待機指令:鎮東軍港ビアッコ 2
その部屋は、とても作戦会議室とは呼べないだろう。
そもそも俺たち懲罰勇者に与えられる場所など、物置小屋がせいぜいだ。
ベネティムが俺とパトーシェを集めたのも、軍港の片隅にある、とりわけ古ぼけた倉庫の一つだった。「廃材置き場」と書かれていた気がする。
この場にテオリッタは呼んでいない。話がややこしくなりそうだったからだ。
「えー、それでは、我々に下された任務をお伝えします」
咳ばらいを一つして、ベネティムは粗末な机に地図を広げて見せた。
牙のように東から陸地を抉りこんでいる、ヴァリガーヒ海峡を中央に据えた地図だ。北岸一帯はヴァリガーヒ塩境。いまは失われた人類の土地である。どの集落も放棄されたとされているが、実際には多くの人間が魔王現象の奴隷となって生息しているらしい。
あるいは、いまだにそれなりの抵抗組織が存在し、砲撃都市ノーファンに籠って継戦しているとか。
実際にはこの辺りの状況はよくわからない。
連絡がつかないからだ。
塩境に到達するには、西から大きく迂回するか、このヴァリガーヒ海峡を越えるしかない。西からの経路はクヴンジ森林から始まる深い森と山、その先の荒涼とした荒地が続き、よほど命知らずな冒険者か商人でも尻込みをする。
一方でヴァリガーヒ海峡を船で越えるとなると、この海中を根城にする魔王現象という脅威があった。
「我々が果たすべき任務は二つ。ええと、その……第一に、西から迂回する第十一聖騎士団の先導。それから第二に、ヴァリガーヒ海峡の突破を試みる第十聖騎士団の護衛です」
ベネティムは地図上を指で辿ろうとして、失敗していた。指先がさまよった挙句に、正確な経路を示すことは諦め、ただ俺たちの現在位置であるビアッコ軍港を示す。
まったく、こいつはたいした指揮官だ。
「先導。それに護衛か」
パトーシェ・キヴィアはクソ真面目なので厳めしい顔で唸った。
「どちらも命懸けの任務になるな」
「命懸けどころじゃねえよ。『先導』も『護衛』も、要するに何かあったら本隊の盾になって死ねってことだ」
俺は鼻で笑ってしまった。まさしく勇者らしい仕事だ。死んでも生き返る『備品』の使い方というものをよくわかっている。
「笑いごとではないぞ、ザイロ」
パトーシェは顔をしかめた。
「任務はすでに下っている。問題は、誰がどちらへ行くかということだ。それに、今回からは我々にも支援部隊が与えられた。おおよそ五百だ」
正確に言えば、支援部隊に支援を要請する権利だ。いままではそれすらなかった。
どうやら休暇の間にせっせと募集することに成功したらしい。
支援部隊は騎兵が百と少し、歩兵四百といったところか。
この歩兵の中には南方夜鬼の一団も混じっており、あろうことかフレンシィが率いているという。頭の痛い話だ。親父殿とこの件について相談したいが、その機会はいつ与えられるだろうか。
何よりもちろん、『支援部隊』の彼らは俺たちよりも貴重な人命であるため、無茶なことはさせられない。ここぞという場面、ここが勝負の分かれ目というところで投入するべき切り札だ。
「おい、支援部隊はどっちだ? 陸か?」
「ええ、そうですね。そちらに回すよう指示が出ています」
「支援部隊には、まともな従軍経験のない者もいる」
これには、パトーシェが難しい顔をしてみせた。
「脱落を防ぐためには、海路の方が良いと思うが」
「船で全滅ってこともある。それに兵站の問題だな。五百人を食わせて働かせる予定で計画を立ててるなら、陸路部隊に回すしかない」
「……それはそうだが。ザイロ、貴様にしては物分かりがいいな」
「俺たち勇者部隊の十人足らずとは話が違う」
この遠征計画の兵站には、間違いなく俺の知ってるやつが絡んでいる。ベネティムの弁舌を使えば無茶な押し込みもできるかもしれないが、五百人ともなると問題が生じるだろう。ひどい負荷をかけるか、下手をするとどこかが破綻することもありえる。
そういうことは避けたかった。
「それと、先に聞いておくけどな。ヴァリガーヒ海峡のヌシはどうするつもりだって?」
海峡のヌシ。つまり魔王現象二十五号、『タニファ』という。
こいつが出現してから、ヴァリガーヒ海峡は極めて危険な海域となった。その影響で海の底や沿岸部がダンジョン化しているという説もある。
「第十聖騎士団の……あれです。鋼の《女神》が、それを撃破する兵器を召喚したそうです。すごく大きな鉄の船だとか」
「私はここへ来る途中に確認した」
さすが優等生気質。パトーシェは現場の検分にも余念がない。
「黒い金属でできた、戦闘用の船だ。聖印とはまた違う、青白い光を放って動く。鋼の《女神》イリーナレア様が召喚したものらしい」
「なるほど」
俺もイリーナレアのことは知っている。一度だけその力も見た。
鋼の《女神》イリーナレアは異界の兵器を呼び出す。水中で生き物のように動き、岩でもなんでも爆破して粉々にするという武器は、昨年は東方キーオ諸島での反撃作戦に役立てられたという。
そして彼女の聖騎士であるグィオは、そうした兵器を扱う専門家だ。キーオ諸島の出身らしく海戦にも長けている。
それなら『タニファ』を倒せる確率は高いはずだ――先に敵を見つけさえすれば。
先陣をきって、まず敵に見つけてもらう役を、俺たち懲罰勇者にやらせようというのだろう。嫌になる。
ただ――
「仕事だ。仕方ねえな」
いずれにしても、命令に逆らえば死ぬ。そっちは確実な死だ。死を避けるわずかな可能性は、俺たちが戦ってどうにかすることしかない。
「海路を支援する側の人間は決まったようなもんだな。上からは何か言ってきてるか?」
「あ、はい。その、ジェイスくんを必ず海路の護衛に回してほしいと……」
「だろうな。」
当然のことだ。空からの脅威に備え、艦隊を守る。そのために――認めるのは癪だが、最大の航空戦力であるジェイスを張りつけるのは正しい。
「じゃあ、後は俺とライノーだな。あいつと一緒の船とか、すげえ嫌だけど」
船での戦いとなれば、ライノーの砲は絶対に欲しい。俺の戦い方もそれに向いている。
海中の化け物相手はともかく、そこから水面にあがってきたやつらを叩くこともできるし、船が魔王化した形の
「――というわけで、ベネティム。パトーシェ。陸路班の連中のお守りは頼んだ」
「えええ……」
「言っておくが、私はテオリッタ様のお世話をする。その義務がある。ザイロ、貴様が海路を行くなら私もそちらということになる」
ベネティムは引きつった声をあげたが、パトーシェはさらに厳めしい顔を作って告げた。
「ふん。まさか、貴様ら有象無象と同じ船室にテオリッタ様を寝起きさせるわけではないだろうな? よって大変まことに心底から遺憾で仕方なく、ザイロ、貴様およびライノーの蛮行の監督を兼ねてそちらに同行する」
「ジェイスの監督はいいのかよ」
「ニーリィ嬢がいるだろう」
「それもそうか……」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。私を置き去りにして話を進めないで!」
ベネティムは額に冷や汗――だか脂汗だかわからないものを滲ませていた。
「つまり、私がツァーヴやドッタやノルガユ陛下の面倒を見ると? タツヤだけでも大変なんですが……」
「お前、指揮官だろ」
「本来なら当然の仕事だ」
そうしてベネティムは沈黙した。
たまには苦労するがいい、と俺は思う。
その間に、窓から見える海に視線を向ける。穏やかな水面は、呑気にゆっくり港へ波を寄せ、また返している。
「しばらくいい天気が続きそうだな。俺たちの出撃にしては珍しい」
「こちらの陸地付近では、しばらく問題ないだろう。第四聖騎士団が動いた。嵐の《女神》バフローク様の召喚した風が、雲を払ったらしい」
「なるほど」
俺は天候を操る《女神》の姿を思い浮かべる。深窓の令嬢といった見た目の、いかにも華奢な少女だった。その風貌に反するように、戦場における影響力は極めて大きい。
「じゃ、第四聖騎士団も同行するのか?」
「あの部隊の重要性は大きい。戦闘以外にも有用だ。我々が北岸の安全を確保したら、初めて進軍が検討されるだろう」
「そうだな」
気象を操る力は、兵器を呼び出すとかよりも汎用性が高い。そう簡単に王都付近から離して使える駒ではないということだ。
「船旅は嫌いじゃない。俺たちが寝てる間にさっさと終わらせてくれねえかな」
「……その可能性がどれほどあると思っている」
パトーシェは呆れたように瞑目した。
「貴様と関わってからこの方、どれ一つとして任務がまともに進んだ記憶がない」
「俺たちはそれをぜんぶ切り抜けてきた。それって誉め言葉だよな?」
「そんなはずがあるか」
遠くの空に、かすかに雲がかかっているだろうか。
不気味に紫がかった夕陽の色が西方を焼いていた。
◆
「――それでは、《聖女》ユリサ・キダフレニーよ」
重々しい響きとともに、その男は剣を差し出した。
「汝にこの刃、マッジファルカを授ける。必ずや北の地にて魔の者らを討ち果たさんことを」
ユリサは戸惑いながらそれを右手で受け取る。ずしりとした、いまだに慣れない重み。それを握る右手の感触も不思議だ――これにも一生慣れることはないだろうという気がする。
剣の名は、マッジファルカというらしかった。
旧王国から伝わる、《聖女》のための剣。第三次魔王征伐の際にも使われたという。銘の意味は、『宣告する者』――といっても特別な力が秘められているわけではない。
ただ単に歴史的な価値を帯びた、象徴的な武器だ。
(それでも、重い)
ユリサは肩が震えるのを感じる。
(私がここにいるのが、場違いな気がするよ)
振り返る――テヴィーが励ますように小さく笑った。彼女の副官、という立場で着任した女性だった。ユリサよりもはるかに経験が豊富で、軍人であり、冬の間には簡単な訓練をつけてもらった。
剣や雷杖の腕前はさほど進歩しなかったが、少なくとも意味はあった。テヴィーとは、いまでは人には言えない相談もできるようになれたからだ。
(彼女の笑顔には勇気をもらえる。やれる気がする……っていうか、やらないといけないんだけど)
だからユリサは跪き、剣を掲げる仕草をした。
「……謹んで、拝命します」
「うむ」
満足げにうなずいたのは、マルコラス・エスゲイン。いまやガルトゥイル要塞の総帥。この儀式における、ユリサ以上の主役だ。
ユリサ自身は彼のことがあまり好きにはなれなかったが、軍の内部ではなかなか人気があるらしい。
体格がよく、顔立ちには育ちの良さと威厳がそれぞれ半分ずつ表れている。部下に対しては寛容で優しく、誰よりも朝早くから活動し、ゴミ拾いのような雑務まで自分から行うこともあるらしい。
だが、それらはすべて無意味なことだ――という陰口も聞いたことがある。
マルコラス・エスゲインに軍事的な才覚はなく、人に任せるといったことも不得手だ。その雑務までこなすという行いが示す通り、気づいたところのすべてを自分で裁量しようとする――それがよくない、とか。
だが、間違いなくこの場では彼が主だ。
伝統ある剣を《聖女》に授け、激励する軍の総帥。その背後で、苦々しい顔で立ち尽くしているのは、神殿の主席大司祭だ。ニコルドという名前だったはず。
この軍事的な性格の強い儀式の場では、彼でさえ介添人という役に留まらざるをえない。
「では、行くがよい。ユリサ・キダフレニー。海を越え、まずはヴァリガーヒ塩境における人の領土を取り戻せ!」
それからマルコラス・エスゲインは自ら膝を折り、ユリサの肩を力強く掴んだ。
「期待しているぞ。……うまく成し遂げた暁には」
小声で囁くのが、ユリサの耳にだけ届いた。
「私は魔王どもを駆逐した英雄となり、お前は勝利を導いた《聖女》となる。聖騎士団など及ばない、最高の栄誉だ。奮起せよ」
その言葉で奮起できる者がどれだけいるだろう。
ユリサは空虚な気分で、それでもどうにか微笑んだ。勝利する事。人々から、それが期待されているのは間違いないのだ。
「さあ、マルコラス・エスゲイン総帥閣下。《聖女》様。お立ちになってください」
総帥の背後で、一人の若者がよく通る声で言った。
「これにて剣戴の儀を終わります」
穏やかだが、どういう印象も抱けないような、思い出す時にどんな特徴の手がかりも与えないような、そんな不思議な顔立ちの男性だった。
「どうかご武運を」
そうやって笑った彼の顔は、まるでとらえどころもないくせに、なぜだかひどく不吉な気配がする。
(――でも、なぜだろう?)
ユリサは強張った右手に気づかれないよう、静かに一礼をした。
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