刑罰:ゼハイ・ダーエ岩礁城砦脱出 2
脱走するにあたって、問題はそれほど多くはなかった。
海賊どもの持つ雷杖はほとんどが二世代、三世代前の旧型で、照準はいかにも甘い。高速で動く小型の標的にはまともに当てることができない。
あとは常に意表をつき、連携した戦闘をさせないこと。
やつらが冷静に、集団としての戦い方をすれば、もっと手こずっていただろう――負けることはないにしてもだ。
その点、俺の戦い方は屋内でも有効に機能した。
放たれる雷杖による射撃を回避し、飛翔印によって壁を蹴り、瞬時に肉薄する。乱戦に持ち込めば誤射を恐れて雷杖など使えない。
「なんだっ?」
と、海賊の一人が仰天した。混乱して曲刀での反撃を試みてくるが、この距離では不利だろう。簡単にかわせる。
「こいつ、
俺の体のことを知らなければ、実際にそう見えるかもしれない。蹴とばせば壁まで吹き飛ぶし、手の平で短時間でも触れれば具足が爆ぜる。これは相手の士気を削ぐのに役立った。
そうして適当に攪乱したら、あとはライノーを突っ込ませるだけで十分だった。
こいつの格闘技術も妙に喧嘩慣れしているようなところがある。たとえば窓から相手を投げ捨てるような手口や、組み合ってからの捌き方、転倒した相手への追撃なんかだ。
動作の端々からよほど荒っぽい場所で喧嘩を繰り返したらしい痕跡があった。
「ん。おおっと……ちょっとやりすぎたかな?」
最後の一人の頭を壁に叩きつけて沈黙させながら、ライノーが言った。どうやらこいつは力の加減が非常に苦手らしい。
「話をもう少し聞こうと思ったんだけど。申し訳ない」
本当に申し訳なさそうな顔で、意識を失った相手に謝る。なんだか滑稽な姿だ。
「人間を相手に戦った経験があまりないから、どうも加減が難しいね……」
「その割には喧嘩慣れしてるな、お前」
「まあね」
ライノーは曖昧に答えて、少し笑った。俺はそれを横目に、倒れている海賊どもの身体検査に勤しむ。まずは武器が欲しかった。特にナイフがあれば上等だ。が――
「なんだよ、ひでえナマクラだな」
ナイフの切っ先を指で辿り、刃の粗末な出来を確かめる。
おそらく、金属を鍛造する際の焼き入れで問題が発生したと見える。かなり大きな亀裂が走っていた。ここにはまともな鍛冶技術者がいないのかもしれない。
「土産物屋でも、もう少しまともなやつを売ってるぜ。こんな武器で海賊やってたのか……」
「ただ、剣は立派だね」
と、ライノーは海賊が取り落とした曲刀を拾い上げる。
「よく手入れされているよ」
深い反りの曲刀だ。いかにも東方の戦士が扱うような代物。島国から成る海洋国家であるキーオでは、船の上でまともな甲冑を着ることができないため、この手の鋭さを追求した武器が発達したという。
この形式の曲刀は、キーオの伝統的な武器で、『
「それに、食えるものは持ってないな。がっかりだ」
「……あ、うん……そうだね。持っていないね。やっぱり先に食堂を探そうか?」
「冗談だ。別に本気で優雅な食事をしたいわけじゃないし、そんな暇はない」
ライノーにはどうも冗談が通じない。それを判別する感性に乏しいというか、もともと欠けているとしか思えない節がある。
「ライノー。ここから脱走するとして、まず何をするべきだと思う?」
「うん。まずは逃げ道を探して――あ、いや、捕まっているみんなを救出するのが先だね。そうだ、ともに魔王現象に立ち向かう仲間たちだ、置いてはいけない」
ライノーの口から出る言葉は、なぜどこか白々しく、不気味な響きがするのだろう。こいつなりに本気で考えていることはわかるが、それ以上に何か得体の知れないものを感じる。
「どうかな、合ってるかい?」
「まあ、悪くはねえな。でも俺はそれより効率的なやり方を思いついた」
「へえ! 興味深いな。ぜひ教えてほしい」
「この集団の頭を叩く。今度はそいつを俺たちが人質にして、海賊一味を乗っ取る」
勝算はある。この海賊どもには致命的な弱点があるからだ。
「姫って呼ばれてるやつがいたよな。赤毛の三つ編み。あの女を確保できれば、こいつらは言うことを聞くしかなくなる」
ライノーの話から、俺はこの海賊どもの正体と現状をおおむね理解できていた。
やはりこの連中は旧キーオ王朝の残党で、いまだに連合王国に対して抵抗運動を試みている。結果として連合王国からは海賊活動に見えているというわけだ。
ただ、最近は長引く活動により士気は減少の一途を辿っているという。脱走者や離反者の増加に歯止めがかからない、らしい。
たしかにこんな抵抗運動はいつまでも続けられるものじゃない。精神は荒むし、あまりにも将来の展望が無さすぎる。
そんな彼らの士気をぎりぎりのところで保っているのが、『姫』と呼ばれる存在だった。
あの赤毛の三つ編みの女。たぶん、旧キーオ王族の末裔なのだろう。
「だから『姫』を力強く誠意をもって説得して、海賊諸君には俺たちの手下になってもらおう。わかったか?」
「――おお!」
ライノーはとても嬉しそうな顔をした。やや興奮気味に何度もうなずく。
「素晴らしい! さすが同志ザイロだ! そうして彼らも立派に人類を守る戦士として役立てるというわけだね!」
「……まあな」
「うん? 同志ザイロ、何か不機嫌そうだね」
「別に。俺は辛気臭い話が嫌いなんだ。この海賊どもみたいな境遇がな」
少し嘘をついた。
もっとはっきりと、俺は怒りを感じている。腹を立てている――そこのところは自覚できる。ただ、ライノーに詳しく説明するつもりなんて微塵もない。
「だから、こいつらから司令部の場所を聞き出したいわけなんだが……おい、そろそろ起きろ! いつまでも寝たふりをしてんじゃねえぞ!」
「ひぃっ」
と、俺が胸倉を掴んで揺すった瞬間に、海賊の男が過剰な反応を見せた。
背をのけぞらせ、俺の背後を見て悲鳴をあげる。そして、全力でもがいて逃れようとしやがった。もちろん俺は逃さない。
「お前こら、人の顔を見て悲鳴あげるやつがいるか。反応が過剰なんだよ! 怖がるならそっちの薄気味の悪い男にしろ!」
「ち、ちがっ、違います! あれ! あっち見てください!」
「何をお前は古典的な手口を――」
「同志ザイロ。たぶん違う。あれを見た方がいいよ」
ライノーは静かに呟き、片手で曲刀を構えた。
「なんだよ」
仕方がないので、俺もそちらを振り返り、とても嫌な気分になった。大柄な人型の影が、廊下の向こうに佇んでいた。ぼろぼろの外套のようなものを羽織った、異常なほど猫背の生き物。
「樹鬼だね」
ライノーがその生き物の名を呼んだ。その通り。木の幹が寄り集まり、腕や足を形作っている。稚拙ではあるが、頭部は獣の形を模しているように見えた。
「どうやら、僕らを敵視しているようだ」
それを証明するように、樹鬼は口――らしきものを開き、咆哮をあげる。内臓によく響く地鳴りのような低い咆哮だった。
「お前ら、なんであんなの放し飼いにしてるんだよ」
俺はとても呆れた。
樹鬼は知性があまり高くなく、かなり凶暴な生き物だ。特に縄張りを荒らされることを嫌う。動物を食わないことだけが救いだが、威嚇行為の突進で簡単に人間を『轢き殺す』ことができる。
こんなやつ屋内で放し飼いにできるものではないと思うが、現にこうして闊歩しているのだから仕方がない。しかも、咆哮をあげて突っ込んでくる。
これにはライノーも苦笑した。
「ううん、砲甲冑が欲しいね」
「俺はまともなナイフが欲しいよ。くそっ」
俺は曲刀を掴み、聖印の力を浸透させた。ザッテ・フィンデの爆破。振りかぶって投げる――いつもの武器と勝手が違う分、理想的な投擲とはいかなかったが、相手の的がデカいから外すこともない。
爆音と閃光。衝撃が樹鬼の突進を阻む、ということを期待したが、無理だった。
「本気かよ」
着弾した部分――右腕のあたりは付け根から吹き飛んでいたものの、その速度はまったく鈍っていなかった。しかも、背中からめきめきと音をたてて、さらなる腕が生えてくる。
失った部分を補うだけでなく、二本、三本と増え、しかも伸びた。
「同志ザイロ。これは少しまずいような気がするよ」
「お前に賛成するのは癪だが、俺もそう思う」
樹鬼の生態については、もともと謎の部分が多かった。
熊のように力強く、野生で出会うと危険な生き物――という程度の認識しかなかった。まさか痛覚が存在しないどころか、腕を生やすことまでやるとは。
弱点は、俺の聞いた話が本当なら、アレしかないのではないか。
「ライノー! やっぱり食堂を探すぞ! あいつにはたぶん火が効く――」
俺が逃走を決意したのは、少し遅かったかもしれない。
樹鬼が近づきすぎていたように思う。だが、結果的にはそれでよかった。無様に全力疾走で、背中を見せて逃げるところを見られなくて済んだ。
なぜならその瞬間、俺たちのすぐ隣の窓が砕けて、炎が流れ込んできたからだ。強い熱と、甲高い鳥のような鳴き声を聞いた気がする。
おかげで俺とライノーはそろって仲良くその場に伏せなければならなかった。
樹鬼のやつは間に合わなかった――突進の速度がつきすぎていたし、身を守る手段が何もなかった。
炎はあっというまに樹鬼を焼き尽くし、低い咆哮とともにその場をのたうち回らせる。
そして、砕けた窓からは炎の次に飛び込んできたのは、小柄な人影だった。嫌になるほど見覚えのある顔。
「ふん。ここにいたか」
その小柄な人影――つまりジェイス・パーチラクトは、俺たちを見るなり不機嫌そうに鼻をならした。
「二人そろって何を遊んでやがる。俺はここの連中を徹底的に焼き払うことに決めた。手伝え、阿保ども」
ジェイスは偉そうに言って、ついでのように足元の海賊の一人を蹴とばした。
その仕草には、ちょっと尋常じゃないほどの憎悪がこもっていた。
窓の外、空には竜が舞っている。
それも十翼以上はいるだろう。いったいどこから集めて来たのか――『芦風』号から脱出させた竜と数がまるで合わない。ニーリィの青く冴えた翼も見当たらなかった。
果たして本人がまともに説明するかどうかはわからないが、ジェイスに聞くべきことは多くありそうだ。
ただ、この小さな城が間もなく灰になるだろうことだけは、確信をもって想像できた。
◆
兵たちが焦れている。
特に上級将校たちだ。マルコラス・エスゲインにはそれが手に取るようにわかっていた。
もともとマルコラスは部下の心理状態を把握することに長けている。
その要望を読み取り、適切に誘導することで、『人望』と呼ばれるものを獲得してきた。それが軍事的な能力よりもはるかに重要なものだとマルコラスは感じている。
だからこそ、理解できる――海上での長い帯陣に、上級将校たちが焦れている。
グィオや貴族連合の軍はわからないが、少なくともマルコラスが掌握している、北部方面軍でその傾向が顕著だった。
実際、マルコラスの元へ意見を具申しにきた者もいた。
「攻撃こそが、いま我々に必要とされているものです」
というのが、ある総督の意見だった。
「現在我々の置かれている状況から考えると、グィオ聖騎士団長の戦術は消極的にすぎると判断します。沿岸を遠巻きに包囲し、段階的に敵戦力を削る現在の方法は、戦力の逐次投入に近い状況にあるといえるでしょう」
「ふむ」
と、マルコラスは唸って、総督の顔を見る。
名前はなんといったか――そう、ブラトリー。北部第三方面軍総督。相手の顔と名前を覚えるのは、マルコラスの得意な分野だった。
「ここは果敢かつ迅速な攻撃あるのみです。最善の作戦とは、攻撃が防御を兼ねるもの。そのことは総帥閣下もご存じのはず」
そうして、ブラトリー総督は強い期待をこめたまなざしでマルコラスを見た。
「どうか私に攻撃部隊をお与えください。ヴァリガーヒ塩境における敵陣地を夜間急襲し、撃滅してみせましょう」
(なるほど。つまり、この男は)
マルコラスにはその考えがおおむね読めた。
(功績がほしいのだな。たしかに、ブラトリーは総督の中では新参にあたる)
しかも前任者の戦死によって方面軍の指揮官としての地位を引き継ぎ、歴戦の将兵を指揮下に置いたばかりだ。このような状況では、なんらかの功績を立て、それによって己に才があることを証明せねばならないという想いは強いだろう。
それに、言っていることも間違いではない、とマルコラスは思う。
戦力の逐次投入を回避し、防御よりも攻撃に全力を注ぐ。兵力の集中と、機会を逃さぬ速やかな決断。いずれもマルコラスが学んだ軍事の基本だ。
余力のあるいまのうちに、鮮やかにヴァリガーヒ塩境を陥落させてしまえば、それは貴族連合に対する効果的な宣伝にもなるだろう。
――そうであるならば。
マルコラスには速やかに考えを巡らせた。口を開き、あえて感情を交えずに言う。
「この作戦はグィオ聖騎士団長に一任している。指揮権は彼にあり、私はすでに任命と委任という決断を下している」
「しかし、閣下」
当然のように、ブラトリーは食い下がった。
「グィオ聖騎士団長の戦ぶりには納得ができません。特にその士気の軟弱なることは甚だしい。娯楽船なるものを第一王都より呼びつけ、祭りの真似事だけならともかく、公然と賭場や娼館を運営しているとか」
「その点については、私も好ましくは思っていない」
実際のところ、兵にはその手の娯楽が必要だろうとマルコラスは思う。
だが、いまそれを主張することは、なんの利益も生まない。
(ブラトリーは利用できる)
と、マルコラスは直感している。特にグィオの発言権を弱める役に立ちそうだ。それはすなわち、聖騎士団全体の発言権の弱体化に繋がっていくだろう。
マルコラスは聖騎士団という、連合王国最強でありながら自らの自由にならない組織を嫌悪している。
個々の軍事的能力は認めざるを得ないだけに、なおさらだ。
あの戦力が自分の手元にあれば、としばしば思う。思うだけでなく、権力の奪取には全力を尽くしてきた。
「ブラトリー総督。個人的には、きみに機会を与えたいと思う。きみと同意見の者は多いのか?」
「はい、閣下。北部方面軍の将校は、誰もが決戦によって武功を立てんと欲しています」
「よろしい」
マルコラスは重々しくうなずいた。
「今日中にも臨時の軍議を設ける。そこで北部方面軍の総意として意見を述べるがいい。表向き、私は反対せざるを得ない――が、きみたちが自らの命と進退を賭して主張するのであれば折れるという形にする」
「ありがとうございます、閣下」
ブラトリーは几帳面な敬礼をした。
「必ずや作戦を成功させてみせます」
マルコラスは無言でうなずいた。
夜間強襲作戦――成功したらそれでいい。失敗した場合は、そのときは、ブラトリー総督には自らの言動の責任をとってもらうしかないだろう。
(いまは、こういうこともできるようになった)
そのことを思うと、感慨深い。かつての総帥の下では、このような形で――部下の個性を発揮させる戦いなどできなかった。
マルコラスの前任の総帥は、心臓が黒ずみ、萎びたようになって死んだ。
あれは魔王による暗殺だと主張する者もいる。
そうだとしたら、人類はその魔王に感謝するべきだろう。軍は自分の指揮の下、さらに強力なものとなるからだ。
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