休暇行動管理簿:ベネティムの大いなる奇跡 2

 大司祭の数は、二十八名。

 そのうち、主席大司祭として立候補している有力者が四名。

 つまりこの立候補者の数だけ、派閥が存在することになる。四つの派閥。ニコルド・イブートンを例外として、誰もがどこかの派閥に属している。


 この派閥を切り崩し、当選確定となる過半数を説得し、あるいは買収する――

 などという芸当は、ベネティムには不可能だった。そもそもベネティムにはそのような根気も気力もなければ、軍資金も足りていない。


(もっと楽な方法を使おう)

 というのが、ベネティムの思考だった。

 とにかく、少しでも楽な道を。困難は避けて、なおかつできるだけ近道を辿ろうとする。その結果として嘘ばかりつくことになり、詐欺師と呼ばれるようになって、いまや末路は勇者である。

 それでも当人にまったく反省するつもりはない。反省は嫌な気分になるし、面倒くさいからだ。


(買収ができる人たちに動いてもらうしかない)

 自分に不可能なことならば、可能である人間を動かせばいい。

 ベネティムの発想は万事がその調子だ。

 結果的に、指揮官に向いている性格ではあったのかもしれない。役立たずではあったとしても、少なくとも、ザイロやジェイスの戦略を阻害したことは一度もない。


 この場合、大司祭の過半数を買収し、ニコルドへの投票を約束させることができる者――といえば、一人しか心当たりがなかった。

 すなわち、ヴァークル開拓公社。

 連合王国行政室の資金によって創立され、いまでは完全に民間運営となっている組織だ。便宜上、いまだに公社という名前が使われている。


 その組織の、第一王都方面支部長。

 名を、フィジウス・ヴァークルという。

 ベネティムの実兄であり、次期当主候補の筆頭にあがる、一族で最も優秀な実業家の一人。


(あの人を使おう)

 と、ベネティムは決めていた。

 もともとヴァークル社と神殿の関りは深い。といっても、それは密かな繋がりだ。


 大司祭や司祭といった立場の人間が、賄賂や寄付の横領で儲けようとするなら、ただ金を持っているだけでは意味がない。

 それを正規の資金に洗浄し、あるいは存在しない資金のまま扱って、嗜好品や贅沢のための場を提供してくれる者がいる。

 人間が単なる生存目的以外に金を使うのは、快楽のためだとベネティムは考える。

 金はただそれ自体では、何の快楽も生まない。

 後ろめたい収益を持つ聖職者たちにとっては、安全にそれを使える、口の堅い取引相手が必要なのだ。その点、ヴァークル社は非常に優れていた。


 資金洗浄も得手とするし、嗜好品も手配する。

 時には人身売買まがいのことまでやってのける――それがヴァークル社だ。ベネティムもそういう『ヴァークル社の裏の顔』という趣旨の記事を書いたことがある。


(神官たちの買収なら、ヴァークル社)

 そう決めたベネティムの動きは速かった。

 もともとフィジウスの第一王都での居場所は知っている。あとはその帰路を張りこむだけだ。

 十日間にわたって監視を続け、そして――


        ◆


 フィジウス・ヴァークルは、その夜、特に遅い帰宅となった。

 取引先との商談が、不意の訪問客によって長引いたこと。

 いつも使う帰り道が、道路舗装工事のために塞がれており、大きく迂回する羽目になったことが原因だった。


 その日は昼過ぎからの雪が降りやまず、骨まで染みてくるような冷気が満ちていた。

 嫌な予感がしていた――とは言わない。フィジウス・ヴァークルはその手の予感などというものを信じない。

 フィジウスにとってそれはただ、不快な日だった。

 弟の顔を見かけたのは、その極めつけのようなものだった。


 弟――ベネティム・ヴァークルは、雪の降る路地の真ん中に立ち尽くしていた。

 フィジウスは御者に命じて馬車を止めさせ、まずはその顔を注視した。亡霊であればいいと思った――それは弟が死んでくれた証拠になるのだから。

 が、残念ながら、生きているらしい。顔色が青白いのは、ただ寒いからか。それとも緊張の方だろうか。


 それを言うなら、ベネティムの傍らに立つ男の方がよほど亡者のように見える。

 やけに手足が長く感じられる男で、その顔からはまるで意志というものが感じられない。雪の中で佇むその姿は、どういうわけかひどく禍々しいように思えた。

 空洞のような黒い両目が、見るともなくフィジウスを見ていた。


「兄さん。ご無沙汰しています」

 と、恐ろしいほど白々しく厚かましい態度で、ベネティムは丁寧に頭を下げた。

 そんな通り一遍の挨拶で再会するような仲ではなかった。


 フィジウスに兄弟は四人いた。姉妹なら三人。

 いずれも、ヴァークル社を継ぐ候補者として競争相手だった――ベネティムを除いて。

 この男は早々に自らの才覚の無さを発揮し、父や親族から与えられる「試し」にことごとく失敗してきた。「試し」ではなく、それはむしろ機会なのだということを、最後まで理解していなかったように思う。

 ほとんど追放同然に家を出たが、直後に行方がわからなくなった。


 呆れ果てた弟だと、フィジウスは常々思って来た。

 詐欺師のようなことをして働いていたことは知っている。いま、懲罰勇者として刑に服していることも。

 まさか、こうして自分の前に顔を見せるとは。



「私は不思議でならない、ベネティム」

 ため息をついてから、フィジウスはベネティムに声をかけた。

「どの顔を下げて、私の前に現れることができる? いますぐ失せろ。邪魔だ。それとも、馬の蹄にかけられて死にたいのか?」


「久しぶりに会った弟に、あまりにもひどい言葉ではないですか?」

 ベネティムは困ったような笑みを浮かべた。その笑い方がやけに癇に障る。理由はわかっている。

「もしかして、まだ怒っています? モデリス社の偽装の件は本当に申し訳ないと反省して――」

「黙っていろ」

 モデリス社の件、と言われて、フィジウスは低く唸った。

 威嚇するつもりはなかった――ただ、不愉快な記憶を思い出した。


 かつて、ヴァークル社と対抗する大規模結社の出現が噂されたことがある。

 名前はモデリス社。それは一種の銀行であるという。

 金を預け、遠隔地で安全に引き出す。国で取り締まられている一部の賭博事業も行う。そういう結社がすでに設立計画を進めており、背後には神殿がついている――

 フィジウスもその情報の真偽を調べ、そして、確かにそのような動きはあるとしか思えなかった。


 が、実際に深く探ってみると、モデリス社は影も形もなく消えた。

 もともと存在しなかったのだ、と理解したとき、社の利益に無視できない赤字が発生していることに気づかされた。

 フィジウス自身と、その直属の配下がそういう動きをしたために、焦って証券を売る者がいた。それが影響した損害だった。

 軽率な動きだったとは思えない。密かな調査だったはずだが、なぜそれが伝わったのか。フィジウスにはいまでもそれがわからない。


 ただ、その証券売買の動きで得をした者は確かにいた。それも複数。

 その中心近くに、ベネティムがいた。

 追跡したときにはもう遅く、またしてもベネティムは消息を絶っていた。死亡した、という噂だけを残して。つまり利益争いの仲間割れで殺されたのだ、と楽観的な意見を挙げる者もいたが、フィジウスにはそうは思えなかった。

 それを証明するように、この弟は懲罰勇者となり、そして――


「フィジウス兄さんにとって、利益になるお話しがあるんですよ」

 と、ベネティムは言った。

 呆れた台詞だ。この弟には何度でも呆れさせられる。

「聞きたくないし、聞く必要がない。お前が私の得になる話など、した記憶がないからな」

「主席大司祭の件です。私は、聖騎士団に属するとある方から密命を受けておりまして――どうしても勝たせたい方がいるのです」


 聖騎士団から密命だと。

 フィジウスはその響きを心の中で転がし、嘲笑した。懲罰勇者に密命など授ける聖騎士がいるものか。ましてや、ベネティムという口先だけの男に。

「どうせ嘘だろうし、たとえ真実だとしても、それが私に何の関係がある?」

「中立派閥の大司祭の皆さんを、買収していただきたいのです。ニコルド・イブートン大司祭様を勝たせるために」


「馬鹿げている。私には――いや、ヴァークル社にはその得もない」

「ニコルド大司祭様が主席大司祭となることで、確実に神殿の収益は上がります。一般信徒や地方からの寄付は増え、浪費が減るからです」

 その部分は事実だ。

 ニコルド・イブートンについては、フィジウスも知っている。もっとも神殿の勢力を拡大できるのも、ニコルド・イブートンという男だろう。魔王現象と戦う上で、人類側の利益になるともいえる。

「そしてニコルド様はその収益を貯蓄しない。貧民街や難民、地方への寄付に回すでしょう。それをヴァークル社が回収することができます」


「かもしれんな」

 フィジウスは部分的に認めた。

 だが、この弟にはまるで見えていないものがある。

「それでも私は、ヴァークル社はニコルド・イブートンに投資しない。やつが人類側の利益になりすぎるからだ」

「それは、どういうことですか?」


 フィジウスは何も答えなかった。説明する必要がないことだ――とはいえ、いま言ったその言葉自体が十分な説明になっている。

 あとは少しでも頭が回るなら理解できるだろう。それがヴァークル家のやり方だった。ベネティムにそれは不可能だろうと思う。

 人類側の利益――まさにそれがヴァークル社にとっての問題だった。


 ヴァークル社は戦争を欲している。

 魔王現象との戦いは、莫大な利益を生み出し続けている。

 そうである以上、社として取るべき方針は一つだ。人類をやや優勢な状態にしたまま、魔王現象にも加担する。

 特に『共生派』という連中とは、つかず離れずの距離を保ってきた。

 単純に商売という面でのみ、隠れた繋がりを持っている。やつらの私兵に――あるいはモーサ・グエン教団といった兇徒に、雷杖を流しているのもヴァークル社だ。


 ゆえに、ベネティムの提案は認められない。

 ヴァークル社の幹部会議でそう決まった。決定したのは、彼らの父――ほかならぬヴァークル社の長だ。

 それまでに、ニコルド・イブートンを主席大司祭にする支援をする案も、当然のように検討されたことだ。


(そういうことだ。一族の利益を考えるなら、それが最良)

 フィジウスは、父の顔を思い出す。

 静かではあるが、どこか冷徹なものを持った横顔。思えば自分は父の横顔しか見たことがないという気がする。正面から、父と視線を合わせたことがない。


(この出来損ないの弟とは違う)

 と、フィジウスは強く思う。

 かすかな痛みを感じる――無視できるほどかすかな痛みだ。

(私は認められている。それを証明し続けることができる)

 だから、ベネティムなどと関わっている場合ではない。


「そこをどけ、ベネティム。お前に費やす時間はまったくの損失だ」

「そうですね。でも、今夜ばかりはそうでもないと思います」

「なに?」

「私たちといたことで、命が助かるかも」


 違和感を覚えた。

 その瞬間、稲妻が閃いたように見えた。

 ぱん、と、空気が乾いた音を立てて爆ぜる。

 馬が棹立ちになり、その頭部が撃ち抜かれた。ほかならぬフィジウス・ヴァークルが見間違えるはずもない。雷杖。


「なんだと」

 と、疑問を口に出すころには、フィジウスは馬車から転がり出ていた。身に沁みついた危機回避。雪面に伏せ、頭を下げる。

 御者が何かを叫んで、雷杖を構えた――その背後から撃たれた。囲まれている、とすぐに気づく。


「すみません、兄さん」

 いつの間にか、ベネティムが寄って来ていた。この男も、地面に伏せている。

「私、狙われているんですよ。ついでに兄さんも標的になっています」

「……どういうことだ」

「やつらは『共生派』です。私と兄さんが結託して、極秘情報を売ったことを疑われています。私、実は他人からものすごく疑われる才能があるので――」


 フィジウスは絶句した。

 一瞬の沈黙。それを切り裂くように、奇怪な雄叫びが響き渡った。

「ゔぅぅ――ぁあああああううううううう!」

 ベネティムの傍らにいた男だ。やけに手足の長いその男が、鉄製の竿のようなものを抱えていた。長柄の戦斧か。


「大丈夫です、フィジウス兄さん」

 ベネティムはこちらを安心させるように、肩に手を置いてきた。

「タツヤがいますから、絶対に助かります。私たちを信じてください」

 フィジウスはその手を払いのけ、もはや無言でベネティムの顔面を殴りつけた。

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