休暇行動管理簿:探偵女神テオリッタの事件簿 3

「つまり、最初からぜんぶこいつだよ」

 俺はビュークスを指差した。

 やつは左目を閉じ、懐中時計の針を見つめている。微動だにしない。自己紹介もするつもりがない。そういうやつだ。


「あの……少しも話がわからないのですが。聖騎士団の団長の方なのですよね?」

「まあ、一応な」

 テオリッタは俺の話に懐疑的な視線を向けたし、言いたいことはよくわかる。俺にもあんまりよくわかっていない――つまり、一つずつ確かめていくしかない。


「宿の二階で見たでかい影もこいつだったし、あの神官が探してたのもこいつ。……あれはお前の聖騎士団の従軍神官か?」

「新任だ」

 ビュークスは端的に応じた。

「我が団の従軍神官は、入れ替わりが多い」

「だろうな」


 理由はわかる。

 こいつがいい加減すぎるせいだ。本人は否定するだろうが、常識や世間の慣習というものをまったく理解しない。

 こんなところにいるのがその証拠だ。


「お前、北の方にいるんじゃなかったのか? また結婚式やってるって噂で聞いたぜ」

 連合王国行政府は、一定以上の財産保有を条件として、重婚を認めている。

 人類にとって、一夫一妻制という制度を維持する余裕がもはやない。少しでも人口を増やすため、『合理的な』判断として一夫多妻制を導入している。領地管理の面、貴族支配の面でも問題はあるが、そうするしかなかった。


「結婚式は執り行っているという形式さえあれば十分だ」

 ビュークスは喋るたびに、徐々に物憂げな顔つきになってくる。

 そもそも会話自体が無意味であり、好みではないと思っている節があった。そういう部分も俺とは相容れない。


「冬季は魔王現象の活動が緩慢で、警戒すべきはむしろ人間。近隣の山賊どもだ。私が婚姻の式を挙げているという情報を流布することで、十分に牽制できる」

「それで呑気に温泉旅行かよ! 結婚した相手の立場ってもんがあるだろ」

「その問題を私が考慮する必要はない」

 ビュークスの論理は明快だ。いつもうんざりするほど。

「私とルクジュットは人類における最強の戦力要素であり、我々の心身を健康に保つ温泉旅行は、結婚式よりもはるかに意義が大きい」


 ルクジュット、というのは、第十一聖騎士団の《女神》だ。

 つまりこいつの相棒。

 花嫁を放り出し、戦線には最低限の処置を施しておいて、こうして温泉旅行にやってきたらしい。


「――お前のスタンスにはもう突っ込む気力も湧かねえけど、なんでそれで隠れてたんだよ。普通に宿泊しろよ」

「普通の宿ではないからだ。観察すればわかった。ザイロ、厩舎を見ていないのか?」

「見たよ。馬が数頭。明らかに少ない。満室だって言ってたくせにな」

「あの建物を維持するための、物資の上げ下げをする最低限の馬すらいない。それとも、ちょうど買い出しのために出払っているのか? だとしても従業員が異常だ」

「なぜか顔を隠してる受付嬢とかか? 盗み聞きするやつらのことか?」


「何を言っている?」

 本当に心の底から理解できない、とばかりにビュークスは眉をひそめた。

「歩き方、立ち方、移動の仕方からわかるだろう。この宿の従業員は、すべて軍事行為に従事した経験がある。それも長年に渡ってだ。異常なのはその点だ」

「……じゃ、つまり? あいつらはなんだって?」

「山賊か野党。食い詰めた傭兵。または冒険者。その手の輩が、この宿を乗っ取っている」


 そういう宿になっていたのか。

 もう少し観察する時間があれば、俺にもわかった――たぶん。

 ビュークスの物言いは決して偉そうには聞こえない。が、その言葉が平坦すぎて、ただただ疲れる。


「よって、隠れて様子を見ることにした。想定通り、この宿に客はほぼいない。我が団の従軍神官と、ザイロ、お前ぐらいのものだ」

「それって不法侵入って言うらしいぜ」

 とはいえそのような犯罪用語で糾弾したとしても、ビュークスには通じないだろうと思われた。人類最大の戦力である特別な自分を、その他大勢の連中と同じような法律などで縛るのは無意義だと考えているようなやつだ。

 が、一応は言っておくことにする。


「しかもその感じだと、飯も勝手に食ってるな」

「……はっ! そ、そういえば!」

 そこでテオリッタが目を覚ましたように、鋭くビュークスを指差した。

 まるで犯人を指摘する査察官のように。


「私のお菓子を! 不敬にも盗んだのは、あなたなのですね!」

「と、いうよりも、ルクジュットだな」

 ビュークスは己の《女神》の名をあげた。否定はしない。する意味がないと思っているからだ。

 なるほど。ルクジュットならば簡単だ。空き部屋である二階から、身軽に下の階に体を伸ばし、窓の隙間から菓子を盗む。そういう芸当はたやすくやってのけるだろう。

 なぜなら――それはまあいい。


「やつの悪ふざけも困ったものだが、結果的に人類最大の戦力要素である我々の栄養価となったのだから、なんら問題はない。とはいえ……金髪の。テオリッタというのか? お前はザイロの新しい《女神》なのだろう。よって菓子の半分は残しておいてやったぞ」


「……そんな横暴が通りますか!」

 テオリッタはひどく憤慨した。気持ちはわかる。

「あれは私がザイロに褒美としてあげようと思っていたお菓子! 温泉の後でお菓子の宴をやって、ザイロもニコニコ笑顔! その予定だったのですよ!」


「それは残念だったな。次は私がいない宿を選べ」

「そ、そういう問題では!」

「やめろテオリッタ、死ぬほど時間の無駄だ」

 この手の問題でビュークスを倫理的に糾弾するほど無駄なことはない。本人がまったく反省するつもりがないからだ。

「それよりビュークス、お前のところの従軍神官が見ての通り行方不明だ。お前の耳で追跡できないのか?」


「できる。だが、その必要性を感じないな」

 ぱちり、と音を鳴らしてビュークスは懐中時計を閉じる。

「従軍神官が一名、行方不明になっただけだ。どうせこの宿に勤めていた山賊どもに攫われた程度の話だろう。理由はわからないが」


「何を言っているのです!」

 テオリッタはさらに憤慨した。

「攫われたというのなら、なおさら問題ではありませんか! ……それに、連れ去られたのだとしたら、足跡がありません! 雪の上に足跡をつけずに、いったいどこへどうやって!」


「屋根の雪止めが消えている」

 ビュークスは屋根の上を指差す。

 雪止めというのは、屋根からの大量の落雪を防ぐ留め具のことだ。雪を分散させて落下させる、取り外し可能な仕組みがある。

「ただ単に屋根の上から、足跡を隠すように雪を落としただけのことだ」

「そ、そんな……」

 めまいを起こしたように、テオリッタはよろめいた。


「そんな簡単な! ちっとも推理っぽくありません! ……そ、それに……そうです! 攫ったというのなら、雪の上を男性一人担いで移動するのは難儀では――」

「馬かんじきを使い、馬で引きずる。橇を使ってもいいだろう。それほど大した労力ではない」

 ビュークスは再び不思議そうに眉をひそめた。

「厩舎で何を見ていた? 他の馬をどこかに隠してあるに決まっているだろう」


「そんなもの――」

「どうでもいいから、さっさと探せよ」

 テオリッタが反論しそうになるのを、俺はすぐに止めた。ビュークスを相手にする限り、抗議というものが不毛だからだ。

「従軍神官をまたクビにするつもりか」

「それでも構わんが」


「俺は構う」

 俺はビュークスを睨む。

 当の本人には睨まれているという認識などないだろうが、それでも俺は睨む。冷血で不愉快で感情というものがおよそ存在しないような男を睨む。


「せっかく休養に来た温泉で、別に罪もない人間が死んでみろ。食うメシがまずくて仕方ねえだろ」

「そうでもないと思うが」

「俺はそうなんだよ」

 中指を立てる仕草。このくらいならビュークスにもわかる。

「その耳を使って探せ。俺の精神衛生上必要なんだよ」


「……お前の精神衛生か」

 ビュークスは小さなため息をつき、そしてまた懐中時計を開く。

「時間を無駄に使いすぎている。私は私自身の休養を優先するべきなのだが……、ザイロ・フォルバーツの精神衛生ということなら……」

 首を振り、時計の蓋を閉じる。


「考慮するか。お前が協力するなら、事態の解消まであと五分もかからない」

「たまには賢い判断をするんだな」

「お前は延々と自分の都合を主張し続けるだろう。そういう男だ。よって、素直に協力する方がまだマシだと判断しよう」

 ビュークスの顔は不機嫌とはまた違う。

 事前に立てた予定との齟齬を修正する手間について、面倒だと思っている顔だ。


「お前もまた、人類にとって最大級の戦力だからな。私とルクジュットには、わずかに及ばないが」

「一言余計だよ」

「あ、あの。お二人とも……ずいぶん仲が良さそうに見えますが」

 テオリッタは俺とビュークスの間で視線をさまよわせた。

「もしかして、長い付き合いのご友人だったのですか? ええと、うちのザイロがご迷惑をおかけしまして――」


「俺が迷惑かけてねえよ! かけられてんの、いつも!」

「いいや、私だな。いつも迷惑している。今回のように」

 そうしてビュークスは、閉じていた左目を開く。

 その瞳が小刻みに動き、痙攣するように震えながら雪の上で停止する。緑色に瞳が輝いていた。

「……耳を使う必要はない。新しい聖印兵器を、この左の眼球の代わりに搭載した。この目は温度を認知することができる」


「俺の知らないやつか?」

「おそらくは、そうだろうな。半年前に置換した」

「他になにか人間をやめたことがあったら、いまのうちに申告してくれ。できれば脳みそも入れ替えておいてほしかったんだが」

「脳の置換は危険が大きすぎる。現時点では実行には及べない」

「そうかよ」


 ビュークス・ウィンティエという男はイカれている。

 自分の体の器官を、聖印を刻んだ道具と入れ替える。それも一つや二つじゃない。俺が知る限り、耳の内側に肋骨、左腕、両足、肺にまで聖印兵器を詰め込んでいたはずだ。そしてついには左の目玉まで。

 普通は蓄光量の限界で、四肢や臓器が機能しなくなる可能性もあるため、並みの覚悟でできることではない。それをビュークスは、やつ自身の特殊な事情で補っている。


「温度を追跡できる。やるならば、さっさと片づけるぞ。ザイロ。遅れたら置いて行く」

「お前の《女神》は?」

「すでに動いている。残り四分。無駄な時間を費やさずに終わらせたい」

 言うが速いか、どっ、と音をたて、ビュークスは跳躍した。

 俺の飛翔印に及ぶくらいの跳躍力。温泉宿の屋根にまで飛び上がる。


「ついてこい、ザイロ。お前が懲罰勇者となって、私の想定以下の役立たずに成り下がっているようなら、金輪際お前と会話することはない」

 ビュークスは偉そうに言った。そう。ビュークスが他人とこれだけ長時間にわたって会話するというのは、実は珍しいことだった。

 自分で言うのもなんだが――それにビュークスを褒めるというのも不愉快だが、俺たちの間にはちょっとした信頼関係――のようなものがあった。ろくに話したことはないが、この点だけは一致している。

 お互い、魔王現象なんてクソくらえってことだ。


 だから俺はいまだ戸惑うテオリッタを抱え上げる。

「上等だ。そっちこそ、ヘボい真似したら見捨てるからな」

 第十一聖騎士団のビュークス・ウィンティエと、ザイロ・フォルバーツ。

 この二人に追跡される『連中』に対して、なかなかに不憫な気持ちが湧いてくるような気がした。

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