休暇行動管理簿:ベネティムの大いなる奇跡 1

 神殿にとって、信仰の対象は神々である。

 この世界を形作った天の神々。その代表格が、受肉した《女神》たちであるとされている。

 神々に祈りを捧げる場所が神殿であり、その規模や数は都市人口に比例する。


 第一王都ともなれば、公に認められているものだけでも、市内に八つの神殿が存在している。

 市民ホールなどの集会所の敷地に存在するものを含めれば、もっと多いだろう。


 その中でもっとも小さな神殿は何かと問えば、それは東部地区にあるチカータ神殿に違いない。

 必要最低限の設備だけ残した、と言わんばかりの見た目をした神殿である。

 歴史は古いらしいが、神聖な空間を演出するための装飾らしいものはほとんどない。勤めている神官の数も少ない。


 ――ただ、このチカータ神殿には、大司祭が一人いた。

 ニコルド・イブートン。

 年齢は四十を少し過ぎたくらいだろうか。大司祭の中では、異例といってもいいほど若い。

 大司祭の肩書を持つ者は、現在では二十八名。ニコルド・イブートンを除けば、平均年齢は六十に近い。通常は、そのくらいの年齢で推挙されるものだ。

 それはニコルド・イブートンが大司祭となるにふさわしい業績を、その若さで積んでおり、なおかつ神殿内部からの支持を集めていることを意味する。


(――しかし)

 と、ベネティム・レオプールはその小さなチカータ神殿を見上げて考える。

(この神殿の質素さはどういう事情でしょうね)

 神殿の見た目は質素を通り越して、みすぼらしいとでも言うべきかもしれない。

 そのくらい、年季の入った建物だった。あちこちに損傷が見られるが、修繕の気配はまるでない。隣に併設されている孤児院の方がまだマシといったところで、最初はそちらが神殿本体かと思ったほどだ。


(とはいえ、うまくやらないと)

 ベネティムには目的がある。

 万が一にでも、ニコルド大司祭の機嫌を損ねてはいけない。そのために必要なのは、余計なことを喋らないことだ。

 そのために最適な人材を護衛として連れて来た。


「よろしくお願いしますよ、タツヤ。これは非常に重要な任務で――、うぇっ?」

 ベネティムの声は、最後に裏返った。

 振り返ったとき、当然そこに立ち尽くしていると思った大男が、明らかに異様な行動をとっていた。ものすごい勢いで回転している。両腕に人型の重りをぶら下げて――いや、違う。子供だ。

 まだ幼い子供を二人ほど、両手にぶら下げて回転している。


「あははははは!」

 と、タツヤの腕にぶら下がっていた子供が笑い声をあげていた。

「はええー! なんだこれ、ニコルド先生の百倍すげえ!」

「なにこれ! おっちゃん、目ェ回んないの?」

 回転するタツヤの周囲にも、いつの間にか子供たちが群がっている。回転するタツヤをはやし立て、順番待ちまでしているようだ。


 おそらく、隣の孤児院の子供たちだろう。

 それがタツヤの腕にぶら下がって、一種の代わった遊具のようにして遊んでいた。

(この騒ぎに気付かないほど、私は緊張していたのか)

 ベネティムは頭痛を感じた。

 たまにあることだ。タツヤが子供の多い場所に行くと、気づけば遊び相手――あるいは遊具の代わりにされている。


「あの、みなさん。その辺にしといていただけますか」

 ベネティムは控えめに声をかけた。

「これからその人と私は仕事があるんですよね」

「ええー! つまんねえ」

「もう終わり? このおっちゃん超すげえよ」

「申し訳ありません。タツヤ、行きますよ。とりあえず停止してください」


 そういうと、タツヤはぴたりと止まる。

 護衛としてはおよそ最高の人材だったが、予期しないところで妙な挙動をすることがある。その点だけが不安材料だ。

 タツヤは他人の命令にはほとんど無条件で従う――ように見える。

 まるで拒否する機能がないかのようだ。


「あのさ」

 と、気づけば子供の一人がベネティムをみあげていた。

「あんた、もしかしてニコルド先生に会いに来たの?」

「ええ。お願いしたいことがありまして」

「じゃあやめた方がいいよ。たまに先生に会いにくる大人の人いるけどさ、だいたい怒鳴られて帰ってくるもん」

「ええ……?」

「特にあんた、ものすごい胡散臭い顔してるし。ぜったい怒られると思うな。ってか、何の用なの?」


「ええと、まあ、その……実はですね」

 ベネティムは口ごもり、言うべきか逡巡し、どうでもいいのでやっぱり言おうと思った。

「ニコルド大司祭に、主席大司祭になってもらいたいんですよね」


 新年を境に、主席大司祭が入れ替わる。

 現役の主席大司祭は、自らの解任と、神聖選挙の開催を宣言した。二十八の大司祭と司祭たちの意見、それに一般信徒の声を聞き、新たな主席大司祭を定めるもの――

 となっているが、実際はもちろん違う。

 様々な神殿利権が絡んでいるため、貴族も行政室も口を出してくる。

 そして大司祭たちの間にも派閥や思惑がある――その状況の中で、ニコルド・イブートンを勝利させるのが、ベネティムに与えられた仕事だった。


 これは、第八聖騎士団のアディフ・ツイベルとの契約によるものだ。

 あのとき、第二王都奪還作戦で融通を利かせる見返りに、この仕事を押し付けられた。失敗したときにどんな目に遭うのかは恐ろしくて聞いていないが、とにかくろくなことにはなるまい。

 もちろんアディフ・ツイベルのことだから、他に手は打っているだろう――だが、何もせずに帰ることはできない。


 アディフ・ツイベルいわく、このニコルド・イブートンだけは、唯一確信をもって『共生派』とはかかわりのない大司祭だといえるらしい。

 また、一般信徒や下級司祭たちからの支持も強い。厄介な野心や、利益関係も持ち合わせていない。新たな主席大司祭として的確な判断を下せる、唯一の人物だろう。

 この人物を頂点に立たせ、神殿と軍部が結びつけば、総反撃計画において大きな力になる。

《女神》を擁しているため、神殿の意向を無視できない聖騎士団は、特にそうだ。『防衛こそが聖騎士の責務である』といった思想上の活動制約が取り払われることになる。


 ニコルドならば、実際、神聖選挙に勝利する見込みは十分にあった。

 本気になって信徒や司祭たちに訴えかけ、派閥を形成すれば、大司祭でもその流れに乗ろうとする者は多いはずだ。

 なぜなら、信仰は金になる。

 特に一般信徒の信仰――聖なる護符をはじめとした品々の購入、寄付は、それ自体が神殿の無視できない収益となっている。多くの信徒の支持を集めるニコルドには、主義や主張を持たない者ほどなびきやすいと見ていた。


 問題があるとしたら、ただ一つ――ベネティムはアディフ・ツイベルの言葉を思い出す。

「ニコルド大司祭が、とてつもなく偏屈な人物である、ということだけですね」

 だったら間違いなく自分が苦手な種類の人間だろう、と、ベネティムは思った。


 そして、そのベネティムが抱いた感想を裏付けるように、このとき話しかけてきた子供はにやりと笑った。

「この前も来たよ、そういう感じの人が。なんか、自分をスイセンしてほしいって言ってさ、ニコルド先生にお願いしにきたんだって」

「……その人、どうなりました?」

「錫杖で追いかけまわされて、さっさと逃げてったよ」


 ベネティムは唾を飲み込んだ。

 ろくなことにならない気がする。それでも、行かねばならない。

「タツヤ、行きましょう。私が攻撃されそうになったら、防御だけお願いします――、あの。えっと、タツヤ?」

「うう」

「もしかして、目を回してます?」

「うう」

「……深呼吸してから行きましょう」

 自分にとっても、それが必要だった。


        ◆


 神殿の内部は、さらに質素だった。

 辛うじて椅子と、ひび割れた祭壇があるくらいで、祭儀に使う香炉や燭台、大聖印を模した銀細工もない。

 そしてニコルド・イブートン本人もまた、予想を上回る人物だったといえる。


「断る」

 と、ニコルド大司祭は、床を雑巾でこすりながらそう言った。

 顔を上げもしない。


「神聖選挙に関わるつもりはない。自ら権力を求めるということは、私の信仰に反している」

 ニコルドの喋り方は鋭く、鑿で岩を削るような厳しさがあった。

「特定の人物に投票もしない。現在の神殿に、大司祭にふさわしい人物はいないと考えているからだ。私は白票を投じる」


「しかしですね、大司祭どの。いままさに神殿はあなたのような高潔な人物を求めているわけでして――」

「やらんと言ったら、やらん。……特にお前からは詐欺師の気配がするぞ」

 顔もあげずに、声だけでよくもそこまで判断できるものだ――ベネティムは密かに感心した。彼の言ったことは正確だからだ。


「そもそも、私にはそんな暇がない。定例の礼拝のために神殿を清めねばならんし、孤児院の小僧どもへの教育もある。地区の清掃活動と、除雪作業も指揮せねばならん」

「ええ……?」

 ベネティムは驚くべきことを聞いた気がした。

 神殿の清掃や孤児院の教育指導などは、信徒がやることだろう。少なくとも司祭までだ。大司祭ともあろう者がやるべきことではない。ましてや自ら雑巾がけとは。


「あの、そういうのは、こちらの神殿の信徒や司祭の方にお願いしては?」

「常駐の信徒は四人ほどいるが、みな外に出ている。炊き出しに教導、難民への支援、いくらでもやることはある」

 たった四人。

 ベネティムはさらに愕然とした。たった四人――大司祭の神殿が、それだけの人員しか抱えていないとは。人望があると噂の大司祭なのだから、もっと多くの人間を従えていると思っていた。


「意外そうだな」

 あっさりと、そのベネティムの感想は見抜かれた。軽く鼻を鳴らし、ニコルドは雑巾を絞る。

「私は外への布教を推奨している。地方にこそ、救うべき者たちがいるのだ。信仰とは心の砦。魔王現象の被害に晒される人々にこそ必要だ」


 言いながら、ニコルドは立ち上がり、腰を叩いた。

 思ったよりも背は低い。ベネティムよりも低いだろう。だが、相対してみれば、圧倒してくる気迫のようなものがある。


「私もできれば布教の旅に出たいものだが、孤児院の小僧どもの面倒が終わらん。教育の計画ばかりは、これを任せることのできる者がいない。教材の類も入用でな――」

「そ、そう! そこですよ、大司祭どの」

 かすかな突破口を見つけた気がした。ベネティムは勢いよく口を挟む。

「孤児院の経営状態は伺っています。一般市民からの寄付だけで、あの規模の孤児院を続けることは困難でしょう。このままでは早晩、孤児院を閉鎖するか、縮小するしかないのでは?」

 経営の縮小。

 つまり、救うべき孤児の取捨選択を意味する。それはこのニコルドという男の信条に反するだろうと思えた。

「そこで! ニコルド大司祭どの、あなたが神殿の頂点に立つことで体質を一新し、改革とともにその理想を――」


「人々の善意で成り立つ孤児院ならば、それが途絶え、不足したときに閉鎖するのが自然なことだ」

 ニコルドの回答は、取り付く島も感じさせないものだった。

 そういう鋼のような響きがあった。


「私も神殿の改革を考えなくもなかったが、そのために己の信念を曲げるのは本末転倒だ。いいか。どんなときでも、常に妥協してはならない。わずかな妥協は、さらに大きな妥協を生む。自ら権力を求めるということが、私にとってはわずかな妥協なのだ」

「ですが、それでは子供たちが」

「そうなれば、私も屋外で彼らと同じ生活をしよう。本来、祈りには神殿なども不要なのだ。教えを広めるために、わかりやすい目印というだけでな」

 ベネティムにはまるで理解できない考え方だった。

 それと同時に悟ったこともある。この人物を説得するのは、何か予想外の奇跡が起きない限り不可能だと。


「――それでは、もしも」

 最後にベネティムは確認することにした。

「もしも、神聖投票があなたを主席大司祭に選んだとしたら? 辞退されますか?」

「辞退はしない。権力を求めず選ばれたというのならば、それは信仰が私を選んだということだからだ。だが、その可能性はないだろう」

 ニコルドは薄く笑って、そこではじめてベネティムをはっきりと振り返った。

「あの権力闘争に明け暮れる大司祭どもが、私を選ぶはずがない。やつらは――、む?」


 ニコルドが目を細めるのがわかった。

 ベネティムではない。――タツヤを見ている。ベネティムは思わず振り返ったが、何も変わらない。

 ただ、無表情な――まるで何も考えていないような、ぼんやりとした顔で虚空を見ている。もしかするとニコルドすら見えていないのかもしれない、と思わせる目つきだ。

「あ、あの。タツヤが何か?」

「いや」


 ニコルドはタツヤから目を逸らし、祭壇を振り返る。

 その背後の壁には唯一、この神殿で信仰を示すものらしい象徴が存在していた。一幅の絵だ。女神と、それに付き従う従者たちを描いたであろう絵画。

 地味な色合いだが、筆致は繊細で、この神殿には似つかわしいように見える。


「あの、大司祭?」

「なんでもない。――速やかに帰るがいい、詐欺師。お前の言葉に貸す耳はない」


 この調子では、どうしようもない。

 予想通りに打つ手がなくなってしまった――ベネティムはため息をつき、タツヤの肩を叩いた。

 もはやさっそく最後の手段を使うしかない。

 すなわち、買収。

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