刑罰:ゼハイ・ダーエ岩礁城砦脱出 顛末
「……なぜです」
グィオ・ダン・キルバは、自分の声を努めて押し殺さなければならなかった。
そうしなければ、目の前の相手に刃を向けていたかもしれない。
東部諸島の、海の民の血がそうさせるのか。
グィオの内部には見た目とは裏腹な、激しやすい部分があった。それを普段は陰鬱な態度で隠している。今度も隠しきれるはずだ――と、グィオは自分に言い聞かせた。
隠しきれなかったのは、ただ一度。
旧キーオ王国の、王統派の首魁をその手で殺したときだけだ。
(二度と、あんな真似はしない)
グィオは己を戒める。
(堪えろ。軍の頂点との不和は、何の益ももたらさない……)
一度目を伏せ、それから上目遣いに相手を見る。マルコラス・エスゲイン総帥。そのいかにも峻厳な顔つきを見ていると、机に乗せている片手に力がこもる。
そして、静かな声――かつて在籍していたとある聖騎士によれば、『呪詛を呟くような声』で言う。
「なぜ、北部方面軍を動かしたのですか」
日没の後、エスゲインが管轄する北部方面軍の一船団が動いた。
ブラトリーという男の率いる艦隊だった。
止める暇もなく、追い風を受け、ヴァリガーヒ北岸にある三つの魔王現象どもの拠点のうち一つへと向かっていった。
グィオには自殺行為としか思えない。敵は守りを固め、夜襲を待ち構えている。戦況を見渡せば、そうであることは自明だった。
そして事実、いままさに、ブラトリーの艦隊は包囲攻撃を受けていた。
先ほど通信が入ったばかりだ。船室にある窓からその光景が遠くに見えている。炎の灯が海上を照らしている――
何らかの遠距離攻撃手段を持つ魔王が、沿岸部を根城としていることはもはや確実だろう。ブラトリーの艦隊はもう持たない。救出の余地なく壊滅する。
「私は反対申し上げたはずです。この夜襲は、成功する目算は限りなく低いと。そしていま、ブラトリー総督の艦隊は敗北しつつあります。それは我々の包囲網に大きな穴が開くことを意味します」
「たしかに、そうだ。ブラトリーの攻撃は性急に過ぎ、何より独断であった」
エスゲインは重々しく応じた。そうした言葉の使い方、態度だけは、まさしく軍の頂点にふさわしいと言えるかもしれない。
結局、担ぎ上げる人形としては、これ以上ないほど適任である男だった。
あとは、ただ利己的であってくれるだけでよかった。本当にこの男が自分の保身のためだけに生きる人間であれば、もっと消極的であり、部下に無駄な作戦行動を取らせるようなことはなかったはずだ。
マルコラス・エスゲインは、そうではない。
いわば――保身のためであると自分に言い訳をしながら、英雄になりたがっている。グィオにはそのように見えた。
「――つまり、エスゲイン総帥。あなたは――」
グィオは自分の声がいっそう冷えるのを自覚した。
傍らに控えていた《女神》イリーナレアがわずかに緊張した。軍議に飽きたような、あるいはそもそも興味もなさそうな顔つきをしていた彼女だが、グィオにはわかることがある。
イリーナレアはグィオの気配を察して、緊張しているのだ。
(大丈夫かよ)
とでも言いたげに、一瞬だけ目配せをしてきた。グィオはあえて彼女の方は見ない。ただ、理解していることを伝えるために、机の上にのせていた手を引いた。
冷静さを失っていないことは、それで伝わる。
「エスゲイン総帥。あなたは部下の独断ということで、責任を負わせるつもりですか?」
「いいや。部下を止められなかった私にこそ責任がある」
(……なんだと?)
グィオは眉をひそめた。自ら過ちを認めるとは。嫌な予感がしたし、それはすぐに的中した。
「だが、グィオ・ダン・キルバ聖騎士団長。貴公の戦に対する消極的な姿勢こそが、真の原因ではないか?」
「なにを」
一瞬、何を言われているかわからなかった。マルコラス・エスゲインのそれは、ほとんど暴言に近い。だからすぐに言葉を返すことができなかった。
「我々は沿岸部にはびこる人類の大敵、魔王現象と戦うべくここまで来た。それがどうだ。遠巻きに眺めているだけではないか?」
「戦闘は連日発生しています。決して手をこまねいているわけではありません。私の率いる船団は、粘り強く戦い、実際に勝利を重ねており――」
「そう。貴公の部隊だけが、その責務を担ってきた。勝利の栄誉もな」
そこへきて、ようやくグィオは気づいた。
この男が何を言いたいのか、ということだ。グィオは顔をあげ、室内に並ぶ顔ぶれを見た。ここにいるのはグィオの率いる聖騎士団からはグィオ自身が、海の精鋭である東部方面軍からは代表者が一名。
あとは北部方面軍の連絡将校と、エスゲインの直属の部隊の長――そして何より貴族連合からは八人ほど、『参謀』という名目で集められていた。
(貴族連合か。マルコラス・エスゲインは、この役立たずどもの頭数を味方につけているのか――)
普段は貴族連合の参謀など、何人集まろうが意に介すべきものではなかった。軍議でも彼らが意見を述べたことはほぼない。グィオとエスゲインの睨みあいを、ただ強張った顔で眺めていたぐらいだ。
が、いま、この場では違う。
彼らには確固たる意志があるようだった――すなわち、マルコラス・エスゲインの側につき、なんらかの『武功』を立ててやろうという。
(愚かな)
グィオはため息をつく。
彼らは貴族――あるいはその名代によって統率されている。その統率者が、なんらかの『武功』を立てる気になっているのだろう。
いまだ中央や南部の貴族は、前線を知らない者もいる。
部下の独断専行の矛先を逸らし、さらにグィオの政治的な力を弱めるために。
「どうかな、グィオ・ダン・キルバ聖騎士団長」
エスゲインは低く、威厳ある声で言った。
「私はきみの指揮権に制限を与えようと思っている。現在の体制は、あまりにも一人に強権と責務を集中させすぎていると思わないか?」
これは戦だ、と、グィオは言いたくなった。それも決戦である――戦力と戦術を集約させるべき非常事態だ。軍事行動に対する権限を分割して良いことなど何もない。
だが、無駄だろう。エスゲインの論じる言葉の正当性は関係がない。すでにこの場の、多数決での勝利を手にしている以上は無意味だ。
だとすれば、ここは何をすれば――
「何よりグィオ、私はきみに対する良からぬ噂も聞いているぞ。娯楽船なるものを呼び、兵の士気を上げると言う名目で――」
エスゲインはさらにグィオを追い詰めるべき言葉を発しようとした。
そのときだった。
かっ、と、船窓の外が明るく閃いた。
稲妻のような輝きだった。それが何度も連鎖する――グィオもエスゲインも、誰もがそれを見た。
遠く燃えていたブラトリーの艦隊の方だ。何か異変が起きている。
一瞬、再び閃いた光で、いくつかの戦艦が近づいていくのが見えた――それに、空を舞う竜の群れも。
「なんだ?」
エスゲインは目を丸くして唸り、立ち上がった。
「なんだ、あの艦隊は? ブラトリー総督と通信を繋げているな! どの艦隊が救援に向かった? 竜が空を飛んでいるぞ! 竜騎兵も出したのか?」
一斉にまくしたて、最後に怒鳴る。
「急ぎ、状況を確認しろ!」
一方で、グィオは無言で夜の海を見ていた。
いまだに閃く稲妻のような光は止まっていない。断続的に放たれている――恐らく砲撃だ。それも極めて強力な代物を、一斉に放っている。
「……おい、グィオ」
《女神》イリーナレアは、グィオの腕を肘で突いた。やや乱暴な仕草。その部分は、いつものイリーナレアだ。
「何が起きてる? あの連中はなんなんだ? 結局オレは魔王現象相手にいつ暴れりゃいいんだ?」
「わかりません。ただ……なんと言うべきか……」
「なんだよ。はっきり言え! オレはお前のそういう態度が大嫌いだね」
「……懲罰勇者部隊が、海賊どもに捕まった後、消息を絶っていることが気になります」
グィオは陰鬱なため息をついた。
「特に、ザイロ・フォルバーツ。……結果的に、状況を悪化させただけのような気がしますがね……! なぜ、わざわざいま、このタイミングで戻ってくるのか……!」
「そうかよ」
イリーナレアは顔をしかめた。
「お前、昔からアイツのこと嫌いだったもんな」
「……苦手なだけです」
◆
戦いは、ほとんど一瞬で片がついた。
俺たちを乗せた海賊どもの船が突っ込んで、
狙撃用の雷杖と砲が稲妻を放ち、空からは竜の群れが襲い掛かった。
ニーリィはまだ動けない様子だったが、ジェイスはやむを得ず、といった調子で緑色の竜に跨っていた。チェルビーといったか。動きは俺から見て、悪くはないと思う――飛行型の
が、なんといってもここで調子に乗ったのはライノーだった。
やつはいつもの赤黒い砲甲冑に身を固め、今度は甲板に腰を据え、即席の固定台まで海賊どもに用意させて撃ちまくった。
「やっぱりこっちの方がやりやすいね。よく当たる」
と、本人は言っていた。
「考えたんだけど、海に落下する危険性より、敵を近づけてしまう方が問題だと思うんだ。僕が的を外すことはほぼ無いわけだし。小型の
かなり腹の立つことに、その言葉は間違いではない。
砲甲冑を身に着けたライノーはグリンディローとかいった大型の
どうもそちらには魔王現象の本体――つまり何らかの魔王がいるらしく、ときおり嫌がらせのような炎の雨が降ってきた。そんなに精度の高くない、散発的な攻撃ではあったが、あのままでは何隻かの船が炎上していたところだ。
それを黙らせたのが竜の猛攻と、ライノーの砲撃だった。
海からの反撃を受けると、ぴたりと炎の雨は止み、あとは海上の敵の掃討に専念できた。このあっけないほど簡単な勝利は、ちょうど
そう考えると、この夜、このとき
「なんなんだ、あの連中は」
パトーシェは何か納得がいっていないような顔で唸った。
「なぜあんな無謀な突撃を? ……我々にとって好都合だったのは確かだが……」
「ぜんぜんわからん」
俺はそう答えるしかない。
「ただ、これで片付いたな。あの船団で北岸の拠点をそのまま叩ける。陸に橋頭保を確保して、ヴァリガーヒ塩境攻めも大詰めだ」
俺は夜の海を眺めた。
というより、この夜の俺には海を眺める以外のことはまるでできなかった――左腕がまるで動かなかったからだ。左足もちょっと動かしにくい。
あの海賊の頭領、赤毛に三つ編みのスアンは「黒洋種の樹鬼が持つ、麻痺性の毒」だと言っていた。数日は腕を動かすことができないだろう、と。致死性のものでなくてよかったが、これはとてつもなく不便で、ついでに戦闘にも参加できない。
この有り様は、後でジェイスに相当煽られてしまうだろう。
よって戻ってくるジェイスと顔を合わせるのは危険だ。戦いの趨勢が明らかになっている以上、部屋に戻るに限る。
「じゃ、あとは任せる」
「なんだ。部屋に戻るのか……いや……たしかに安静にしておいた方がいいだろうな。わかった、行こう」
パトーシェはうなずいて、当然のようについてこようとする。
「お前もいいのかよ、前線に加わらなくて」
「もはやその必要はないし、私は貴様の面倒を見なければならん。貴様の護衛も兼ねているのだ」
「……なんでだよ。別に面倒見てもらう必要ねえんだけど」
「そうはいかない。左足がうまく動かないはずだろう。私の腕に掴まることを許可する。部屋まで戻るぞ」
パトーシェは片腕を差し出してくる。俺はなんと言うべきか迷った。
「なんだその顔は」
「いや、そこまでしてもらう理由は――」
「私を庇った結果として負った傷だ。私に責任が存在する。……だから、そう。負傷が回復するまで、面倒を見てやらねばならん。転倒しないように私に掴まれ」
やけに頑なな真面目くさった顔で、上目遣いに睨まれる。
威圧感がある――パトーシェ・キヴィアという人間の性格は、俺にも徐々にわかってきた。つまり、自分が決定したことはそう簡単に覆さない。
逡巡し、要求を一部妥協する形で飲むか、と思ったときだ。
「――ザイロ!」
テオリッタの声だった。船室に続く舷梯から顔を出し、こっちに手を振った。
「いま、通信が入りましたよ! ベネティムからです。なんだかとても困っているようで――ん、んん?」
喋る途中で、その眉がひそめられた。なんだか不審なものを見るように、俺とパトーシェを見た。
「……なんですか。なんだか、すごく仲良さそうにしていませんでしたか?」
「そう見えるのか」
「……いえ、そんなことはありません!」
パトーシェは背筋を伸ばし、必要以上に思えるような大声で断言した。
「ザイロの負傷の責任は私にあるため、最低限の面倒を見る責務を達成すべきと考え、行動しているだけです」
「そうですか? 本当に? 最低限? 最低限なら、私も簡単にできますが。むしろ我が騎士の面倒を見るのは《女神》の役目ですが」
「……しかし、ですね……体力や腕力を必要とする作業についてはテオリッタ様には……」
「待て」
テオリッタは《女神》としての責任感が強すぎるし、パトーシェも自説を簡単に引っ込めるやつじゃない。話が終わらないと思ったので、口を挟むことにする。
「テオリッタ、ベネティムが何か言ってたんじゃないか?」
「あ! そうです。ベネティム! あの男からの伝言です」
伝言ということは、懲罰勇者用の聖印経由の通信ではなく、正式な軍の通信盤を使っているということだろう。すなわち、任務だ。懲罰勇者への指令。
「次の作戦です。ベネティムとツァーヴが敵陣に突入することになったため、助けてほしい、とのことです」
「……なんで?」
俺は開いた口が塞がらなくなった。軍の司令部は何考えてやがるんだ。
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