刑罰:ブロック・ヌメア要塞破壊工作 5
空に青い月がのぼりかけた、夕暮れ時だった。
ブロック・ヌメアへ続く道も赤く染まっている。その先で、黒の旗が二つ、黄色の旗が一つ掲げられた。馬、荷車、護衛らしき人間たちの小規模な一団。四台の荷車を率いている。
そいつが近づくと、がりがりと異様な音が、ブロック・ヌメアの城壁から響きはじめた。予想外の位置にある壁が開いていく。そこが、巻き上げ式の機構を備えた扉になっていたようだ。
俺たちは地に伏せ、その一部始終を見て、聞いていた。
そう、俺たち三人。つまり、テオリッタと俺と、ライノー。
「時間通り、ですね」
俺の隣で、テオリッタがささやく。
「嘘ではなかったようで何よりです。あの者たちにも感謝しなければ」
わずかな安心と、緊張が入り混じった声だった。
あの村の連中から、ブロック・ヌメアが近隣の集落から「補給」を受ける方法を聞きだすことはできていた。黒と黄色の旗こそが、要塞内部への合図だった。
このときばかりはブロック・ヌメア要塞も通用口を開き、物資を招き入れる。
当然、それを護衛する部隊は展開される――人間の傭兵が、およそ二十と少しか。
それに従う
こういう、一見しただけで敵の数を推し量る技術は、軍隊で徹底的に叩き込まれる。というより、これができなければ上級将校は務まらない。そんな間抜けは昇進する前に死ぬからだ。
目算したところ、思ったよりも敵の数は少ない――これならば、余裕でいける。
(そろそろ始まるな)
そのことを考えると、憂鬱な気分になる。
本格的な攻城戦だ。ベネティムやら『聖女』やらが変な動きをしなければ、もう少し腰を落ち着けた作戦が使えたはずだ。まったく不本意に、強襲のような攻略法を強いられている。
なし崩しに戦いに引きずり込まれる。こういうのはよくあることだった。そう――ずっと昔、聖騎士だった頃から――あったような気がする。誰かの強引な性格のせいで、こういう目にあってきた。
誰か。
それが誰かといえば、――忘れるはずはない――そう。忘れるはずはない。ないのだが――頭痛がする――
「準備はできたよ」
ライノーが低く囁いた。赤黒い装甲が、夕陽の残照を吸っていささかくすんで見えた。気のせいではない。ライノーの砲甲冑にはこういう迷彩機能が備わっている。
かなり実験的な技術で、気休め程度のものであるはずだったが、ノルガユが改修を行ったため、それなりに効果はあるようだ。この距離ならば、ドッタのような異常な視力の持ち主でなければ、まず視認されない。
「うまくいくといいんだけどね。同志ザイロ、彼らはうまくやってくれるかな?」
「やる」
俺は断言した。
「フレンシィと、南方夜鬼は強い」
「むっ」
テオリッタがなぜか眉間にしわを寄せ、唸り声をあげた。
「ザイロ、私たちも負けていられませんよ。この大いなる戦いに先駆ける、偉大な勇士として――」
「おっと、《女神》様。そこまでかな? 始まったよ」
テオリッタの言葉を、ライノーが遮った。動きがあったからだ。
荷車を取り囲み、物資を受け取ろうとした傭兵の一人が、派手に転んだ。
何かに躓いた、というわけではない。致命傷――首筋が裂けている。荷車の中から、湾曲した刃が突き出していた。叫び声があがる。
そうして、真っ先に飛び出してきたのは、フレンシィだった。
異変を察知される前に、さらに一人を切り捨てている。異変に気付き、傭兵たちは雷杖を構える。
荷車に潜んでいたのは、フレンシィが率いる夜鬼の歩兵。二十ほどだ。それも手練れを揃えてある。南方夜鬼たちの戦いに雄叫びや怒号はない。舌を打つ音、鋭い口笛で合図を交わして、襲撃は静かに遂行された。
瞬く間に、半数近くの傭兵が切り伏せられた。それでも一部が反撃を試みようとする――
「いくぞ。出番だ」
「ええ!」
俺もテオリッタを抱えて、地を蹴った。夕暮れの空に跳ね上がる。飛翔印の最大速度で、荷車の群れと、それを囲む傭兵や
俺たちの狙いは、まずは大物。バーグェストだ。反応される前が望ましい。
このときは、その狙いがほぼ完全にうまくいった。俺は空中でナイフを引き抜く。爆破印を浸透させて、投擲。
閃光、爆音。
バーグェストの頭部が吹き飛んだ。そのまま倒れて、潰された
俺もその一本を掴み、跳びかかってきた
(よし)
次。
俺はさらにもう一匹の
「――我が騎士!」
テオリッタは俺の肩を叩いて注意を促す。
フレンシィだ。ただ一人、荷車から引き離され、防戦を強いられている。あいつが追い込まれるとは、珍しい。
敵の傭兵どもの中には、さすがに手強いやつらもいたようだ。五、六人で固まり、雷杖を構えているやつら。戦い方をわかっていやがる。雷杖が本領を発揮するのは、集団による一斉射撃だ。
「孤立させた! あの女が指揮官だ、狙え!」
という低い声が聞こえた。閃光が連鎖し、フレンシィは地に伏せ、その斉射をかわす。
ただ、次はない。狙いが足元に向かうだけ――そうなる前に、俺はまた跳ねた。
新たにナイフを引き抜き、聖印を浸透させる暇を惜しんで投げた。
寸分たがわず、雷杖を持つ一人の手を貫く。俺に気づいて振り返るやつもいる。そいつの顔面を蹴とばし、振り返りざまにもう一人。胸のあたりを蹴って、肋骨ぐらいはへし折ったと思う。
接近してくる
――こうなれば、あとは速やかに終結する。
残りの傭兵は、地を這うように飛び込んできたフレンシィが片づけた。
「おい、無事だな?」
俺はフレンシィに言った。とりあえず、目に見える負傷はない。
「間に合ったな。いまのは俺もそんなに無様ってわけでもなかっただろ」
「……そうね」
フレンシィは鉄の色の髪をかきあげた。顔をしかめているのがわかる。いまの苦戦を見られたことを恥ずかしがるように、視線を外して曲刀の血を拭う。
「あなたには及第点を進呈してもいいでしょう。我が婚約者として悪くなかったわ」
「そうでしょう!」
と、なぜか誇らしげに胸を張ったのはテオリッタだった。
「あなたの婚約者という部分はともかく、我が騎士はたいしたものなのですよ!」
「……《女神》というのは、どうしてこうも……」
フレンシィがかすかにため息をつくのがわかった。その後に続く言葉を飲み込んで、俺を見る。
「ザイロ。いまのは私の失態です。突出しすぎました」
その物言いは相変わらずだ。フレンシィは他人にも厳しいが、自分にも厳しい。いまのを失態としてカウントしている。
「それでも、気になることが一点。奇襲されても立て直した者がいました。敵の兵ながら、かなり訓練されているようね」
「たぶんな。雷杖も新型で、そいつをまともに扱ってた」
敵の中に、人間の戦い方に詳しいやつがいるということだ。
これはなかなか厄介な事態かもしれない。魔王現象によって徴発され、兵士に仕立て上げられた人間は、士気も練度も低いのが常だった。
たとえば、ミューリッド要塞の時はせいぜい山賊みたいなレベルの傭兵が相手だったし、第二王都の攻防でも統率された人間の軍としての脅威は感じなかった。
(嫌な感じだ)
どうも、魔王現象に味方しているやつらに、人間の兵士を兵士として機能させることに長けたやつが加わったような気がする。
「ちょっと面倒だな」
「そうね。でも当然、このまま引き下がる手はありませんよね?」
「ない。仕事だからな――おい、怪我したやつ! いるか!」
俺は周りの連中に怒鳴った。傭兵は一掃したし、
「手負いで無理なやつは引き上げろ、ここから先はもっと厳しいぞ」
「そんな根性無しはいませんよ」
一人の兵が苦笑した。根性の問題ではないと思うが、南方夜鬼はこういう言い方を好む。
「ですが、婿殿。見てください」
彼が指差したのは、ブロック・ヌメア要塞の、城壁の方だった。物資を搬入する通用口、その扉が閉じられようとしている。城壁の上にも、雷杖を構えた歩兵たちが駆け込んできていた。
「もう扉が閉じそうです。ここから急いで間に合いますかね、城壁の上からも撃ちまくられたらたまりませんよ」
要塞の連中、さすがに異変に気付いたらしい。ただし、もう遅い。
「気にするな」
と、俺は言った。それについては手を打ってある。
「もう吹き飛ぶから。まずはここの雷杖を拾って集めろ、新型は性能がいい」
俺の言葉は、すぐに証明された。
ばっ、と、空気の爆ぜる音。輝く何かが頭上を飛んで行ったと思う。そして着弾、衝撃、爆音。立て続けに三度――正確に、通用口の扉を狙っていた。
おそらく、扉を閉じようとした兵士ごと、その砲撃が粉砕しただろう。
『命中したよ』
事も無げに、ライノーが通信を入れてくる。
『次は城壁の上を狙えばいいかな? 人が集まって来ているね』
「任せる。一通りやったら追ってこい。俺たちは押し込み強盗に行ってくる」
『了解だ。しかし、これはどうも大変だね』
そうして、ライノーは心の底から憂鬱そうに呟いた。
『敵は傭兵が多いようだ――人間同士の戦いなんて、僕は悲しいよ。彼らが魔王現象に味方するのは、どういう理由かな?』
「そっちの方が儲かるんだろ」
『ああ――うん、そうだね。個人の短期的な利益の問題か。わかるよ。悲劇的なことだ。……彼らの死を無駄にしてはいけないな……』
「突入するぞ」
俺はもう、ライノーの大げさな悲嘆は放っておくことにする。いつもそんな感じだからだ。
「いまなら行ける」
海の方が騒がしくなってきた。光が瞬き、艦船からの砲撃が始まっている。
要塞側も応戦し、砲撃で反撃しはじめたようだが、それを遮るものがあった、海上に突如として出現した、巨大な鉄の杭が何本も――いや、あれは鉄の柵だ。防御用の鉄柵。
それが砲弾を受け止め、要塞側の反撃を無力化している。船はその陰から近づいていく。
瞬時にしてこんな構造物を呼び出す。その芸当には心当たりがあった。間違いなく『聖女』による所業だった。
(バカめ)
と、俺は思う。
あれだけの巨大な鉄の柵を呼び出すなんて、かなり大掛かりな召喚だ――あんなのは、そうそう連発できる代物じゃない。あの『聖女』は明らかに自分の限界をわかっていない。
さっさとケリをつける必要がありそうだ。
◆
海から、轟音が響いてくる。
ブロック・ヌメア要塞の城壁が揺れているようだ。鋼の《女神》、イリーナレアの用いるなんらかの兵器が使用されているのだろう。
断続的に輝き、弾ける。空から怒鳴りつけられているような気分にもなる。
(地獄のようだ)
と、ベネティムは思った。
なだらかな丘から眺める光景は、南に広がる海を見ても、北に続く森を見ても、目をつぶりたくなる状況だ。
いまだに戦場というものには慣れない。慣れる日など来ないかもしれない。
そして自分が直面しなければならないのは、北だ。
いますぐにでも逃走したいが、ツァーヴが背後で見張っている限りそんなことはできないだろうし、成功したとしてもザイロに殺される。
結局、ベネティムにできることは、指揮官のような顔をして、ここでこうして突っ立っていることだけだ。
(それに、たぶん、下手に動かない方が安全ですね)
ベネティムは北の戦いを見ながら、そう確信する。
森からやってきた
まるで藁束でも蹴散らすようだった。
「おおー……、すっげえな」
ツァーヴも呑気な声をあげた。何やら狙撃杖をいじくりまわしながら、すっかり観戦する構えだ。
「パトーシェ姐さんがあの調子なら、
「このまましばらくは安全、ということですかね……?」
「ンなわけないでしょ。囮としてうまくいきそう、って意味っス」
ベネティムは腹部に重苦しい不快感を覚えた。
「囮ですか、我々は」
「少なくとも、向こうが気づくまではそうっスね。なんで、せいぜいベネティムさんも指揮官らしく、もっと目立つ感じにしてくださいよ。合図出してる風に手を振ったり、周りに話しかけたり――あ、そうだ。馬とか乗ります?」
「私、馬に乗れないんですよね」
ベネティムは嘘をついた。ただ乗るだけならできないことはない。
そもそも囮という役どころ自体、まったく納得いっていない。ただ、ザイロやライノーのように、要塞に向かって突撃していくよりはマシだった。
ツァーヴが言うには、とりあえず立っているだけで一定の役目を果たしているらしいのだから。
(指示を出せと言われても、どうしようもないんですよね……)
ベネティムは半ば諦めたような気分で、周囲を見回す。
周囲には、二百と少々ほどの武装した人々の群れ。例の集落からかき集めた人手に、もともとの支援部隊と『海賊』をくわえた人数だ。どうも落ち着かなくて仕方がない。
いざというときには、彼らは勇敢に戦ってくれるだろうか。
その問いかけに希望的な観測を持とうとしても難しい。魔王現象に支配されていた村人たちも、海賊も、まるで信用できない気がする。いったいザイロはどうやってこの凶悪な人相の海賊たちを手下にしたのか。
自分にはまるで理解できないような暴力が振るわれたのかもしれない。
「お。ベネティムさん、その顔つきいいっスね! いかにも何か考えてるっぽい!」
「茶化さないでくださいよ」
「いいじゃないスか。もっと指揮官っぽく地図とか眺めてたらどうっスか?」
「え? いや、私、地図とか読むの苦手で……」
「――何を遊んでいる」
ベネティムとツァーヴの取り留めもない会話を遮るように、鋭い声が聞こえた。パトーシェだった。いつの間にか駆け戻っていたようだ。
「新手が来るぞ、次は戦闘部隊だ。弓と雷杖を構えさせろ。ツァーヴ、狙撃兵はお前が指揮しろ。歩兵は槍を抱えて並べておくだけでいい。相手を引きずり回して、私が追い込む。聖印の罠を起動するタイミングも指示する。迂闊に使うな」
パトーシェはそこまで一気にまくしたて、わずかに笑った。
「猫の手でも借りたい状況だ。遊んでいる暇があるなら、猫を探してこい」
「はあ」
呆気にとられた。
数秒遅れて、ベネティムは彼女が冗談を言ったのだと気づく。パトーシェの冗談を、初めて聞いたような気もする。笑うところでさえ初めてかもしれない。ツァーヴも何も発言しなかったので、彼もまた驚いていたのかもしれない。
だから、つい言ってしまった。
「あの、なんだか――」
「なんだ」
「機嫌が良さそうですね。私はてっきり、ザイロくんが……」
ザイロがフレンシィを連れて要塞攻略に赴いたので、極めて不機嫌なのではないかと思っていた。――という部分を発言しないだけの判断力は、このときのベネティムにさえあった。
「ああ。ザイロのことか」
パトーシェは、顔をしかめて目を逸らした。
といっても、単なる不機嫌とは違うことは、ベネティムにも明白だった。わずかに口角が上がっている。何か良いことでもあったのだろうか。
「気づいたのか?」
「ええ、まあ」
尋ねられたので、ベネティムは反射的にうなずいてしまっていた。うなずいてから、余計なことを言ったと思った。
「そうか。気づいているなら仕方がない……まあ、あれでわかりやすい男ではある。このことは本人の名誉にもかかわる話だ。内密にしておけ」
「それは、当然ですが」
「私は、どのように答えるべきか迷っている……」
「そうですね」
わけもわからず、ベネティムはただうなずいた。わけがわからないので、適当な答えを続けてしまう。ほとんど反射行動のようなものだ。
「ザイロくんも迷っているのではないかと思います」
「そうか。迷っているか……そうだろうな。状況が状況だ。余裕はない。それはわかっている。だが――」
パトーシェは馬首を巡らせ、背中を向けた。
北の森林から、新手の
「その、なんだ。ザイロは……たぶん、おそらく……きっと……間違いなく私に好意を持っている。私を庇って傷を受けたことといい、少々露骨すぎると思う……ただ、戦闘部隊の内部でそのような関係は適切ではない。周囲への影響もある……」
いつになく口数の多いパトーシェの、首筋がやけに赤い。夕陽の残照によるものではないだろう。
そこに至り、ようやくベネティムは自分の失言を悟った――いつものことではあるが。
「どうしたものか、困っている。後で対応方針を検討させろ、ベネティム。仮にも部隊の指揮官として、最低限の配慮が必要だろう」
「え……」
そうしてパトーシェは駆け去っていく。
「行くぞ。ここを任されたからには、期待以上の成果を上げてやらねばな!」
後には呆然としたベネティムと、数秒後に爆発的に笑いだし、転げまわるツァーヴだけが残された。
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