休暇行動管理簿:ジェイスの憂鬱な禁猟 2

 鉄の色の髪をした一団だった。

 その数は、護衛と従者を合わせて二十名ほど。

 彼らを率いる者こそが、パーチラクトの大草原の西方――森を越えた先、海沿いの山々が作る峡谷地帯の領主。

 すなわちジャンタレイ・マスティボルト。


 その人物を目にするのは、ジェイスも初めてのことだ。

 峡谷地帯は地理的にはそう遠くない領土だが、パーチラクトの『焔座』の客としてやってくる例は、過去にあまりない。

 今年は彼ら南方夜鬼の側からの申し出があったということだが、何か理由でもあるのだろうか。

 あるいは、それほど重要な何らかの話し合いをパーチラクトと行うつもりなのか。

 それはジェイスにとってはどちらでもよかった。


 パーチラクトからは、ジェイスを含めた十名ほどの遊牧の民が、彼らを出迎えた。

 ニーリィは連れてきていない。

 他の竜も同じだ。みんな、情報を交換するために忙しくしている。

 つまらない仕事だったが、『夏の家』で他の人間連中から話しかけられるよりはマシだった。

 馬に乗るのは退屈であり、久しぶりのことだったが、基本的な技術としてできないわけではない。


 合流地点までは、早朝に出発してほぼ一日。マスティボルトの者たちは夕暮れに先駆けてやってきた。

 その誰もが、体躯のやや小柄な馬を駆っていた。


「――大きな鹿を見た」

 開口一番、ジャンタレイ・マスティボルトは、真顔でそう言った。

「白タマネギの色の角を持つ、大きなナマリ鹿だった」

 感情らしい感情が読み取れない顔つきと、声の響きだった。

 ジェイスも含め、パーチラクトの人々が黙っていると、ジャンタレイはわずかに首を傾げ、それからやはり無表情のままうなずいた。


「――失礼。詳しく説明する。我々はヴォットリノ森林を抜けてきたが、その途中でナマリ鹿を見た。体毛が濃い灰色で、蹄のかたちに特徴がある。白タマネギのような純白の角は、この種類の鹿がその分だけ栄養を蓄えているということを意味する。普通はもう少し黄色く濁る」

 決して流暢とはいえない、朴訥とした喋り方だったが、その言葉はまるで滞ることがなかった。

 ジェイスたちがその意味を理解しかねるほど滑らかに。

「つまり、今年の冬は厳しくなるということだ。互いの民が困窮しないよう、力を合わせたい」


 そこまで言って、ジャンタレイは黙り込んだ。

 言うべきことはすべて言った、というような顔で、背後の従者たちに手振りで指示する。

「道案内、宜しくお願い申し上げる」

 マスティボルトの主に代わって、その従者たちが深く頭を下げた。

 パーチラクトの側が困惑している間に、ジャンタレイは馬を進め始めている――そうなると慌てて追いかけ、方向を訂正してやるしかなかった。


「お待ちを。ジャンタレイ殿、こちらです。丘を迂回しなければ」

 迎えの一団の長は、ひゅうっと口笛を鳴らして注意を引いた。

 ジャンタレイは沈黙のまま無表情でうなずき、それに続く。


(なんだろうな、この人間は)

 ジェイスの眼から見て、ジャンタレイは想像以上に貧相な男だった。

 骨格はひょろりとしていて、分厚い防寒着に埋もれて見える。その顔は無表情を通り越して不愛想というべきだろう。

 この男が、マスティボルト家の当主として、峡谷の夜鬼たちをまとめている。


(妙な男だ)

 と思いながら、こういう顔つきの人間を、ジェイスはどこかで見たような気がした。

 が、具体的に誰かというのは出てこない。


 妙な男であることだけが確かだ――パーチラクトの者たちが、やけにふらふらと馬を歩ませるジャンタレイを見て、目配せを交わした。

 ジェイスにも何か訴えるような視線をよこしたが、無言で肩をすくめるだけにした。

 人間の相手は、ただでさえうまくできる気がしない。変人の相手などなおさら不可能に思える。

 結局、自分は黙っていた方がよさそうだ。


「ジャンタレイ殿、いま少し我らの後に続いていただくようお願いします。雪によって地形が変わるため、見通しがよく見えても、迷うことがあります」

「……いま、竜の翼が見えた気がした」

 注意を促されたジャンタレイの眼は、北の空を見ていた。

「パーチラクトの竜は、年の暮れに『夏の家』に集うと聞く。あれは事実か?」

「ええ。この時期になると、みんな示し合わせたように『夏の家』に集うのです。恐らく、竜たちにとって気温が高く過ごしやすいのではないかと」


 ジェイスは何も言わない。

 面倒だったし、その真相は、おおよそ理解を期待できるものではないからだ。

 ともあれ、ジャンタレイはわずかな顎の上下でうなずいた。

「竜の集いだな。それを楽しみにしていた。特に……女王と呼ばれる、青い竜がいると聞く。叶うならば、ぜひ謁見したい」


 その言葉で、パーチラクトの民の目がいっせいにジェイスに向いた。

「……ジェイス。それって、お姫様のことだろう?」

「外でも有名なのか?」

 兵士ではない遊牧の民は、草原の外の情報を知る機会はほぼない。彼らの生活はそれどころではないからだ。入って来る情報と言えば、東方の戦線くらいのものだ。

 ジェイスは面倒だったが、何らかの返答を期待されている――答えなければならないだろう。


「……それは、ニーリィだな。竜たちの姫であり、女王だ」

「そうだ」

 ジャンタレイは急にジェイスを振り返った。

「そのような名前だと聞いている。『女王の乗り手』の話も耳にした。竜騎士たちの中でも卓抜した技量だそうだ。パーチラクトの人よ、あなたは知っているか?」


 そんな風に言われては、ジェイスもうなずかざるを得ない。

 嘘をついたり、隠したりするのは面倒だった。もともとそういう性分にできている。

「ああ。よく知ってる。なにしろ、そいつは俺のことだ」

「――そうか。驚いた」

 ジャンタレイはそう言ったが、本当に驚いているのだろうか。その無表情からはまるで読み取れない。


「では、あなたがジェイス・パーチラクトか」

「俺の名前まで知ってるのか」

「知っている。……義理の息子……いや。難しいな。私の被後見人が、折に触れて手紙を送ってくる。その中に、しばしばあなたの名前がある」


「それは、誰のことだ?」

 悪い予感がした。

 ジェイスは眉をひそめたが、ジャンタレイは事も無げにうなずいた。

「ザイロ・フォルバーツという」


        ◆


 パーチラクトの料理は、そう複雑なものではない。

 賓客を歓迎する時も同じだ。


 水を張った鍋に羊の肉を、骨ごと入れる。

 あとは岩塩。

 それから西方産のリーキと生姜、蕪、タマネギ。これはジェイスが独自に試してきたものだ。野菜の味が肉にも染みる。

 柔らかく茹であがったら、これをナイフで削りながら食べる。

 ついでにチーズをつまんでもいい。


 ザイロや中央の連中は、やたらと肉を焼いたり炒めたりしたがる。

 それでは肉汁の旨味がこぼれてしまうだろう、とジェイスは常々思っていた。

 そのために油やバターを使うのは本末転倒ではないか――決してザイロの料理が不味いわけではないが、好みというものはある。


 久しぶりに自分の嗜好だけで作った料理を口にしながら、ジェイスはおおむね満足だった。

 こういう野営は悪くない。

 日が暮れて、吹きさらしの草原は静まり返る。今夜は雪も降っていない。この野営地点は慎重に選ばれていた。どの遊牧の集落からも遠く、商人たちが使う経路から外れている。

 草原には賊徒もいるが、だいたいは集落や商人を狙って襲う。

 その手の連中と鉢合わせる危険はほぼない。


 あとは気を遣うべき相手がいなければ、もっと良かった。


「――では、ジェイス・パーチラクト。あなたはザイロと同じ部隊にいるのか」

 ジャンタレイ・マスティボルトは、隙を見てはジェイスに話しかけてきた。

「あなたたちの部隊は聖騎士団とともに進撃し、第二王都を奪還したと聞くが」

 訥々とした口調で、どこまでも感情の見えない顔で。

 なんとなく黙殺することができないような雰囲気があった。ひょろりとした頼りない見た目だが、そういう存在感のようなものがある。


 だから、やむをえずジェイスは応じた。

「俺はニーリィと空を飛んでたからな」

 茹で上がり、柔らかくなった肉をナイフで削ぐ。

「地上がどうだったかはよく知らん。激戦だったそうだが、まあ、うまくやったんだろう。ザイロ・フォルバーツは、人間にしてはかなり腕が立つ」

「そうか」


 ジャンタレイはチーズの欠片を摘まんで、肉と一緒に口の中に入れた。

 そうやって食べるものだと思っているらしい。

「……私の娘も、第二王都の攻防に参加した。知っているだろうか?」

「フレンシィ・マスティボルトか」

 ジェイスはその女の、無表情な顔を思い出す。

「あの私兵は、あんたが集めて指図してたのか?」


「まさか。私に軍事のことはわからない。娘にはそうした素質があるようだが。私兵を集めて出撃したと聞いたときは、私も驚いた」

「じゃあ、……苦労しているみたいだな」

「そうでもない」

 ジャンタレイは、はっきりと首を振った。

「私としても、ザイロ・フォルバーツにはできるだけのことはしてやりたい。彼には借りがある」


「逆だろう。ザイロは、あんたのことを尊敬していた。魔王現象に襲われて、家族をなくしたあいつを拾ったんだってな――他人を尊敬するなんて、あの男にしては珍しい」

「あれは、私にも利益がある行為だった。フォルバーツ家の領地を併合し、南方峡谷の管理下に置くことができた」

 実際、そのようなことは少なくない。

 領主不在となった領土は、そこに出兵して追い返した貴族が実効支配することになる。ここ二十年ほどで、急速にそれが進んだ地域もあった。


「ザイロにはその借りがある。できるだけのことはしてやりたい、が――娘が望んでいる、婚約の履行はどうだろうな。可能なものだろうか」

「それこそ、俺の知らないことだ」

 ジェイスは簡潔に言い切った。


「ただ、俺は人間の法律なんてどうでもいいが、懲罰勇者に結婚なんて制度はないんだろう」

 そもそも法律上は人間ですらない。そのような仕組み自体が存在しないのだ。

「無茶な話に思えるな」

「私も同感だ。しかし、娘は……なんというか……感情が重い。いや、意志が強い。法律がどうだろうと、決して方針を変えることはないと断言できる。……だから」


 ジャンタレイは、真正面からジェイスを見る。

 苦手な目だ、とジェイスは思う。居心地が悪くなるようなところがある。

「懲罰勇者に、恩赦がくだることはあるだろうか? 法ではこのように記されている。懲罰勇者は、魔王現象の根絶をもって恩赦を与え解放する。……できるだろうか? あなたとニーリィがいれば、あるいは」

「そいつは」


 ジェイスは返答に窮した。

 できる、と即答できなかった。そんな自信はない。

 だが、できないとも言えない。ニーリィが言っていた。ジェイス・パーチラクトこそは、もっと大きな世界を守れる男だ。

 そう胸を張って断言できなければ、ニーリィに乗る価値はない。


 そのために、ジェイスは腹に力を込めた。

 はっきりと断言しようとする。できる、と言いたかった。

 数秒の沈黙――そこで、不意に気づいた。違和感がある。耳を澄ます――何かが風にはためく音。それから、鋭い飛翔音。


「あっ」

 という、間の抜けた声。

 歩哨として傍らに立っていた、マスティボルトの兵が一人、その場に崩れ落ちた。

 ジェイスははっきりと見ていた。その胸に、矢が突き刺さった。


 そう具体的に認識するよりもはやく、ジェイスはジャンタレイの肩を掴んだ。引っ張って、引き倒す――天幕の影に隠れる形になる。


 矢が、次から次へと飛んでくるのがわかった。

 マスティボルトの護衛がまた一人、脇腹と足に矢を食らって倒れていた。


「火を消せ!」

 ジェイスは鋭く叫び、自分も雪を蹴とばして焚火を消した。

 いい的になってしまう。


「襲撃だな。賊か」

「他のなんだと思うんだ?」

 この状況でもどこか茫洋としたジャンタレイに、ジェイスは皮肉めかして答えた。

 目を凝らせば闇の中に襲撃者たちの姿がある。

 十、二十、もっと多いだろう。囲まれている。移動経路が読まれていた――あるいは知られていた。

 それは大きな問題だ。

 そしてジェイスにとっては、もう一つ。


(ニーリィなしで、ここを切り抜ける必要がある)

 それも、この賓客を守りながら。

 他人を守りながらの戦いなど、やったことがない。そもそも考えたことすらない。


(あの気に入らねえザイロの父親代わりか。正直、面倒くさいけどな)

 ジェイスは白いため息をついた。

 凍えるほどに寒い。闇の向こうから、火矢まで飛んできた。天幕が燃える。


「敵だ!」

「囲まれてる、多いぞ!」

 わかりきった叫び。

 マスティボルトの兵と、パーチラクトの民が応戦の矢を放つ――が、その倍以上の矢が返って来る。


(シグリア・パーチラクト。厄介ごとを押し付けたな)

 あるいは、不運か。

 あの眠そうな女の顔を思い出す。

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