休暇行動管理簿:ノルガユ・センリッジの高貴なる休日 1

 国王の仕事は、多忙を極める。

 その決定には連合王国のすべての民の命が懸かっており、特にいまは戦時だ。

 いっそう責務は重い。


 冬季休戦中とはいえ、少しでも国力を回復させ、雪解け後に備えねばならない。

 ノルガユ・センリッジの考えるところでは、この春季反撃計画で魔王現象を討伐できねば、人類に未来はない。

 この休戦期における王の働きこそが、戦の行く末を左右するのだと、ノルガユは確信している。

 よって、休む暇など一切なかった。


 まずは早朝。

 起床してから、朝食をとりつつベネティム・オーマウィスク宰相に一日の予定を確認させる。

 食事は粗食だ。黒パンに蕪の酢漬け、野菜の欠片を使ったスープ。

 時にベーコンを一切れ。

 もっといい日ならば炒り卵。


「……えー。本日も、陛下にご決裁とお目通しいただきたい書類が多々あります」

 と、ベネティムは書類の束を差し出してくる。

 この程度は想定の範囲内だ。むしろ少ない。


「また午後からは兵器開発のご検討。定例の会議への出席と、面会の予定がいくつかございます」

「結構」

 と、ノルガユはかすかに塩味を感じる程度のスープをすすった。

「ベネティム、お前は速やかに西部貴族どもの協力を取りつけよ。それがなければ、反撃計画は頓挫する。――それから神殿の抑えも忘れるな。愚か者どもに神殿勢力を掌握されては面倒だ、主席大司祭は余が指名する者を確実に選出させろ」


「万事、滞りなく。全力を尽くします」

 と、ベネティムは頭を下げた。

 このベネティムにも様々な仕事を与えており、実際、それだけ活発に働いているようだ。最近は、珍しく本当に神経を削っている顔をしている。


 よって、ノルガユも一言だけを与える。

「よいだろう。励め」


 そうしてベネティムが退出するのを見送って、書類の山に取り掛かる。

 連合行政室がまとめた資料をベネティムが選別したというものだが、考慮するべきことは実に多い。

 諮問が必要な項目については、個別にまとめておく。

 王がすべてを把握する必要はないが、やはり地に足をつけた視点というものは必要なのだ。が、それに引きずられてもいけない。

 全体を俯瞰する思考と、個々の立場に寄った発想、その両方を使い分けるのが王だ。


 そのようにして書類を読み込んでいると、稀に来訪する者もいる。

 正式な訪問の予定をとっていないが、限られた数名にだけ、ノルガユはそのような無礼を許していた。


 たとえば、諜報機関の長。

 第十二聖騎士団、カフゼン・ダクロームという。

 この男はいつもエンフィーエという無口な《女神》を連れて、気配もなく、堂々と忍び込んでくる。


「ご無沙汰しております、陛下。第一王都にお戻りになられていたとは」

 そう言って、カフゼンは恭しく一礼する。

 いつものことながら、芝居がかった仕草だった。

「前線の戦はいかがでしたか?」


「厳しい」

 と、ノルガユは重々しく告げる。

「非常に厳しいな。兵は傷つき、民は疲弊しつつある。このままでは二年、三年と戦線を維持することはできん。余力のある現在こそが最後の機会だろう」


「では、我々もいっそう努力しなければなりませんね」

「当然だ」

 カフゼン・ダクロームの、どこか嗜虐的な笑顔を睨みつける。

「目と手を緩めるな。お前たちには、我が国の裏の治安を一手に担っているという自覚を新たにしてもらいたい。特に憂慮すべきは、東方にあるぞ」


 ノルガユの知る限り、最大の懸念点はそこにあると思えた。

 毎日のように目を通している税収に関する書類、人の動き、治安と経済活動の変動などでそれは見通すことができる。

「くだらん連中に唆されたか。東方諸島で反乱勢力の気配があるようだな? この『海賊』という輩ども、実に疑わしいではないか」

「慧眼です。旧キーオの有力氏族が武装したものが、その『海賊』と見られています。《ゼハイ・ダーエ》の軍勢と名乗っているようで。樹鬼を率いており、鎮圧に手を焼いています」


 ゼハイ・ダーエ。

 旧キーオ諸島国家における、守護獣として信じられる生物の名だった。

 真紅の鱗を持ち、海と空を自在に舞う、巨大な蛇。伝説では山を削り、竜巻を呼ぶことができたとされている。

 これはつまり、キーオ王家に属する何らかの正統性を主張している集団と見るべきだ。


「冬の間にどれだけ勢力を削げるか。春季反撃計画が潰えぬよう、お前たちが手を回せ」

「承知しております」

「話は以上だ。すぐに動き出せ」

「冷たいですね、陛下」

 カフゼンは苦笑した。そうすると、この男は痛みを堪えているような顔になる。

「せっかく凱旋なされた陛下とお言葉を交わすのを、私は楽しみにしていたのですがね」


「凱旋とは、勝って帰ることを言う」

 ノルガユはまた書類に目を落とした。

「余はまだ勝利を得ておらぬ。すべてはその後だ」

「私もその日を夢見ていますよ。陛下が王城に帰還し、民は歓喜して出迎える。すべての兵士は傷を癒し、疲弊した国土は安らぎを取り戻す。そういう日です」


「それを夢などとは、二度と言うな」

 ノルガユは厳しく言った。

 平和と言うものは決して夢ではない。そうでなくてはならない――王たる者がそんな表現をするべきではなかった。

「もう行け。余もお前も、責務を果たさねばならん」

 そしてふと一瞥した時には、すでにカフゼンも、その《女神》も去っていた。

 そういう男だった。


 それから、その日の非公式な訪問者と言えば、もう一人。

 いささか頼りない足取りながら、ノルガユの執務室を訪ねる人物がいた。


「ノルガユ様」

 と、その小柄で痩せた少年は、見事な作法に乗っ取った礼をしてみせた。

「ノルガユ様には、いまだしっかりとした形で礼を申し上げておりませんでした。あのとき、トゥジン・トゥーガ丘陵で私の命を救ってもらったことについてです」

「そうか。ライクェル」

 と、ノルガユはその少年の名を呼ぶ。

「もうすっかり健勝そうだな。泣き言を余に訴えることもなかった。よいぞ、王族たる者はそうでなければな」


 彼の弟。

 第三王子、ライクェル・ゼフ=ゼイアル・メト・キーオ。

 すなわち、後継ぎがいないノルガユにとっては、次期王位継承候補者の一人でもある。レナーヴォル、リーズファルに次ぐ――

(いや。リーズファルは――)

 不意に頭痛を覚えて、ノルガユは首を振る。


「ノルガユ様?」

 ライクェルが心配そうに見上げている。

 ノルガユはかすかに呻いて首を振った。その少年を安心させるように。


「気にするな、ライクェル。おそらく、疲れが少々溜まっていたのだろう」

「そうですか。……あの、ご無理はなさらぬよう」

「うむ」

 ノルガユは大きく意識して呼吸をすると、最後の書類の一枚に署名を終えた。


「お前も体には気をつけろ。この状況下、王たる者が安寧を貪るなどもってのほかだが、王族に代わりは少ない。国家には中心たる存在が必要なのだ」

 そうでなければ、常に最強の者が国家の頂点に立つことになる。それは必然的に闘争を生み、民を安んじることができまい。


 一部の者が主張する旧西方連邦に倣った議会制は、それと同じくらいにノルガユにとっては言語道断だった。

 市民選挙で国家の代表を決めるなど、人気投票で国を運営するようなものではないか。それで優れた者を本当に選出できるのか、ノルガユには信じることができない。

 やはり、国の基本は王。

 その王を、優れた者たちが補佐する。そのための教育機関を拡充し、腐敗しないような仕組みを整えねばならない。


「よいか、ライクェル。己の責務を常に己自身に問え。王族であるとはそういうことだ」

「あっ、ええと――は、はい! わかりました、ノルガユ様」

 少し戸惑ったようだが、ライクェルは素直に返事をした。

 そうでなくては。まだ幼いとはいえ、なかなかの素質の持ち主であるとわかる。


「他の、あの――勇者の皆様もお元気でしょうか?」

「壮健だ。嫌になるほどな。余の精鋭だ、この程度の戦闘で消耗してしまうようでは困る」

 ザイロとジェイスはひどい手傷を負ったようだが、すぐに復帰すると聞いている。

 やつらにもまた、山ほど与えるべき仕事はあった。


「さて――お前には悪いが、ライクェル。余はこれから別の職務を果たさねばならぬ」

「お出かけになるのですか?」

「やるべきことがある。遊んではやれぬ」

 ゆっくりと立ち上がる。もう頭痛はない。

「募兵だ。余が手ずから、親衛隊を募ろうと思う」


        ◆


「募兵?」

 そのことを聞いたとき、パトーシェ・キヴィアは思わず眉をひそめた。

 乗馬の調練の後、シエラ狙撃兵長と市内の食堂で食事をとった帰りのことだった。

 懲罰勇者ではあるが、作戦行動中という扱いの場合に限り、そうした寄り道も許されていた。


「それはどういう意味だ? なぜ我々がそのような任務を?」

「上からの指示なんです。どこから来たものかわかりませんが」

 ベネティムは怯えたように言った。

 この男はパトーシェと視線を合わせたがらない。いつも恐怖しているように見える。

 そしてパトーシェは、自分がそれほど鋭い目つきで他人を睨んでいることにまるで気づいていなかった。


「我々懲罰勇者と、連携して動く兵力を募れとのことです。最大で一千まで増強する案もあるようですが、とりあえず、五百は欲しいと」

「無茶な話だな」

 そのように、パトーシェは断言するしかなかった。

 正規兵から編成して五百なら可能な話ではあるだろうが、それができないから募兵という形なのだろう。


 とすれば、まったくの民間から探すしかない。

 つまり、不名誉で過酷な作戦を、懲罰勇者とともに戦う――そういう、明らかにどうかしている人材を。五百も。


「自分から死刑囚に立候補せよというような話だ。待遇も期待できないのだろう?」

「や、それがですね……一応は、実験部隊に似た扱いになります。給金も出ますし、休暇もあり、部隊としては独立遊撃部隊という仮称が使われるようですね」

「それは……我々よりも、はるかに待遇が良いということになるのではないか」

「そうなります。あくまで、作戦上、我々と連携して支援するように動く部隊というだけで……立場はもちろん、我々よりもはるかに上ですよ」


 ベネティムはそこで困ったように笑った。

「まあ、我々はそもそも人権とかありませんしね。我々より立場が下の人間なんて、法律上では基本的にいませんよ」

「だろうな。……それでも、やれということか」

「どうかお願いします」

 ベネティムは揉み手をしながら頭を下げた。

 そういう仕草が驚くほど似合う男だった。


「一応、ノルガユ陛下と組んで募兵していただきますから。仲良くやってくださいね」

「あの男とか……大丈夫なのか、あれは?」

「あれでも頭脳は明晰なんです。自分が国王でないということを除けば、かなり」

「そうかもしれんが」

「パトーシェさんに自信がまるでないなら、他の方にお願いするしかないのですが……」


 そうしてベネティムは、パトーシェの顔色を窺った。

 前々から気になっていたことだが、この男、もしかして自分を猛獣の類だと勘違いしてはいないか。

 それは大変に不快だった。いずれははっきり問い詰めてやらねばならない。


「いかがでしょうか? 私としては、ザイロくんよりも適任だと思うのですが」

 他人を乗せようとするのが露骨だが、その分、意図が読めすぎてしまう。パトーシェが断れば、ザイロが戻って来たところで話を持っていくのではないだろうか。

 そのことを考えると、パトーシェはため息をつきながらうなずくしかなかった。

「わかった。やろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る