刑罰:ブロック・ヌメア要塞破壊工作 1

 海の上から見るブロック・ヌメア要塞は、まさに難攻不落という様子だった。

 ヒトデみたいな形の近代的な堡塁を備え、三つの監視塔が聳え立ち、それを青白い城壁が取り囲む。あの城壁には聖印が仕込まれている――凍結印ポルデット。生身で触れれば指が凍り付く。常に10カング程度の厚みの氷で覆われ、破壊は困難。

 ドッタですらこの壁を攻略するのはきついだろう。不可能かもしれない。


 これらは異形フェアリーどもに対する有効な防御になるはずだったが、いまは人間の侵入を拒むために使われている。

 要塞の内側には合わせて一万ほどの異形フェアリーと傭兵が待ち構えており、さらには魔王現象の主までいる。つまり魔王。俺が知っている限り、広範囲に炎の雨を降らせる能力を持つやつ。


 はっきり言って、こんなところに忍び込もうとするやつは正気じゃない。ベネティムとツァーヴのことだ。

 俺は望遠レンズから目を離し、振り返った。


「あいつら二人とも、いまごろもう死んでるんじゃねえかな……無茶すぎる」

「だとよかったけどな」

 ジェイスは甲板に寝そべりながら、面倒くさそうな声をあげた。こいつ、ニーリィが船室で療養中だからといって、露骨にやる気がない。その証拠に、片手で干しリンゴを摘まんで食っている。

 ニーリィの傷はほぼ治りつつあるが、大事をとって安静にしているという。


「ベネティムのやつ、さっき通信を入れてきたぜ。西側の森林に潜伏してるから、いますぐ助けに来いってよ」

「まだ生きてるのか……面倒だな」

「面倒なことしかしねえ」

 そう吐き捨てたジェイスは、ベネティムのことなど珍しい声で鳴くオウム程度にしか捉えていない節がある。少なくとも指揮官だとは思っていない。


「侵入、そして破壊工作か」

 俺は今回の任務を復唱した。どうにも手に余る仕事だと思う。ロレッドとかいう隊長からの指示はこうだ――五十の支援部隊を率いて、北部方面軍の総攻撃に呼応する形で、ブロック・ヌメア要塞を内部から攻撃せよ。

 目標は、第一に城門の破壊。第二に監視塔の制圧。第三に魔王現象の暗殺。なるほど。懲罰勇者らしい仕事ではある――しかし期待しすぎではないか。いったいベネティムは何を吹き込みやがったんだ。

 これは文句の一つも言いたくなるというものだ。


「そもそも、こういうのはドッタの仕事じゃねえのかよ」

「ドッタさんはきっちり仕事したらしい。情報を完璧に仕入れた――そこんところはさすが、って感じだが」

 ふん、と、鼻を鳴らす音。


「ベネティムが余計なこと言ったせいで、今回の任務から外されることになったんだとさ。穴掘り仕事させられてるってよ。ドッタさんをそんなつまらんことに使うなんて、人間ども、勝ちたくないのか?」

「どちらかと言えばベネティムのせいだろ、それは。あの野郎、いっつも余計なこと言ってるな……」

「余計なことしか言わねえ」


 そればかりは、ジェイスの言うことに賛成するしかない。

 俺はため息をついて、船縁から身を乗り出す。要塞が見える――この距離がぎりぎりのところだ。これ以上近づけば、あの炎の雨が降り注ぐだろう。海上からは、いまのところそれだけが唯一の脅威だ。

 時折繰り出してきていた、異形フェアリーの軍勢はもう止まった。

 ただ殲滅されるだけだということに気づいたのだろう。


 包囲が完成して、こちらの迎撃態勢が整いさえすれば、こんなものだ。兵器の《女神》、イリーナレアの召喚する『燃える鮫』と呼ばれる武器は、一匹たりとも逃がしはしない。

 グィオの用兵も、この手の戦いでは聖騎士の中では最高の水準にある。

 攻囲戦で、かつ海の上で、同じことをやれと言われてできるやつはこの世にいない。しかもその兵站をリュフェン・カウロンが支えているとなれば、敵にできることは何もないだろう。


「どうするかな。つっても選択肢なんてないんだけど……任務は任務だしな」

「そうです、我が騎士!」

 船縁を掴む俺の両手の間から、テオリッタが頭を出した。どん、と、胸に頭のてっぺんがぶつかってくる。

「要塞を陥落させ、奴隷となって囚われた人々を解放する! それこそ偉大なる戦いに他なりません! ――ですよね?」

 彼方を指差し、朗々と言い切ってから、一瞬だけ窺うようにこちらを見上げる。


「そうだな」

 俺はテオリッタの頭に手を乗せた。まっすぐ前を向かせる。

「やるしかねえんだよな。何しろ命令だ」

 北風の吹きつける、ヴァリガーヒ塩境。その入り江の奥にそびえる、ブロック・ヌメア要塞を。

 そうしている方が、ずっと《女神》らしい。人の顔色を窺う理由なんて、何もないはずだ。本来ならば。本来――俺はそういう、あるべき姿を知っている気がした。


「死なないようにうまくやるぞ。何も方法がないわけじゃない」

「ですよね! では、我が騎士の考えを拝聴しましょう!」

 テオリッタは嬉しそうに言って、今度はジェイスを振り返った。

 どうもジェイスとニーリィの二人組に対しては、テオリッタも微妙な対抗意識があるらしい。ちょうどジェイスがニーリィのことを自慢するように、テオリッタも俺の働きを主張したがる。

「よく聞いておくのですよ、ジェイス! 空ではあなたとニーリィに活躍を譲りますが、地上となれば我が騎士の晴れ舞台ですからね!」


「勝手に言ってろ」

 と、ジェイスはテオリッタに対しても容赦がない。

「俺とニーリィの出る価値もねえ作戦なら、付き合わねえからな。お前の『我が騎士』に厳しく言っとけ」

「ザイロ! 言われていますよ、あなたの華麗な策を披露してあげなさい!」

「うるせえな……。とりあえず、今回の場合の要点は三つだ。つまり――素早く、一撃で、丁寧に」

 俺は三本の指を立てた。こういうのは、ジェイスには説明するまでもないだろう。


「一つ。俺たちは遠征軍で、向こうは北に拠点を持ってる。ここで時間をかけたら増援が来る」

 海を封鎖するのとは話が違う。要塞包囲の構えをとる陸上部隊が叩かれるだろう。ビュークス率いる第十一聖騎士団が北の敵に対処しているらしいが、そっちがさらに辛くなる。いまだに凌ぎ続けているのは、ビュークスの率いる野郎どもが異常に強くて《女神》の加護で無限に戦えるというだけの理由だ。

 あんなやつ、せいぜい辛い戦いをさせとけと思わないでもない。


「それから二つ――城攻めは気軽に何度もできることじゃない。攻める側に被害がデカいからだ」

 普通、要塞を攻めるときに必要な兵力は三倍とか四倍とか言われる。《女神》がいれば話は別になるが、とにかく多大な被害は覚悟しなければならない。

 ここで遠征軍が磨り潰されてしまっては意味がない。

 その点で、少数の破壊工作部隊で要塞の防御力を弱体化させる、という方針自体は、まあ納得できる。が、よりによってベネティムをその仕事の現場指揮官として派遣してしまう、というのがまるで理解できない。


「で、三つ目。丁寧に戦う必要がある。この要塞は攻め落とした後、拠点に使う。上空からバカスカ焼いたり、無駄に建物を壊さないってことが重要だ。破壊は最小限にしなきゃならない。だから……結局」

 この戦いは死ぬほどきつい。いつものことだが。

 本当なら、坑道戦とかをやりたいところだ。穴を掘って地下から要塞の中に入る方法。ノルガユがいれば何か案もあったんだろうが、あいつは第十一聖騎士団に貸し出されているらしいし、少し悠長すぎる。


「何か手を考えないとな。とにかく情報が必要だ。まずはベネティムたちとの合流を目指すか――」

「ザイロ!」

「むっ」

 不意に、背後から声が聞こえた。パトーシェだ――一瞬、テオリッタが不満そうに眉をひそめるのがわかった。

 あいつは何やらデカい粥の椀のようなものを乗せて歩いてくる。


「貴様、ここにいたのか。寝ていろと言ったのに……あまり出歩くな。治癒が遅くなるぞ」

「麻痺ならもうだいぶ抜けた。問題ねえよ」

「非協力的な病人だな。問題のある態度だ」

「だから病人扱いするなって。左手も、もうそれなりに動く」

「いいや、まだナイフも扱えんだろうが」

「それはまあ――」

「いいから、食事の時間だ。食べるがいい」

 パトーシェは粥の入った椀と、匙とを突き出してきた。――これだ。怪物のように巨大な責任感を持ち合わせているパトーシェは、俺の左手と左足に麻痺毒の影響が残っていると知って、何かと面倒を見ようとする。

 食事時などはそれが顕著だ――これは困る。周りの目が生暖かい。


「遠慮するな。口に突っ込むぞ」

「遠慮してるわけじゃない――待て、これ、お前が作ったのか?」

「そうだ。一部、ライノーの手を借りたが。あの男の言う通りの味付けにするのは問題があると判断して、スリワクの果実の大量投入は止めた」

 スリワクの果実は非常に辛い。雪中行軍のときなどは、凍傷を避けるために靴の中に入れたりするぐらいだ。


「賢明だな。……それに、食えそうに見える……練習を積んだみたいだな」

「だろう。当然だ」

 パトーシェは胸を張った。偉そうだ。

「遠慮せず食べていい」

 俺は返答に迷った。

 困った、と言ってもいい。テオリッタがこちらを見上げていた。まぶたを半分閉じ、いっそ眠たそうな目をしている。しかしその口元がまったく別の不快感を表明していた。

 その意図はまったく読めない――いや、たしかに《女神》とはそういうものか。自分を最優先するべき契約者に構ってもらえないと、ひどく不愉快になる。


「……何か言いたいことがありそうだな、テオリッタ」

「テオリッタ様」

 と、パトーシェは石像のような表情をした。

「これは私の果たすべき責任です。大変不本意ですが、全うせねばなりません」

「そうですか」

「そうです。見ろ。テオリッタ様も、貴様が万全の状態ではないと仰っている。冷めないうちにさっさと食べろと」

「そんなことは言ってません」

「……失礼。では、その瞳がそう仰っています」

「私の目もそんなことは言ってません」

 テオリッタは断固たる口調で言い切った。パトーシェに勝手に気分を代弁されて、みるみるうちに機嫌が悪くなっていくのを感じる。


「むしろ、いまの私はザイロに言いたいことがとてもあります。我が騎士にしては、珍しくいい洞察力でした。……が、しかし」

 テオリッタはパトーシェと俺を交互に見た。

「後にします。深刻かつ重大な話なので。次に私が大活躍したら、ザイロに聞きたいことがあります」

「なんだよ……」

「言いません。いいですね、大活躍したら私の質問に答えなさい。絶対ですよ。忘れないでくださいね!」


 絶対、ときた。

《女神》の口にする『絶対』は重い。なんとなく俺はそんな気がした。

 ジェイスが足元で寝返りをうち、つまらなさそうに大きく欠伸をした。


        ◆


 森林を行く一団の足取りは速い。その先頭を行くのがフレンシィ・マスティボルトであればなおさらだ。

 ベネティムの行軍は、すぐに遅れがちになった。


「ええ? また休憩っスか?」

 と、ツァーヴなどは露骨に呆れてみせた。

「ベネティムさん、体力ぜんぜんないっスね! ヤバいっスよ、それ。生まれたての鹿の赤ちゃんっスか? なんか呪いとか掛けられてません? 普段どんだけサボってるんスか」


「……私は頭と舌を使うのが仕事、ですから、ね……」

 苦しい呼吸の合間に、ベネティムはかろうじて答える。

「みなさんの足が速すぎるんですよ……。歩き通しじゃないですか……」

「そりゃオレらは兵隊っスからね。歩いてナンボでしょうよ。だいたいベネティムさん、頭の方もそんなに使ってないじゃないスか。ねえ? 軍隊の指揮官がヘロヘロで行軍についていけないなんて、そんなの詐欺っスよ、詐欺! ――あ、この人詐欺師だったわ」


「まあ、そうなんですけど」

 ベネティムはすぐに認めた。否定する意味もない。

「……あのフレンシィという女性も大変厳しく恐ろしいですし、多大なストレスがかかっているんですよ……」

「ああ。あの人。ザイロ兄貴の婚約者の! 怖いっスよね!」

 欠けた歯を見せて軽薄に笑い、ツァーヴははるか彼方の先頭を見るように背伸びをしてみせる。

「今回の作戦にめちゃくちゃ強引に参加をねじ込んでくるし。それも超・命令口調。どっちが支援部隊かわかんねえっスよね。これで兄貴と合流できなかったり、兄貴が死んじゃったりしたら、オレらもついでに殺されちゃいそうっスよねぇ――あ、もちろんオレは返り討ちにする自信あるんスけど、成功しても自動的に処刑でしょ。やだなあ」


「……まあ、そういうことです」

 ツァーヴが喋る分、楽ができていい――と、ベネティムは思った。しばしば誤解されがちだが、ベネティムはそもそも喋ること、自分の意見らしきものを口にすること自体、そんなに好きではない。

「というわけで……私は少し休んだらすぐに追いつくので、ツァーヴはあのフレンシィという人の機嫌を取っておいてください……」


「ええ? それもやだなぁ。オレはああいう系の綺麗な髪の女は好きっスけど、兄貴の婚約者だし、性格きつすぎるし。気が進まねえなあ……」

 とは言いつつも、ツァーヴはベネティムを置いて歩きだしている。休憩に付き合うのに飽きたのだろう。そういうやつだ。

「とりあえず、さっさと追いついてくださいよ。もうちょっとで野営地点なんで、道に迷ったら悲惨っスよ」

「わかってます」


 片手を振って見送り、ツァーヴの姿が見えなくなると、ベネティムはため息をついた。

 自業自得かもしれないが、自らをひどい状況に追い込んでしまった気がする――よくあることだ。

 あまりにもよくあることなので反省はしたいものの、反省するには自分の行いを批判する必要がある。そのことを考えると気分が重い。そうやって自分にストレスをかけるのも健康にも良くないのではないか。

(――反省は、もう少し楽に反省できるテーマのときにしましょう)

 そう結論付けて、ベネティムは水筒から残り少ない水を口に含んだ。

 そのときだった。


「う――動くな!」

 鋭く、しかし抑えられた声だった。

 森の木々の奥に、誰かがいる。しかも複数人。そのうちの一人が、弓矢のようなものをこちらに向けて構えていた。

 どう考えても、もっと驚いていい状況だ、とベネティムは我ながら思った。思いはしたが、行動には反映されない。疲れていたため、顔を上げるぐらいの仕草しかできなかった。


「お前、……お前、あの兵隊たちの仲間か!」

 さらに声をかけられる。

 ベネティムは無言のまま、彼らの風体を観察した。自分の観察力に自信があるわけではない。ただ、確実なことだけはわかる。

 この集団は自分に、というより、兵隊というものに敵対的だろう。彼らの警戒心に溢れた目と、自分に向けられた弓矢を見ればわかる。となれば、答えは一つしかありえない――この近隣の住民だ。

 魔王現象に支配された、「奴隷」の人々の集落の民か。着ているものも粗末で、擦り切れ、あるいは汚れすぎているように見える。


(と、なれば――)

 ベネティムは無言のまま結論を下す。

(非常に良くないのでは? ツァーヴを大声で叫んで呼び戻す? ――そんな余裕があるかな。叫んだ瞬間に矢で射抜かれそうなんですけど……)


「答えろ! 何を黙ってる!」

 弓矢を構えた男が重ねて言った。どう考えても相手は混乱し、興奮し、緊張している。下手な答えは返せない。

(何を答える? 何を言えばいい? たった一言、機先を制した言葉で、まずはその興奮状態をどうにかしないと)

 ベネティムは必死で考えた。必死で考え――そして結局、答えなど出るはずもなく、諦める。やるべきことは決まっている。

 いつもの手口の一つ。つまり、さらなる混乱と興奮、緊張をもたらしてやる。


「――よく接触してくれましたね。待っていましたよ」

 鷹揚な笑みを浮かべ、ベネティムは弓矢の男にゆっくりと語りかける。当然、相手は怪訝な顔をした。

「なに?」

 強い警戒と、不可解そうな声。だが、とりあえず第一声で殺される危険は脱した。


「私はマーヌルフ。《統べる氷汐》のマーヌルフです」

 ベネティムは偽名を名乗った。相手を混乱させるために、意味不明な二つ名もつけた。そして唇のあたりで人差し指を一本立てる。

「声を静かに。先を行く彼らに気づかれてしまいます」

「――どういうことだ? あんた、誰だ?」

「あなたたちに会いたかった。『共生派』をご存じでしょう」


 この言葉は、彼らの間に動揺を生んだ。効果はあった、とベネティムは見た。

「私は遠征軍の彼らに潜入している、『共生派』の者です。リジャルの塔より、冬の盟約に従い、あなたたちの助力を要請します」

 いい加減なことをまくしたてながら、特に意味もなく、懐に入っていた軍票の紙切れを差し出して掲げる。彼らが見たこともない代物のはずで、当然、誰もが不可解な顔をした。

「人間の遠征軍を破滅させるために、ご協力をお願いしたい」

 自分はなんでこんなことを喋っているんだろう、と思う。

「――あなたたちの集落の代表者にご連絡を。『共生派』が来た、と」

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