休暇行動管理簿:ノルガユ・センリッジの高貴なる休日 2
問題は山積していた。
というよりも、達成不可能な要素が多すぎた。
パトーシェ・キヴィアの募兵任務は、ある意味で最初から失敗していたといえる。
ノルガユなどは、
「王たる余が自ら呼びかけ、旗を掲げれば、必ずや勇気ある万民こぞって集うこと間違いなし」
と、楽観主義を超えた台詞を口にしていた。
「よって、この任務の困難性は、いかに兵を選抜するかにかかっている。卓抜した気概と軍事的才能を持つ者を見出さねばならん。それは貴様に任せる、パトーシェ・キヴィア」
ノルガユは金色の髭を撫でながらそう言った。
「王宮では下々の者が遠慮するであろう。まずはしかるべき場所を確保せよ」
「……わかっている」
命令に従うようで釈然としないが、確かにそれは必要だった。
懲罰勇者たちが寝起きしている、軍営の片隅で募兵するわけにもいかない。通常ならば民間人の立ち入りが禁止されているからだ。
懲罰勇者がその許可を取るより、民間施設を期間限定で借用する方がまだ容易だった。
よって、第一王都多目的市民ホール・東タルガーノ地区。
常日頃から解放されている、市民にとって憩いの場の一つである。演劇や演奏、職能ギルドの会合や臨時の市場といった催しに、幅広く使われている。
そこを懲罰勇者部隊による募兵のための拠点として、使用する許可が下りた。
そのはずだった――のだが。
「そんな話は聞いてないね」
鉛のような目つきをした、陸軍の軍服を着た男が応対した。
おそらくは、どこかの有力貴族の後ろ盾を得ている部隊なのだろう。
少しも日に焼けていない、まるでベネティムのように白すぎる肌が、長らく王都近辺の防衛に従事していたことを物語っている。
「この施設は少なくとも十日ぐらい、うちらの部隊が貸し切ることになってるんでね」
「こちらこそ、そのような話は聞いていない」
パトーシェは、可能な限り食い下がった。
それでは命令が通らないからだ。どこで齟齬があったのか突き止める義務があるだろう。
もともと理不尽なことに対しては、その原因をどこまでも追及したくなる性質だ。その部分には自覚もある。
「いったい貴官は、どのような権限を根拠に、この市民ホールを貸し切ると断言できるのか。我々は命令書を受けている」
「どのような権限って……王都直衛軍イーフィズ機動打撃隊。サバレー・イーフィズ閣下の権限だよ」
鉛のような目つきの男は、パトーシェの手にした命令書を一瞥した。
「冬季休戦までを勇敢に戦い抜いた我々と、その戦いを資金面で支えた国士の方々を慰問する目的で、宴を開くことになってる。市内のでかい施設は、だいたい似たようなもんじゃねえかな?」
これには、パトーシェも言葉を失った。
憤りのためだ。
(勇敢に戦い抜いただと。どの口がそんなことを)
王都周辺の防衛を担う部隊の指揮官は、富裕貴族の後ろ盾を持つ者が多い。
そういう連中には『騎兵隊』やら『打撃隊』などという肩書を持つ者もいる。
王都直衛とされる部隊の中で尊敬に値する者は、聖騎士などの一部の精鋭、あるいは兵站部や管理部といった部署ぐらいのものだ――とパトーシェは考えている。
王都の防衛部隊には惰弱な兵が多い。
危険な前線ではなく、第一王都の周辺で安穏とした日々を送る連中。
それも、指揮官の積極的な働きかけによってその立場を得た者たち。
いまだこの国の税制の大部分が、貴族という個人的権限の持ち主たちによって支えられている以上、そのような輩は一定数存在するものだ。
「……だが、こちらには命令書がある」
不快ではあったが、パトーシェはさらに己の責務を主張した。
「宴といっても施設をすべて使うわけではないだろう。現に、商工会ギルドの会合が予定されているではないか。屋外の一部使用だけでも構わない、我々には天幕の用意も――」
「駄目だね。商工会ギルドは十分に金を納めてるから問題ないってだけだ」
鉛のような目の男は、片手で虫を払うような仕草をした。
「それにその命令書は、マトレッキ管理官の承認だろ? 貴族としては、中央ゼフ系伝統派の出身だ。そして中央ゼフ系伝統派貴族でイーフィズ家と血縁関係にない家は存在しない。よって、その命令書に法的拘束力はあっても、現実的な拘束力はない――ってわけだ」
そういうことがある、ということは知っている。
だが、それを軍の内部で公然と持ち出してくる人間がいるとは。あるいはこちらが懲罰勇者であるためかもしれなかった。
「それにさ、お前ら『懲罰勇者』だろ? そんな輩が同じ敷地にいると考えただけでも、高貴な国士の方々の機嫌を損ねるかもしれん。もっとも――」
鉛の目の男は、そうして薄く笑った。
「なかなか見た目は悪くないな。お前が給仕でもするなら、宴の席に参加させてやってもいいよ」
「貴様は」
パトーシェは思わず拳を固めかけた。
が、その前に大声で怒鳴った者がいる。
「――何を言っている、愚か者め!」
ノルガユだった。
いつも通りの厳めしい顔で睨みをきかせていた彼は、いつの間にかパトーシェの前に進み出ていた。
「この余が自ら親衛隊を組織しようというのだ。それでも王都を守護する直衛部隊か? 上意下達は軍の基礎も基礎、これをおろそかにしては戦いなどできんぞ!」
「……なんだよ、お前は」
鉛の目の男は、迷惑そうにノルガユを見た。
「うるせえから消えてくれるか?」
「う、う、う、うるさいだと!」
ノルガユは怒りのあまり言葉を詰まらせた。
「貴様っ、余の顔を知らんのか! 余はノルガユ・ゼフ=ゼイアル・メト・キーオであるぞ! 貴様の上官を連れてこいっ、即刻処罰してくれる!」
「お、落ち着け、ノルガユ……陛下」
やむを得ず、パトーシェは『陛下』をつけてノルガユの名を呼んだ。
怒鳴り散らしたせいで、周囲の目がこちらに向いている。異変を察した兵士たちが近づいてきつつある。
「おそらく何かの命令の行き違いだろう。ここは一度下がって、別の方法を――」
「黙れ、パトーシェ・キヴィア! このような無礼者を許しては国の乱れ、秩序の崩壊に繋がりかねん! いますぐこの者の身柄を拘束せよ!」
「確かにそれはそうではあるが」
「おいおい……本当になんだ? おかしいぞ、この男……」
あまりの剣幕に、鉛の目の男は一歩だけ後退した。
いますぐにでも暴力を振るわれると思ったのかもしれない。そして周囲の兵士たちに助けを呼ぼうとしている――限界だ、とパトーシェは思った。
「失礼」
そうすると決めたパトーシェの動きは迅速だった。
まずはノルガユの顎を肘で一撃――脳を揺らしてよろめかせる。そこからすぐさま首に腕を回して締め上げると、ノルガユが意識を失うまで大して時間はかからない。
体格はいいが、ノルガユ自身の戦闘能力はほぼ皆無といっていいだろう。
パトーシェが見る限り、ベネティムよりはマシというぐらいだ。
よってノルガユの身柄の拘束は、たちまちのうちに完了した。
「えっ」
と、鉛のような目を見開いて、男がさらに一歩後退した。
周囲のざわめきが聞こえてくる。
「……これ以上は無意味なようだ。他を当たる」
それだけ言い残し、パトーシェはノルガユを引きずりながら市民ホールを後にする羽目になった。
ノルガユは引きずっていくしかない。
ひどく目立つだろう、と思った。
◆
正規の手段で獲得した、募兵のための場所が使えないというのなら、パトーシェに思いつく手段は少なかった。
(残るは公園か、道端か)
どちらもあまり期待できない選択肢に思えた。
この寒空の下、ただでさえ人が集まりにくい条件の場所で、募兵しなければならないのか。
そもそも懲罰勇者と連携する実験的支援部隊という時点で、相当な物好きを探さなければならないというのに。
チラシを作って地道に配って歩く方がマシだろうか。
それにしても印刷機や塗料、用紙の調達が必要になる。
(……そこまでやって、どこまで効果があるか)
それはパトーシェ自身にもわからない。
むしろ疑念の方が大きい。
本当なら、私兵の提供を依頼できそうな貴族や商人、そうした伝手を訪ねるべきだとは思うが、そんなものはない。少なくともパトーシェには無理だ。
家を捨て、唯一の親族だった伯父も殺したからだ。
(そもそもなぜ、こんな任務を私に――)
と、ベネティムの怯えた顔を思い浮かべるが、よくよく考えると確かに自分とノルガユぐらいにしかできない仕事ではある。
ベネティムならば人を集められるかもしれないが、兵士の選抜などできない。
ドッタやツァーヴには向いていないし、ライノーは論外だ。
タツヤは――あの男はいったい何者なのだろうと思うときがある。自分から喋ることはほぼない。質問をすると意味不明なうめき声を返す程度だ。
とにかく、ザイロとテオリッタ、ジェイスとニーリィがいない以上、これに従事できるのは自分だけだ。
(ため息をつきたくなる)
条件が悪すぎた。
とりあえず、意識を失ったノルガユを軍営に運ばなければならなかった。
その過程でベネティムには仰天され、ドッタは悲鳴をあげて物陰に隠れた。
失礼な連中だ――が、とりあえずノルガユの面倒さえ見ていてくれればいい。目を覚ましたノルガユの妄言に付き合っている暇は、いまはない。
任務がある。
(そう……どんな状況であれ、責務は果たさねばならない)
まずは印刷機の手配が可能か。
公園や公道を使用することは可能か。
それから、配布するために――それにもまた許可が必要だろうか? そういった諸々の要素は問い合わせるしかない。
自室でそう考えていたところで、ドアがノックされた。
最初はベネティムあたりがやってきたのかと思った――いささか遅すぎるが、形だけでも指揮官らしく、募兵任務の進捗を確認しに来たのか。
が、ドアを開けた場所にいたのは、予想を裏切るような訪問者だった。
「なに?」
と、パトーシェは思わず声をあげた。
それほど意外だった。
ドアの前に佇んでいたのは、見事な金髪の女。どこか静かな碧眼と、その視界に入るものすべてを値踏みしているような微笑。軍服。
パトーシェはその女を知っていた。サベッテ・フィズバラー。いまは第四聖騎士団長としての名の方が有名だろう。
かつては同じ神殿学院で、机を並べた相手だった。
パトーシェと同じ時期に軍に入り、二人ともが聖騎士として昇格することになり、そして――サベッテは残った。
「思ったよりも元気そうね、パトーシェ・キヴィア」
金髪の女の方が、わずかに嬉しそうな声をあげた。
「この部屋を探しました。ずいぶんと大変な場所で暮らしているのね?」
「……懲罰勇者だからな」
パトーシェは短く答えた。
「牢獄でないだけマシというものだ」
「確かに。そうですね」
サベッテは喉の奥だけで笑った。彼女は滅多に声をあげて笑ったりはしない。
「何をしに来た、サベッテ」
パトーシェはあえて硬質な、尖った声で言った。
「懲罰勇者との接触は、推奨されていないはずだ」
「そうね。あなたが勇者刑を受けてから、特にそのような指示が出ています」
それはそうだろう、とパトーシェも思う。
まるで自分が懲罰勇者と関わりすぎたために、犯罪性を助長され、部下と伯父を殺害するような凶行に至った――と思われても仕方がない。
もともと、聖騎士という立場の人間は軍の象徴でもある。
自ら犯罪者に会いに行くのが間違っているのだ。本来ならば。
「私はあなたを心配していたのですけど、余計なお世話だった?」
「……そうだな。そちらの立場が悪くなるだろう。サベッテ、史上最年少で聖騎士として席を連ねているからには、余計な厄介ごとを背負い込んでいる暇はないはずだ」
かつて、自分にもサベッテ・フィズバラーにも、夢があった。
未来の目標だ。
軍と神殿勢力の融和、そして連携――いまよりももっと円滑に、人類は力を合わせなければならない。
誰もがそう思っているが、立場と個人、あるいは個人の属する小集団にとっての利害があり、そううまくはいかない。
それを克服することが、いますぐにでも成し遂げるべき目標だった。
「あなたに心配されるようでは仕方ありませんね。本当に元気でよかった。西へ発つ前に、顔を見に来たのだけど――あなたは変わっていない――ああ、いえ」
サベッテは小さく首を傾げた。
「変わった部分も確かにあるみたいね。でも、それはあなた自身に尋ねても無意味でしょうね」
「何が言いたい?」
なぜかひどく不愉快なことを言われた気がして、パトーシェは彼女を睨んだ。
「空気が変わりました。少しは余裕が出てきたみたいね。以前は、ほら――あなたはああいう感じだったから」
「だから、何が言いたい? 曖昧な表現はやめろ」
「学院にいた頃、あなたは男子からどのように呼ばれていたか覚えている?」
「覚えていない」
パトーシェは唸るように言った。嘘だ。
その答えに、サベッテはやはり声もなく笑った。
「やはり、変わりましたね。たとえ冗談でも、そういう嘘がつける人ではなかった」
「……もういい。顔を見に来ただけならば、早く行け。密かに訪問しに来たのだろう。人に見られる前に、離れろ」
「いえ。お困りの様子を耳にしたので――力になれることがあるかと思いました」
「私の任務だ。お前の手を煩わせるつもりはない」
「そんなことを言って。募兵しようにも、その場所も手段もないのでしょう」
サベッテはどこまで知っているのだろう、とパトーシェは思った。
もしかすると、この計画――懲罰勇者に支援部隊を連携させるという構想には、サベッテも関与しているのかもしれない。
「そこで、私が解決案を持ってきてあげました。きっとあなたにもできる、現実的な募兵計画を提案してあげます」
そう言って、サベッテが突き出した一枚の紙片を、パトーシェは訝しげに見つめた。
「……なんだ、それは?」
「炊き出しの案内ね。第一王都市内には、魔王現象の被害から逃れてきた難民の方が多くいます。そうした方々のために、希望者を募って奉仕活動を行う予定があるの」
特に、年末年始の冷え込みは強烈だ。
暖かい食べ物を振る舞い、満足な住居のない人間には風雪を凌げる仮設住居を用意する。それから仕事の斡旋。衣類の提供。
そういう趣旨の文章が、紙面に書き込まれていた。
「この活動に便乗するのなら、許可は不要です。軍への入隊を斡旋し、労働環境を保証することにもなりますからね。ただ――」
「ただ、なんだ」
パトーシェは顔をしかめた。
なんとなく、サベッテの表情から、何が言いたいのかはわかっていた。それでも聞かずにはいられない――何事もはっきりさせたいのが、パトーシェの性分だった。
「早く言え」
「炊き出しという名目で活動するのなら、最低限の料理技術が必要になるわ。パトーシェ、あなたも芋の皮くらいは剥くことができましたよね?」
その声には本当に心配そうな響きがあった。
思えば、サベッテ・フィズバラーとは昔からそうだ。
実技と軍事演習以外では、彼女に勝った記憶がない。
なんとなく彼女は自分の保護者のような立場を自認しているのではないか、と思うことがある。
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