休暇行動管理簿:探偵女神テオリッタの事件簿 2

 宿の外観で覚えた違和感は、部屋でもまだつきまとっていた。

 具体的に言えば内装についてのことだ。


 俺とテオリッタに割り当てられた部屋は、ずいぶんと片付いていた。

 というより片付きすぎていた。

 寝台と棚、窓際のテーブル、簡易的な調理器具。その程度しかない。聖印式のストーブと照明があったが、どちらも出力がいまいちだった。ぼんやりとしか暖かくならないし、明るさも弱い。

 これは普段から太陽光に当てての蓄光を怠っていることを意味する。蓄光蓋を開く一方で、起動聖印を遮光して、定期的に光に晒してやらなければならない。


 ただ、室内の清掃だけは行き届いているのが気にかかる。毛布もなかなか清潔だし、蜘蛛の巣が張っているということもない。

 どうもちぐはぐな印象の温泉宿だ。


「なかなか豪華な部屋ではありませんか」

 と、温泉宿を初めて体験するテオリッタなどは、そんなふうに言っていた。

 そういえば、道すがらの宿はかろうじて大人数の相部屋でないという程度の設備ばかりだったので、そういう感想が出てくるのもわかる。

 なので、あえて俺は何も言わずにおくことにした。


「わくわくしてきます」

 そう言いながら、テオリッタは机の上に鞄の中身をいそいそと並べていた。

 木製の遊戯盤――『ジグ』、カード、サイコロといった遊戯道具。小さな本。どこに隠し持っていたのか、いくつもの菓子類。

 それらをすべて並べて数えてみせて、テオリッタは満足したようにうなずいた。


「ザイロ! 今日は宴ですよ!」

「すげえ……菓子だらけだな。そんなにたくさんどこで貰ったんだよ」

「修理場です」

 ふふん、と、テオリッタは鼻を鳴らした。

「第二聖騎士団衛生兵の皆さんが、献身的にザイロを看護する私に献上してくれました。それからアンダウィラも! 友好の印といって、ほら、この綺麗な飴を!」


 アンダウィラ――第二聖騎士団の、血の《女神》か。

 態度は刺々しいが、どうも年下には甘いところがあるらしい。

《女神》の間の関係性がどういうものなのか、俺はよくわからない。姉妹のようなものだと言っていたような気もするが、それはどういう順序が存在するのか。

 テオリッタに聞いてみたところ、

「あまり考えたことはありませんでしたが、精神年齢は私が一番高いと思います。つまり私が一番お姉さんなのでしょうね」

 という答えが返ってきた。

 それは本人の思い込みのような気がしてならない。


「それではザイロ、さっそく行きましょう!」

「何に?」

「探検に決まっているでしょう。温泉宿をよく見て回りたいです! よって、私を護衛し、様々に案内しなさい!」

「仕方ねえな」

 テオリッタの気持ちはわかる。

 初めて訪れた建物――それも一種の娯楽施設を、あちこち見て回りたいというのは理解できた。もとよりテオリッタを単独行動させるわけにもいかない。


「風呂を浴びる前に、散歩するか」

「ええ!」

 ――と、そうして部屋から出たテオリッタの足取りは、明らかに浮かれていた。


 廊下に差し込む夕暮れの光は赤く、鮮やかに床を焼いている。

 それに景色も悪くない。

 窓からは山の急斜面を見下ろすことができ、針葉樹林の隙間のあちこちに石積みの壁と旧道の名残が覗いている。それから温泉特有の設備も。


「ザイロ、あれはなんでしょう? 大きな柱ですね」

「掘削用の聖印器具だ。温水の汲み上げもあれを使ってやってる」

 ああいうものは、もちろん温泉宿が自費で設置したわけではない。

 そもそも多くの山岳施設にありがちなことだが、この宿もかつては地方領主の館だとか、開拓村の跡地だとかを利用して建てられたものだろう。その遺構を利用して温泉を組み上げ、まともな生活設備を維持していられる。


「たぶん、この宿はもともと砦か何かだったんだろ。その手の地方領主の軍事施設は、連合王国の統合時に国家に買い上げられて、一部はガルトゥイルの方針に従って放棄された。その設備が残ってるんだ」

「なるほど」

 と、テオリッタは言ったが、本当に理解したかどうかは定かではない。


 ともあれ俺とテオリッタは窓から景色を眺めていた――だから、そいつの接近に気づくのが少し遅れた。

 こいつはまったく俺の不覚でもある。


「失礼」

 そいつは思いのほか、生真面目に声をかけてきた。

 振り返って、まず目に留まったのは顔の火傷だ。それは俺たちの隣の部屋の客、ついさっきドアごしに垣間見た――なかなかがっしりした体格の、年配の男だった。

 銀色の首飾りが、その分厚い胸元で揺れていた。大聖印――神殿関係者だろうか?

 それにしては、雰囲気がやけに鋭い。テオリッタがやや身をこわばらせ、俺の上着の裾を掴んだほどだ。


「唐突に声をおかけし、申し訳ない。傭兵か冒険者の方とお見受けします」

 予想以上に礼儀正しい物言いだった。

 その目つきだけが、何か差し引きならない緊張感を湛えているように見えた。思いつめているのか、あるいは俺を何かの理由で疑っているのか。よくわからない。

「お伺いしたいことがあります。どちらの方から来られたのですか?」


「ああ――ええと」

 俺は逡巡した。本当のことを明かして良いことは何もない。首巻で懲罰勇者の聖印も隠している――よって、いい加減な嘘をつくことにした。

「第二王都の方からだ。俺は傭兵でね。知り合いの娘を届ける旅なんだよ」

「むっ」

 テオリッタはなんとなく不機嫌そうなうめき声をあげたが、この設定はうまくいった。知り合いの娘、とぼかしたことで、少し気の回る相手なら『訳アリで旅する名家の令嬢』か何かだと考えてくれる。

 少なくとも、この火傷の男はそうだった。余計な詮索はしてこない。


「そういうあんたは?」

「旅の伝道師です。聖都キヴォーグより遣わされております」

 火傷の男は考える様子もなく答えたが、たぶん嘘だな、と俺は思った。その気配が単なる伝道師ではない。

 傭兵が神官のふりをしているか、あるいは冒険者か。便利なのでたまにそういう身分を装うか、実際に入信して免状をもらうやつもいる。が、とりあえず俺の見る限り、この男に荒事の経験があることは確かだと思う。

 そして、それに続いた質問内容も相当に意味不明だった。


「傭兵どのは、ここまでの道中で妙な二人組を見かけませんでしたか」

「……妙な二人組? ちょっと曖昧すぎるんじゃないか」

「そうですね。特に目立つのは、たとえば、そう……熊よりも巨大な甲冑、とか」

 やや言いにくそうに発言された、その台詞で俺は直感した。

 あまり関わり合いにならない方がいい。というより、関わるべきではない。


「そんな怪物を見かけたら、夢にまで出て来そうだな。幸いにも遭遇してねえよ」

「そうですか。……ですが、もしも何か奇妙な出来事を思い出したら、教えていただきたい。私はそういう、変わった二人組を探しているのです」

「奇妙といえば、まずこの宿だろ。なんとなく従業員もおかしいし――」

 と言いかけて、俺は気づく。

 見られているような気がする。あちこちから。あるいは頭上から。視線の気配だ。それは火傷の男も同じようだった。


「……さて。お互い、早々にここを発った方がよいかもしれません」

 どことなく陰鬱な調子で、火傷の男は言った。俺たちとすれ違うように歩いていく。

「雪が強くなり、道が閉ざされたら大変だ。年明けまでに第一王都に戻れなくなる……まったく、厄介な話です」


 その背中を、俺はほんの数秒だけ追った。

 温泉にでも行くつもりなのかもしれない。何かを探している、顔に火傷のある男――おそらく神殿関係者――しかも『第一王都に戻る』という言い回し。

 そっちからわざわざ足を延ばして来たのか。それとも――


(まあいいや)

 面倒になって俺は考えを打ち切った。

 他人の仕事に首を突っ込んでも仕方がない。そもそも俺はいま完全な休暇中なのだ。非常に珍しい勇者の休暇。


「……そろそろ部屋に戻りませんか、ザイロ」

 と、テオリッタは小声で言った。かすかに身震いしたような気がする。

「なんだか妙に冷えます。温泉に入りたくなってきました」

「そうだな」

 俺はなんとなく天井を一瞥した。

 もう、視線は感じられなかった――だが、みしりと足音が聞こえた気がした。それを追求したくなるだけの好奇心は、俺にはない。

 それよりも温泉だ。


        ◆


「あーーーーーっ!」

 部屋に戻るなり、テオリッタの大声が響き渡った。

 窓際の机を見た途端の大音量だった。


「なんですか、これは!」

 憤懣やる方なし、といった表情で窓際の机を指差す。

 俺はテオリッタの肩越しにそれを覗き込み、すぐに理解できた。

「お菓子が! なくなっています!」


 たしかに。

 先ほど散歩に出る前に広げていた菓子が、明らかに少なくなっている。ビスケット、クッキー、飴、その数々の半分ほどが消失していた。

「い、いったい、何者がこんなことを……! あまりにも不敬、非道、悪辣です! あんなに楽しみにしていたのに!」

 そうして振り返ったテオリッタの目には、涙すら浮かんでいた。それと同時に、並々ならぬ決意と覚悟も。


「許せません! ザイロ……私はこの邪悪な罪を犯した者を、地の果てまでも追い詰めて、懲らしめてみせますからね……!」

 テオリッタの目に炎が燃え、髪に火花が散った。そこまでの感情の昂ぶりか、と俺は思った。

「《女神》として! 人の世の悪行、この偉大な瞳が暴いて見せます!」


「そうか……」

 としか、俺には言えなかった。

 しかもこの大げさな台詞。さては、なにか変な本を読んでそれに影響されたな。俺は机の上の小さな本に目をやった――題名は『深紅探偵ツィアーナ・真実のまなざし』。絶対これだ。後で誰から借りたのか突き止めなければ。


「ザイロ、あなたは助手です。まずは現場検証をしなければなりません」

「現場検証?」

「被害状況を確認し、どんな手口で犯罪が行われたのか調べるのです。パトーシェから借りたこの本にちゃんと書いてあります」

「そうか」

 突き止めるまでもなく、誰から借りたかわかってしまった。とにかく、その本にそういうことが調査の基本として書かれているのだろう。

 だが――


「さあ、ザイロ! あなたは室内の足跡を調べてください。私はこの部屋のどこかに抜け道がないかを確認しますから――」

「そんなことしなくても、絶対これだろ」

 俺は窓を押し開けた。鍵がかかるわけではない。取っ手があり、外に押し開けることができる仕組みの窓。冷たい風が吹き込んでくる。

「ここから机の上に手を伸ばすだけでいい」


「……し、しかし」

 テオリッタはなんだか不満そうに呟き、机の上に腹ばいになって窓の外を覗き込んだ。

「足跡! 足跡がありませんよ。ほらっ、ザイロ! 雪の上に足跡がないのでこれは密室です!」

「この宿には二階があるからな」

 俺は頭上を覗く。そこにはやっぱり部屋がある。

「あの真上の部屋に出入りできれば、別に足跡は残らない」

「……そ、それは……そのっ、なかなか大変な作業なのでは? それに、あの受付の方が言うには、部屋はここ以外すべて満室とのことですし……あとは……えっと……そう! 動機が変です!」

 テオリッタは、俺の鼻先に指を突きつけた。


「お菓子を盗むためだけに、こんな大変なことをするものですか? いったいどんな方が!」

「それなんだけど、たぶん――」

 俺は極めて個人的な結論を口に出そうとした。

 その瞬間だった。


 ――どぉぉおおん、という、重苦しくも激しい音が、地面を揺らした。

 宿全体が揺れたような気さえする。

 テオリッタは危うく転びかけて俺にしがみつき、こっちもどうにか支えることに成功する。

「なっ、な、何事ですっ?」

「わからん。ただ……気になるな」

 おそらく、宿の裏手の方だ。温泉がある方。これは確かめずにはいられない。

「見に行く。温泉に万が一のことがあったら大変だ」

「万が一、というと……?」

「雪崩」


         ◆


 温泉には、人の姿がまるでなかった。

 一応声をかけてはみたが、従業員も、客もいない。

 雪崩が起きたのではなさそうだ。そもそもそんな大雪崩が起きたら、この宿もタダでは済まないだろう。しかし誰もいないというのは、いささか奇妙だ。


 緩やかに降りはじめた雪の中、お湯は温かそうな湯煙をあげている――そこには何の問題もない。

 ただ、気にかかる点が一つ。

「ザイロ。これは」

 テオリッタがしゃがみ込み、雪の上に落ちている「それ」を拾い上げた。


 銀の首飾り。先ほど遭遇した、火傷の男が身に着けていたものだ。

 円形の中央を直線が貫く形の――大聖印。首掛け用の紐が引きちぎられたようになっている。

 俺はテオリッタが指先にぶらさげるそいつを睨んで、確信した。その大聖印の縁に刻まれている文字を読んだからだ。

 先ほど会った時にもちらりと垣間見えた。


「ど、どうしましょう! 先ほどの方に、これは何かあったのでは……!」

「落ち着け。たしかにあの火傷の男がいないのは、何かあったんだとは思うが」

「ゆ、行方不明ですよ!? なんとかしないと! いったいどこに?」

 テオリッタが周囲を見回す。俺もつられて視線を向けた。

 温泉の周囲は雪景色だ。足跡くらいあってもよさそうなものだが――案の定、テオリッタはこの状況に大げさすぎる反応を示した。


「ザイロ、足跡がありません! いったいどんなトリックが……どうやってここから連れ去ったのですか!?」

「どうやって、はどうでもいい。色々あるだろ」

「色々って」

「俺たちは査察官でもないし、探偵とかじゃない。さっきの火傷の男の無事と行方さえ確かめられればいい。――そう思わないか?」

 俺は背後を振り返った。

「ビュークス・ウィンティエ」


 テオリッタの拾った大聖印の首飾りに、刻まれていた文字を読んだ。

 第十一聖騎士団の名前が刻まれていた――それで確信した。

「あんたの耳を貸せよ、部下だろ?」


 果たして俺が振り返ると、えらく大柄な男がそこに佇んでいた。

 ぎょろりとした目つきで、俺よりわずかに長身。深い色の赤毛。分厚く白い獣の毛皮の外套。その佇まいはまるで山の妖怪のようで、テオリッタが大きく身を震わせた。


「どうかな」

 にこりとも笑わず、うなずきもせず、その大男――つまり第十一聖騎士団の団長、ビュークス・ウィンティエは答えた。

「私には無駄な労力としか思えない」

 そしてビュークスは、懐から時計を取り出し、それを覗いた。

「検討してみたが、彼の救出に時間を費やすことは利益寡少と考えている。お前には別の意見があるか、ザイロ・フォルバーツ」


 つまり、こういうやつだ。

 昔から思っていたが、ビュークス・ウィンティエ第十一聖騎士団長とは、決定的に反りが合わない。

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