刑罰:リッセカート山塊北進突破 顛末
ツァーヴにとって最悪だったのは夜襲で、何度も繰り返し迎撃に駆り出された。
時には、せっかく場が温まりつつあった賭場を放棄しなくてはならない。
(大一番の勝負が二度も流れちまった)
そのことがツァーヴにとっては悩みの種だった。
眠らなくてもたいして困りはしないが、数少ない楽しみが奪われるのは困る。
闇の向こうからやってくる
「どうなってんスかね」
と、ツァーヴは狙撃を繰り返しながら呟く。
雨が降りしきる夜だった。増水した川の向こうから、渡河を強行してくる一群がいる。フーアだとかバーグェストだとか、そのあたりの種類の
「敵が多すぎるんスけど。ほとんど毎日来てるし、もう行列ができる店みたいなもんでしょ。オレの狙撃、そんなに噂になってるんスかね?」
「くだらん冗談を言っている場合ではない!」
と、厳めしい顔で答えたのはノルガユだ。
「黙って手を動かせ。次が来るぞ」
いま、夜襲の迎撃に当たっているのは、懲罰勇者部隊ではこの二人だった。夜間警戒には優先的に懲罰勇者部隊から人員が割り当てられることになっている。
それから、背後にもう一人。
「いやまったく、すごい腕だな」
金色の髪の男だった。瞳は青く輝き、がっしりとした顔つき。偉丈夫といっていいだろう。その軍服の胸元には、いくつかの勲章が輝いている。
「こんな狙撃手がいるなんて。本当に懲罰勇者なのか? うちの部下に見習わせたいくらいだ」
そうやって興味深そうにツァーヴの手元を覗く、この男の名をロレッド・クルデールといった。ツァーヴとノルガユの当面の上司である。聖騎士団ではなく、北部方面軍に所属する、上級将校の一人だという。
「教わりたいなら、喜んで付き合いますぜ」
ツァーヴは皮肉っぽく笑った。
「それがロレッド閣下のお望みならね」
「検討しておこう。いや、本当にね」
ロレッドの笑みには、自然な明るさがあった。ツァーヴには決して真似のできない類の明るさだ。
(よほどいい環境で育てられたお坊ちゃんなんだろうな)
と、ツァーヴは推測する。
指揮もなかなかに的確だし、有能な者の一人に違いない。だからこそ、こうして迎撃の一部隊を率いている。
「この調子なら、被害はゼロに抑えられるかもしれない――が、やはりきみの言う通り、敵が多すぎるな」
ロレッドは思案するように、濡れた金髪を指先で払った。
「このままでは遅れが出てしまうだろう。第十聖騎士団の艦隊は苦戦しているらしい。よほど激しい抵抗があるようだね」
本来ならば、いまごろとっくにこのリッセカート山塊を抜けているはずだった。
が、進軍は滞りがちで、多くの襲撃にもさらされている。
その原因はわかりきっていた。ヴァリガーヒ海峡を抜け、塩境を抑えるはずだった第十聖騎士団の艦隊が遅れているためだ。どうやら沿岸の制圧に手間取っているらしい。
漏れ聞く噂によれば、沿岸一帯に築かれたかつての人類の砦を、魔王現象が乗っ取って拠点として使っている――さらに海賊の襲撃まで受けた。そのせいで、攻略計画に顕著な遅れが出ているのだという。
「海からの部隊は何やってんスかね」
ツァーヴは雷杖の狙撃を繰り出し、バーグェストの頭部を撃ち抜きながら呟く。大きな四つ足の体が傾き、流れの激しい川に沈む。それは何匹かの
「ザイロ兄貴たち、どっかで呑気に釣りでもしてるんじゃないっスよね?」
冗談のつもりだったが、これには、ノルガユが厳めしい顔で応じた。
「そうだとしたら、厳罰に処さねばならぬな」
「はは! 勇者以上に厳しい罰なんてありますかね――あ! 思いついた。陛下、いますっげー凶悪な罰を思いついたんスけど、聞いてくださいよ。まずは超デカい棺桶を用意して……」
「喋っていなければ戦えぬのか、貴様は」
ツァーヴの言葉を遮り、ノルガユは雨に濡れた髭を指先でつまんだ。さらに片手をあげると、大きな声で怒鳴る。
「――いいぞ、やれ! 第三班から第四班、虎の顎を開け!」
その言葉が号令になっていたようだ。
ノルガユの声が響き渡って数秒、川岸で数人の影が動いた。と、思った瞬間、川面にぎらりと燃える青白い炎が走った。それは雨も濁流もものともせずに燃え上がり、大小の
「すっげ」
ツァーヴは単純な感想を述べた。
「あれ、陛下の仕込みっスか?」
「うむ。余が自ら手掛けた仕掛けと、精鋭である」
ノルガユの呟きには、わずかに不満そうな響きがあった。
「いささか炎が風に流されてしまったな。点火もやや遅い……改善の余地はあるな」
「いや。実に見事だ」
ロレッドは手を叩いて称賛した。
「きみの聖印兵器の設計と、その大胆な発想には驚かされる。やはり支援部隊を運用してもらって正解だったな」
ロレッドの言う通り、ノルガユは懲罰勇者の『支援部隊』から、五十ほどの手勢を与えられていた。
迎撃用の仕掛けも担当していたはずだ――まさか水の上を走る炎とは。
どんな仕組みで実現しているのか、ツァーヴにもちょっと理解できない。油とはまた違う、聖印による炎であることは確実なのだが。
「いったいきみがどこで聖印技術を学んだのか、知りたいものだ」
ロレッドは単純な好奇の瞳でノルガユを見た。
「神殿の学校を出ているのか?」
「……うむ。そう……神殿の学校で、余は……学んでいた。そうだ」
ノルガユが頭を抑えた。顔色がやや青く見える。頭痛に襲われているようだった。こういうとき、ノルガユは錯乱したような言動になることをツァーヴは知っていた。そうなったら役に立たなくなってしまう。
だから、すぐに口を挟むことにする。
「陛下を見てると、オレも自分の手下が欲しくなるなあ――どうっスか、陛下、十人くらいオレにも回してくれません?」
「許可せぬ」
と、断言したノルガユはいつも通りの顔だった。
「貴様が訓練をつけたという死刑囚どもがいただろう。やつらは絶対に貴様の指揮下では戦いたくないと言っていたぞ」
「ひっでえな!」
ツァーヴは笑った。
「戦場で簡単に死なないために、丁寧に教えてあげたのに。訓練では三人しか死んでないんスよ!」
「三人も殺すな、愚か者。そもそも貴様は――」
「懲罰勇者部隊、二名。そこにいるな」
不意に、背後から声が聞こえた。
ツァーヴもこの遠征の間、そろそろ聞きなれてきた声だった。振り返ると、煮えたぎるような赤毛を持った、大男の姿があった。大股に歩きながら、感情のない鉄のような瞳でこちらを見ていた――ロレッドが背筋を伸ばし、敬礼した。
「ビュークス聖騎士団長。新たなご命令ですか」
ビュークスはそれには答えない。
無言で雨を弾き、濛々たる水蒸気をあげながら近づいてくる。
「いるなら返事をしろ。ツァーヴ、お前は持ち場の移動だ。上流側に当たれ」
「忙しいなあ。上流っスか、大将軍閣下」
ツァーヴは軽口をたたき、また一匹の
「上流の方が絶対激戦になってるでしょ。閣下自らお出ましになるなんて、そんなにこの天才ツァーヴの腕前をご所望ってことっスかね!」
「私はお前の天才性など知らん。判断するだけの情報がない。が、技量が一定以上の水準にあることは同意する――急ぎ上流へ回れ」
ビュークスは笑いもせず、動揺もせずに告げた。
(ノルガユ陛下とはまた別の意味で、冗談が通じない)
思わず苦笑いをしてしまう。やりにくい相手だ、とツァーヴは思う。理屈だけでできているような人間。
「この持ち場は良いのか、ビュークス・ウィンティエ聖騎士団長」
ノルガユは何かを探るようにビュークスを見た。
「この男が抜ければ、相応に被害が出ると思われるが」
「理解している。が、大きく破られることはない」
ビュークスはまるで数学の問題でも回答するように応じた。
「犠牲はせいぜい数十名程度と予測される――それより、上流を抑えておく方が先決だ。明日にはそこを抜けて先へ進む。それで、期日までに予定していた行軍距離は確保できるだろう。以上だ」
以上だ、の言い方には反論を許さないような響きがあった。
それが命令なら仕方がない――と、ツァーヴが雷杖を引いたとき、割り込んでくる声があった。
「それは、承服できかねます。閣下、意見を具申させていただきたい」
ロレッドだった。背筋を伸ばしたまま、険しい目つきでビュークスを睨んでいた。
「彼らをここに配置しておけば、損害はゼロにできます。特にツァーヴとノルガユの戦闘力は群を抜いています」
「かもしれん」
ビュークスはそこではじめてロレッドの存在に気づいたようだった。彼の挑むような顔を見もせずに続けている。
「だが、進軍が遅れる。それは許容できない」
「進軍予定を守るために、兵士たちの命を犠牲にするつもりですか」
「そうだ」
「馬鹿げています。そんな上から命じられた行軍距離の数字にこだわるより、いまは犠牲を抑え、万全の状態で――」
「ロレッド・クルデール。そういう名前だったな。お前に聞くぞ。お前はいったい、何のために戦っている」
それは唐突な質問に聞こえた。ロレッドにとってもそうだったのだろう。
「なんです?」
と、訝しげに聞き返した。ビュークスは動ぜず、繰り返す。
「何のために戦っている、と聞いている。答えろ」
「……私は、私の大事な人々のために戦っています。それは家族であり、仲間たちであり、この部隊の兵士たちです。私はそれらの命に責任を持っていると考えます」
「そうか。私は違う」
ビュークスは鋼すら切断するような、鋭く感情のこもらない語調で言った。
「人類の勝利のために戦っている。その目的が達成されるなら、命がいくら失われても構わない。よって私は『大事な人々』など持たぬ」
「それは――」
「そして、私はこの軍の総合的な指揮官だ。指揮官である私がそう定めているからには、その方針に従って戦ってもらう」
それは取り付く島もないような言い方だった。
ロレッドが呆気に取られている間に、ビュークスは懐中時計を取り出し、文字盤を見た。そしてかすかに首を振る。
「時間を無駄にした。ゆけ、ツァーヴ」
「――了解」
と、ツァーヴはそう答えるしかない。皮肉っぽい笑いを浮かべて、敬礼の真似事もした。ビュークスはその応諾の返事を聞きながら、もうツァーヴの方は振り返らない。
「ノルガユ、お前には私の幕舎に来てもらう。現在、聖印技術者を中心に架橋の方法を検討している。あらかた詰め終わってはいるが、瑕疵や改善点がないとも限らない――よって、お前の意見を聞きたい」
「ふむ」
ノルガユは金色の髭を指でなで、どこか満足そうにうなずいた。
当然だろうな、とツァーヴは思った。ノルガユは良くも悪くも『王様』だ。兵隊の命は戦うためにあると信じている。戦場での死こそ名誉と考えているに違いない。
「よかろう。余が知恵を貸してやる。架橋の手筈が整えば、確実に上流を突破できるのだな?」
「九割五分以上の確率で成功するだろう」
「では、ゆこう」
ノルガユはビュークスに続いて歩き出す。
その背中を、ロレッドがひどく奇妙な生き物を見るような目で、呆然と眺めていた。ツァーヴは最後に一瞬だけ彼に目を向け、笑いかけた。
「慣れないとキツイっスよね? こういう無茶苦茶な感じの人たちと、オレは普段から付き合いあるんで――すみませんね、将軍閣下」
雨はまだ、数日は続くだろう。
この川を渡ったとしても、その先にはヴァリガーヒ塩境がある。
そこを魔王現象が抑えている限り、合流することなどできない――予定されていた海上輸送されるべき物資も届かない。すべては、海峡の攻略にかかっている。
(まあ、ザイロ兄貴なら)
ツァーヴは楽天的になろうとした。
(ニーリィ姐さんやジェイスさんだっているし。どうにかするだろ)
あの二人と一翼が敗北するところなど、ツァーヴには想像もできない。
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