休暇行動管理簿:探偵女神テオリッタの事件簿 4
一足飛びに雪を蹴り、なだらかな斜面を駆ける。
痕跡を追う。はっきりとそれは残っている。複数の足跡。十人を軽く超えている。二十はいるだろうか。
すでに日は落ち、雪が降り始めていた。
風の勢いが弱いのは幸運だっただろう――そのせいで、声が良く聞こえた。
「――だから、間違いない! あれは懲罰勇者だ!」
複数人の話し声。
断片的に聞こえる言葉から、俺はついに自分と関係ありそうな単語を拾い上げた。
思わず、抱えているテオリッタと目を合わせる。が、彼女も不可解そうな表情で首を傾げただけだった。
「俺は直接やりあったから知ってる、とにかくヤバい連中なんだよ! 特にあの《女神殺し》だ! 洒落にならねえ!」
「あたしも見た。あの顔だ……鬼みたいな目つき、忘れられないよ。さっきは真正面から見て、寒気がした……」
「じゃ、じゃあ、こいつは? この神官みたいなやつも、懲罰勇者の一味なのか?」
「こいつは知らねえ。でも、確かに《女神殺し》と会話してた。顔見知りって感じだったぜ」
「本当か? だったらおれら、懲罰勇者の身内を攫っちまったんじゃないか? 余計にヤバいんじゃあ――」
「落ち着け、逆に言えば人質にできるってことだ。このまま逃げながら……」
――話がうまく見えてこないが、俺がボロクソに言われているのは理解できる。
腹が立ってきた。
「ザイロ、落ち着いてください」
テオリッタが余計な口を挟んだ。
「彼らを八つ裂きにしてはいけませんよ! そんな顔をするから誤解されるのです」
「別に八つ裂きにしようとはしてねえよ」
「……いずれにしても、だ」
俺の隣を駆けながら、ビュークス・ウィンティエは冷徹な声を響かせた。
この甲冑のような筋肉をまとう体格の男が、この速さで駆けていると、隠密の接近など望むべくもないだろう。
その疾走はまるで巨岩が転がるようで、雪が勢いよく蹴散らされている。
「どうやら私の隊の従軍神官は、お前の一味と間違われたようだな」
「俺の一味ってなんだよ。山賊かよ」
「ザイロ、喧嘩腰になっていますよ! 心を落ち着けなさい!」
テオリッタは俺の鼻先に手の平を突きつけてくる。俺は犬か。そしてビュークスはこちらの茶番に付き合う気は一切ない。
「やつらは私ではなくお前を知っている。お前の方に見覚えはないか?」
「知らねえ」
「そうか。では、解法は簡単だな」
ビュークスは加速した。
「やつらを壊滅させてから事情を聞きだす」
人間とは思えない、ほとんど馬のような速度で駆け始めるが、両足にそういう聖印兵器を仕込んでいるためだ。俺も飛翔印を起動させ、跳躍しながら追随する。
すぐに逃げる集団が見えてくる。
数は見立てより多く、三十ほど。そのうち馬に騎乗している者も数名。先頭を駆ける一騎が、顔に火傷のある従軍神官を抱えている。
こちらの戦力を考えれば、まあ――鎧袖一触といったところだろう。
「ザイロ。わかっているかと思いますが、私は――」
「大丈夫だ」
テオリッタが不安そうな声をあげたが、その心配は不要だ。
《女神》というものは人間を攻撃できない。そのことが言いたかったのだろう。つまりテオリッタには、剣を生み出して直接相手を殺傷するような仕事を期待できないことになる。
だが――
「こっちの戦力から言って、今回は《女神》の奇跡は必要ないな。普通に戦えば、普通に勝てる」
「しかし、あちらはいささか数が多くはないでしょうか? せめて、何か武器が必要では――」
テオリッタがビュークスを見た。
なるほど。俺はともかく、ビュークスは丸腰に見える。その状態のままで突撃していくつもりのようだ。なんら戦術を感じさせない、迷いのない直進。
「ビュークスのことは気にするな。武器もいらない。だろ?」
「不要だ」
ビュークスも短く答えた。その目が正面を見据えている。
敵の一団だ。足を止め、防御陣形を取ろうとしているのがわかった。
雷杖を持っているやつもいる。こちらに気づいて、何かを叫びながらそれを向けてくるのがわかった。
「特に問題ない」
何条かの稲妻が閃く――その瞬間、ビュークスがさらに加速して前進した。左手を前に差し出しながら。
ぱぁん、と乾いた音が遅れて響く。
しかし、その結果としての破壊は発生しない。雷杖の射手が目を見開くのがわかった。その杖先から放たれた閃光は、ビュークスの左手に弾かれて霧散していた。
ビュークスは体内に複数の聖印兵器を埋め込んでいる。
左腕には防御用のそれがある。
俺は以前にも見たことがある――火を噴く種類の
つまり、ビュークスが彼らの下へ到達するのは簡単だった。
「なんだ、こいつ!」
誰かが悲鳴をあげる。雷杖で狙う者もいたし、槍で突きかかろうとした者もいた。結論から言えば、そのどちらも失敗した。
雷の閃光は左手で弾かれ、槍はその柄が切断されていた。
ビュークスの右手に武器はない。何をどうやったのかは俺にもわからない――ただ、ビュークスの右手で光が瞬いたように思った。
それも間違いなく聖印兵器。
おそらくは雷杖と、破壊力を発生させる仕組みは同じ。光による刃を形成し、射出したのか。
正体は不明だが、効果はあった。
「ひっ」
柄だけになった槍を取り落とし、上ずった悲鳴をあげる。
その男の腹を、ビュークスが蹴り飛ばした。人間が吹き飛ぶほどの蹴りだった。
――こうした無茶な戦い方が、ビュークスにはできる。
人間の形をした攻城兵器だとか、陸上を走る聖印戦艦だとか、そういう呼び方をされることもある。
誰にでも可能な芸当じゃない。
これだけ多数の聖印兵器を体内に埋め込み、それを並列して起動・運用できるというのは、相応のセンスと訓練が必要になる。
かつての俺もそうだったが、こいつもこいつで無茶な鍛錬を積んだか。あるいは、こいつが生まれつき有しているという《天啓》の聖痕が、特別な適応をもたらしているのか。
「雷杖が効かねえぞ! なんだよ!」
と、誰かがまた叫んだ。
ビュークスの攻撃は迅速で、迷いがない。迫ってくる馬の蹄を真正面から受け止め、そのまま引きずり倒す。背後からの攻撃も見えていたようにかわし、殴りつけた。
一方で、俺もただ傍観していたわけではない。
テオリッタとともに跳躍し、ビュークスを包囲しようとするやつらの只中にナイフを投げ込む。光が雪とともに弾け、爆破する。
驚いて避けたところを塞ぎ、飛翔印で蹴り飛ばし、また跳躍して距離を取る。
これだけで十分。
もはや混乱は決定的で、潰走は目前――というところで、その中の一人が、『人質』のことを思い出したようだった。
「来るな!」
と、一人の男が馬上で言った。
どうやら意識のないらしい、ぐったりとした従軍神官を抱えている男だ。その喉元に刃を突きつけている。なんて古典的な手口をするやつだ。
「こいつを殺すぞ!」
「待てよ」
俺は両手をあげようとしたが、テオリッタがいる。無理だ。
「事情がわからん。俺はお前らのことを知らない。なんでそいつを攫って、俺から逃げようとしたんだ? そこのところが――」
まずは会話で隙を窺う予定だった。可能であれば、そのまま事態を収束させたい。そうだ。なんらかの誤解がある。
なぜ俺はここまで過剰に反応されなければいけなかったか。
が、俺の目論見は即座にぶち壊された。
いつもそうだ。
傍らで、俺の質問をすべて聞く前に動き出したやつがいた。ビュークスだ。従軍神官の男の喉元に刃が突きつけられているのも構わず、また雪を蹴って駆けた。
素早い。
その動きは、神官の命など一切構わないというようだった。
「ザイロ!」
テオリッタが悲鳴をあげる――俺は、舌打ちをした。
ビュークス・ウィンティエはそういうやつだ。
最大の成果を収めるため、躊躇なく他人を切り捨てることができる。犠牲の大小を計算して、その結果を考えて行動する。
この場合は、効率を優先したに違いない。自分の貴重な時間や労力を、人質のために費やすのが無意味だと思ったのか。
とにかくこのときのビュークスは、まったく武装神官の安全を考慮していなかった。
だから、そう――結局、俺がやるしかなかった。
(そんな顔をするな)
俺はテオリッタが涙目になるのを見た。
ナイフを引き抜き、その勢いで投擲する。手首の返しを効かせて投げる、早撃ちの技術だった。聖印を浸透させる暇はない。
そして、一瞬。
俺がこの世で一位と二位を争うくらいの、ナイフ投げの名手だったことが幸いした。
放ったナイフは、人質を抱える男の腕に命中した。突き刺さった瞬間、神官の喉元にあった刃が硬直した。そのまま突き刺す動作はできない。骨と腱を傷つけた。
それだけの負傷は負わせたし、ビュークスの攻撃はその間に終わっている。
やつの右手に光の刃が生まれるのを、今度ははっきりと見た。
それが一閃し、人質をとる馬上の男が肩口から切り裂かれていた。右腕が完全に切断され、宙を飛ぶ。愕然とした表情。
「手間をかけさせるな」
ビュークスが唸るように言った。
「あと三秒以内に、全員死ぬか降伏しろ」
「……逃げろ!」
と、誰かが言った。
集団が散る。ばらばらになって逃げようとする。雪が蹴立てられ、吹き始めた強い風と闇がその姿を隠そうとしている。
普通ならば、うまくいったのかもしれない。
ここにいるのが聖騎士ビュークス・ウィンティエでなければ。
「いいぞ、ルクジュット」
ビュークスは懐から時計を取り出し、その蓋を開く。
「時間だ」
そう言った瞬間、雪面が弾けた。
小さな山がいきなり聳え立った――そのように見えた。地鳴りのような音が響く。激しい吹雪が吹きつけたように感じる。
「あれは」
と、テオリッタがささやいた。
「……なんです?」
雪降る夜の闇の中、巨大な人型の影が立ち上がっていた。
そいつが逃走しようとするやつらの逃げ道を塞いでいる。
ライノーたちが使うような、砲甲冑よりもさらに大きい。全身鎧に包まれた、青白く輝く鋼の戦士。俺はそいつを知っている。その姿と声を聞いたことがある。
「ルクジュットだ」
ビュークスが仕える、第十一聖騎士団の《女神》。
「太陽の《女神》」
そいつは巨大な腕を伸ばし、馬で迂回しようとした賊を阻んだ。
そうしてひび割れたような、ざらついた声をあげる。
「――ビュークス。何を遊んでる……」
少年の声だった。それも、反抗期で不機嫌な響きのある子どもの声。
「おれは眠い。さっさと戻るぞ」
ふてくされたような言い方。雪を跳ね上げ、ゆっくりと歩く。
夜の中でも、その巨大な甲冑は強い光を放っていた。そういう力を持つ《女神》だ。太陽の光を呼び出す、と言われている。
「想定外の労働になったな。このザイロ・フォルバーツが我がままを主張したせいだ」
「待て、何が我がままだ! いまだってお前、俺がいなきゃそっちの神官は――」
「ま、待ってください! ザイロ! この音!」
地鳴りのような音が続いていた。
足元から――違う。上か。それとも下か? いや、どっちもいい。
「じ、地震ではありませんか!?」
「くそ」
俺は毒づいた。最悪の状況を想定しながら、振り返った。
ちょうど膨れ上がる雪の波濤が、斜面を滑り落ちるところが見えた――温泉旅館に向かって。雪崩だ。
「ああ」
ビュークスはたいしたことでもなさそうにうなずいた。
「このような状況下でルクジュットを動かすと、こうなる」
「えええええええ!」
テオリッタが悲痛な叫びをあげていた。同感だ。
想像できたことだが、俺の温泉旅行はここに悲劇的な結末を迎えた。
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