休暇行動管理簿:ドッタの剣 4

 刃が炎を散らしたとき、ドッタがまず取った行動は単純だった。

 それはおおよそ剣術や闘争の常識を外れていたが、ドッタにとってはいつも通りのことだ。


 つまり、背を向けて逃げるということ。

 とはいえ逃げる先は壁しかない。

 よって、ドッタは壁に靴底と手袋の『爪』を引っかけ、勢いよく――というよりは、ヤモリが這うように俊敏に這い上った。


「なんだと――貴様、逃げるな!」

 唖然としたような声の次には、怒号が追って来る。

 めちゃくちゃなことを言われている。

(冗談じゃない。逃げるよ)

 背中に熱を感じる。とにかく強烈な殺意。


 相手から目を逸らすどころか、背中を向けるということは、攻撃の予測がほぼできなくなるということを意味する。

 だが、ドッタにとってはそれでよかった。

 どうせ相対していても怖くて目を閉じてしまうだろう。それなら背を向けていてもまったく同じことで――全力逃走を選択したのなら、相手の行動を限定してしまうこともできた。

 ドッタはそこまで意識していなかったが、それは相手に一方的に選択肢を押し付けることに繋がった。


 すなわち、ドッタを追撃するか、他の標的に回るか。

 相手はそのために選択肢を考え、わずかに躊躇したのかもしれない。あるいは、しなかったのかもしれない。

 ドッタにはわからないが、どちらでもよかった。


 壁の上まで瞬く間に這い上ったドッタは、地上を見下ろす。そして構える。

(やっぱり、ぼくに向いてる戦い方っていうのは……)

 用意してきたのは、いつもより短い雷杖。

(一方的に無抵抗な相手を攻撃する感じのやつだよな)

 製品名は『クアディ』。ヴァークル社が開発した新型の雷杖らしい――その性能と威力は見たことがある。自分向きの道具だと思った。


(いけ)

 ドッタの構えた『クアディ』の先端から稲妻が迸った。

 飛び散るように、同時に、何条も。

 その狙いは焦点を微妙に外し、標的を捉え損ねてはいたが、それでもいくつかの雷は襲撃者の体を焼いていた。炎の剣を取り落とすくらいには、強烈に。


(すごい。ぼくでも余裕で当たる)

『クアディ』は散光式という射撃形態を採用した雷杖だった。

 いくつもの雷を同時に、広範囲に浴びせる種類の雷杖。

 狩猟などでもよく使われる。一発撃てばすぐに蓄光弾倉を交換する必要がある、非効率な代物――ではあるが、状況によってはその制圧力が効果を発揮する。


 たとえば、ドッタのような雷杖の狙いに長けていない人間でも、十分に近づければ必ず当たる。

 ドッタにとっては、いままで使おうと思えなかった道具だ。

 そもそもこんな距離まで異形フェアリーを近づけたくなかったからだ。

 しかし――このところどうも雲行きが怪しすぎる。特にトリシール。無茶苦茶な作戦に自分を引っ張り出して使おうとしているとしか思えない。


「貴様! ……その雷杖」

 襲撃者は顔を歪め、煙をあげる右手で剣を拾い上げようとした。

 ドッタはそれを許さない。

 武器を無くした相手なら、いくらでも強気になれる。全身が凶器のような連中も勇者部隊にはいるが、こいつはそうじゃない。

 そう――ザイロやジェイスに比べれば、こんな相手は、恐れる対象ではなかった。


「えっと」

 ドッタは跳躍し、襲撃者の頭上に飛びついた。

「あのー……化けて出ないでね、ほんとに」

「か、――ぐっ」

 暴れようとする相手の首を、そのまま掻き切る。今度はちゃんと刃を寝かせて胸も刺す。すぐに抵抗はなくなった。

 後には、雪の上に転がる死体がいくつか。

 それと派手な血痕。


(疲れた。もういやだ)

 ドッタは白い息を吐き出し、その場にうずくまった。

 全身がだるい。こんな運動をする羽目になるとは思わなかった。

 しかも、やけに右腕が痛んでいることに気が付いた。興奮していて忘れていた痛み。見れば二の腕が切り裂かれ、しかも焼け焦げていた。


(なんだよ、もう……血が出てるじゃん……)

 背を向けて逃げようとしたときに、あの炎の刃で引っかけられたらしい。

 最悪だ、と、ドッタは思った。これだから戦いは嫌なのだ。痛いし疲れるし、いいことが一つもない。とにかく止血をしなければ。

 急いでここを退き返して――と考えていたときに、ライノーが絶望的な言葉をかけてきた。


「よし。こちらも片が付いたよ、同志ドッタ。もう安心かな?」

 両手を叩き合わせ、彼は優しくドッタの肩を叩いた。

 ドッタは思わず目を剥きだした。

「ラ、……きみ、そのっ」

「うん? どうしたのかな。負傷している? 同志ドッタ、その傷……」

「ちがっ、違うって! 名前! ぼくの名前、わざわざ言う必要ある!? きみってホント常識知らないよね!? なんでこの場面で――」


「……ドッタさん、ですか」

 さらに別の、ライノーのものではない声が聞こえた。

 ユベイト・ルドミッシェン。

 体のあちこちを負傷しているようだったが、それでもしっかりと立っていた。剣もまだ握っている。


「いや、あのー……ぼくらは実はですね。ええと。これはぜんぜん、あの、そういうアレではなくて……」

「助かりました。礼を言います」

 ドッタは自分でも意味不明な言い訳をしようとした。

 が、その前に相手がいきなり頭を下げた。


「こちらの失態です。深く探りすぎました。軍の内偵調査……『決戦派』に潜り込んでみたのですが、想像以上に厳しい警戒でした。何か大きな背後勢力があるようですね」

 ユベイトはドッタにはまるで理解できない言葉を喋りながら、雪から何か拾い上げた。

 それはドッタの帽子だ――いつの間にか落としていたらしい。

 彼はそれを、負傷のためかやや青ざめた顔でドッタに差し出した。


「私はユベイト・ルドミッシェン。本来は第十二聖騎士団に籍を置いています。この借りはお返しします、ドッタ・ルズラス。噂の懲罰勇者は……なるほど、奇想天外な働きをしますね」

「聖騎士団?」

 ドッタの脳裏を、ザイロやパトーシェの顔がよぎった。

 暴力の申し子のような集団ではなかったか。

「ええ。我々は、案外と色々なところにいますよ。……このことは、どうか内密に」


        ◆



「……で、どうでした?」

 ベネティムは、部屋でふてくされて寝ているツァーヴに声をかける。

 その日はやるべきことが多く、朝からあちこちを駆け回らされた。結局、軍営に帰還したのは夕暮れ過ぎだった。

 すでに大競技祭は終幕を迎え、会場の片づけが行われているのを途中で見た。


 つまりツァーヴの顔を見れば、大競技祭がどういう行方になったのかわかるということだ。

 ベネティムには自分の考えがどれほど成功していたか、確認する必要があった。

 だから、ツァーヴとドッタが押し込められている部屋に足を運んだのだ。結果としてドッタの顔はなく、寝ころんでいるツァーヴだけがいた。


「大競技祭、終わったんですよね。ドッタは試合に出てましたか?」

「はあ」

 という生返事とともに、ツァーヴは勢いよく体を起こした。いつもの軽薄そうな顔にも、どこか覇気がない。


「ドッタさんね。出ましたよ、そりゃもうとんでもない泥仕合で。めちゃくちゃ野次飛ばされてましたけどね! なにしろへなへな剣技の殴り合いだったもんスから!」

 喋りながら、ツァーヴは徐々に語調を強めていく。

「あのユベイトとかいう剣士も、訓練用の棒すらろくに持てない有り様だったんスよ。ドッタさんはもとからっスけど。どうも二人ともかなり怪我してたみたいで」


「ええ……? 相手も怪我してたんですか?」

 ベネティムは顔をしかめた。これは予想外だ。

「やっぱり闇討ちとかしたんですかね。冒険者とか雇ったりして。ライノーくんとなんかごちゃごちゃとやっていたみたいなんですけど……ツァーヴ、知ってます?」

「ぜんぜんわかんねっス!」

 清々しく答えて、ツァーヴは片手に握っていた新聞らしきものを握りしめた。ぐしゃぐしゃに丸める。


「とにかく子供の喧嘩みたいなもの見せられて、そりゃー文句も言いたくなるってもんスよ。まあね、ある意味互角でしたけどね! 最後にはドッタさん疲れて降参するし。ユベイトさんも限界っつって次の試合棄権しちゃったし!」

 ツァーヴは軽く鼻を鳴らす。

 どうやら、よほどひどい一戦だったらしい。

 ベネティムはドッタの剣術など知らないし、見てもいないが、なにしろあのドッタだ。それと互角に見えたというのだから、ユベイトという騎士が相応に負傷していたか――あるいは極端に手を抜いたということになる。


「ドッタさんのその後はかなり笑えましたけどね。あの赤毛の姉ちゃんに首根っこ掴まれて、引きずられていったんスよ」

「ああ……」

 ベネティムにはその光景をはっきりと思い浮かべることができた。

「マジでイラついてたみたいなんで、ありゃ間違いなくひどい目に遭ってますね」

「そ、そうですか……死んでないといいんですけど……」

「事務処理面倒っスからねえ」

「はい、まあ、そうですね……」


 ベネティムは認めた。

 形式上とはいえ懲罰勇者の指揮官である以上は、ベネティムにはそれに付随する様々な事務手続きをこなし――あるいはごまかすという仕事がある。

 懲罰勇者は軍の備品のような扱いであるため、勝手に破損すると、それ相応の始末書が必要になってくる。


「で、ベネティムさん。あれってどうなんスか?」

「あれ……って?」

「ドッタさんの試合っスよ。わざわざドッタさんが出場するように指名したぐらいっスから、相手方と八百長の話でもついてたんスか?」

 ツァーヴは軽薄に笑った。


「オレは大損でしたけどね! あぁー、まさかムルシェオが負けるなんて……どうなってんスか、畜生!」

 ムルシェオ・パーチラクト。

 この大競技祭では優勝候補の筆頭だったはずだ。ベネティムはそこで安堵した。どうやらツァーヴの博打に対するツキの無さは本物らしい。


「じゃ、勝ったのは倍率二番手の?」

「そうっスね! 第十聖騎士団の、ハイネ・ブカ・タンゼ! つっても最終的には倍率三番手に落ち着きましたけど」

 ツァーヴは天井を見上げた。

「なんかドッタさんの前評判がめちゃくちゃ高かったせいで、逆にこの姉さんとかユベイトとかの倍率がかなり上がってて……ああ! やっぱりこっちに賭けときゃよかった!」


「そうですか」

 と、ベネティムは小さくうなずいた。

 胃が痛くなるような賭けは、まだこれが手始めだ。そのことを考えると気が滅入る。


 ベネティムはツァーヴの予想を聞いたときから、ハイネ・ブカ・タンゼに賭けていた。

 あとは勝った時のリターンが最大になるよう、賭けの倍率を操作することで、それはベネティムの得意な領域だった。


 パトーシェではなく、ドッタを前面に押し出したのも、誰もその戦闘技術を知らないからだ。

 懲罰勇者という名前があったおかげで、期待が集まってくれた。

 当然、ベネティムもあちこちで記事を書き、根も葉もない噂を流し、その傾向操作に加担した。


 聖騎士団内部の情報を集めて検討する限り、ムルシェオ・パーチラクトとハイネ・ブカ・タンゼのどちらが勝つかは未知数だった――微妙なところだったが、ツァーヴとは逆の方に賭けることにした。

 もしもツァーヴが勝っていれば、今度は彼から儲け分を巻き上げる『デカい賭博』を持ち掛けるつもりでいたが、その必要はなさそうだ。


(とりあえず、着手資金はできましたけど……)

 本当に、これからやるべきことを考えると胃も頭も痛くなる。

 なにしろ自分はこれから、神殿の首席大司祭の座をめぐって、ヴァークル社と競わねばならないのだから。


「あ。ベネティムさんも顔が暗いっスねえ! まさか、ベネティムさんもムルシェオに賭けてたクチっスか?」

「そんなわけないじゃないですか」

 ベネティムは引きつった顔で否定した。

 こういう顔をすると、相手は勝手にこちらの不幸を想像してくれることが多いからだ。

 ベネティムはなんとなく考えていることがある――人間は他人の不幸を願いがちだ。あるいは、自分と同じくらいに不幸だと思いたがるのかもしれない。


「しょうがないっスねえ」

 ツァーヴは片手の酒瓶を持ち上げてみせた。

「トリシール姐さんがドッタさんから取り上げた酒瓶あるんで、オレらとドッタさんの敗北に乾杯しますか!」

「それは名案ですね」

 引きつったままの顔で、ベネティムは酒瓶を手に取る。

 このまま盛大に酔わないと、今日はまた眠れそうにない。

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