待機指令:鎮東軍港ビアッコ 1

「まずいことになった」

 と、ドッタ・ルズラスは深刻そうな顔で言った。

「本当にまずいよ。ぼくらはもう終わりかもしれない」


「またかよ」

 俺は内心で思ったことを口に出した。そもそもドッタは定期的にまずいことになっている。だいたい三日に一度くらいの割合だろうか。

 その原因は、ほぼ十割が自分の手癖の悪さによるものだ。


「またですか」

 と、俺の台詞に被せるように言ったのは、テオリッタだ。両手を腰に当て、胸を張り、ドッタを睨む。

「いけませんよ、ドッタ。人の物を盗むのは悪いことです! あなたという人は、何度言えば理解できるのですか! 反省しなさいっ」


「いや、ぼくだって、その辺は理解はしてるよ。してるけど……」

 ドッタは自信がなさそうに頭を掻きむしった。

「……それって、えーと……そう、あれだよ! 水面で足を交互に出し続ければ沈まない、みたいな理屈と同じようなもので……理屈は正しくても、ぼくには無理っていうか……」

「ぜんぜん違います。あなたがただ我慢すればいいだけではありませんか」

「ううん……」


「よせ、テオリッタ。無駄だから」

 俺はため息をついて、ドッタの青白い顔を一度だけ見た。

「そいつのは死んでも治らない」

 それからまた海に視線を戻す。


 静かな海がそこにある。

 数日前まで荒れ狂っていた、冬の終わりを告げる風はもう止んだ。俺は昼から暇だったので、釣竿を持ち出し、防波堤で糸を垂らしていた。テオリッタも当然のような顔をして釣竿を持参し、隣にやってきている。

 二人合わせて釣果はそこそこ。天気もいいし、もうすぐ始まる憂鬱で過酷な任務を忘れるにはちょうどいい。

 そのはずだったのだが。


「……で?」

 やむを得ず、俺は厳しく滑稽な現実に目を向けることにする。

「ドッタ、今度は何を盗んだんだよ」

「わかんない……」

「ああ?」

「あっ、ちょっ、ちょっと待った! 殴らないで! いま説明するから!」


 ドッタは自らの上着の内側から、何やら灰色っぽい物体を取り出してみせた。毛皮だろうか。イタチのような動物の毛皮――いや違う。

 毛皮が動いた。

 細長い頭部と耳が突き出して、黒い瞳が瞬き、そして鳴いた。

「クィイ」

 という、奇妙な鳴き声だった。俺にはその生き物に見覚えがあった。


「わあ」

 テオリッタがその鳴き声に答えるように、感嘆の声をあげた。

「かわいいですね! 狐の子供でしょうか?」

 興味津々、といった燃える瞳で覗き込む。灰色の生き物は、値踏みするようにテオリッタを見つめ返す。ずいぶん人に慣れている様子だった。

 良くない予感がする。


「ドッタ――お前、これ、ソマイタチだろ」

「え? なに? イタチなの、この生き物?」

「そうだよ。だいたい中央東部の山地あたりに棲んでて、雑食だ。木を切り倒すくらい歯が鋭い。だから『杣』イタチ」

 俺はソマイタチの目を覗き込んだ。瞬きを二度か三度。そして怯えたように身をすくめる。テオリッタはそれを見咎めた。

「ザイロ! 怖がっていますよ。睨むのはやめなさい」

「大きなお世話だ。まず睨んでねえよ」


 本来、この動物は大人になると毛がもっと銀色のようになるものだ。とすれば、生後二年といった時期のソマイタチだろう。

 俺は指先をソマイタチの前で振った。また瞳が瞬く。そして反射的に噛みついてこようとするのを寸前でかわす。その様子に、テオリッタが少し笑った。


「それで、なんだ? ドッタ。こいつはどこから盗んできたんだ」

「ええっ!? 人の飼っている生き物を!」

 テオリッタの眉がつり上がる。

「なんということを! ひどい行いですよ!」

「そうだ。この軍港の誰かから盗んだってことは、軍の関係者だってことだろ。死ぬほど面倒なことになるぞ。いますぐ返してこい」


 俺たちが待機しているこの港を、鎮東軍港ビアッコという。

 第一王都より北東、ヴァリガーヒ海峡を臨む港で、海からやってくる魔王現象に備えて武装されている。軍用の聖印船も多数そろえて、万全の迎撃態勢をとっていた。

 主にこの辺りは、第十聖騎士団の管轄だ。聖騎士団長はグィオ・ダン・キルバ。陰気な顔つきの男で、葬儀屋でもやっていた方が似合うと常々思っていた。


「まさか、聖騎士団の誰かから盗んできたんじゃねえだろうな? 俺は嫌だぞ。ここの聖騎士団長は、ただでさえ冗談が通じそうにないからな」

「えっと、それが……あの……」

 ドッタは頭を掻きむしった。

 困惑した表情の動き。ソマイタチは不思議そうに振り返り、ドッタの顔を見た。愛嬌のあるやつだ。

「わからなくてさ」


「ふざけてんのか。おい、テオリッタ、いますぐトリシールに連絡しろ。こいつを拘束して突き出すぞ。俺はこいつの脚をへし折る」

「当然です。こんな子を保護者から引き離すなんて、許せません!」

「ま、待って! わかんないって言うのは、あれだよ。なんか士官棟? みたいな感じの建物あるでしょ。あそこの奥の方で、なんか階級とか部隊の名前とか、そういうの書かれてない部屋だったんだ!」


「はあ?」

 そんな部屋が存在するのか。ましてや士官棟に?

 戦争が人間相手のものではなくなって以来、連合王国の軍隊はその辺の整備が進んだ。所属を明確にし、対外的にも堂々と己の身分を明かす。

 ――もっとも、最近ではそれも怪しい。

 どうも人間が、この魔王現象との争いに介入している節がある。


「なんでお前はそういうことするんだよ」

「散歩でもしようって思って、気がついたら……」

「思うな! お前の散歩は確信的なんだよ! もう絶対なにか盗むつもりじゃねえか、そんなもん!」

 やはりこいつを拘束して監禁しておくべきだった。あるいは海に沈めておくとか。その措置を怠っていたベネティムやトリシールの責任だろう。


 だが、とにかくまずは、このソマイタチをこっそり返却させることを考えなければ――飼っている生き物を盗まれたとき、その保護者には相手をぶち殺す権利ぐらいある。俺はそう思う。

(こいつの巻き添えだけは避けないとな)

 そう思ったときだった。


「あ!」

 という声が聞こえた。

 吹き込む潮風を越えて、なお響く。よく通るが、どことなく頼りないような、そんな不均衡な印象の声だった。


「コルミン! そんなところに!」

 振り返れば、炎のような赤毛を束ねた少女がいた。

 ずいぶんと真新しい、白い軍服に身を包んでいる。だが、通常の軍人と違う点が一つ――階級を示す徽章や、後援する貴族を示す家紋が一切見当たらないことだ。右手に分厚い手袋をしているのも目立つ。

 そういう少女が、やけに背の高い女を連れて小走りに駆けてくる。


「うわ」

 ドッタが驚いてのけぞる。コルミン、と呼ばれたソマイタチが首を伸ばし、ドッタの肩にのぼったからだ。

 赤毛の少女を見て、一声、「クィィ」と鳴いた。


「よ、よ、よかった! 今朝から姿が見えなくて――ここにいたのね。もう……心配したよ」

 ドッタが状況を理解できていない間に、赤毛の少女は両手を伸ばす。その懐に向かって、ソマイタチは跳んだ。器用に腕の中に収まる。

 そのまま、ソマイタチは少女の頬を舐めた。


「え、えっと? あの――よくわかんないんだけど、その変な動物は、痛ッ!」

「そのイタチ、あんたが飼ってたのか」

 ドッタが余計なことを言う前に、俺は素早く口を挟んだ。脛を蹴とばすことも忘れない。やつは恨みがましい目で俺を見たが、構うことはない。


「迷ってたから、拾って保護したんだ。海辺でソマイタチは珍しいし、人に懐いてたからな。誰かが飼ってると思った」

「あ、はい! よくご存じですね、ソマイタチ!」

 びくり、と肩を震わせ、赤毛の少女は背中を丸めた。猫背になる。

「最近ではあまり見かけないのに……。あ、あのっ、もしかして! 東部出身の方ですか?」

「違う。ただ、そういうのが趣味な親父に育てられただけだ」

 俺の言葉に、赤毛の少女は少し落胆したような顔をした。露骨に眉毛が動く。そういう少女だった。


「そ、そうですか。いや、あの、この子はコルミンといって……」

 前髪を指先でしきりと弄びながら、言葉を早口に続ける。

「私の友人なんです。故郷の方、あ、あ、あの、私の故郷です。東の方なんですけど、もう無くなってて、でも、その頃から一緒で、一緒に、そう、一緒にこっちに来て――」


「ユリサ」

 彼女の背後にいた、長身の女が窘めるように呟いた。茶色がかった髪の、なんとなく皮肉めいた目つきの女だった。腰のベルトにはずいぶんごつい形状の雷杖が見える。

「少し落ち着いて。深呼吸したら? 言葉遣いに気を付けて」

「あっ、そ、そ、そう――ですね。違う。すぅーっ……」

 赤毛の少女は本当に深呼吸をした。心なしか、ソマイタチも不安そうに彼女を見つめている気がする。

 そして少女は頷き、俺を正面から見た。


「……かっ、……感謝する。私の友人を助けていただいた」

 硬い口調は、明らかにそう装っているのだろう。不自然すぎる。それでも彼女ははっきりと、一言ずつ口にする。

「私はユリサ・キダフレニー。人々からは《聖女》と呼ばれている。あなたもこの遠征に参加する勇士のようだ」

 そこまで言って、少女は微笑した。無理のある笑みだった。

「あなたたちの働きがあるからこそ、私は戦える。これからの戦いを、どうか宜しく頼む。私も命を懸けて戦うと誓おう」


「――お前は」

 その台詞に、喉に錆びた鉄を突っ込まれるような不快感を覚えた。いや。言葉だけじゃない。

 俺は思わず彼女の右腕を見た。それから右目。

 何を言うべきかわからなかった。唐突すぎた。こんな形で、こんな風に、本人を目の前にするとは思わなかった。炎の色の右目を見つめた――だから、反応が遅れた。


「行こう、ユリサ」

 長身の女が、《聖女》の肩を叩いた。

「あなたの友人は幸運にも見つかった。次の打ち合わせがあるでしょう、遅れたら大変だ」

「ああ。すぐに行く、テヴィー。私はもう大丈夫」

《聖女》は踵を返す。俺はなんと言葉をかけていいかわからない。

 だから、ただその背を見送るしかない。それはそれでよかった。あの炎の色の右目を見なくて済む。ただ、海を渡る潮風が、ユリサ・キダフレニーの赤い髪を揺らしていた。


「ザイロ」

 テオリッタが、わずかに強張った顔で俺を見ていた。

「いまの方。なにか不思議な……《女神》のような、感覚が」

「気にするな」

 俺はテオリッタの肩を軽く叩いた。釣りは終わりだ。もう、そんな気分ではなくなってしまった。魚を入れた桶を担ぎ上げる

「知り合いに似てた。右目だけな」

「それは、ザイロ、あなたの……」

「気にするな」

 もう一度繰り返し、俺は歩き出す。


「別人だ。他人の空似って話でもない。少しも似てない。……あいつは《聖女》だ、俺たち懲罰勇者には関係ない」

「そうだね。ぼくらとは住む世界が違うって感じで――」

「お前は少しは気にしろ」

「ふぐっ!」

 俺は肘でドッタの胸のあたりを突いた。やつは大げさに、痛そうに身を屈めた。非難がましい目で見上げて来るが、このくらいは他人の飼っている生き物を盗んだ相手には当然の報いだ。

 いや、少なすぎるといってもいい。


「肋骨もへし折っておこうかな……」

「や、やめてよ! ほんとに! あれ、すごい痛いんだからね!」

 ドッタの悲鳴混じりの声を聞きながら、俺は足を速める。

 釣りはここまで。休暇は終わりだ。


 この軍港が、春季攻勢計画の後方基地となる。

 やるべきことは、ヴァリガーヒ海峡を越えた北の沿岸部の制圧。

 そのために海峡を北上突破する海路と、西側の山脈を迂回する陸路という二つの進軍路が計画されていた。

 俺たち懲罰勇者が何をさせられるのか――今朝からずっと後回しにし続けていたが、ベネティムからそれを聞かねばならない。

 絶対に不愉快になる話であろうから、後回しにしていたのだ。

 ろくな目に遭わないだろうという確信だけがある。


 俺は西の山脈を焼く夕陽を見た。

 もうそんな時間になってしまった。ヴァリガーヒ海峡も赤と藍に染まりつつある。こんな風景を呑気に詩にできたらどれほどいいだろう、と俺は思った。

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