刑罰:ヴァリガーヒ海峡北進突破 1

 俺たちが乗り込むことになったのは、船団の最も先頭をゆく聖印船だった。

「芦風」号と名付けられている。


 聖印船とは、帆走だけでなく聖印によって移動する機構を持つ船のことを指す。

 この芦風号の場合は、聖印を刻んだ大きなプロペラが回転することによって進むという最新型の機構が備えられている。この形式の船の欠点は一つ。昼も夜も聖印が発光して目立つということだ。

 それに加え、速度を出すために砲撃兵装を削減し、代わりに索敵用の聖印設備を増設してある。まさに船団の先頭に配置されるに妥当な船といえた。

 あるいは、魔王現象をおびき出す餌としてふさわしいというべきか。


 乗り込んでいるやつらも、第十聖騎士団の精鋭であるようだった。

 しかも顔つきを見れば覚悟が決まっている連中ばかりだ。若い奴は少ない。ここで懲罰勇者どもと心中しても構わない――ただし《女神》テオリッタだけはなんとしても無事に退避させるべし――という、尋常ではない悲愴な決意に溢れている。


 俺たち懲罰勇者を見る目つきもほとんどが嫌悪だ。

 そりゃそうだろう。覚悟は済んでいるといっても、こんな疫病神みたいな犯罪者連中と同じ船に乗るなんて、気分がいいはずがない。俺たちだって居心地は悪い。

 だが、そうでないやつもいる。

 ライノーのことだ。


「同志諸君、今日は素晴らしい日だね!」

 と、このアホは朗らかな声をあげた。

「同志ザイロ、そして同志ジェイス。海は好きかな? 僕は楽しみにしていたんだ。こうして船に乗るのも初めてでね。二人の同志とともに船旅ができるなんて、心の底から嬉しいよ」

 満面の笑みで喋りながら、小さな背嚢袋を開いてみせる。

「この日のために上質なお茶と、嗜好保存食を少しだけ携行して来たんだ、どうかな? ああ、もちろん遊戯用にジグとカードも用意してきた。サイコロもね。存分に交流しようじゃないか!」

 様々な小道具を取り出すライノーに、俺は早くもうんざりしてきた。この浮かれた態度――テオリッタか、こいつは。


「よくもまあ、こんな状況で能天気なこと言ってられるな」

 唸りながら、俺は傍らで寝転がるジェイスを見た。目を閉じ、背嚢を枕にして腕を組んでいる――が、俺は騙されない。絶対に起きている。

「おい。ジェイス、お前が相手してやれ。寝てるふりしてんじゃねえぞ」

「断る」

 ジェイスの反応は予想通りだった。不機嫌な声で呻くように言う。

「俺はただでさえ不愉快なんだ。何が悲しくてお前らなんかと、こんな場所に押し込められなきゃなんねえんだよ」


 ジェイスの言う『こんな場所』とは、つまり船の貨物室の片隅だった。

 懲罰勇者である俺たちにまともな船室があてがわれるはずもなく、当然のようにここに三人まとめて押し込まれた。《女神》であるテオリッタと、それから世話係のパトーシェは専用の豪華な部屋が用意されたという。

 そしてジェイスの監督役であるニーリィは竜房だ。

 この芦風号にはニーリィを含めて四翼ものドラゴンが配備されている。その体躯のために多大な空間を占有するため、ジェイスといえどもその隙間で寝ることさえできない。


 だから、こいつはとてつもなく機嫌が悪いのだ。

「俺はお前らなんかと楽しく会話もゲームもしたくない。そこのデカい箱にでも話しかけてろ」

 ジェイスが指さす通り、この貨物室は四角い箱が整然と並べられている。

 聖印が刻まれた木箱だ。この聖印を専用の器具により照合することで、中身をすぐに確認できるし、ついでに輸送中の位置も追跡できるという仕組みになっている。所定の方法以外で蓋が開閉されれば、それも検知されてしまう。


 この輸送の仕組みを考えたのはリュフェンだ。

 いちいち蓋を開閉するのが面倒になったあいつが木箱に刻む聖印に工夫をはじめ、さらに物資追跡で楽をするために技師を集めて改良させた。

 そういうことをするから、リュフェンの仕事は本人の意図とは逆にまったく減らない。むしろ増える一方だ――が、仕方がないだろう。ここまで改革を実行できるような兵站の天才を、軍が遊ばせておくはずがない。


「同志ジェイス、そんなに邪険にしなくてもいいんじゃないかな」

 ライノーは取り付く島もないジェイスに対して、極めて我慢強く話しかけた。

「僕はただきみたち二人の同志と交流を深めたいだけなんだ。これから先の戦いで、それは意義のある絆になると思わないかな?」

「ザイロ、こいつに猿轡を噛ませて転がしておけ」

「お前がやれ。俺はお前の手下じゃねえぞ。それとこの狭い空間で一人だけ堂々と寝転がってるんじゃねえよ」

「一番腕の立つやつが一番偉い。違うか?」

「あ? なんだおい、一番腕の立つやつを決めるか? いまここで?」


「二人とも、もっと仲良くしてほしいな。争いはよくないよ」

「うるせえ!」

「黙れ!」

 ジェイスの態度にもムカついたが、取りなそうとするライノーにもムカついた。

 俺たちが怒鳴ると、ライノーは怯むどころか、むしろ快活に笑った。


「いやあ、いいね。二人の同志と同じ空間にいるという気がするよ。もっと会話を楽しもうじゃないか! ええと、議題を決めた方がいいかな?」

 そこまで言われては、俺もジェイスも黙り込むしかない。ライノーを上機嫌にさせることがあまりにも不愉快だったからだ。


「では、僭越ながら。僕が会話の主題を提案しよう。『学生時代の思い出』とかどうかな? 青春、恋愛、あのとき抱いた将来の夢、そういうものについて聞きたいな」

「……やってらんねえ」

 ジェイスはついに起き上がった。両耳に指を突っ込み、何も聞こえないという主張をしながら歩き出す。

「ニーリィの顔を見てくる。そいつを黙らせとけ」


「何を偉そうに言いやがる」

「仕方ないな。三人で談笑するのは夜にしよう。いまは同志ザイロと交流を――」

「誰がするか、アホ」

 俺もジェイスに倣って立ち上がり、厚手の毛皮のマントを手にする。もう冬の風は去ったが、甲板の上はとてつもなく寒い。


「海の風でも浴びてくる」

「では僕も――」

「休憩は終わりだ、仕事はいくらでもあるだろうが。砲の点検やってろ。俺は哨戒だ」

 俺はあえて仕事をでっちあげた。

 そうでもしなければ、ライノーから逃れられないと思ったからだ――やつは諦めたように首を振る。こいつとジェイスと三人で一晩を過ごすなんて、ちょっと耐えがたいほど辛い。

 はやく魔王現象が襲撃してくれないかな、と俺は思った。


        ◆


 甲板に出ると、パトーシェが面白いことをやっていた。

 剣技の試合――というよりは指導に近い。木剣を構えて第十聖騎士団の兵士と対峙し、瞬時に間合いを詰めて撃ち合う。

 人だかりができて、ちょっとした見世物のようになっていた。


 パトーシェの動きは卓越している。

 上段から打ち下ろされる一打を逸らし、鍔迫り合いにはあまり付き合わず、コマのように旋回しながら位置取りを入れ替える。これは北方剣術の特徴的な体裁きだ。剣の切っ先を相手に向け、誘いながら反撃を入れる。あるいは先手を取って崩す。

 相互に素早い立ち回り――小刻みな攻守の交替。最終的に、パトーシェの鋭い刺突が相手の腹部と胸元に命中した。

 相手が胴巻きを身に着けていなければ、ひどい怪我をしているだろう。


「やるな、あの女」

 と、呟く声も聞こえた。

「これで五人抜きだ。懲罰勇者――かつての聖騎士団長か。女だったとはな」

「元聖騎士団長は二人いるんだろう。《女神殺し》は魔獣みたいな男だと聞いた」

「実はあの女のことかもしれない。それでも驚けないな」

「ああ……うちのハイネ歩兵長といい勝負になりそうだ」


 俺はそいつらの横をすり抜けて歩きながら、苦笑する。

(ひどい言われようだな)

 第十聖騎士団はどことなく陰気なやつらが多いが、規律はしっかりしていた。他の軍なら、よそ者の勝ち抜き数で賭博が始まっていてもおかしくはない。


「――やりましたね、パトーシェ!」

 ちょうど、さっきの一戦で試合は一区切りが終わったところらしい。テオリッタが近寄ってきて、タオルを差し出している。

「見事な技でした! 私も嬉しいので褒めて差し上げます。偉いですよ!」

「ありがとうございます、テオリッタ様」

 テオリッタが頭を撫でるのを、パトーシェは大人しく受けた。その場に片膝をつき、タオルで顔から首元までを拭う。


 その仕草に、周囲の視線が集まるのがわかった。

 なるほど、と俺は思う。

 パトーシェは一応、文句のつけようのない見た目をしている。いつもの分厚い甲冑を身に着けていないだけ、胸周りの意外な大きさも目立つ。そういう女が周囲の目に対してまるで無頓着に襟元をくつろげ、汗を拭っている。

 これは注目を浴びないはずがない。


「あ、ザイロ!」

 俺の接近に気づいたのは、テオリッタが先だった。

 背伸びをして片手をあげ、大きく振る。実に嬉しそうだ。そういえば、出立の前に「海を見るのは初めてです」と言っていた。船に乗ること、それ自体も楽しいのかもしれない。

 少し風が出てきているせいか、金色の髪が舞い上がるように流れていた。


「見ていましたか? すごかったですよ! パトーシェが立て続けに五人を制したのです」

「最後の方だけは見てた。たいした技だ」

「……ザイロか」

 俺を視認すると、パトーシェは襟を引っ張って、豪快に拭っていた胸元を隠すようにした。いまさら気づいたのか。


「第十聖騎士団の精鋭を相手に五人抜きとはな」

「挑まれたからな。全力で相手をした」

 パトーシェは一口だけ、水筒から水を口に含んだ。

「さすがに手ごわかった」

「だが、ずいぶん慣れてるみたいだな。人間相手の剣術なんて、そんなに流行ってないだろ」


 軍隊で武器を扱う訓練はする。

 対人用の技術も少なくはないが、主流は対異形フェアリー用のものだ。民間の道場のようなところでも、対人剣術は下火といっていいだろう。

 パトーシェのそれは、軍で習ったにしては人間相手に洗練されすぎている気がした。


「……昔から、性別を理由にくだらん争いに巻き込まれることがあった。どこの道場や、軍学校でも似たような形で勝負を挑まれた」

 何か嫌な記憶でも思い出したのか、パトーシェは顔をしかめた。

「そのせいだろう。場数は多く踏むことになった。おかげでさらに不愉快な称号やら扱いやらを受けることもあったがな」

 そういうことなら、理解はできる。

 パトーシェの見た目と腕前であれば、余計な嫉妬を受けることも多かっただろう。学生時代なら、さっき呟いていた連中が言うように魔獣になぞらえた異名でもつけられていたのかもしれない。


「貴様、いま私に対して不名誉な想像をしなかったか?」

「してねえよ、それはさすがに被害妄想だろう」

「ならばいいが。……そういえば、貴様は……私の性別を理由に扱いを変えたことはないな。その、ああ――当然、戦場においての話だ」

「そりゃそうだ。男でも女でも、刃物を持って喉を掻ききれば相手を殺せる。そうするまでの力や技の駆け引きはあるけど」


 男女の間の筋量は、聖印によってある程度補える。

 歩兵であるならば、具足や槍に刻まれた聖印が、使用者の身体能力を引き上げてくれる。強化の度合いは体内の蓄光量と起動効率によって異なる――女性の方が多少その効率がいい。らしい。

 もともとの筋肉量の差を考慮しても、結果的に見れば男女間で有為な身体能力の差は認められない、という話だった。


「強いやつは強い。強いやつが同じ軍隊にいると助かる。それだけだ」

「そうか」

 パトーシェは小さくうなずいた。もう眉間に皴は寄っていない。

「……故郷の家では、男子のように剣術の真似事をする度、両親から咎められたものだ。貴族司祭の女として、もっと……あの人たちいわく『家庭的』な技術を磨けと」


「なるほど」

 貴族司祭とは、領地を持つ司祭のことだ。

 たしかに彼らは武力を持つこと、それ自体が危険視される傾向があるため、娘を諫めようとしたのも理解はできる。両親には両親の価値観があり、それに従ってパトーシェが幸せを獲得できるように指導したつもりなのだろう。

 ただ、娘には娘の価値観があり、両者は相容れなかった。そういうことだ。


「それで実家を飛び出した不良娘がここにいるわけだ」

「そうだ。……貴様はどう思う?」

「何がだよ」

「……いや」

 パトーシェはすぐに顔を背けた。

「なんでもない。意味のないことだ」

「俺は懲罰勇者で、恩赦の見込みはほぼ皆無だ」

 なんとなく、俺は言っておこうと思った。理由はよくわからない。パトーシェが自分から自分を傷つけるような、見ていて不愉快になるような顔をしていたからか。そうかもしれない。

「だから、腕の立つ兵士は大歓迎だ。家事だの礼儀作法だのはクソの役にも立たねえからな。ただ――料理は少しは上達してくれなきゃ困る」


「貴様は」

 パトーシェは顔を上げ、何か文句を言おうとしたようだった。

 それでもよかった。自虐的な気配がその表情から消えて、悪ふざけで怒ってみせるような目つきになっていた。

 俺は鼻で笑って、もう少しくだらないことを言おうと思った。


 ――テオリッタが俺の腕を掴んだのはそのときだった。

「ザイロ」

 どうも静かだと思った。

 彼女の炎のような瞳が、空を見上げていた。そういえば、妙に暗いような気がする。湿った風が吹き抜けるのを意識した。徐々に強くなっている。

「来ます」


 テオリッタの言葉が合図であったように、霧が流れてくるのがわかった。

 俺は船の先の方を見た――海がざわめいている。蠢くような波。そこから霧とともに何かが寄せてくる。あるいは、水中から浮き上がってくる。

 船のあちこちが騒がしくなってきた。半鐘が短い間隔で連打されている。


「パトーシェ、ジェイスとニーリィに伝えろ。俺はライノーだ。始まるぞ」

 俺はあえて貧乏くじを引き、マントの襟首を掴んだ。

 春先とは思えない、異様な冷たさを含んだ風を感じている。少なくとも、ライノーやジェイスと三人で一晩を過ごすという拷問は免れそうだ。

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