刑罰:ブロック・ヌメア要塞破壊工作 6

 ブロック・ヌメア要塞との連絡が途絶えた。

 それは、連合王国側の総攻撃が始まったことを意味している。トヴィッツ・ヒューカーは、その報告をムディカ・サグで受け取った。


 ムディカ・サグは、砲撃都市ノーファンと対峙する魔王現象側の一大拠点である。

 山一つを丸ごとダンジョン化させ、軍事要塞に変化させるという、魔王現象にしかできない発想で築かれた。

 トヴィッツは、その巨大要塞の一隅に居室を与えられていた。

 ある種の参謀として、魔王現象アバドンに仕えるという形である。


「海からの攻撃が始まったわ」

 と、アニスは部屋に入るなりそう告げた。

 漆黒の髪の毛に、同じ漆黒の瞳を持つ魔王現象。トヴィッツ・ヒューカーにとって、人類を敵に回して戦う理由のすべて。

「攻撃の中心にいるのは『聖女』のようね。第十聖騎士団の鋼の《女神》が、補助的な役割を果たしているらしいけれど」


 このところ、伝令役はずっと彼女だった。

 普段トヴィッツが使っているスウラ・オドは、いま、連合王国の軍の中に紛れ込ませている。しばらくは戻らない。

 結果としてアニスは、いまやトヴィッツの副官のような立ち位置を果たしていた。それはアバドンの指示によるもので、アニスはやや不服そうな様子を見せたが、結局は大人しく従っている。


(スウラ・オドには悪いが、これはいいな)

 もうしばらくといわず、ずっとこの状態でもいい。と、トヴィッツは思う。

 アニスを副官として従えることで、所有欲――あるいは支配欲が満たされているのを感じる。そして、この関係性を永続させるのも不可能ではない。

 トヴィッツはアバドンと報酬の約束をしていた。

 砲撃都市ノーファンと、その都市間防御網を破壊できた暁には、正式にアニスを副官として配属させてもいい。そういう約束だ。


「トヴィッツ・ヒューカー」

 アニスは彼の名を呼んだ。怪訝そうに、片目を細めている。

「何を考えているの? 聞いていた? 報告を受け取ったら、返事をしなさい」

「もちろん、聞いていましたよ。ぼくがきみの言葉を聞き逃すはずがない」

「そう。では、ブロック・ヌメア要塞への指示は? 何かある?」

 アニスはトヴィッツの追従を無視した。が、相手に通じたかどうかなど、トヴィッツにとってはどうでもよいことだった。むしろ、通じないからこそ美しいと思う。

 少しだけ笑って、傍らの机の地図に視線を移す。


「ブロック・ヌメアの周辺には、こちらの警戒部隊が展開していましたね」

 おおよそ四千。

 異形フェアリーと傭兵たちの混成部隊で、これに近隣集落で飼っている人間を合わせれば、さらに多い。通常ならば、この人数が上陸してくる連合王国軍への備えとなるはずだった。

 その警戒線が、機能していない。大きな集落の一つが唐突に離反し、瞬く間に周辺を制圧された形だった。連絡と指示が分断されれば、人間集落は防衛線力としては役に立たない。もともと、早期警戒以上の意味で当てにするべきではなかった。


「警戒部隊の一部が急行しているけれど、要塞へは近づけていない。邪魔している部隊がいるようね」

「聞いています。勝てないでしょう。邪魔しているのは、例の懲罰勇者部隊ですから。それに内部への破壊工作も担当しているようですね」

 連合王国軍の動向ならば、頭に入っている。

 特に懲罰勇者部隊の動きは、もっとも警戒すべき相手として注目していた。今回も無茶な任務を押し付けられたようだが、結局は、その役目を全うしつつある。


(まだだ。まだ、勝てない)

 懲罰勇者部隊の動きを聞きながら、トヴィッツはそう結論づけた。こういう相手は、正攻法ではなく、もっと慎重に動きを封じなくては。

 救援を妨害している部隊は、懲罰勇者部隊の長である男が指揮していると聞いている。ベネティム・レオプール。そして実際に騎兵を率いて蹴散らしているのが、パトーシェ・キヴィア。


(この部隊は囮だな)

 と、トヴィッツは確信している。

 パトーシェ・キヴィアの騎兵隊は強い。報告では百騎から二百騎ほどを率いているらしいが、実際にはもっと少ないだろう。ただそれだけで、こちらが繰り出す突破部隊をあしらっている。

 押し包もうとしたら突き抜けられ、追い込もうとしても振り回される。


(本命は、ブロック・ヌメア要塞の攻略にかかっている。破壊工作かな。魔王現象の暗殺が、この部隊の得意手だ)

 頭の中で、地図上に想像上の駒を動かす。

 ベネティム・レオプールの肩書はともかく、実質的な指揮官ではない。軍事的な能力など何もない。様々な情報を総合すると、それは確実だ。

 で、ある以上は、この野戦部隊を無視して、ブロック・ヌメア要塞に入り込んだ相手の始末――できれば捕獲に全力を尽くすべきか。この先のことを考えると、そろそろ懲罰勇者部隊に痛撃を与えておきたかった。


 しかし、遅すぎた。

 囮にはうまく時間を稼がれた格好になる。小規模な部隊を、実際以上に広範囲に展開する大軍だと思わされた。傭兵どもは腰を据えて戦わねばならない、と考え、停滞してしまった。

(あの騎兵部隊は強すぎるな。罠と歩兵も利用して、十倍以上の戦力があると錯覚させた)

 トヴィッツは苦笑している自分に気づく。

 本当ならば、無視して迂回するなり、方法はいくらでもあった――が、もうその段階は過ぎていた。この期に及んでは、ベネティム・レオプールの部隊を叩く意味はほとんどない。

 ならば――


「……それで?」

 アニスが問いかけてきた。冷たい声。彼女の魔王現象としての権能を表すかのように、氷のような響きがある。

「どうするつもり? アバドン閣下は、お前の仕事を評価していたわ。少しは役に立つのでしょうね?」

「もちろん」

 うなずいて、アニスに笑いかける。アニスはそれに一切の反応を見せない。そんなところも、トヴィッツは好きになっていた。


「まず、ブロック・ヌメア要塞は放棄します。『ミスラ』には想定通りに指示を出してください。そして――」

 トヴィッツは地図上に敵の姿をありありと思い浮かべることができた。

 懲罰勇者部隊。彼らの存在は、いずれ魔王現象を――というより、アニスを破滅させるかもしれない。それだけは避けるべきことだ。

「囮に食いついてやりましょうか。この局面では敗北するかもしれませんが、うまくいけば、痛み分けぐらいには持ち込めると思います」


        ◆


 門は、破壊するしかなかった。

 時間はかかったが、これが確実だ。ザッテ・フィンデの聖印を浸透させて、錠を三つ四つ吹き飛ばした。


 難攻不落、まっとうな方法での破壊工作など不可能と思われたブロック・ヌメア要塞だが、中に入り込んでしまえばそこまで難しいことではなかった。

 なにしろ俺たちには《女神》テオリッタがついているし、砲兵――ライノーの存在もあった。おまけに雷杖を手にした、南方夜鬼の歩兵。こんな連中を内部に侵入させた以上、守り切るのは不可能だ。

 もっとも、そこから先は大いに苦労させられた。


「ザイロ、次が来ます!」

 テオリッタが指差し、声をあげていた。

「数が多いですよ」

 群れを成して中型の異形フェアリーが駆けてくる。それを率いる形で、人間の傭兵たち。どいつもこいつも、鬼気迫る顔つきだ。


 それはもう必死にならざるを得ないだろう。

 すでに、陸路を進軍してきた連合王国軍の本隊に連絡はしてある。この正門を押さえている間に、あいつらが到着すれば俺たちの勝ちが決まるからだ。特に、俺が当てにしているのはタツヤだった。

 ノルガユによって調律された聖印兵器を持つタツヤが飛び込んで来れば、もはや誰も阻止できないだろう。再封鎖する機会はない。あと一刻程度、抑えることができれば俺たちの勝ちだ。


「迎え撃ちます! ……よね? 我が騎士?」

 テオリッタは勇ましく断言してから、確かめるように俺を見上げた。

異形フェアリーの始末は頼む」

 答え合わせの代わりに、俺はテオリッタを抱える。

「一度だけ突っ込む。少し気合入れて蹴散らそうぜ。それであいつらも、戦力の無駄な逐次投入はやめるだろ」

 目的は、あいつらをブロック・ヌメア要塞の建物の中に追い返すことだ。それが無理でも、こちらを蹴散らす兵力が整うまで待とう、と思わせればいい。


「突撃するぞ、つき合うアホはいるか? 四人までな!」

「ああ、いいね。それは魅力的な提案だ」

 俺の質問に、ライノーが真っ先に反応しやがった。何が『魅力的』だ。能天気に片手をあげてみせた。

「僕が立候補してもいいかな?」

「いいわけねえだろ! 砲兵はお前だけなんだから、ここから援護しろ。強めに叩いたら反転して戻る。足の遅いやつはお断りだ」

「――では、当然私ね」

 フレンシィが曲刀を抜き放った。その物言いには、反論を許さない断固としたものがあった。なんとなくそう言うだろうな、と俺も予想はしていた。


爪番タラニィ、筆頭から順に三人」

 と、フレンシィは言った。

 爪番タラニィというのは、南方夜鬼領における名誉称号のようなものだ。氏族の長を守る直属の護衛であり、連合王国風の大げさな言い方をすると、『近衛』という言い回しが最も近いかもしれない。

「追随しなさい。我らが婿に恥をかかせないように。この戦いで私とザイロの目に留まるような活躍をした者には、一族への褒賞を約束しましょう」

 言いたいことはいくつもあったが、そんな暇はない。フレンシィが宣言した以上、これで突撃の人員は確定した。


 こうなると、俺が口を挟む余地はない。なにしろ長はフレンシィだ。

「いくぞ」

 とだけ言い捨てた。

 飛翔し、敵の只中へ飛び込む。テオリッタが剣を呼び出し、異形フェアリーの群れを串刺しにする――これで突っ込んできたやつらの三割は仕留めた。

 俺はナイフを引き抜いて、指揮官らしき傭兵に投げつけた。ただ一人、騎乗していたやつだった。爆破の光。吹き飛ぶ。

 これで、完全に出足が止まった。


 フレンシィと、三人の夜鬼はうまくやった。ただでさえ後方からの射撃、砲撃の援護を受けた突撃は強力だ。

 瞬く間に人間の傭兵を切り伏せ、異形フェアリーを打ち取る。

 南方夜鬼の得意とする武器は、第一に稲妻の聖印を施した曲刀だ。この刃が触れると、深手でなくても動きが止まる。受け太刀も許さない。


 特に、フレンシィの選んだ三人はさすがだった。

 低い構えから敵の懐に飛び込んで、切り裂く。鎧を身に着けた相手であっても、その隙間に刃を通す。南方剣術に特有の、旋回するような動き。三人がかりで交互に連携して斬りたてれば、対処することもできない。

 見事な連携といえる――俺は思わず彼らに声をかけていた。

「やるな、おい。名前は?」


「……名前、ですか」

 夜鬼の爪番タラニィたちは束の間だけ顔を見合わせ、うち一人が呻くように答えた。何か、咎めるような口調だった。あるいは、痛みを堪えるような。

「ご存じありませんか、婿殿」

 その問いがやけに意識に引っかかった。

 もしかすると、忘れているだけかもしれない。俺は沈黙した。南方夜鬼領で暮らしていた頃のことは、遠い昔のように感じる。あまりにも遠い。


「私がメイジアナ」

 名乗ったのは、たぶん爪番タラニィの筆頭なのだろう。鉄色の髪を短く切りそろえた女だった。

「そちらはカロス、ターグです。頭領の兵として、共に戦う日を夢見ていました。いま、それが叶って光栄です」

「懲罰勇者と仕事をするのが光栄だなんて思うなよ」

 俺にできるのは、そういう忠告だけだ。あまり関わるべきじゃない。それは南方夜鬼という一族のためにならない。

 できることならば、この仕事を無事にやりおおせたら――という助言をしようとする前に、テオリッタが素っ頓狂な声をあげていた。


「ザイロ!」

 指差しているのは、頭上だった。

「あれを見てください! な、なんです、あれは!」

 月の光が翳った。黒く、長く、巨大な影が伸びていた。海側の城壁。それを越えるほど背の高い、いかにも無骨な『塔』だった。

 火花を散らしながら、その『塔』は成長していた。まだ伸びる。俺はそういう現象に心当たりがあった。というよりも、ほかの可能性はないだろう。


「あれは『聖女』だ。城砦の《女神》の力を使えるなら、あの塔は『聖女』の呼び出した代物だろうな」

 敵の築いた城壁を乗り越えて攻撃を行うために、こういう『塔』を召喚したことはある。実際、状況によっては有効な手だとは思う。

 しかし、これは――


「あの、我が騎士。あの塔、なんだか危なくありませんか?」

 このときは、テオリッタでさえ気づいた。大きすぎる。それになんだか形が歪だ。このままでは――

「少々、高くなりすぎているような――あっ!」

 ごおっ、と、激しい衝撃が『塔』を揺らした。炎が弾けたように思う。ブロック・ヌメア要塞から何かが飛来していた。

 砲撃か。あるいは、あの要塞を支配する魔王現象が放つ、海で見たような「炎」を撃ちだしたものか。

 いずれにせよ、その一撃は『塔』を根幹から揺るがした。亀裂が走る。傾く。

 そして、倒壊が始まる。


「マジかよ」

 衝撃が与えられた方向から、当然の帰結として、『塔』は要塞の内側へと倒れてくる。つまり、俺たちの方へ。

 誰かがその『塔』の頂点にいたらしい。たった一人、『塔』から転がり落ち、落下を始めるのがわかった。小柄な女。見覚えはあった――残念ながら。本当なら無視したいところだったが、そうもいかない。

 俺はそいつに気づいてしまったからだ。


「フレンシィ! テオリッタを頼む!」

「え」

「何です?」

「あれは『聖女』だ! くそっ、ふざけんなよ!」

 俺は駆けだしていた。阻もうとする異形フェアリーが数匹。ナイフを放って吹き飛ばす。飛翔印サカラで宙を刎ねる。


 空中に投げ出されたそいつを、つまり『聖女』ユリサ・キダフレニーを受け止めるまで、およそ数秒。

 その数秒で、俺はありとあらゆる後悔をした。


 なんぜ俺はこんなことをしているのか。

 見なかったふりをすればよかった。こんな間抜けな自殺行為をするようなやつなんて――たとえ『聖女』の喪失によって士気が崩壊しようが知ったことじゃない――こんな間抜けを最前線で戦わせる人類なんて滅びた方がいい――


 それでも、気づいたら、俺はユリサ・キダフレニーを受け止めてしまっていた。

 やつは目を見開き、すっかり怯えた様子で俺を見上げた。

「あなたは――」

「黙れクソ。畜生。こんなのやってられるか!」

 罵倒しながら、そのついでに俺は怒鳴った。落下するまであと数秒。その前にやらせることがある。

「足場を出せ。自分の身長を基準に、三倍。石造りの小屋だ、そのくらいならイメージできるだろ! 早くしろ!」

「は」

 と、クソアホ間抜けの『聖女』は声を震わせた。その右目が燃えるように輝く。火花が散る。

「はい!」


 石造りの小屋。身長の三倍程度。

 その屋根を蹴って、俺は飛んだ。地上から当然のように飛んでくる、傭兵どもの射撃を避けるためだ。そして着地点に群がる異形フェアリーどもに先制攻撃をかけるためでもある。

 俺はナイフを引き抜いた。

 これをやるのは久しぶりだ、と、俺は反吐が出るほど最悪の気分で思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る