあったベネティムを思う。顔は知らない。だが、その人物像は鮮明に思い浮かべることができた。
「少なくともベネティムが消えたことで、いま、彼らは懲罰勇者部隊らしい作戦を行うことが難しくなりました。まあ、脅威は半減と見ていいでしょう。……よほどのことがなければ」
「やつらはいつも『よほどのこと』をしてきたんだろうが」
「そうですね。なので、砲兵にも退場してもらいました」
トヴィッツはもう一人、別の懲罰勇者を思い浮かべた。明らかに異様な経歴――ライノー。人間だった頃の名を、ライノー・モルチェト。魔王現象にして、懲罰勇者。おそらく現時点で最強の砲兵。
ノーファンを攻略するために、どうしても除いておきたい駒だった。
そうでなくても、何をするかわからないところがある。人間の動きならある程度は読めるが、異常な行動原理を持った魔王現象ならば、予測がつかない。
だから、消えてもらった。
「ライノー。彼の動きを封じるのは、簡単なことなんです。魔王現象たちには思いつかなかったでしょうけどね。つまり、『真実』を告げればいい。彼にはどんな嘘よりも、真実こそが致命的な一撃になる」
「だから告発したのか。誰を使った? 連合王国に影響を与えられるほどのやつがいるのか?」
「さあ」
トヴィッツは肩をすくめた。そろそろ気温が上がってくる時間だ。外套を脱いだ方がいいかもしれない。
「アバドン閣下の口ぶりからすると、魔王現象の中でも相当に高い身分の方でしょうけどね。ぼくがわかるはずもない」
「やつらの『王』か」
「あるいは、そうかも」
「では、懲罰勇者部隊は――もはや敵ではないという意味か?」
「いえ。依然として脅威ですよ。戦術的なレベルにおいては最も警戒すべき二つの要素のうち、一つです」
「……引っかかる言い方だな。もう一つは?」
「第十一聖騎士団。ビュークス・ウィンティエと、太陽の《女神》ルクジュット」
連合王国において、かつて第五聖騎士団と並んで最強と呼ばれた者たちだ。
どこまでも冷徹。いま現在も、北に――彼らの根拠地に向かって進軍しているだろう。決して急がず、確実に、海が陸地を浸食するように攻めてくる。連合王国からの豊富な補給を得たいまでは、その勢いは増している。
それを止める術は、トヴィッツにも思いつかなかった。いままでは。
(方法は、ある)
と、確信している。次の一手で致命傷を与えることができるはずだ。懲罰勇者と第十一聖騎士団。その両方に致命的な打撃を与えるのが、ノーファンを舞台にする次の戦いの目的だった。
「戦略的にもっとも警戒すべきなのは、兵站を支配する第六聖騎士団のリュフェン・カウロン。……ですが、彼はどうしようもないんですよね」
この評価は、人類に与していた頃からのものだ。リュフェン・カウロン。あの男だけは、ほかの聖騎士とは意味合いが違う。もしも味方であれば、この上なく心強い存在だっただろう。
「本当に厄介な相手に手が出せないというのは脅威ですが、前線をいま撃退すれば、国家財政も破綻します」
「かもしれないな。だが、本当にうまくいくか?」
スウラ・オドの声には、疑念が滲んでいる。
それはそうだろう――と、トヴィッツも思う。《女神》の戦力は何を覆すか予想がつかない。懲罰勇者の動きには何度も意表をつかれてきた。
(それでも)
トヴィッツは視線を動かす。
(ここは勝つ)
いま歩みをすすめる切り立った断崖の道。その先にあるのは、砲撃都市ノーファン――白く輝くような、巨大な砲身を備えた城砦。その一帯はかつて、フォルバーツ新領と呼ばれていた地域だった。
伝え聞く話によれば、ザイロ・フォルバーツがあの一帯を制圧した際に獲得した所領だという。ただ、あの男が懲罰勇者となったことで、すでにその領地は名前さえも消失している。
だが、抵抗は激しく、周到だった。
周囲の都市群、集落と強固な連携を作り上げ、孤立したまま戦い続ける状況を作り上げていた。おかげで、いまだに魔王現象の軍勢もやつらを攻め潰せていない。
ここで確実に消しておかなければ、連合王国軍を勢いづかせることになりかねないだろう。
「今回は、我々が勝ちますよ」
トヴィッツは笑った。それがスウラ・オドに余裕を見せることだとわかっていた。こういう手合いには、どれだけ自信があるかを理解させておかねばならない。
「ここで連合王国軍を止めます。そのために動いている人もいますからね。こっちの切り札のような二人です」
「……あの、ユキヒトか。それとブージャム」
スウラ・オドは短く答える。
二人分の名前。そこにはいくらかの嫌悪感が滲んでいるように、トヴィッツは思った。この軍勢の中心ともいえる、二人の名前だった。
「やれるのか? 俺は……あの二人のどちらも、怪しいものだと思うが」
「でしょうね。ちょっと不安はりますけど、しかし、うまくやりますよ。……今回は、たぶんね」
トヴィッツは馬の首筋を撫でた。わずかにストレスを感じているのがわかったからだ。周囲には、無数の
先鋒には、フーアやメアラといった歩兵型の
そして後方には、攻城戦の主力である大型の
(結局、この視点がいままでの魔王現象には欠けていた)
トヴィッツは空を見上げる。太陽はゆっくりと動き、大地を照らす。その陽光は、暖かさよりも苛烈さを増していくだろう。
(都市や城を攻めるとはどういうことか。今回は勝たせてもらえるかな?)
トヴィッツには確信がある。人類は、その長所ゆえに負けるだろう。第三次魔王討伐の記録がそれを示している。
「そろそろ分かれましょう。我々は第十一聖騎士団を抑えなければ。ノーファンの攻略は、あの二人の仕事です」
「第十一聖騎士団。太陽の《女神》。こちらの仕事の方が難儀だと思うがな」
「だからいいんじゃないですか」
トヴィッツは心の底からそう言った。本当のことだ。
「彼らに勝てば、アニスはきっとぼくを高く評価してくれますよ」
「バカバカしい」
スウラ・オドは鼻を鳴らした。
それはそうだろう――お前にはわからないだろう。トヴィッツは苦笑とともに、この男に対する嫌悪感を募らせた。
(嫌いだな)
と、トヴィッツは改めて思った。
この金銭主義の男を、トヴィッツはまるで好きにはなれない。
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