休暇行動管理簿:ジェイスの憂鬱な禁猟 3

 地上での戦にも、心得がないわけでもない。

 個人的な戦闘技術の話であれば、三人がかり、四人がかりでも突破する自信はある。

 槍を使った戦闘技術は鍛えてきた。あちこちの槍試合でずいぶんと賞金を稼いだものだ。


 だが、さすがに敵の人数が多すぎた。

 ここには護衛するべき相手もいる。

 集団を指揮しての戦闘となると、ジェイスは閉口するしかなかった。

 少なくとも自分の戦い方をするなら、周囲の人間には命令に従ってもらう必要がある。その点、ジェイスは懲罰勇者であり、この場には一応の指揮官がいる。


 ジャンタレイ・マスティボルトを迎える一団の、責任者という立場の男だ。

 たしか、ランドールとかいったか。

 背の高い、顔に傷のある男――たぶん壮年――ジェイスの人間識別能力では、そのくらいしかわからない。相手の経歴もいくらか聞かされたと思うが、少しも頭に入っていない。

『夏の家』に常駐する有力な氏族の一人、という程度だ。


「固まれ! 雪濠に伏せろ!」

 と、ランドールは言った。

 この雪の草原で野営をするからには、風を防ぐために雪を掘り、その雪で壁を作る。

 そこに一時退避するというのは、なるほど、四方から狙いをつけてくる射撃の弓から身を隠すためには良い方法に思えた。ただし――


「ンなことやってる間に、囲まれちまうだろうが」

 ジェイスはランドールに遠慮なく意見した。

 その間に、飛来する矢をひとつ、短槍で叩き落としている。

 この芸当をやってみせるには、人間が持ち得る動体視力というものを一段階超えた反応速度が必要になる。

 予測して、動き、弾く。それができなければならない。


「包囲を突き抜けた方がいい」

 ランドールはやや不愉快そうな顔をしたが、ジェイスは構わなかった。

「相手は間違いなく俺たちを狙ってるんだ、雪濠攻めの備えがあるに決まってる」

「懲罰勇者め。空では英雄だそうだが、態度が大きくなるものだな。私はこの一団の責任者で、指揮権限がある」

「知るか。死にたくなきゃ突破しかない。援軍が来る当てがあるのか?」


 ランドールの答えはなかった。

 ジェイスはそうしている間にも、また一つ矢を叩き墜とす――危うく、ジャンタレイ・マスティボルトに当たりそうになった。


 この南方夜鬼の男ときたら、どうも顔つきがぼんやりしている。

 いち早く雪面に身を伏せたが、俊敏な動きと言ったらそれきりで、まるで身を守るための武芸の心得はないらしい。

 やはり、ザイロやフレンシィのような種類の人間とは違うようだ。


「あなたたちに委ねる」

 と、ジャンタレイははっきりとそう言った。

「私はこういう荒事には疎く、周辺の地理にも明るくない。パーチラクトの人々に従うのが最適だろうと思う」

 それでいい、とジェイスは思った。

 半端に指揮権を発揮されるよりも、そうして丸投げしてもらった方がずっと楽だ。だから、ジェイスはランドールを睨みつけた。


「おい、聞け。雪濠で籠城してる場合じゃねえ。突っ切って抜けるぞ」

「……東へ」

 ランドールは呻くように言った。

「『夏の家』への最短距離を行く! マスティボルトの領主どのをお守りしろ!」

 不愉快そうではあったが、意見は通った。

 行動に方向性を与えられ、全員が一斉に動き出す。


 弓矢によって、すでに五人ほどが射抜かれ、倒れていた。

(馬を守ろうとしたな。そのせいで矢を受けた)

 そのことだけはわかった。パーチラクトの遊牧民なら、それが当然のことだ。馬は時として、働き手の人間の命よりも重要な財産だからだ。

 だったら、その遺志くらいは汲んでやってもいい。

(――仕方ねえな)

 ジェイスはため息をつきながら、馬に飛び乗る。栗毛の馬だ。


「危ないよ。危ない」

 と、ジェイスの耳には、その馬の声が聞こえた。

 竜や人間ほど明確ではないが、ジェイスには、解釈できる範囲ですべての生き物の声が聞こえる。そういう聖痕がある。

「わかってる」

 と、ジェイスがその首を軽く叩くと、栗毛の馬は軽く足踏みをした。困惑している感情が、たどたどしい言葉として伝わって来る。

「わかる。敵がいる。逃げる? どっち?」


「どいつもこいつも、落ち着け。言う通りにすれば、できる限り守ってやる――いいな! 全速力で走れ! 遅れるなよ!」

 ジェイスが叫ぶ。

 人間に対して言ったわけではない。馬たちだ。人間の都合に付き合わされた生き物たち。その言葉は、周囲の馬にも伝わった。

 それでもう少しだけ馬を冷静にさせる効果はある。


「よく言ったな。ジェイス、お前は最後尾だ」

 ランドールが弓矢を射返しながら言った。なかなか見事な騎射の技だった。

「懲罰勇者は不死身なのだろう」

 確かに。

 ジェイスは馬の鞍に括りつけていた木盾を掴んで苦笑する。皮肉な笑いに映ったかもしれない。


「いいぜ、別に」

 という答えすら、相手は聞いていなかった。

 すでに、全員が走り出していた。ジェイスもそれを追う。

 矢と、怒声が追って来る。それに正面――包囲の人数が阻もうとする。獣の毛皮を着ている一団。そういう服装は、東方の民に見える。

 兜やら被り物やらのせいで顔はわからない。

 出身地を偽っている、という可能性が最も高そうだった。草原の民でもなければ、こうも見事に自分たちを捕捉できまい。


(だが、思ったほど多くはない)

 そのことに、ジェイスはかすかに違和感を覚えた。

 これだけの人数で阻めると思っていたのか。戦陣を切って駆けるランドールと、マスティボルトの兵たちが、一気にその防衛線を突破する。

 さすがに南方夜鬼も、なかなかの腕前だ。脱落は、すでに矢傷を負っていたであろう一騎のみ。

 あまりにも簡単すぎる。


 ジェイスがそう思った次の瞬間、先駆けていた何騎かの兵士が吹き飛んだ。

 雪面が爆ぜた――ように見える。

 何人かが投げ出される。ランドールの馬も棹立ちになった。ぴったりとその後ろについていたジャンタレイ・マスティボルトは、馬を制御しきれずに倒れ込んだ。

 誰かの悲鳴と怒号。口笛と歓声。そっちは襲撃者たちのものか。

(罠だったな)

 よく考えなくてもそれはわかる。聖印による地雷の一種かもしれない。詳しいことは、あとでノルガユにでも聞けばいい。とにかくいまは、事態を切り抜けるのが先だ。

 ジェイスは、回り込もうとしてきた襲撃者の一人を槍で突き倒しながら駆け寄る。

 ジャンタレイ・マスティボルト。


「おい」

 馬から飛び降り、ジャンタレイを抱え上げる。

 思った以上に軽い。貧弱な体つきをしている。こいつに死なれたら――と、ジェイスは想像した。あのザイロは、どんな顔をするだろうか。

(それは面倒だな)

 きっとひどい顔をするに決まっている。ただでさえいつもひどい顔をしている男なのに、それ以上の有り様を目にするのは、断固として拒否したい。


 だが、幸いにもジャンタレイに負傷らしい負傷はなかった。

 相変わらず茫洋とした顔で、ジェイスを見上げて口を開く。泣き言でも言うかと思ったが、その口からは出たのは予想外の言葉だった。

「ツツネズミの巣がある」


「何を言ってやがる。いまそれどころじゃねえんだ」

「失礼。説明する」

 ジャンタレイのその平静すぎる態度に、ジェイスは気づいたことがあった。

 この奇妙な男は、その断片的な言葉だけで相手が理解すると思っている。

 あるいは、理解できないと決めつけて余計な説明を加えることを、相手に対する侮辱行為だと考えている節がある。


(面倒なやつだな)

 ジェイスは呆れた。

 それはこの男なりの誠意というやつかもしれない。だが、他人にとっては――特に切羽詰まった状況では、迷惑以外の何物でもなかった。


「ツツネズミは危険に敏感な生き物だ。地表の異変を感じ取る能力に長ける。彼らは冬季には地中に巣を作って眠る――特徴的な筒型の巣だ。それがいま、雪面に露出している。つまり、逃げ出したのだ」

 ジャンタレイの指が足元を辿った。

 ツツネズミの巣とおぼしき穴が、東へと続いている。


「よって、こちらに向かえば危険があるということだ。逃げるならば、別の方角がいいかもしれない。私は軍事には疎いため、的外れなことを言っていたら申し訳ない」

「いや」

 ジェイスはジャンタレイの腕を掴み、強引に自分の栗毛の馬に乗せた。

「次からそういうことは先に説明しろ」

「よく言われる」

「だろうな」

 やはりザイロの養父なのだと、ジェイスは思わざるを得なかった。

 あいつはいつも、表に出す言葉や態度がいま一つ――いや。二つも三つも足りていない。


「ランドール! 北だ! 迂回しろ! ――いや」

 ジェイスは大声で叫んだ。

 だんだん、面倒になってくる。もういい。人間なんてどうでもいいが、その阿呆さ加減の巻き添えになる馬は見ていられない。

 だから、そっちに呼びかけたつもりだ。

「全員、死にたくないやつはついてこい!」


 ジャンタレイを背に乗せ、ジェイスは栗毛の馬を走らせた。

 北へ。

 ほとんど全員が、ジェイスに続いてきたことがわかった。ランドールは何か文句を叫んでいたが、馬が従わなくては思う方向には進めまい。


 北へ。

 正面に敵がいる。やや慌てた様子。ジェイスはそれに違和感を覚えながら、槍を繰り出す。

 案の定、襲撃者どもは革鎧の下に鎖の装甲を仕込んでいるらしい。

 ジェイスは構わずその隙間を貫く。相手が放った矢を避け、交錯し、首筋へ一撃。即座に引き抜き、次の敵へ。


 マスティボルトの護衛兵たちも、なかなかの技量を持っていた。

 特に、彼らが馬上から投擲しているナイフが特徴的だった――どうやら刀身に聖印を刻んでいるらしく、突き刺さった相手が炎上するのが視界の端に見えた。

 そのまま、一塊になって、北の包囲網を突き抜ける。


「まっすぐだ!」

 東には『夏の家』がある。そちらに足を向けたがる馬を、ジェイスは叱咤しなければならなかった。

 いまは、一本の槍のように北へ。

 そちらにしか望みがないのは、もうわかった。北へと向かって足元を走る、小さな生き物の影を見て、その声を聞いたからだ。


「危ない」

 と、その小さな生き物――ツツネズミたちは言っていた。

 ジェイスといえども彼らが互いに交わしあう鳴き声の、すべてを理解できるわけではない。が、断片的でもわかることは確かにある。

「逃げて。こっち。逃げて」

 と、繰り返している。

 ジェイスの耳にはそれが聞こえた。


(ただ、問題が残り一つ――)

 東には罠を張られていた。なぜか。

 ジェイスはその答えを、すでに理解していた。

 隣をランドールが並走してくる。


「ジェイス! 余計なことを。お前は司令官ではない」

「黙ってろ」

 吐き捨て、ジェイスは槍を動かした。

 ランドールが突き込んできた一撃を弾くためだ。ジェイスを叱責しながら動いた彼の槍は、確かにジャンタレイを狙っていた。

 それも、脇の下の急所を。


「遅いんだよ。狙いも甘い」

 ジェイスはそのままランドールの槍を跳ね上げ、瞬時に腹部を貫いた。

 彼の体が揺れるのがわかった。

 その顔が、苦痛に歪む。あるいは後悔かもしれない。どちらにしても、ジェイスに興味はなかった。


「くそ」

 歪めた表情のまま、ランドールは少し笑ったように見えた。

「さすがに、わかるか?」

「当たり前だろうが」

 ランドールの指示はすべて誤った方向に導くためのものだった。野営地点も、責任者であるランドールが決めることだ。

「――それにしても、なぜだ?」


「息子」

 と、ランドールは咳き込んだ。槍を取り落とす。

「これは、お前にはわからんだろう。息子の命……を……、助けてもらうのさ」

「魔王現象に、助けてもらうか? どんな方法で? 方法があったとして、そもそもやつらが約束を守るとでも思っているのか?」

「すでに」

 ランドールの体から、力が失われた。

「証明……されてるんだ……。勝てねえよ、ジェイス。人間は、やつらに、勝てない。お前にはわからんだろうがな」


 くだらない、と、ジェイスは思った。

 だが、調べなければ。

 パーチラクトの『夏の家』に住まう人々の中にも、人類を裏切った者がいる。ランドールがなぜそうすることを決めたのか。それには理由と原因があるはずだ。


 ジェイスは東の夜空を見た。

 そちらから、竜の翼がはばたくのが見えた――それも、十や二十ではない。この原野における竜たちが何翼も、翼をつらねてこちらに向かっているのがわかった。


「タバネどの」

 と、竜の咆哮が聞こえた。

「遅くなり、申し訳ございません!」


 なるほど。

 これはツツネズミたちがなおさら北へと逃げるはずだ。

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