刑罰:ゼハイ・ダーエ岩礁城砦脱出 1
北の海岸線に、炎の帯が見えていた。
煌々と輝く灯火が連なり、そのような光景を形作っている。
ヴァリガーヒ塩境と呼ばれる、海峡の北岸だった。この状況を知らない者の目には、幻想的な光景と映るかもしれない。
グィオ・ダン・キルバは、自室の小さな窓から一人、それを眺めていた。
(――厄介なことになったな)
と、結論するしかない。グィオの見たところ、ヴァリガーヒ海峡北岸には、
巣、というより砦というべきだろう。かつて人類が使用していた港や、あるいは天然の入り江の洞窟といった類の地形が、魔王現象の影響によって異形化し、
それら三つの拠点が相互に連携し、幅広い防御領域を形成していた。
このことが、想像以上に強固な抵抗を可能とさせている。こちら側の貴族連合の動きが鈍すぎることも問題だ。それにガルトゥイル総帥のマルコラス・エスゲイン。あの男の決定により、『聖女』とその部隊による支援も当面は望めない。
マルコラスに言わせれば、
「聖女はもともとは民間人であり、我々の都合により偶像として仕立て上げられた。で、あれば、まず我々軍人が積極的に血を流さずしてどうする」
ということらしい。
(『我々軍人』とはな)
よくも言えたものだ。当のマルコラスに血を流す覚悟がないというのに――おかげで完全に『聖女』部隊は予備隊扱いだ。
だが、グィオの考える真に厄介な点はそこではない。
(
炎を使っていることからも、その点は明らかだ。どのようにして手に入れたのか、軍船も所有しているらしい。
魔王現象に与する人間――という存在の正体は、いまではだいぶ正確に掴めてきた。一部の傭兵や、魔王現象によって占領された地域の領民、逃げ損ねた難民、そういった者たちが兵士に仕立て上げられて戦わされている。
(おそらく、なんらかの褒賞と罰を用いて動かしているのだろうが)
相手の士気の高さからして、かなり巧みにやっている。単なる徴兵した人間の奴隷というだけではなさそうだ。
このところ、魔王現象はそういう知恵を身に着けつつあるようだった。特に最近はその傾向が顕著だ。その手の戦略に影響を及ぼすような、厄介な頭脳の持ち主でも出現したのかもしれない。
そして、その状況こそが北岸の攻略を困難なものにしていた。
イリーナレアの召喚する兵器が使えない。致命的な問題だった。沿岸部の攻略のために、いまイリーナレアを戦闘不能にすることはできない。広範囲焼却兵器が使えないのは特に手痛い。
結局、正攻法での攻略を試すしかないのだ。
補給線を守り、海上に進出してくる敵戦力を叩きながら、上陸を試みる――ダンジョン化された
ただ、どうやら群れを統率する魔王も存在するらしく、それもまた手間のかかる作業だった。地の利は敵にあり、こちらが強引に攻め抜こうとすれば、手痛い反撃を受けることは目に見えている。
(持久戦は、得意分野ではあるが)
腰を据えての戦いは望むところだった。
おそらく連合王国において、この手の戦闘に最も長けているのは自分だろう、という自負はある。特に海上で、同数の戦力を率いた戦であれば、あの《赫々たる》ビュークス・ウィンティエにも負けはしない。
この状況に問題があるとすれば――
『……いいですかね、グィオ団長。こいつはなかなか面倒ですよ』
通信盤から声が聞こえる。相手はリュフェン・カウロン――同じ聖騎士団長の肩書を持つ、いわば同僚だ。第六聖騎士団を率い、兵站機構の大半を差配する、怪物的な軍人。
グィオから見れば、他人との協調性を持つという点から、ビュークス・ウィンティエよりもよほど当てになる。
『このままだと、もってあと五日ぐらいじゃないですか。長期戦は無理があります』
「……補給物資の面では、問題ないと認識している……兵站部隊はうまくやっている。一か月でも海上に展開できるだろう。他の問題があるのか?」
この試算に、そう間違いはないはずだ。そう答えると、リュフェンは通信盤の向こうでため息をついたようだった。
『そりゃ何が何でも物資は送りますけど――問題は士気の低下ですぜ。いくら食料や物資を充実させても、海の上での持久戦ですから。耐えられるのはグィオ団長の麾下だけですよ。貴族連合と方面軍は無理でしょう』
「……そうだな」
その点であれば、グィオにも理解できる。実際、それを心配してもいた。自分の手勢が無事でも、そのほかが崩れてしまえば沿岸部の包囲は瓦解する。
「何か手はあるか。このまま隙を見せなければ、削り切れると判断しているが」
『もう数日くらいは、引き延ばす工夫はありますがね。いいですか?』
「内容を聞こう」
リュフェンの声には、どことなく投げやりな笑いが含まれていた。
『娯楽船を進発させてます』
「それは?」
『デカい酒保みたいな船です。陸では春冠祭の時期ですからね。花籠をたくさん積んでいきますよ』
春冠祭、というのは、この時節にやる祭りの一種だった。
冬が玉座を去り、春が戴冠するという意味を持つ祭礼である。「花籠」という春の草木で編み、花で飾りつけた籠に、酒や菓子を入れて配るという習慣があった。
『ついでに賭場やら、娼館やらもくっついてるんで、そこだけ許可ください』
グィオは沈黙した。なにもそれは、彼の中の倫理観によるものではない。
酒保はいいし、春冠祭もいい。ただ、賭場と娼館は少し迷う。
そうした要素は、兵士たちの間のいさかいに発展することもあるからだ。それに、所詮は閉鎖的な海の上での娯楽――持久戦の最中だ。どこまで効果があるかは――
「……それで持ち直す見込みは、あるんだな?」
『そこのところは、まあ、宣伝と演出の工夫ですかね。鼻先につるしたニンジンくらいの役には立つでしょ。立派なニンジンに見えるように頑張りますんで……』
「わかった」
と、グィオは言った。
リュフェン・カウロンがそう言うのならば、おそらく、それ以上の案は存在しない。他にも様々な手を検討した結果なのだろう。
「やってみてくれ」
『さらにもう数日くらい持たせてやりますよ、たぶんね』
リュフェンは乾いた笑い声をあげた。それ以外にできることがなさそうだった。
『それまでに、落とせるといいんですがね。北岸、大変なんですか?』
「優勢だが、あと一手が足りない。遊撃部隊が欲しいくらいだが、半端な戦力を割く余裕はない――陸路のビュークスたちはまだ足止めを?」
『ですね。山塊から荒野に展開しましたが、なかなか。……でも、遊撃隊ってことだったら』
リュフェンはそこで、どことなく投げ槍な口調で言った。
強いてそのように言おうとしているようだった。
『懲罰勇者部隊を使ってみるってのはどうです? 《女神》様に加えて、最強の竜騎兵までいるって噂じゃないですか』
「……残念ながら、やつらは行方不明だ」
そう告げたとき、リュフェンからの答えはなかった。
「どうやら、海賊に捕まったらしい」
『かっ……か、海賊?』
それからリュフェンは、弾けるように笑った。笑いごとではないだろうと思ったが、投げ槍な口調は消えている。心の底からの笑いだった。
『そいつは笑えますね! すごいな。何やってんだ、あいつは――』
◆
俺たちが連行された海賊どもの根城は、複雑に入り組んだ岩礁地帯に存在していた。
小さな城砦で、ヴァリガーヒ海峡北岸の、牙のようにそびえる岸壁に守られるように佇んでいる。
発見は困難だし、辿り着くにはその周辺の海底地形に詳しい必要があるだろう。
城門には、赤い蛇の紋章が刻まれていた。
海賊どもが掲げている旗と同じ、蛇の印だ。
俺はそいつに見覚えがあった。このゼフ=ゼイアル・メト・キーオ連合王国が成立するよりも以前、東方キーオ諸島を束ねていた王族の紋章だったはずだ。たしか、『ゼハイ・ダーエ』と呼ばれる王族の守護獣。
そいつを旗印にしているということは、こいつらはつまり、あれか――旧キーオ王国の王統派ってやつか。
王統派。連合王国が成立するにあたって、キーオ諸島にはそういう連中がいた。
ゼフ=ゼイアル王国との統合――というか合併を良しとせず、キーオ王国の独立を維持しようとした一派だ。少なくとも、『同盟』という形で国家を保とうとした。
やつらの言いたいこともよくわかる。
丸ごと併合されてしまったメト王家や西方諸王連邦は、見るも無残に解体されてしまったからだ。南部の豪族たちに至ってはいまや跡形もない。かろうじて夜鬼の一族が独立民族としての体裁を保っているぐらいだ。
だが、キーオ王統派の奮闘は、結果としてはうまくいかなかった。
それはそうだ。ゼフ=ゼイアルはその手の政治闘争に長けていた。キーオの有力氏族を懐柔し、一方で王統派には武器を横流しして武装蜂起を焚きつける。
最終的に王統派はクーデターを起こそうとして失敗、そのまま散り散りになっていまに至る、というわけだ。
その王統派の旗印が、この紋章の赤い蛇。
嵐を食らい海を飲む守護獣、「ゼハイ・ダーエ」というわけだった。
「――なるほど、彼らは連合王国という制度に反対する人々なんだね」
と、ライノーは初めて聞いたような顔で言った。
「それは困ったな。人類はいまこそ一丸となるべき状況なのに」
憂鬱な顔でため息をつく。なんとなく大げさでわざとらしいが、案外それが一種の本音なのかもしれない、と最近は思う。そうだとしても得体の知れない男だ。
しかし、俺にはライノーと話すぐらいしか暇の潰しようがない。
部屋にはこいつしかいないからだ。
俺たちがぶち込まれたのは、海賊どもの城砦の一棟だった。もともとは使用人か何かが使っていた部屋なのだろう。多少の改造が施されて、特に窓なんかは木で打ちつけられて塞がれていた。
これだけ小さな城砦だと、牢獄は俺たちを捕えておくのに手狭すぎるのだろう。
同じ船に乗っていたグィオの部下たちと、テオリッタやパトーシェがどこにいるのか。
それはわからないが、何人かに分けて隔離されていることは予想できた。
特にテオリッタと、その従者と見なされたパトーシェは特別扱いだろう。あの赤毛の三つ編みの『姫』がいかにも丁重な態度で連れて行った。
――そういう状況だったので、俺がまず手始めにやったことは、部屋の隅にある寝台でぐっすりと眠ることだった。
こんな機会はそうそうない。むしろ普段、地下牢や寝袋や藁で寝ている身としては、まるで高級な旅館に泊まりに来たようなものだ。
寝ている間はライノーもさすがに話しかけてこなかった――おかげで目が覚めたときは、すっかり日が昇っていた。
「あとは朝飯が出てくれば文句ないんだけどな……」
俺はあくびをしながら、自分の身に着けているものを確認する。
ナイフはさすがに没収されている。火打石などの野営具も同様だが、調味液を入れた瓶まで没収されたのは痛手だった。あれだけは、なんとか取り戻したい。
ひとしきり探ってから、ライノーを振り返る。
「ライノー、何か聞いてないか? 朝飯のメニューとか、いつ出て来るかとか。あと、散歩とか運動の時間とか」
「残念ながら、聞いていないね。ただ、これは私見だけれども、彼らはおそらく僕らに食事を提供するつもりはないと思うよ」
ライノーは俺の冗談を真に受け、わかりきったことをそのまま語る。
「というより、それだけの余裕がないんだ。だいぶ消耗しているみたいだね。かつては彼らも王国の兵士だったらしいんだけど、もはや士気も減少して、組織としての体裁を保つのが難しそうな状況だ」
「やけに詳しいな、おい。まさかここの海賊の一味だったことがあるのか?」
「違うよ。外で巡回してる見張りの人に色々と話しかけてね、彼らの財務状況や兵力や士気がだいたいわかってきた」
「え」
俺は耳を疑った。
「なんつった? お前まさか一晩中そうやって、見張りを相手にして延々と話しかけてたわけじゃないよな」
「うん? 何か良くなかったかな?」
ライノーは首を傾げた。ついでに眉も傾いている。本気で困惑しているようだった。
「明け方くらいから、こっちの方には巡回に来なくなってしまったんだけど……悪いことをしたかな」
「……いや。むしろ、良くやった。なぜか気分的に、お前をあんまり褒めたくないけど……」
「そう? 良いことをしたってこと? 嬉しいな。何か役に立ったとすれば」
「まあな」
とだけ答えて、俺はドアに耳を寄せた。物音なし。人の声なし。足音――かすかに遠く。巡回しているとしても、だいぶ遠い場所だ。
「だいぶ手っ取り早くなりそうだ。十分寝たし、そろそろ今日の朝飯を受け取りに行くか。できれば魚がいいな……ヴァリガーヒ塩境の鮭とかな。分厚くスライスして炙って、バターと白ワインとレモンで味付けする。腹減ってきた」
「なるほど、いいね。僕もお腹が空いてきたよ。もう脱出するのかい?」
「そうだ」
俺はドアノブに手を触れる。金属製だ。
「ちょっと散歩するから、その間にお前が仕入れた情報を教えてくれ」
そもそも俺から装備を奪ったくらいで、身柄を確保できると思われては困る。おそらくここの連中は懲罰勇者のことを知らないのだろう。そして、体に聖印を施すような技術のことを知らない。
こんな世間から隔絶されたような場所で、海賊をやっていた悪影響だ。
俺はドアノブにザッテ・フィンデの力を浸透させていく。
「たっぷり寝て、ちょっと運動して散歩して、朝飯なんてな。すげえ久しぶりに超健康的な一日を過ごすことになりそうだ」
「素晴らしい」
ライノーは朗らかに笑った。ベネティムとはまた違う、胡散臭い笑い方で。
「そういう生活、一度やってみたかったんだ」
それはまるで、そんな暮らしを一日だってしたことがないというような男の言い方だった。
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