刑罰:ヴァリガーヒ海岸隠密偵察 顛末

 ドッタが、予想以上に詳しい情報を持ち帰ってきた。

 ヴァリガーヒ北岸は、春でもひどく冷える。夜になればなおさらだ。

 焚火で手を炙りながら、ドッタの語ることによれば、以下の通り。


 ――ヴァリガーヒ海岸には、要塞があり、その周辺に人間の集落があるという。

 要塞は魔王現象たちのものだ。一部に傭兵も籠っている。一方で集落に住む人間は、農作業に従事し、あるいは捕食されるための奴隷たちであるらしい。

 その奴隷たちを管理するのは、やはり人間――魔王現象に取り入った者たち。あるいは、いまだ知性を残している異形フェアリーたち。そういうことだ。


「本当、大変だったんだからね……」

 と、ドッタは主張した。

 たしかに憔悴しているような気もするが、それはただ単に逃げ回っただけでなく、隣で彼を見下ろすトリシールのせいではないだろうか。

「偶然、巡回してる人間の兵隊たちに出くわしてさ……追いかけ回されて、死ぬかと思ったんだからね!」


「よくそんな口を叩けるな、お前は……」

 ドッタに対して、トリシールが呆れたように眉をひそめた。

「やつらは話を聞こうとしただけで、立ち回り次第で身分を偽ることもできた。最初は行商かと思われていただろうが。お前が慌てて先に一人を射殺したから面倒なことになったのだ」

「いや、それは、だって怖いじゃん……だから先に殺した方がいいかなと思って……」

「しかも叫び声をあげながら撃っただろう。あれだけはやめろ」

「怖かったんだって! ちょっとは褒めてよ、兵隊らしく敵を殺したんだから! 情報収集の仕事だって完璧に終わらせたでしょ!」


 もちろん情報収集などは、ドッタにとってはオマケのようなものだっただろう。

 近隣へ『偵察』に向かわされた偵察兵たち――その中で、もっとも危険な地域を担当させられ、その腹いせのように人間たちの集落から窃盗を働いて、ついでに情報も持ち帰ってきただけにすぎない。


 偵察班は、ドッタ以外は全滅した。

 トリシールが首根っこを捕まえて連れ帰らなければ、後先をろくに考えないドッタならばきっと姿を消していただろう。

 その後で殺されるにもかかわらず。ドッタはそういうやつだ――ベネティムはよく思い知っている。


(ただ、問題なのは)

 ベネティムは背筋に冷や汗が浮いてくるのを感じている。

(ドッタが盗んできた『戦利品』を、すでにノルガユ陛下が着服してしまったことですよね)

 当然、ツァーヴも酒瓶をもらっていたし、タツヤはそもそも何も考えていない。ドッタが抱えて帰ってきた食料を貪るように食べていた。

 かくいうベネティム自身も、『まあいいか』という結論に至って、高そうなワインとチーズと菓子を拝領している。


(なんとか、その部分についてはごまかさなければ)

 ベネティムは余裕のありそうな表情を崩さないように、細心の注意を払いつつ、隣に立つ男の顔を見る。たしか、ロレッドという若い将校だ。いかにも「できる軍人」といった風貌で、近くにいると気後れする。


「偵察の任務を全うしたのは結構なことだが」

 ロレッドは厳しい目でドッタを見ていた。

「きみの窃盗行為は許容しがたい。それは略奪だ。奴隷となった人々の集落から盗んだそうだな?」

「……ち、違います。て、敵? ……の兵糧庫から……」

「そんなところには出入りしていないだろう」

「トリシールは黙ってて! 余計なこと言わないでよ!」

 このやり取りは、ロレッドの頭痛を誘発したようだ。額を押さえて、軽く振る。

「ドッタ。きみはいったいどれだけ盗んだ? そして、それをどこに隠した? それとも、すでに誰かに――」


「――ロレッド隊長!」

 これはまずい、と直感した。ゆえにベネティムはすぐに声をあげることにした。その声がロレッドの言葉の後半をかき消した。

「ドッタ・ルズラスは制御するのが大変難しい偵察兵です。普段は私が随行しているため制御が可能なのですが、今回のような状況では厳重な監視の下で派遣し、通信が途絶した場合は速やかに殺害するのが正しい運用でした」


「ふむ。では、きみは――」

 ロレッドが顔をベネティムに向けた。その口から疑問の類が出て来る前に、ベネティムはさらに素早く言葉を続けている。

「こんなこともあろうかと、念のためにトリシールを随行させていたのが正解でしたね。もう一つの安全策もあったのですが、そちらを使わなくて良かった」

 嘘だ。もう一つの安全策などないし、トリシールはノルガユの提案でついていくことになっていた。

 ただ、ノルガユはこの場にいないし、トリシールが何か文句を言う声などベネティムの声としゃべる速度には追い付かない。彼女は声が低いし、こういうときに大声で抗議するタイプではない。


「この男が盗んだ品物については、おそらく食料の類であればすでに胃の中です。これ以上の被害を出さないため、反省を促すため、両脚に枷をつけた上で監視し、掘削や糞尿の始末などの単純作業に従事させるのがいいでしょう」

「いっ?」

 ドッタが裏返った声をあげた。

「ぼく、またそれやらされるわけ?」

 明らかな不満の響き――だが、気にしてはいられない。


「それもこれも、私が彼らを監督できてさえいれば――申し訳ありません。ロレッド隊長。次からドッタ・ルズラスを使用するときは、私にご相談いただければと思います」

「そうか……ということは、今回の件は、きみを通した命令ではなかったのだな?」

「はい。私も彼を利用した偵察作戦をご提案しようと思っていたのですけどね」

 これはある意味で嘘ではない。

 この偵察任務はロレッドの下にいる偵察班の長が、直接にドッタを使用すると命じて来た。その際、ベネティムは適当な生返事を返していた――軍事的な話はまったく理解できないからだ。相談というレベルの話はしていない。

 そして、偵察班は誰も戻っていない。つまり事実がバレる心配はない。


「きみも苦労しているようだな」

 ロレッドは、その顔に同情の色を滲ませた。

「曲者揃いの懲罰勇者部隊だ。大変だろうな」

「ええ。それはもう」

 これは本当に、嘘ではない。実際に死ぬほど大変だからだ。

 いったい自分が何をどう間違えて、こんな異常者の集団に紛れ込んだのか。もしかすると自分のせいかもしれないが、そうだとしても――誰かにその責任を押し付けたい。この気持ちに嘘はない。


「とにかく、これで状況が大きく変わりました」

 ベネティムは必死でロレッドの思考の向き先を変えようとした。

 状況の何がどう変わったかはわからないが、とにかく変わったはずだ。ドッタの報告を聞いたとき、ロレッドの顔がみるみるうちに険しくなっていったからだ。

「あり得た可能性の話ではなく、いまは現実の問題に目を向けなければ。我々が生き残ることができたなら、ドッタにすべての罪を償わせましょう。我々が何と立ち向かう必要があるかは、よくご存じのはず」


「……その通りだ」

 ロレッドは深く息を吐き、その場に腰を下ろす。胡床という。折り畳み式の椅子で、こういう軍の野営地では、指揮官が腰掛ける決まりになっている。


「冷静にさせてくれてありがとう、ベネティム隊長。奴隷扱いされている民間人への略奪という点で、過剰な感情論を持ち込んでしまったようだ」

「いえ。それより、この先の作戦を。もうすでに考えはおありでしょうが」

「――きみならばどうする?」

 もっとも扱いに困る問いかけ。

(私にそんなことを聞くなんて、この人は意外に優秀ではないのかもしれない)

 ベネティムは瞬時に思考を回転させる――ザイロならば、ジェイスならば、パトーシェならば。あるいはノルガユやツァーヴならば、何を言うだろうか。自分は誰よりも彼らと接してきている。

 彼らとの記憶の中に、何か手がかりがあるはず。


(……いや、無理だ)

 ベネティムは一秒もかからず諦めた。

(こんなこと、そうそう都合よく思いつくはずがないでしょう。ザイロくんたちがおかしいんですよね。あれは異常)

 そして何も見つからず、空回りであったことを知る。結局、出てくるのはベネティムの考え以外の何物でもない。だが、それが最も効果的であることを、ベネティムは経験から知っていた。

 ここまで自分を『それなりの人物』だと誤解させていれば、打つ手はあった。


「私ならば、敵とは戦いません」

 ベネティムは悩むことなく、正直なことを言った。あたかも思考力に自信のある軍事的技術者のように、堂々と。

「ここで退きます。死にたくありませんからね」

「見事な回答だ。異論を挟む余地もない。まさに教科書のようだな」

 ロレッドは案の定、朗らかに笑った。

 ベネティムは安堵の息を吐く――この手は相手が優れているほどよく効く。相手の中に確信を持った答えがあるので、実は他人の意見など、自分の優れた発想を補強するための材料にすぎないのだ。


 実際、このときロレッドは笑みを浮かべてうなずいた。自分の考えに自分自身で賛同したのだ。

「だが、我々は兵士だ。作戦の成功を期待されており、やるべきことがある」

 ほら来たぞ、とベネティムは思った。やはり自分で答えを持っていた。その答えから大きく外れているほど、なぜか相手は安心する。


「『要塞』の情報が必要だ。ビュークス閣下がノーファン方面からの敵に対処している現状では、我々が仕事をしなければならない」

 と、ロレッドは言った。

「ヴァリガーヒ塩境、ドッタの向かった方面に存在する要塞――だとすれば、それはブロック・ヌメア要塞だ。これは難攻不落として名高いものだった。三つの監視塔、堡塁、聖印を用いた凍結防壁、海岸地形による背面防御……」

 その手が、地図らしき紙片を広げる。ベネティムにはほとんど理解できない地形と、暗号のような文字が書き込まれている。


「陥落させるためにも、兵を内部に潜り込ませたい。――ドッタには、ベネティム隊長の言う通り労働に従事してもらうとして――」

 ロレッドの指が、この野営地から要塞へ続く道を辿る。

「ツァーヴだな。きみが彼を率いて、ブロック・ヌメア要塞へ侵入してほしい」

「……ふむ」

 一瞬、『え?』という声が出そうになったが、それは抑えた。いかにも何かを考えたというように、ベネティムは顎を指で撫でる。

「私と、ツァーヴですか」


「そうだ。やはり、きみにしか懲罰勇者は制御できない。半信半疑だったが、確信したよ――あのツァーヴは殺人鬼だったそうじゃないか。しかし、腕は立つ」

 ロレッドは輝く青い瞳でベネティムを見た。それを見た時、ベネティムはこの男を苦手だとはっきり意識した。


「きみに頼みたい、ベネティム隊長。ツァーヴを制御し、要塞に侵入して、我々の戦いを勝利に導いてほしい。きみたちの『支援部隊』を五十ほど使ってもいい」

「なるほど――」

 なるほどじゃない、と、自分でもベネティムは思った。

「私に任せると。どのような手を使ってもよいのですか?」


「民間人の集落に被害を与えるような方法を除いてね」

 そうしてロレッドは片目を閉じて見せた。

「すでに策は思いついているって顔だな。期待しているよ、ベネティム隊長」

 何を言っているんだこいつは、と、ベネティムは思った。

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