休暇行動管理簿:探偵女神テオリッタの事件簿 5

 夜深くなる前に、雪は止んだ。

 風も弱い。

 ゆっくりと流れる雲の切れ間から、白い月の光が差してはまた隠れる。


 温泉旅館が倒壊し、俺たちはやむなく雪原で野営した。

 俺たち――つまり俺とテオリッタ。ビュークスとルクジュット。あと山賊もどきの連中。協力して大きな火をいくつか熾し、天幕も張った。

 それくらいしかできることはなかった。


 あとは料理。

 少なくとも、何か腹に入れないとやっていられなかった。

 山賊どもからは、やつらが貯蔵していた肉や米をありったけ接収した。どう考えても俺たちにはそのくらいの権利があった。

 もちろんビュークスに料理なんて任せられないので、おおむね俺がやった。


 野外で煮炊きすることになった場合に備え、俺はいつも調味料を携行している。

 果実と野菜を煮詰め、ナマリ鹿の焼いた骨をくわえてまた煮込む。血と肉も少し混ぜる。南方料理でよく使われる、どろりとした甘みのあるソースの一種だった。

 これを牛肉に塗りたくって、炙り焼きにした。

 あとは米と酒。おかげで食事だけは豪華になった。


「――で?」

 俺はその肉を齧りながら、山賊どもを問い詰めた。

「お前ら誰だ? なんで温泉旅館を乗っ取って追剥みたいなことやってたんだ?」


「えっ」

 と、やつらの代表格らしい、縮れた黒髪の男が顔をあげた。

「旦那、おれらのこと見覚えないんですか!?」

「知らねえよ……テオリッタ、見覚えあるか?」

「いえ。まったくありません」

 テオリッタははっきりわかるほど不機嫌だった。当然、山賊どもへの当たりも冷たい。半眼になって彼らを見回した。

「こんな悪そうな人たちのことなんて、これっぽっちも知りません」


「えええ……? じゃあ、逃げる意味なかったってことですか?」

 縮れ毛の男は、情けなさそうな顔をした。腹が立ったので、俺は小さな雪玉を作ってそいつに投げた。

「そういうのいいから、さっさと自己紹介しろ」

「えっ、いやあの、待ってください! おれたちはアレですよ。トゥジン・トゥーガで敵味方だったじゃないですか!」


 トゥジン・トゥーガ丘陵。

 第二王都ゼイアレンテへの道のりを、俺は思い出した。

 そういえば――あのとき俺たちが相手にしたのは、異形フェアリーと人間の混成軍だった。

 後になって聞いた話では、あの軍に混じっていた人間は、北部から流れてきた傭兵だったという。たまにそういうやつらはいる。知恵のある魔王現象の中には、人間より高額な報酬を支払う者もいるからだ。


(要するに、この傭兵どもは)

 第二王都が奪還された後、行くべき場所も頼るべき相手もいなくなったのだろう。

 連合王国としても、有象無象の傭兵を追討するだけの余力はなかった。散々にやられて分裂し、せいぜい百人にも満たない数になったと思われていた。


「……それで、行きついた先が、ここの旅館の乗っ取りだったわけか。従業員を皆殺しとかにしたのか?」

「むっ」

 テオリッタが汁をすすりながら眉をひそめた。

 牛肉の炙り焼きと一緒に作ってやった、牛骨と葱のスープだった。こういう野営では、このスープに米を混ぜて粥状にして食べる。

「それは許せませんね! ザイロ、彼らを拘束して連行しましょう!」


「ち、違いますって!」

 縮れ毛の男は慌てて両手を振った。

「そもそもこの温泉宿、おれの実家なんです。爺さんが経営してたんですけど、もうこの辺も危ないから去年には第一王都に引き上げちゃって! だからおれらが使わせてもらってたんですよ。商売もしてて……」

「商売って、泊めた客を殺して身包み剥がすやつか?」

「そんなことしてませんよ! ちゃんと人も泊めてましたし、狩りとか行商みたいなこととか! おれらそういう稼ぎで生活できればいいなって思ってて……」


「……それが本当かどうか、俺にはわからんけど」

 俺はまた別の肉片をナイフで突き刺し、口に運ぶ。

「こいつらを揃って連行するみたいな手間はかけられないな。……そっちのアホが部隊を呼んで協力するなら別だが」


「それは完全に時間の無駄、労力の無駄だ」

 俺が視線を向けると、ビュークスは物憂げに呟いた。

「私とルクジュットの体力をそのようなことで浪費させるべきではない。これから我々は南下し、なお数日ルクジュットの気力を回復させた後、来春の計画を立てるためにガルトゥイルへ向かう。お前たちに付き合う暇はない」


 人の焼いてやった肉を食いながら、偉そうなことを言うやつだ。

 ビュークスは一人、どの焚火にも近づかず、ルクジュットの傍らで規則正しい顎の動きで肉を咀嚼している。

 ルクジュットの傍ら――そう。

 この《女神》の周囲は、焚火が必要ないほど温かいらしい。巨大な甲冑という姿のルクジュットは、その背中から柔らかい光を投射している。


 このバカでかい甲冑、それ自体が聖印兵器の塊になっている。

 砲甲冑をさらに発展させたような兵器。燃費なんて度外視したような代物。

 ビュークスが体の内側に聖印兵器を埋め込んだ男なら、ルクジュットは体の外側を聖印兵器として拡張した《女神》ということになる。


 こんな無茶ができるのは、ルクジュットが太陽の《女神》であるからだ。

 やつが召喚するのは、まさしく太陽の光なのだという。

 これは聖印兵器を極めて効果的に運用できるということを意味する。部隊として見たときはなおさら、常識はずれの量の聖印兵器を稼働させる、強力無比な戦力となる。


「……温泉、なくなっちまった……」

 ルクジュットのひび割れた声が、甲冑の中から聞こえた。

 その顔はまったく窺えないが、露骨に気落ちしているのがわかる。いや――ある意味いつも通りなのか?

 俺が知る限り、ルクジュットはだいたい常に拗ねて機嫌を損ねたような喋り方をする。


「お菓子も残ってないだろうな……せっかく集めたのに……」

「ああっ! そ、そうです! お菓子!」

 これにはテオリッタが反応した。

 スープをかき混ぜていた木匙を、ルクジュットに鋭く突きつける。


「この私の推理では――私のお菓子を盗んだ犯人は、あなたですね! 《女神》ルクジュット!」

 宣言しながら仁王立ちする、その姿は絶対に何かの小説の影響を受けていると思った。

「私の目はごまかせませんよ! 素直に白状しなさい!」


「ん、まあ……そうだけど……」

 ルクジュットは、あっさりと肯定した。血圧の低そうな声だった。

「確かに、おれはあんたからお菓子をもらったぜ。それがどうかしたのか」

「無断で! お菓子を持っていくのは、盗んだというのです!」

「別に……問題ないだろ? 人間から盗んだわけじゃないし……」

 ルクジュットの頭部、おそらく目があるであろう箇所に、小さな黄色い光が明滅した。一理ある。俺は懲罰勇者なので所有権というものを持っていないし、テオリッタも《女神》であるために人間用の法律が適用されない。


「おれとビュークスは、この世で一番強い。魔王現象をみんな滅ぼす。そのための資源になるんだから、いいことじゃないか」

「――なんと! ザイロ、聞きましたかっ?」

 テオリッタはすごい剣幕で俺を振り返った。

「なんという傲慢な態度! 《女神》たち一同のお姉さん的立場の私として許せません! 最強は私とザイロに決まっていますよね!?」

「……なんだろうな……」

 俺はもはや白いため息しか出ない。


「ルクジュット、前々から気になってたんだけど。お前ら《女神》の間で年上とか年下とか、姉とか弟とかいう概念があるのか?」

「知らないよ……」

 ルクジュットは肩をすくめるような仕草をした。

「おれ、そういうのに興味ないし」


「ほら、ザイロ! 見てください、この拗ねた態度! どう見ても私の方がお姉さんっぽいですよね? ね?」

「かもな」

 俺は賢明なので、その部分に言及することは避けた。

「だが諦めろ、テオリッタ。こいつとビュークスはそういうやつらだ。死ぬほど自分勝手で、自分たちがこの世で一番偉いと思ってる」


「偉いとは思っていない」

 ビュークスが口を挟んだ。

「私とルクジュットがもっとも効率的に魔王現象を滅ぼすことができる。それを知っているだけだ」

 こいつは本気で言っている。

 ビュークスはそういうやつだ。誰に対してもこの調子で接する。対人関係というものをほぼ理解しない。こいつらが無能だったらとっくに死んでいるか、殺されている。


 唯一の救いは、規則には徹底的に従うということだ。

 規則を悪用した無茶な行為――結婚制度を利用した時間稼ぎだとか――をするが、命令には決して逆らわない。

 この論理的すぎる男にとっては、軍隊という場所こそが唯一呼吸していられる組織なのかもしれない。


「もういい、わかった」

 俺はビュークスとルクジュットの二人に何か言うことは諦めた。無意味だからだ。

 それより、この山賊どものことだ。

「お前ら、もう追剥とかやめろよ。そんで真面目に生活しろ」

「だ、だから! 追剥なんてするつもり、もともとなかったんですよ! 旦那の目つきを見て、てっきりおれらを狩りにきたんだと思っただけで……そんで人質とって逃げた方がいいかなあ、と……」


「……お前の説明には納得いかねえが、温泉宿はなくなっちまっただろ。再建でもするつもりか?」

「いやあ……それは無理だと思いますし。どうしようかと途方に暮れてます……」

「ビュークス、お前のところの《女神》がやったんだから、どうにかしてやれよ」

「知らん」

 ビュークスからは予想通りの答えが返ってきた。


「知らんじゃねーだろ、うっかり雪崩で破壊しやがって」

「うっかりではない。あの宿を破壊したのは、こちらで予定していたことだ。潜伏している戦力があれば問題だったからな。まとめて処理できただろう」

「アホか! おかげで山賊兼追剥予備軍が野に放たれることになったじゃねえか」

「なぜそこまで糾弾されるのか……では、生活に困っているのなら、軍を訪ねることだな」

 ビュークスはわずかに困惑の色を見せた後に、こいつの性格からして当然と思われるような提案をした。


「軍では春季攻勢に向けた戦力を集約させている。少しでも兵が欲しいはずだ。傭兵ならば、素人よりはマシな人的資源になるだろう」

「春季攻勢か」

 俺はその言葉を繰り返した。

「本当にやれるのか? そりゃ俺たちは兵隊だからな、戦争を終わらせる攻撃計画ってのは嬉しいが」


「ヴァリガーヒ海峡の氷が融ければ」

 ビュークスは北の空へ目を向けた。

 もちろん、頼りない月明りだけで闇を見通せるはずもなく、山塊が地平を遮っている。

「ガルトゥイルはやる気だ。海峡を越えて、北部領――特に砲撃都市ノーファンを奪回したいはずだ。かつてない規模の動員となる。お前たち懲罰勇者部隊は、海路制圧の先鋒として働くことになるだろう」


 妥当な話だ。

 ヴァリガーヒ海峡にはいま、東部から流れてきた海賊どもが跋扈していると聞く。そいつらを排除しつつ、さらには魔王現象の相手まで――海の上で。

 戦力の多大な損耗が見込まれる仕事だ。まさに懲罰勇者にふさわしい。


「――だってよ、山賊ども。軍だ。まっとうに生活するなら、そこしかない。殺し合いでメシを食ってきたんだろ?」

 俺が振り返ると、やつらは一様に顔を見合わせた。

 だが、選択肢は多くないはずだ。

 冬を越えるのも厳しいし、春になれば大規模遠征に従って、この辺りの行商人や旅人も少なくなる。山賊をやる旨味はまるでないだろう。それともよその縄張りで仕事をするか。冒険者どもと争いながら?

 ――答えは決まっているようなものだ。


「とりあえず、一件落着だな。ぜんぜん俺は納得してねえけど。温泉はどこだ?」

「私も、まったく納得していません!」

 テオリッタは叫ぶように言った。

「ザイロ! この近くにほかに温泉はないのですか? 温泉! 温泉に行きたいです! 温泉!」

「残念ながら、時間切れだ」


 俺もビュークスのように空を見た。

 ちょうど白い月が雲の隙間に覗いていた。

 もう今年が終わる。いまから年明けに間に合うかどうかはぎりぎりだ。すぐに猛烈な雪が降り始め、この手の山道は閉ざされ、温泉旅行どころではなくなる。


 そして、雪解けがやってくれば――それはもう、決戦の季節だ。

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