休暇行動管理簿:ノルガユ・センリッジの高貴なる休日 3

 やはり任務の遂行は、その端緒から暗礁に乗り上げた。

「……なんだと……?」

 パトーシェ・キヴィアは小ぶりな鍋の中を覗き込み、うめき声をあげた。

 作っていたのは、麦と芋の粥だった。

 これに少量の野菜の切れ端を加える。

 見た目は悪くはない。だが、その味は――濃すぎるうえに、妙に油っぽい。味見をしなければ良かったと思ったくらいだ。


 少なくとも、本来の炊き出し用の大鍋でやらなかったのは正解だった。

 パトーシェは公園の中央に備えられた、たくさんの鍋と調理器具を見つめて思う。

 あやうく大量の配給物資を台無しにしてしまうところだった。……いや、本当に台無しだろうか?


(こうして、なんども口に運んでいれば)

 パトーシェはさらにもう一匙、自作した麦粥を口に運ぶ。

(食べられなくもない味のような気がしてくる)

 咀嚼する。妙に油っぽく、塩気が強すぎ、焦げ付いている部分もあるが、徐々に慣れることはできそうだ。


「……うむ」

 だが、その傍らで麦粥を啜ったノルガユの意見は、まるで異なっていた。

 木匙で粥をすすると、真顔でうなずく。

「とりあえずこの粥を大衆に振る舞うのはやめておくがよい。責任を持って、勇者部隊で消費せよ」


「な、なぜそうなる」

 パトーシェはノルガユを睨んだ。

「こうしてみると、食べられない味でもないだろう。若干の失敗はあったが、次はもっとうまく調理できるはずで――いや、大鍋に挑む前に、もう一度くらい小鍋で試行を……」


「パトーシェ・キヴィア。貴様のその忍耐力は称賛に値する。が、その忍耐力こそが貴様の料理の進歩を阻害しているのだ」

 ノルガユは聖印調理器の熱を落とし、パトーシェから小鍋を隠すように蓋をした。

「味見で己の忍耐力の限界に挑むべきではない」


「こ、この程度は忍耐のうちにも入らん……心配は無用だ。十分に味もするし……」

「そもそも貴様の心配などはしていない。味は十分すぎて過剰である。その点を理解するべく、一つずつ検証していくが――」

 こういうときのノルガユは、まるで教師のような物言いをする。

 木匙を指揮棒のようにして、鍋を差す。


「まず、この妙な油っぽさの原因はなんとしたことだ? 油でも入れたのか?」

「入れた。鍋と具材が癒着しないようにするためだ。また栄養効率も高くなるとザイロが言っていた」

「粥のような煮込む料理にその必要はない。量も多すぎる。――次にこの異様な味の濃さだ。塩の分量は正確であったか?」

「当然、正確だった。小匙を使って――」

「それは大匙である」


 ノルガユの冷徹な指摘に、パトーシェは腹を立てようとした。

 が、彼女の性格的に不可能だった。

 代わりに、自分でもよくわからない言い訳が口から出てきた。


「……こ、この程度の大きさは、……そう。軍用スコップの規格を知っているか? 小型尖形スコップと呼ばれるものは、直径が三十標準カングと定められており――」

「軍用スコップの規模感を料理に持ち込んだことが、貴様の戦略的敗北である。また、わからない場合は他者に聞くべきであった」

 パトーシェは何も答えないことにした。

 というよりも、答えるべき内容を持っていない。


「なお、過剰な加熱による焦げ付きは、調理手順の記載不備によるものだ。貴様の責任ではないため、これについては不問とする。保温中の熱操作について、聖印調理器に慣れていない者にも伝えるべきだが、その部分が抜けているな」

 ノルガユはそう締めくくり、『炊き出し調理手順概要書』と書かれた薄い冊子を閉じた。


「――以上。とりあえず貴様は調理器具の名称を習得し、その忍耐力を味見の際に発揮することをやめねばなるまい」

「で、では、もう一度……」

「やめておくべきだ。時間がない。それより貴様の場合は、刃物の扱いに長けている。芋の皮剥きに専念するべきであろう」


 ノルガユの物言いで最も屈辱的なのは、それが適切だと思えるからだ。

 調理用の小型の刃物の扱いについては、懲罰勇者部隊に入ってから少しは上達した。

 無用に芋をやせ細らせてしまうことはない。こういうのは、ザイロ・フォルバーツがやけに器用だった。

 あの男の戦い方から考えると、それも当然かもしれない。


「やむを得まい。調理は余が手ずから担当しよう」

 ノルガユは大きくうなずいて、その頭を白い布で覆った。

 これにはパトーシェも驚いた。

「できるのか?」

「適切な調理器具と手順があれば、できないことはない。もともと、あれらの民は余の庇護を頼ってこの第一王都までやってきたのだ」


 ノルガユはざくざくと雪を踏みしめ、歩き出す。

「その期待に応えるのが余の役目。このようなことは特別に、一度だけだ――しかし王が自らその態度を示すことで、彼らの心も安んじるであろう」

 懲罰勇者部隊に割り当てられた大鍋と調理場は、公園のほんの片隅であり、天幕からも少しはみ出す有り様だ。

 しかし、ノルガユは迷いなく大鍋と食材を手に取った。


「そうか……」

 パトーシェは、その視線を公園の外へ向けた。

 長蛇の列ができている。その顔はいずれも疲弊しており、かつ栄養状態にも不安が見られるものだった。

 魔王現象が猛威を振るう地方から逃れてきた者は、多い。

 特にトゥジン・トゥーガ丘陵周辺は、壊滅的な損害を受けた村も多かった。


「しかしこれでは、兵の募集などできそうにないな」

「問題ない。余が堂々たる声で呼びかければ、必ずや志願者は集まるであろう。パトーシェ、貴様も弱音を吐く前に芋の皮を剥け」

「ううむ……」

 存外に手際よく作り始めたノルガユを横目に、パトーシェも包丁を手に取る。


 この民の中から、何人が話を聞いてくれるだろうか。

 募兵要綱のチラシは印刷してきたが、まるで自信はない。

(必要な数は、五百か)

 とても無理だろうと思わざるを得ない。


 一応、多少の当てがないわけではない。

 まずはかつての第十三聖騎士団。ゾフレクやシエナといった兵長級はもとより、兵士の中でもすでに声をあげている者はいる。

 ゾフレクに言わせれば、この前の第二王都奪還で負傷した兵を除いても、百は集まる――そうだ。


 それから、このことを考えるとわけもなく不愉快になるが、フレンシィ・マスティボルト。

 ザイロ・フォルバーツの婚約者を名乗る、態度も口も悪い不審な女だ。

 彼女らは、確実に二百の私兵をもって志願すると公言している。

 どこからこの懲罰勇者との連携部隊という計画を耳にしたのか知らないが、とにかくそう主張して憚らない。もしかしてこの計画は、すでに世間では有名な噂になっているのではないだろうか。

 誰かが情報を意図的に流しているとしか思えないくらい、関係者がみんな知っている。


(やつらを計算に入れたとしても、合計は三百)

 さらに二百を民間の志願者から集めるのは、どう考えても難度が高すぎる。

 もしかすると、失敗することを前提に考えられた計画なのかもしれない。


(……とはいえ)

 考えても仕方のないことだ。

 パトーシェには全力を尽くして挑むしかない。


「さあ、グズグズしている暇はない。パトーシェ・キヴィア! 貴様は芋を剥き終わり次第、民を労わる声をかけ、余が精兵を必要としていることを伝えにいくのだ!」

 ノルガユが一人、気力に満ちた声をあげた――パトーシェはため息をつき、芋を剥く手に集中しはじめる。

 なんとなく、この先に起きることが見えた気がする。


        ◆


「――どういうことだ!」

 ノルガユは憤慨していた。

 大声でわめき、手近な炊き出し担当の職員を捕まえて不満をぶちまけている。

「一人も兵が集まらんではないか! こんな嘆かわしいことがあろうか!?」


 それはそうだろう、というのがパトーシェの見解だった。

 そもそも集まる見込みがまるでなかった。

 結果として、炊き出しの麦粥はうまくできた――ノルガユの器用な手先と構想力が効果を発揮していた。懲罰勇者の大鍋はそれなりに難民たちにも人気があった。


 だが、それだけだ。

 募兵要綱を配り、勧誘を試みたものの、ことごとくが失敗に終わった。

 そもそもノルガユは高圧的な態度に過ぎたし、パトーシェも――認めたくはないが――愛想よく人を勧誘するなどといった経験がそもそもない。

 サベッテならもう少しうまくやっただろうか。


 自分もノルガユのように不満をぶちまけたくなるほど、人は集まらなかった。

 募兵任務の収穫は、実質的に皆無であった。

 列を成していた難民はすでに散っていた。残っているのは炊き出し職員たちと、それからもともとこの公園に棲んでいたであろう者たちだけだ。

 彼らは遠巻きにこちらを窺っている。

 炊き出しにまだ残りでもあれば、それを受取るつもりなのかもしれない。


「実に嘆かわしいぞ! これは愛国心の衰えか――許せん! 貴様ら、いますぐ集会の準備をせよ! 余が王城にて直々に呼びかける!」

「は、はあ……あの、なんです? 集会?」

 肩を掴まれた炊き出し職員は、明らかに混乱していた。

 これは助け舟を出さざるを得まい。パトーシェはもう一度ため息をついた。肩を掴んで強く引き離す――炊き出し職員は驚いたような顔をした。


「落ち着け、ノルガユ。……私の個人的な意見だが、貴様の勧誘方法に問題があったように思う。あまりにも高圧的な態度だった気がする」

「なんだと!? 無礼なことを……! そもそも貴様に言われたくはない! 威圧するように睨みつけては、集まるものも集まらぬわ!」

「何を言う、私は威圧してなどいない。しっかりと誠実に対応をしていただけだ」

「子供が怯えていたではないか! あれこそは人食い獅子猿の目であった」

「きっ、貴様、なぜ私の学生時代の異名を――」


 パトーシェが驚愕した、そのときだった。

「……あのう」

 と、横合いから声が聞こえた。

 ひどく怯えた声だった――パトーシェとノルガユは揃って振り返る。

 その形相が、よほど恐ろしかったらしい。


「ひぇっ」

 と、後ずさりまでされた。

 何十人というほどの集団だった。いずれもどこか薄汚れて見えたが、健康状態はさほど悪くはなさそうだ。先ほどまで並んでいた難民たちとは、どこか違う。

「あの、すみません!」

 彼らのうち、代表らしき男が真っ先に頭を下げた。

「おれら別に、文句つけようとしたわけじゃ……なくて……」

「別に怒っていない」

 パトーシェは心からそう言った。

「何か用か?」


「いや、用、と言いますが――あなた方、懲罰勇者の方でしたよね? ええと、そう! そこの人!」

 いきなりノルガユを指差し、男は興奮気味に声をあげた。

「あの、鉱山! ゼワン=ガンの鉱山で、ほら……俺らを助けてくれたじゃないですか! あの死ぬほど目つきの悪い兄さんと!」


 ゼワン=ガン鉱山。

 パトーシェは、もちろん覚えている。あの鉱山――鉱夫たちを救出するために、単独で懲罰勇者部隊が無茶なことをやった。

 ザイロとノルガユ。

 それに自分たちも巻き込まれたが、結局、何人かは助かった。

 すると、この連中は――


「結局、あの鉱山は閉鎖されちまって、稼ぎ場所もなくなったもんで……仲間も誘って、兵隊にでもなるかって出てきたんですよ! それで、せっかくなら、あんたらのところで働きたいと思って……その……」

 鉱夫の代表らしき男は、頭をかきむしった。

「あんたら、そう簡単に人を見捨てたりしねえから。……ってことは、おれらが生きて帰れる目も高いってことでしょう」


「うむっ」

 パトーシェが唖然としていると、ノルガユが大きく鼻を鳴らしてうなずいた。

「心掛け、まことに見事である。貴様らのような臣民がいてこそ、余の国は成り立つのだ!」

 堂々と言ってのける。

 パトーシェはめまいがした。


(生きて帰れる目が高いだと?)

 懲罰勇者の支援部隊に何を――と思ったが、意外とそれは当たりかもしれない。

 支援する相手よりも、扱いのいい支援部隊。それは実のところ、懲罰勇者部隊を常に捨て駒として扱うことができるということだ。

 いざとなれば、軍の指揮系統的には、彼らがむしろ懲罰勇者に命令する立場となる。


「見たか、パトーシェ・キヴィアよ」

 急激に機嫌を直したノルガユは、誇らしげに言った。

「これこそ、余の威光が臣民に届いたという証だ。余の判断は間違っていなかった!」

「いや……だが、これではまだ人数が――」


「あのう、ちょっといいっすか? 勇者部隊の皆さんですよね?」

 また、声をかけられた。

 見れば、鉱夫たちではない。その身なり――曲がりなりにも、武装している。棍棒やら槍やらを抱えた十人ほどの集団。

 その中の何人かには、見覚えもあった。


「お前たち、……冒険者か?」

「えっと、はい、まあ。元・冒険者ってやつですかね。……あの、俺、マドリツっていいます。第二王都で抵抗組織やってまして……ザイロ先生にお世話になった」

「え、ええ……?」

 パトーシェはさらに困惑した。

 ザイロを先生と呼び、世話になっていたとまで言う。あの第二王都で何か抵抗組織を使って策動していたというが、そんな一幕があったとは。


「それでまあ、第二王都でも商売あがったり……っつうか居場所なくなったもんで、もう兵隊でもやるかと。そしたら、ヨーフ市の方でも職場なくしたって冒険者連中と合流しましてね」

 へへ、と愛想笑いをして、マドリツは一枚の紙片を掲げた。

 パトーシェが刷り上げた、募兵要綱にほかならない。


「せっかくなんで、みなさんと仕事しましょうかと」

「……ここにいる者だけではないな。合わせて、何人だ?」

「ざっと八十人ちょっとの大所帯になっちまったんですが、仕事、ありますかねえ? 仕事にありつけねえと、もう山賊でもやるしかねえんじゃねえかと……」


「うむ! よろしい!」

 ノルガユはまた、深く満足げにうなずいた。

「心掛け、まことに見事である。余の親衛隊となることを許す!」


 おおっ、と、なぜか歓声があがった。

「さすが陛下だ!」

「気前がいい! これで寝る場所もメシも安心だな」

「オルド爺さんはどこだ? 今日は酒盛りできるって伝えろよ!」


「――見よ、パトーシェ」

 ノルガユは尊大に両手を広げてみせた。

「これが、余の威光である。続々と兵が集まってくるではないか」


 パトーシェはめまいを通り越して、気が遠くなるのを感じた。

 結局、懲罰勇者の支援部隊は、四百名を超える人員を獲得したことになる。

 これに不足した人材は、死刑囚および重罪人から選出されることとなった。のちに聞いた話では、ツァーヴがその選別と教育を担当したらしい。


 ――こんな部隊があってたまるか、と、パトーシェは思った。

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