刑罰:ゼハイ・ダーエ岩礁城砦脱出 3

 パトーシェ・キヴィアとテオリッタが案内されたのは、どうやら城主の居館として使われていたらしい建物だった。

 ひときわ立派な尖塔の傍らにあり、質素ではあるが、よく整備されていた。

 調度品にもある種の品の良さと、東方諸島風の華やかさが同居している。特に織物は見事の一言に尽きた。


(なるほど、『姫』か。これは単なる自称ではなさそうだ)

 と、パトーシェは思った――海賊どもの長の正体のことだ。

 ただの賊徒の頭領ではない。魔王現象が徘徊するヴァリガーヒ海峡を根城に、これだけ長く武装集団としての体裁を保っていたのだから、特殊な事情の持ち主だとは思っていた。


(キーオ王朝の末裔だったな)

『姫』と呼ばれた女はそう名乗っていた。

 彼女たちこそは、旧キーオ王朝の末裔。その血脈に仕える戦士たちにして、『ゼハイ・ダーエ』を名乗り連合王国に抵抗を続ける組織であると。


「スアン・ラーン・キルバと申します。旧キーオ王朝における最後の王、ディエン・ラーン・キルバの、いまとなっては唯一の娘です」

 赤毛に三つ編みの女は、滑らかな仕草で一礼してみせた。

「少々手荒なご招待になったこと、お詫び申し上げます。ですが、《女神》様とその聖騎士の方に、ぜひお話ししたいことがあったのです」


 これには、パトーシェは苦い顔をするしかない。

 自分が聖騎士だと完全に誤解されているが、理由はなんとなくわかる。ザイロ・フォルバーツ――あの凶暴そうな人相の男が『聖騎士』だとは思わなかったのだろう。ザイロの方がテオリッタの傍で戦っていたはずなのだが。


(聖騎士。――確かにそうなるはずだった。《女神》テオリッタと契約すべき、十三番目の聖騎士)

 だが、その役割もいまはない。ザイロ・フォルバーツ。あの男が奪っていった。

 一度はひどく恨んだ。いや、いまでも恨んでいるのかもしれない。

 あるいは妬んでいるのか。自分にテオリッタの命を救えただろうかと思う。救えたとしても、彼女をここまで自由に生かすことができただろうか。


(きっと、それは無理だった)

 悔しいが、そんな気がする。

 だからこそ、いまでもザイロ・フォルバーツのことを恨んでいるのかもしれない。あの男のことを考えると、心臓のあたりが妙にざわつく。

 たぶんそれは、軍人としての嫉妬や、ありあまる能力を持っているにもかかわらずそれを投げ捨てているような人間性への不満――百歩譲っても羨望の類なのだと思う。パトーシェにはそれ以外に説明する方法がない。


(そうに決まっている)

 と、唇を噛んで断定する。そんなことに思いを巡らせているうちに、反応が遅れた。代わりにテオリッタが口を開いている。


「――あなたの用件を伺いましょう。スアン・ラーン・キルバ」

 テオリッタは毅然とした態度で応じた。

 一瞬、パトーシェに目配せをした――ここは臨機応変に話を合わせろ、ということだろう。この《女神》もずいぶんとあの連中の、特にザイロ・フォルバーツの影響を受けてしまっている。

「なにゆえ、私たちを攫い、人類に仇なす戦いを続けるのですか。あなたの行いは人に対する裏切りです」

 テオリッタの物言いには、刃物のような切れ味があった。

 明らかな不快感を隠そうともしていない。冷たい声――まるで自分と最初に会ったときのようだ、とパトーシェは思う。


「……人類に仇なす気などありません。これは連合王国に対する抵抗です」

 そう言ったスアンの目には、束の間の逡巡があった。

「私たちは、ただ居場所を必要としているだけです。いまの連合王国が、私たちを受け入れるとは思えない」

「それでは、最初から武力などに訴えるべきではなかったな。ただ、庇護を求めればよかったはずだ」

 パトーシェはそこで初めて口を挟んだ。海賊というものを、彼女はまったく理解できない。人類の力を結集すべきときに、その責務を放棄するどころか、反逆さえしている。


「なぜ敵対の道を選んだ?」

「どうやって和解をしろと? 連合王国の行政室は信用できません」

 スアンは疲れたように目を伏せた。

「キーオ王朝の最後の王が死んだのは八年ほど前。反逆を企てた罪で処刑されたことになっていますね」


 その話なら、パトーシェも知っている。連合王国の歴史は必修科目だ。

 キーオ王朝最後の王は、東方諸島にて反乱勢力を集め、武力蜂起の準備をしていたということになっている。実際にキーオの王統派を名乗る軍事勢力はヴァリガーヒ南岸の都市に攻撃を仕掛け、武力衝突が起こった。

 連合王国に反逆する者たちの蜂起。その速やかな鎮圧。行政室はその顛末を記している。

 だが、


「あれこそが行政室の欺瞞です。父上に反逆の意志などありませんでした。ただ、王統派の旗印として祭り上げられ、制止することができなかった」

 武装蜂起、それ自体が連合王国行政室の陰謀だった、と言いたいのだろう。

(……以前の私なら、一笑に付していたかもしれない)

 いまではパトーシェも、その疑惑を否定できない。なぜなら彼女自身が――そしておそらくは、ザイロ・フォルバーツも、その手の陰謀によって懲罰勇者となっているからだ。


「そんな私たちが、いったいどうすれば、彼らに降ることができるというのです?」

 スアンは薄い笑みを浮かべた。触れれば破れてしまいそうなほど薄い笑みだった。

「いま降伏して、兵の皆さんが救われるならば、そうしましょう――ですがおそらく、逆の結末になるでしょうね」

 パトーシェは何も言わなかった。まったく同じ考えだったからだ。

「私は旧キーオ王統派を制御する偶像として生かされ、主だった兵の将校こそが処刑されるでしょう。なぜなら、連合王国は私のような偶像など恐れていないからです。実際に武装蜂起が可能な軍事技術者こそを恐れている」


 たしかに、そうだろう。

 パトーシェが見たところ、この『抵抗組織』の練度は高い。たとえば赤い帽子の将校はトゥゴといったか。あの男を中心に、兵はともかく、将校は高い士気を保っているように見えた。そして、連合王国への憎悪もある。

 そう簡単に降伏し、おとなしくしているとは――少なくとも行政室は考えない。


「この数年、私たちも消耗しました。キーオ諸島の王統派諸氏族から密かに支援されてきましたが、それももう途絶えがちです」

「つまり、限界だったというわけか」

 パトーシェにとっては、キーオ諸島にいまだ王統派を支援する者たちがいることは驚くことではない。表向きは連合王国に服従したとしても、税制や徴兵を不愉快に思っている者たちも多い。

 そうした連中を懐柔するためにも、スアンだけは生き残らされるだろう。


「兵の中からも、完全な賊徒となる前に連合王国への戦争行為を仕掛けるべきだという声があがっています。いつまで抑え込めるかわかりません――ですから」

 そのとき、パトーシェは気づいた。

 スアンの目は、疲れてはいたが、いまだ鋼のような輝きを持っている。その目が、まっすぐテオリッタに据えられていた。


「あなたたちの存在を使って、取引をしたい」

 スアンは片手で拳をつくり、テオリッタに差し出した。これはキーオ諸島の者たちが、何かを要求するときにしてみせる仕草だった。

「《女神》様。あなたと引き換えならば、こちらに有利な条件での譲歩を引き出せる。たとえば、キーオ諸島の隠し小島の一つの占領権――あるいは西方開拓地の割譲。《女神》の存在があれば、不可能ではない」


「……えっ。そ、それは……」

 テオリッタは沈黙した。戸惑うような顔で、パトーシェを振り返る。

 人間の悪意に、極端に弱い。《女神》とはそうしたものだ。人間同士が争えば、《女神》にはどういう考え方をすればよいかもわからなくなる。


(何かを言わねばならない)

 だが、パトーシェには何も返すべき言葉が見つからなかった。思うのは、ザイロ・フォルバーツならばどうしただろう、ということだ。何か言葉をかけただろうか? それとも、ただ笑い飛ばしただろうか?

(――くだらん)

 パトーシェはその考えを頭から締め出した。あんないい加減な男の言動を予測してどうする。


 いま自分にできることは、そう。少しでもこの状況を有利にする材料を見つけ出す。 彼ら『ゼハイ・ダーエ』の海賊たちにどれだけ同情すべき理由があるとしても、重要なことはただ一点でしかない。

 テオリッタを守り、ここから脱出する。

 それこそが最大の目的だ。そのためにはできるだけ多くの情報を得て、会話を引き延ばし、何かきっかけを見つけなくては。


「……わからないことが一つある」

 パトーシェは慎重に発言する。

「魔王現象が徘徊するこの海峡で、どうやって海賊行為などが可能だったのかわからない。魔王現象と何か取引でもしたのか?」

「まさか。侮辱しないで――聖痕です。『教導』の聖痕と呼ばれているもの」

 スアンは自らの胸元に触れた。聖痕。そこに刻印があるのかもしれない。

「私には『危険の兆候』が見えます。それを予測できる。たとえば魔王現象が現れる気配を察知することも――だから、私たちは」

 言いかけた、スアンの口が半開きのまま止まった。

「……待って。……なに、これ?」


「ど、どうしました?」

 テオリッタが不安そうにスアンの顔を覗き込んだ。

「お、お腹でもいたいのですか? なにか悪いものを食べて――」

「違う。違う。魔王現象? いや、それも違う。海からじゃない……陸からでもない……」

 スアンの瞳が細められ、頭上を仰いだ。天井。

 ――いや、違う。パトーシェは咄嗟に窓の外を見た。そこに羽ばたく、いくつもの巨大な翼の影を。


「空!」

 スアンが叫んだとき、甲高い鳴き声が響き渡った。それは紛れもなく竜の声だった。

「なに、これ……? この城が、こんな……すべてが『危険域』」

 スアンは呆然と呻いた。

「こんなことってある?」


        ◆


 中庭までの道のりは、まるで散歩するようなものだった。

 あちこちで竜が猛り狂っている。炎が建物を焼き、爪が石を砕く。中庭へ続く回廊を足早に歩きながら、ジェイスはこの上なく不機嫌そうだった。


「ニーリィが負傷した」

 と、やつは奈落からの使者のように言う。

「翼を怪我してしばらく飛べない――やつらには落とし前をつけさせる。だから、援軍を呼んだ。ここを徹底的に叩き壊す」


「援軍か」

 俺は窓から空を見る。色とりどりの竜が空を飛び、地上を襲っている。

 海賊どもはまともな反撃もできていない。空中を舞う竜に対して攻撃を当てられるほどの設備がないためだ。

「ちょっと派手すぎないか? どうやって集めた?」


「ニーリィ……と、俺は人気者だからな。怪我して落ちたって噂はすぐに広まるし、あちこちから知り合いが見舞いに来る。それだけだ」

 ジェイスは当然のことのように言う。

「西や南からもう少し見舞いに来たいって知らせもあったんだが、それは断った。キリがねえからな」

 改めて、俺はジェイスの危険性を思い知る。

 つまりこいつは連合王国の空戦力に匹敵するような戦力を、その気になれば招集してしまえるということだ。反乱を起こしたときはガルトゥイルも肝を冷やしただろう。

 下手をすれば本当にジェイスが軍事政権を樹立していた可能性もある。


「だいたいわかった。だが、やつらを皆殺しにするのは控えとけよ。船も焼いたら俺たちが困る」

「アホか。もともと、そんなつもりはない」

 ジェイスは小さく鼻を鳴らした。

「誰が殺すだけで終わらせてやるかよ。やつらには働いてもらう。ニーリィが怪我してるんだ。移動するための船もいるし、手当も飯もいる」

「……思ったより冷静だな。もっと怒り狂ってるかと思った」

「怒ってるのは確かだが、お前、俺をなんだと思ってやがる。アホめ」

 ジェイスは俺の脇腹を肘で突いた。俺はお返しにジェイスの背中を叩いた。


「竜と反乱を起こすような超危険人物だろ。その凶暴さを活かすときが来たぞ」

「うるせえ、てめえにだけは言われたくねえんだよ」

 ジェイスは俺の手を振り払った。ちょうど、回廊が終わるところだった。

 竜が舞うほど良く晴れた空の下、中庭が目の前にある。


 海賊どもはそこに集合していた。

 なかなか立派な城主の居館を背後に、それなりの隊列を組み、しかも大型の弩や砲甲冑まで引っ張り出して並べていた。戦闘員の頭数は四百を超えるぐらいだろう。

 それを指揮しているのは、赤い帽子の男だった。俺を捕まえやがったやつ。こうして陽の下で見ると、なんだか魚みたいにぎょろりとした目つきをしている。


「砲甲冑もあるな」

 ジェイスが小さく舌打ちをした。

「厄介だな、くそ。みんなに余計な怪我をさせたくねえ」

 みんな、というのは、ジェイスが使う場合は竜たちのことだ。俺たちは『みんな』に含まれていない。だから、俺はさっき拾った曲刀を肩に担ぐように構えた。やることはもうわかっている。

「じゃあ、俺たちだけでやるか。あいつらが空に狙いをつける前に」

「仕方がない」

 ジェイスがうなずき、顎で背後を示す。

「ちょうど、もう一人のアホが戦力を引き連れて戻ってきた。あいつらも使うぞ」


「――やあ!」

 回廊をいかにも堂々と大股で、ライノーが歩いてやって来る。別行動させていたが、意外に早く追いついてきたか。

「みんなを連れて来たよ。彼らも無事で本当によかった!」

 やつの後ろには、グィオの配下の海兵たちがいた。あのとき『芦風』号に乗り込んでいた連中で、間違いなく捕まって監禁されていると思った。そしてグィオが率いていた精鋭ならば、きっとこの騒ぎに紛れて逃げ出していることも確信していた。

 おそらく、その数は百人に満たない程度――だが、それでいい。これだけいれば十分に勝ち目はある。


「始めるのかい?」

 ライノーはえらく上機嫌で聞いてくる。なんでこんなに機嫌がいいんだ、こいつは。

「できれば僕の砲甲冑があればいいんだけど。彼ら、回収してくれているかな?」

「さあな。大人しくさせてからゆっくり聞き出せ。……ジェイス、お前の方は竜に乗らなくていいのか?」

「ニーリィ以外にはできるだけ乗らない。特に、くだらねえ人間同士の喧嘩に巻き込みたくねえ」

「そうか」

 それならそれで、役には立ってもらう。俺はナイフの数を確かめながら、グィオの手下たちを眺め回した。


「これからあいつらを蹴散らすつもりだから、手を貸してくれよ」

「懲罰勇者の指揮でやるのか」

 海兵の一人が、どうも不機嫌そうな顔で言った。予想はできたことだ。

「救出されたことは感謝するが、納得できないな。軍規に違反するだろう。なぜ私たちが貴様らの指示に従って――」

 それに応じるように、海賊どもが雄叫びをあげていた。抜刀する者がいるし、槍を構えた者もいる。雷杖も一斉にこちらへ向けられる。


「お喋りしてる暇はないみたいだぜ」

 俺はすぐに伏せた。頭上を雷杖の光がかすめていく。

「中庭の木を盾にして突っ込め! それとも尻尾を巻いて逃げるか?」

「……戦い方なら、わかっている! 指図をするな!」

 グィオの手下たちは、さすがに機敏に動き出す。「置いて行くぞ」と言い残し、ジェイスが身を沈めて走り出せば、ライノーがそれに続いた。


(久しぶりだな)

 と、俺は思う。

 久しぶりに、人間相手の単純な喧嘩だ。そうなればジェイスとライノーがいるこっちに負ける要素はない。

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